村田京子のホームページ – blog

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トゥーランドット先日、近くの市民ホールでシネオペラ『トゥーランドット』(ポスター)が上演されたので見に行ってきました。この作品は、18世紀のフランス人作家フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワが出版した『千一日物語』の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」に基づいてイタリアの劇作家ゴッツィが1762年に著した戯曲で、今回のオペラはプッチーニ作曲(1926年)、ズービン・メータ指揮、陳凱歌(チェン・カイコー)演出で、2008年にスペインのバレンシア、ソフィア王妃芸術宮殿で上演されたものが映画化されたものです。

時と場所は大昔の伝説時代の北京。皇帝の娘で絶世の美女トゥーランドット姫に求婚する男は、姫の出す3つの謎を解かねばならず、解けなければ斬首の刑にかけられる、というもので、何人もの王子がその犠牲になります。第1幕ではその中の一人、ペルシアの王子の斬首の場面から始まります。そこに居合わせたのがダッタン国の元国王で流浪の身の盲目のティムールと女奴隷リューで、二人は期せずしてティムールの息子カラフと再会を果たします。しかし、トゥーランドットの美しさに魅了された王子は父親や周りの者の制止を振り切って、謎に挑戦することになります。第二幕では、3つの謎を見事に解いたカラフが王女との結婚を望みますが、異国の男性に騙されて絶望のうちに死んだロウ・リン姫の復讐を果たすと誓った王女は、彼の要求を拒みます。それに対して、カラフは自分の名前が明日の夜明けまでにわかれば、姫の願いを叶えて自らの命を差し上げる、と提案します。その晩、北京市民に王女の命令―「今夜は誰も寝てはならぬ。求婚者の名を解き明かすことができなければ、住民全員を死刑にする」―が下ります。それが第3幕で、ティムールとリューが彼の名前を知る者として捕らえられますが、王子を密かに愛するリューは拷問されても口を閉ざし、最後は自らの死を選びます。リューの王子に対する深い愛情を目の当たりにしたトゥーランドットにもその冷たい心に変化が起こり、カラフの熱い接吻で彼への愛情を抱くようになります。最後に彼自らが「カラフ」という名を彼女に教えて、死を覚悟します。しかし、夜が明けて姫が皇帝の前で述べたのは、「彼の名は「愛」です」という答えで、その後、愛の勝利が高らかに歌われて幕が閉じます。

トゥーランドット役のマリア・グレギーナは、「圧倒的な歌唱力と演技力で当代最高のドラマティック・ソプラノ」と絶賛されていて、迫力がありました。リュー役のアレクシア・ヴルガリドゥも、リリカルなソプラノでその可憐さが際立っていました。ただ、オペラの場合、プリマドンナはどうしても歌唱力が優先するため、太った体形になりがちで、カラフに年老いた父親を見捨てさせるほどの魅惑を発揮する「絶世の美女」とはあまり思えず(特に最初の場面ではトゥーランドットは黒の地味な服を着て登場したので、姫の年老いた侍女と錯覚してしまいました)、それが少し残念でした。リューの方が美人なので、どうしてカラフは彼女の美しさに気づかないのかと思えるほど。カラフ役はテノールのマルコ・ベルティ。ズービン・メータ指揮の音楽も素晴らしいものでした。あと、面白かったのがピン(大蔵大臣)、パン(内大臣)、ポン(総料理長)という老人3人組が一種の狂言回しとなって滑稽さがつけ加えられていること。首切り役人のプー・ティン・パオは怪しげな魅力の男でそのバレエのような仕草に惹かれました(歌はなし)。

「誰も寝てはならぬ!」という曲は、2006年のトリノオリンピックのフィギュアスケートで金メダルを取った荒川静香さんがフリーで使った曲で、非常にドラマティックでありながら美しい曲で好きだったのですが、その歌詞がこれほど残酷で恐ろしいものであったのか、知りませんでした。ただ、最後の凱旋の歌としてもこの曲が使われるので、荒川さんのフリーのイメージはこちらの方でしょう。ギリシア神話において謎解きを迫るスフィンクスとオイディプスの中国バージョンとも言えますが、異国の王子を次々に斬首し、自国民の死も厭わない冷酷な中国の姫という設定は、ヨーロッパ人から見た中国像(オリエンタリズム)と関連しているのかもわかりません。ただ一つ、興味深かったのは、皇帝が弱々しい老人として登場し、父権的な力が弱かったことと、王女の冷酷な行為は単なる我がままのせいではなく、女を虐げてきた男への復讐という点で、新しい視点だと思いました。いずれにせよ、中国ではこのオペラは中国蔑視の象徴として長らく上演禁止だったのが、1998年にズーピン・メータ指揮、チャン・イーモウ演出で舞台にかけられたそうです。その時に舞台衣装なども大幅に改善されたとか。本物のオペラ劇場ならば、幕間が2回あって、その間にシャンパンなどのグラスを片手にもって、音楽の余韻を楽しめるのですが、映画の場合は2時間通して、座っていました。それでも久しぶりにオペラの雰囲気が楽しめて至福の時を過ごすことができました。

Written on 1月 18th, 2021

奈良日仏協会主催の美術クラブ例会が開催され、参加しました。講師は絹谷幸二天空美術館顧問・キュレーターの南城守先生。タイトルはRembrandt「美術の力―逆境の中から誕生した傑作選」ということで、17世紀のオランダの画家レンブラント、18世紀~19世紀のスペインの画家、ゴヤ、19世紀後半のオランダの画家ゴッホ、20世紀のスペインの画家ピカソという時代の違う巨匠を取り上げられ、それぞれが逆境の中で描いた作品を紹介されました。まず、西洋美術の歩みとして、中世、近世には教会や王侯貴族の注文で絵が描かれたのに対し、近代以降は「画家個人の主義・主張」に基づいた絵画が生まれ、画家の「悲哀、絶望、不安、狂気」が反映されるようになったことを述べられた後、レンブラントの《屠殺された牛》(左図)の紹介がありました。若くして肖像画家として名を高めたレンブラントですが、有名な《夜警》以降は、妻のサスキアの死、彼の浪費癖(骨董品収集)のせいで無一文となり、573px-Francisco_de_Goya,_Saturno_devorando_a_su_hijo_(1819-1823)絵の注文も途絶え、失意の中で描いたのがこの絵です。そのリアルなタッチは「死」を想起させるような凄惨さを帯びています。南城先生のお話では、この絵は顔料を油で溶いた油彩画で、絵を横から見ると厚塗りした顔料がよくわかるそうです。2番目はゴヤの《我が子を食らうサトゥルヌ》(右絵)。ゴヤは40代になって宮廷画家として栄華を極めますが、46歳の時にに大病をして聴力を失います。さらに1807年にナポレオンがスペインに侵攻し、その結果、1808年から14年にかけてスペイン独立戦争が勃発し、ナポレオン軍によるスペイン人の大虐殺が起こりました。そうした時代を反映したのがゴヤの「黒い絵」シリーズで、サトゥルヌスの絵もその一つです。この絵も人間の「狂気、暴力」を表現していると言えるでしょう。3つ目はゴッホの《星月夜》(左絵)。ゴッホはオランダ時代は暗い色調の風俗画を描いたいたのが、パリにVincent_van_Gogh_Starry_Night出てきて印象派(スーラなど)の影響を受けて明るい色調の絵を描きはじめ、南フランスのアルルでゴーギャンと共同生活を始めるものの、二人の仲は破綻し、有名なゴッホの「耳切り事件」が起こります。その後、サン=レミの療養所で描いたのが《星月夜》です。ゴッホ特有の波打つ筆のタッチが印象的な星空を「セーヌ川」に見立てる解釈もあるそうで、確かに水の流れにも見えます。ゴッホは日本では「狂気の画家」とみなされがちですが、彼自身は非常に教養があり、フランス語、英語にも長け、文学作品を多く読む知識人でした。彼はジャポニスムの影響で浮世絵に魅せられ、彼なりに浮世絵を模写した絵を残していますが、もし彼が日本に来たらどんな絵を描いたのか、興味が沸きます。最後はピカソの《ゲルニカ》(右絵)。1200px-Mural_del_Gernika南城先生はまず、ピカソの十代の絵のデッサン力の素晴らしさを讃えた後、無彩色の「青の時代」から「ピンクの時代」へとピカソの絵を辿り、最後はキュビスムに至る過程を簡潔に説明してくれました。《ゲルニカ》は、内戦状態にあったスペインで、反政府側のフランコ軍を支援するナチス・ドイツ軍が1937年にスペイン北部バスク地方の町ゲルニカを無差別爆撃し、大殺戮を行ったことを知って、ピカソが描いた作品です。戦争の残虐さが鮮明に表れた絵で、ピカソの激しい憤りが感じられます。しかし、絵の中央下部に死んだ人が手に花を一輪握っていて、それが「希望」を表している、ということです。それが「悲劇を越えたところにある『夢と希望』」であり、美術の力はそこにある、と先生は結論づけられました。確かに、いまだコロナ感染が収束しない現在、「美術の力」「文学の力」(先日のカミュの『ペスト』のような)が人々の心に与える役割は大きいと思いました。

Mon Nara 報告

Written on 12月 14th, 2020

カミュ奈良日仏協会、放送大学共催の教養講座に参加しました(ポスター)。今年は奈良日仏協会会長および放送大学奈良学習センター前所長の三野博司先生の講演「カミュ『ペスト』を読む」が奈良県文化会館で行われました。コロナ禍の中、検温チェックの後、広い会場で社会的距離を取っての講演会でしたが、このところオンライン会議ばかりが続いて、直に人と触れ合う機会がなかったので、三野先生のご講演を現地で拝聴できて、本当に幸せなひと時でした。カミュの『ペスト』は2011年の東日本大震災の時にも話題になりましたが、コロナのパンデミックの中で、世界中で読み返されたと言われているものです。久しぶりにカミュの作品を読み直しましたが、感染者が亡くなった時に家族がその臨終に立ち会えなかったり、埋葬者が多すぎてお墓が足りなくなり、最後は大きな穴に死体が重なり合って埋められる場面などは、コロナの感染が拡大したブラジルでの埋葬を彷彿とさせるものでした。最初、医者のリユーがペストの兆候に気づいても、当局側がなかなかそれを認めたがらない場面は、トランプ大統領の態度にそっくりですし、ペストだとわかっても自分は大丈夫で自由だと人々が楽観視する場面は、中国の武漢でのコロナ流行のニュースを見ても、「他山の石」のように思っていた今年1月の自分の姿を思い出しました。21世紀の科学・医学が発達した現在でも、同じ状況が繰り広げられるのは、悲しい限りです。

ただ、『ペスト』の刊行(1947年)当時は、第二次世界大戦終結から間がなく、「ペスト=ナチス」、ペストと戦う民間ボランティアの「保健隊=レジスタンス」を表していたとのこと(カミュもレジスタンス運動に参加していました)。それが今日では、三野先生によれば「ペスト=災禍、人間を襲う暴力的な力、避けられない不条理」、ペストとの「闘い=神にも超越的な価値にも依存せず、人間の地平に立つ」ことを意味していると解釈されるようになりました。この小説は、フランスの植民地であったアルジェリアのオランという町を襲ったペストの発生から終息までを描いたもので、医師のリユーを中心にして、彼を取り巻く人々(保健隊を結成するタル―、新聞記者ランベール、市役所職員グラン、イエズス会士、パヌルー神父、オトン判事など)との関係が描かれています。特に印象的だったのは、ペストが蔓延して封鎖(今でいうロックダウン)されたオランの町で行ったパヌルー神父の説教の内容(ペスト禍は人々の不信心に対する神の懲罰で、人々に悔い改めるよう促す)が、自ら保健隊に加わり、無垢な少年の死に立ち会うことで変わっていき、受け入れがたいものも神の恩寵とみなすべきだと考えるようになったこと。それに対して医師のリユーは、神に人の運命を委ねて何もしないよりも、患者の診療(=人間の救済)に力を尽くすべきだと反論しています。パリから来たランベールに関しては、はじめは「よそ者」として、封鎖された町から脱出して、パリの恋人の元に戻ろうと画策し、リユーに「個人の幸福」を主張しますが、最後には「個人の幸福」よりも町の一員として残ることを優先しています。厳格な「法の番人」であったオトン判事も、幼い息子の死後、自らが保健隊に入って戦おう(最後にはペストに罹って死亡)とするなど、男性の登場人物はそれぞれ、ペストとの闘いに挑む中で、変わっていく様子が描かれています。もう一人、興味深かったのは、犯罪者のコタールが、いつ警察に捕まるのかびくびくして自殺を企てるほどであったのが、ペストの蔓延で町のすべての人々が彼と同じ恐怖(いつ病に罹るのかという恐怖)を抱くようになったのを見て、晴ればれとした顔で自由に活動し始めたこと、逆にペストが収束した後、歓喜する人々とは裏腹に、半狂乱に陥ってしまう最後の場面。また、男ばかりの闘いの物語の中で、ペストを全く恐れずに、ペストに罹ったタルーを献身的に看病するリユーの年老いた母親の泰然自若ぶりが際立っていました(一種、神々しさを感じるのは、三野先生によれば、カミュの母親がそこに投影されているからだそうです)。

三野先生は象徴的で複雑な意味を持つカミュの『ペスト』をわかりやすく解説して下さり、さらに二人のプロ(テレビのCMやナレーターをされている男性)による対話劇もあって、90分があっという間に過ぎました。今回は懇親会もなく、そのまま解散となりましたが、コロナが収束した後で、さらにカミュについて、いろいろお話が伺える日が早く来ることを願っています。

Mon Nara報告

Written on 11月 23rd, 2020

s-IMG_4754s-IMG_4758先日、天川村の洞川(どろがわ)温泉に一泊してきました。大峯山ふもとの古くからある旅館街で、老舗旅館「花屋徳兵衛」(左写真)に泊まりました。入り口もなかなか風情のある趣ですが、縁側(写真)が設えられていて、大峯山で修行(修験道発祥の地とか)する行者さんたちの宿坊として建てられ、行者さんたちが白足袋を脱いで上がるためだそうです。内部も吉野の木々を用いた伝統建築で、温泉(「前鬼の湯」とs-DSC_0191「後鬼の湯」)はこじんまりとした空間ながら落ち着いた風情で、少し熱めの湯(42度くらい?)にゆっくり浸かると、体中がぽかぽか温まりました。夕食は、あまごの甘露煮やにじますの刺身など川の幸や牛肉や松茸を朴葉の上に載せて焼いたもの、天然水を使った豆腐など、秘境の里ならではの食材が出ました。特においしかったのが鮎の塩焼き(右写真)。残念ながら今は天然の鮎の時期ではなく、養殖の鮎でしたが、そのまま齧りつき、骨まですっかり食べることができました。

s-DSC_0060旅館には早く着いたので、近くを散策することにして、まず、面不動鍾s-IMG_4815乳洞を訪れました。木の幹型のトロッコで上まで上がり(45度くらいの急坂)、帰りはすすきの道を歩いて下りました。鍾乳洞内には、釣り鐘や乳房のような形をした鍾乳石(写真)がつららのように垂れ下がっていたり、地表から筍のような形をした石筍が広がっていて、非常に神秘的でした。中はひんやりと湿っていて、足元が暗いので少しおっかなびっくり歩いて回りましたが、結構狭いので頭を打ったりとなかなか大変な道中でした。次に、大峯山龍泉寺へ。木々はすっかり紅葉していてもみじが池にはらはらと落ちる様子が詩的でした(右写真)。行者s-DSC_0108さんたちはこの寺の滝(左写真)で身を清めてから修行に向かうとのこと。寺の裏s-IMG_4813から山道を登り、吊り橋(「かりがね橋」:写真)を渡りました。歩くとかなり揺れますが、それも一興。そこから展望台まで大原山の山道(木の根が張っているので、結構すべりやすい!)を歩き、また下ってふもとの旅館街に戻りました。大峯山自体は残念ながら、女人禁制とのこと。

翌日は旅館から行者の道を通って七尾山本堂でお参りをし、名水百選にも入っている「ごろごろ水」の取水場へ。古来から万病に効く霊力を持った名水とのこと(一口、飲みましたがおいしかった!)。ポリタンクを沢山持ってきて水を汲んでいる人たちが見られました。その後、車で15分くらいのところにある天河大弁財天社へ。ここは、年に3回開かれる能舞台(写真)で有名なところですが、今年は残念ながらコロナ禍で中止とs-IMG_4838のこと。来年以降、能を見にまた来てみたいと思います。

途中で直売店に寄り、地元の柿やこんにゃく、くず餅などを買って帰途につきました。11月とは思えない好天に恵まれ(夏日に達するほどの暑さで、用意してきたコートは必要がありませんでした)、楽しい時間を過ごすことができました。

Written on 11月 22nd, 2020

奈良女子大学奈良女子大学アジア・ジェンダー文化学研究センター主催の国際シンポジウム「都市空間とジェンダー:身体表象と記憶をめぐって」(ポスター)が、11月12日にオンラインで開催されました。講演者の中で、とりわけカトリーヌ・ネッシ カリフォルニア大学教授はバルザックやジョルジュ・サンド研究で有名な方で、個人的にも親しいこともあって、シンポジウムに参加しました。

ネッシ氏の演題は「自由に街を歩く女たち:都市空間・文学区間におけるジェンダー化された身体」で、そのお話を簡単にまとめると、次のようなものになります。

19世紀のフランス人作家、バルザックからボードレール、プルーストの作品において、パリという都市空間で男の遊歩者が通りすがりの女性に魅せられ、その一瞬の邂逅と別れを「逃げ去る美」と重ね合わせて考察する場面がしばしば描かれています。そこには、自由に街路を歩き回り、観察できるのは男の遊歩者であり、女性は男の欲望の眼差しの対象でしかないというジェンダー構図が浮かび上がってきます。しかし、少数とはいえ、男性遊歩者の役割を手に入れ、都市空間を観察することができた女性作家たちが存在していました。本発表では、ロマン主義時代の作家ジョルジュ・サンド、ベル・エポック時代のコレット、20世紀のアルジェリアの作家アシア・ジェバールという3人の女性作家の著作を取り上げ、「女性遊歩者」について分析しています。

sandまず、サンド(左図版)に関しては自伝『我が生涯の記』を取り上げ、彼女が男装をした一番の理由を挙げています。それは男性の友人たちと同様に、劇場、美術館、カフェ、クラブ、街路を自由に動き回るためでありました(当時、女性は私的領域に閉じ込められ、公的空間は女人禁制、または男性のエスコートなしには入れない場所でありました)。男装はいわば、「女性として注目されない」ためであり、公的空間を匿名の観察390px-Colette_-_photo_Henri_Manuel者として自由に動き回り、社会の動きを知ることで、芸術創造に携わることができたわけです。次にコレット(右写真)の『さすらいの女』に関しては、主人公の女性が南仏の町をそぞろ歩きすることで、存在の自由を発見する過程が分析されています。コレットの遊歩者の最大の特徴は、視覚以外にも聴覚、嗅覚、味覚に関わる刺激を受けていることにありました。最後にジェバール(写真)の『影スルタン妃』では、とりわけ物語後半部分で、イスラム圏の女性としてヴェールをつけることを強制されてきたマグレブ女性が、ヴェールを脱いで顔を人目に晒して街を歩く場面が印象的で、それによって得られた新しい世界観、新しい自己認識を通して彼女の生きる喜びが描Assia_Djebarかれています。このように、19世紀から20世紀にかけての女性の遊歩者を取り上げたネッシ氏の講演は、非常に示唆に富む興味深いお話でした。

次の小田原のどか氏の「スタチューマニアとは何か 女性裸体像の街頭進出をめぐって」は、第二次世界大戦の前には軍人の騎馬像があちこちに建っていたのが、戦後、GHQによって銅像追放が行われ、騎馬像の代わりに建てられたのが、平和の象徴としての女性の裸体像でした。この平和の象徴としての女性の裸体像というのは、日本固有の特徴だそうで、それが特に印象に残りました。さらに、吉田容子氏は、「敗戦後の日本の都市空間はどう描かれたか:当時の新聞記事見出しを資料として」というタイトルのもと、敗戦後の日本で、米軍基地の周辺にできた売春地域について、当時の新聞記事を調査された内容を発表されました。呉や沖縄など3つの地域を調査した結果、売春において半ば公認された娼婦(性病検査を行っている)と、私娼の二つのグループに分類される、という話は19世紀フランスで推し進められた、警察の風俗取締局に登録された娼婦を認可された娼家に閉じ込め、監視する規制主義と類似していると思いました(規制から逃れる娼婦は「もぐりの娼婦」と呼ばれて危険視されました)。日本でもフランスでも男性による女性の身体の規制の最たる例と言えるでしょう。

本シンポジウムでは、文学研究者、彫刻家および彫刻研究者、空間地理学の研究者と研究ジャンルの異なる3人の専門家が都市空間における女性像を分析されていて、それぞれ大変刺激的なご発表でした。オンライン会議は、気軽に参加できる利点がありますが、それでも少し物足りなく、コロナ感染が終息して、直接会って意見交換できる日が来ることを願っています。

Written on 11月 14th, 2020

IMG_473411月も半ばとなり、秋の奈良公園を散策してきました。まずは、近鉄奈良駅近く(IMG_4735奈良女子大学の近く)のフレンチレストラン「フォルム・ド・エテルニテ」でランチ。ランチとしては少し贅沢なコースですが、非常に満足のいくものでした。まず、前菜は「じんたん」のエスカベッシュ(左写真)。「じんたん」とはハタハタのことで、それを油で揚げて南蛮漬けにしたようなものに、新鮮なスプラウトが載っていました。下の見せ皿も美しく(フランス製で、「中国の花」を描いたもの)、食欲を誘います。次に、「秋鮭と赤いかのタルタル」(右写真)。赤鮭と、いかの白身、さらに赤いイクラがこのIMG_4737下に入っていて、非IMG_4736常に美味でした(イクラが特に絶品!歯ごたえが柔らかく、鮭もいかも生なのに全く臭みのないものでした)。次の「鳥取・日本海の鰆 ナージュ仕立て」(左写真)は、魚のスープにポワレにした鰆が入っていて小さな大根のように見えるのは、奈良産のカブとのこと。肉料理は「奈良県産・黒鶏プレノワール」(右写真)。この料理はこのレストランでは定番として出てくるもので、フランス産のプレ・ノワール(羽が黒い)を奈良で育てたもので、60度の低温調理でゆっくり焼いたもの。非常に柔らかい肉となっIMG_4739ていました。野菜の付け合わせの安納芋や、菊芋のソースなど、奈良産の野菜をたっぷり使ったものでした。デザートのモンブラン(写真:器は錫の器で、ずっしりと重たいもの)も甘すぎない繊細な味で非常においしかったです(立ててあるチュイルも同じくC’est si bon!)。

s-IMG_4744食事の後、寒さが少し増してきた奈良公園をぶらぶら散歩。東大寺周辺(写真)は、多少観光客が戻ってきていますが、これまでのように人でごった返す混雑はなく、小学生たちの小グループの見学が目立ったほどでした。紅葉はまだそれほど進IMG_4748IMG_4752んでいませんでしたが、東大寺の裏側の大きな銀杏の木(写真)はすっかり黄色に染まっていました。あとは赤く染まっているもみじの木(写真)が所々見受けられたくらいです。鹿たちものんびり草地に座って秋を楽しんでいるようでした。木々が紅葉するのは11月末くらいでしょうか。また来てみたいと思いました。

 

Written on 11月 11th, 2020

長年、大阪女子大学、大阪府立大学で行ってきた授業公開講座や講演会などに参加頂いた聴講生のなかでもコアの方々と、久しぶりにお目にかかりました。昨年12月に女性学講演会を開催して以来、9か月ぶり(場合によれば、それ以上)にお会いした方もあり、本当になつかしい気持ちで一杯になりました。大阪の阪急デパート最上階のイタリアレストランでランチを一緒にしましたが、総勢19名となりました(皆さん、口に食べ物を入れる時以外、話をする時はマスクをつけて、なるべく大声を出さないように気をつけておられました)。コロナ禍の中で少し心配でしたが、皆さん、とてもお元気で趣味や教養など、すでに活動を開始されている方が多くs-IMG_4732、3か月以上完全にステイホームで弛緩状態にあった私にとって、大いに励みになりました。久しぶりに出てきた大阪ですが、だいぶ人が戻ってきて、デパート、特に食料品売り場は賑わっていました。早く昔のような活気が戻り、マスクをつけないで歩けるような日が来ることを願っています。写真は、ランチ会に最後まで残っておられた方々と撮った記念写真(秋晴れの天気のもと、まぶしい太陽の光に眼をしばつかせながら、写真を撮ってもらいました)です。12時から3時間余り、皆さんといろいろお話ができて本当に楽しいひと時でした。

Written on 10月 16th, 2020

go toトラベルで久しぶりに有馬温泉へ。「欽山」という老舗旅館で泊まりました。コロナ予防ということで、入り口での検温だけではなく、DSC_0250食事は個別に部屋で、さらにスリッパも使い捨てスリッパ。それぞれのスリッパに名前を書いて大浴場に行くときも、脱衣場の棚に自分のスリッパを置く形になっていDSC_0238ました。旅館もコロナ対策、なかなか大変なようです。go to キャンペーンで観光客も少しずつ戻っていているようですが、やはり前来た時に比べると、温泉街を歩く人も少ないようです。ただ、客としてはゆっくり観光地を回れるのでいいのですが。。。夕食はまず見た目もきれいな前菜(左写真:大間もずくや鱧のお寿司、子芋雲丹焼など)。お酒は日本酒のシャンパンを頼みました。IMG_4679次がやはり、秋の味覚、松茸の土瓶蒸し。お造り(右写真)は鯛と、戻り鰹の藁炙り(鯛のお造りの下にひいている葉っぱも秋らしい!)。鰹の味が絶品で、口元にもっていくと、炙った香ばしい香りにうっとりし、歯ごたえも十分。炊き合わせはずわい蟹入り湯葉に冬瓜。冬DSC_0254瓜がとろとろの柔らかさで湯葉と絶妙な組み合わせでした。焼き物は子持ち鮎柚香焼き(左写真)。原木シイタケに袱紗玉子が付け合わせ。肉は黒毛和牛の蒸籠蒸し。ご飯は松茸、シメジ、エリンギの入った秋茸ご飯(右写真:小さなひょうたんの漬物が見た目にも可愛い)。まさに秋のごちそうとなりました。温泉は透明な湯と、茶色く濁った金泉の二つで、どちらもしっとりと肌になじみ、体の芯から温まります。食事の前と寝る前に2回入り、翌朝は起きてすぐに露天風呂へ。旅の疲れがすっかり取れました。

Written on 10月 12th, 2020

DSC_0161コロナ禍で半年間、ステイホーム状態でしたが、go to トラベルが始まったこともあり、IMG_4637有馬温泉に家族で一泊することにしました。ちょうどこの時期、六甲ミーツ・アートが開催されているので、それぞれの展示会場を2日にかけてゆっくり回りました。まずは、ケーブルカーで六甲山上駅まで行き、天覧台から神戸を展望(左写真)。秋晴れのいい天気で、神戸空港、さらに関空も遠くにみることができました。ここにもアートが展示されていました(右写真)。中村萌さんというアーティストのもので、ロシア人形に似た少年少女像が、他のところでも見られました(写真)。少し無表情ですが、よく見ると味わいのある顔つきです。次に山上バスに乗って記念碑台へ。ここには巨大な蟻に似たオブジェが置いてありました。そこから数分歩いた所にあるのが、六甲山サイレンスリゾート(旧六甲山ホテルを建築家ミケーレ・デ・ルッキが修復した建物)で、館内にはゆったりと座れるソファのある素敵なロビーや、おしゃれなカフェテリア、子どもが喜びそうなキッズルーム、アートギャラリーがあり、特に金属で作った大きなサイ(写真)に圧倒されました。1日目最後は、六甲オルゴールミュージアムで、広い庭IMG_4657園の中にも面白いアート作品が散りばめられていました(特に面白かったのは、木で作った鳥IMG_4647で、手で鳥を触ると音が出て、体の部分によって違う音が出る、というもの。風が吹いてもきれいなメロディが奏でられ、非常にポエティックでした)。館内では特別展として日本人のからくり人形師ムットーニのオルゴールシアターが開催されていて、さっそく予約して見ました。特に、息子に父親がロケットを見せるという人形劇が素晴らしく、箱の中のロケットが外に飛び出して宇宙に飛び立つ場面(ポスター)が壮大で、オルゴールの音楽ともぴったりあっていて、美しい光景にすっかり見とれてムットーニしまいました。

2日目は有馬温泉ロープウェイで頂上へ。ロープウェイ駅でもアート作品がIMG_4686置かれていましたが、遊園地で見かけるぬいぐるみを使ってIMG_4690の展示(左写真)で、座っているぬいぐるみは人が中に入っているかのような感じで、ノスタルジーを誘います。次にバスで六甲高山植物園へ。高山植物や六甲山の自生植物約1500種が栽培されていて、ここにも様々なアート作品がありましたが、中には不気味なものも(右写真)。次にガーデンテラスに行き、有名な六甲枝垂れへ(写真:秋のイワIMG_4698IMG_4711シ雲を背景にした建物は絵になります)。ガーデンテラスのあたりにもガウディの作品を彷彿とさせDSC_0374る動物のオブジェも(写真)あり、子どもたちがそれに乗って喜んでいました。最後に安藤忠雄が設計した風の教会へ。コンクリートの打ちっぱなしのシンプルな教会(右写真)でした。近くの六甲スカイヴィラにも寄りました。廃墟となった5階建てのホテルをアーティストたちが改造したもので、それぞれs-DSC_0415の部屋に展示品が置かれ、ユニークな作品ばかりで面白かったです(左写真は入り口)。1階にはメルヘンのような絵(右DSC_0425写真)もあり、楽しい気持ちになりました。2日間、階段や急勾配の道を上がり降りしたり、歩き回ったので結構疲れましたが、お天気にも恵まれ、久しぶりに自然に触れて楽しいひと時を過ごすことができました。

Written on 10月 12th, 2020

IMG_0001先日、3か月ぶりに大阪まで出かけ、天王寺の大阪市立美術館に美術展を見に行ってきました(ポスター)。これまで巣ごもり生活を続けてきたので、春からいつの間にか初夏に変わっていて、今年は季節感がないまま時が過ぎてしまったという印象です。美術館内では、まずサーモスタットで体温を測った後、入館。すでに自粛明けだったので、来訪者は混雑するほどではないにしても、762px-WatteauLes_Fetesvenitiennesかなりの数の人が来ていました。この美術展は、17世紀~19世紀フランスの絵画ということで、17世紀は古典主義の二コラ・プッサンやシャルル・ブラン(王立美術アカデミーの創設者)、ロマン主義の先駆けとされるクロード・ロランの風景画が展示され、18世紀はロココ美術を代表するヴァトーやブーシェ、シャルダンの絵が展示されていました。「フェット・ギャラント(雅な宴)」の画家と呼ばれるヴァトーの絵画は、男女の恋の駆け引きを描いた絵《ヴェネチアの宴》(右図)などが数枚きていました。ヴァトーの絵に描かれている女性の服装は「ヴァトー・プリーツ(襞)」(肩から裾にかけての美しい襞)と呼ばれて、18世紀だけではなく19世紀後半にも多くのオートクチュールが真似たスタイルとなっています。あと、「マリー・アントワネットの画家」と呼ばれた18世紀の女性画家ヴィジェ・ルブランの肖像画は、見逃せないでしょう。今回はマリー・アントワネットの肖像画はありませんでしたが、王妃の友人(悪友)のポリニャック公爵夫人の肖像画(ポスターの絵)が来ていました。ポリニャック夫人は、豪奢な生活に飽きて、トリアノンで羊飼いの女性の姿で遊んだマリー・アントワネットと同様に、シュミーズドレスに麦わら帽子という素朴な出で立ちで描かれています。最後に19世紀の絵画としては、新古典主義のジロデやアングル、ロマン主義のジェリコー、19世紀後半のアカデミー派のカバネルやブグローの絵画が展示されていました。コロナ禍のせいで来なかった絵画もあるようで、展示数は少な目でしたが、その分、ゆっくり回ることができました。

IMG_4615昼食はアベノハルカスの「エオ」で、フランス料理を頂きました。IMG_4616新玉ねぎのスープ(左写真:上に焦がし玉ねぎが乗っている)に、牛肉(ランプ肉)を低温調理したもの(右写真)に野菜の付け合わせ(肉は本当に柔らかいものでした!)、デザート(蜂蜜入りアイスクリーIMG_4621ム)。デザートもおいしかったですが、コーヒーと一緒に出た小菓子(写真:ミニマカロン、カヌレ、チョコ)が絶品でした。レストランでの食事も3か月ぶりで、久しぶりにおいしい料理を堪能しました。

Written on 7月 3rd, 2020

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