村田京子のホームページ – blog

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s-IMG_5271今年も桜の季節になりました。今年はいつもより1,2週間早く桜の開花となs-IMG_5276り、先週中ごろには、満開に近くなり、「この間まで蕾だったのに、いつの間に咲いたの?」と驚くほどで、今週が見頃のようです。今日はいい天気となったこともあり、秋篠川沿いの桜並木には大勢の人々が散歩がてら桜を見に来ていました。小さな子どもを連れた親子連れや、熟年夫婦や犬の散歩をさせる人、ジョギングの若者など、様々な人たちが桜や川の土手で日向ぼっこをしている亀や鳥たち(カモガモやシロサギなど、色々な種類の鳥も生息しているそうです)を見ながらゆっくり歩いていました。坂口安吾が「桜の下には死体が埋まっている」と述べていますが、この桜はそれほど怪しげではなく、はかないながらも華やかな雰囲気を伴っていました。

Written on 3月 28th, 2023

ポスター上京したついでに、Bunkamuraミュージアムで開催中の「マリー・ローランサンとモード」展(ポスター)を見に行ってきました。ローランサンは、生きる喜びを謳歌した1920年代(「狂騒の時代(レザネ・フォル)」と呼ばれている)のパリを生きた女性画家で、彼女はピンクとグールゴー夫人青のパステル調の淡い色調と優美なフォルムが特徴の女性の肖像画を描き、一世を風靡しました。《黒いマンテラをかぶったグ-ルゴー男爵夫人の肖像》(右図)もその一つです。同時代を生きたココ・シャネルの肖像画(左図)も描いていますが、シャネルシャネルはこの絵を気に入らなかったそうで、引き取りを拒否したとか。シャネルは意志の強い女性で、写真でも、きりっとした表情で常に写っているので、ローランサンの描いた、華奢で頼りなげな様子の女性像とは相容れなかったのでしょう。また、当時、バレエ・リュス(ディアギレフ主宰のロシアバレエ団)がセンセーションを引き起こしましたが、プーランクが作曲し、ローランサンが衣装およびLes Biches舞台装置を担当したバレエ『牝鹿』(Les Biches)(右図)が、1924年にバレエ・リュスによってパリで上演されました。会場でもその一部の映像が流れていて踊りを見ることができました。Bichesとは「若い娘」を意味しますが、舞台では二人の若い女性ダンサーがびったりと寄り添って踊りを披露(少しレズビアン的)していました。また、シャネルもディアギレフと親しく、ジャン・コクトーなどが演出したバレエ『青列車』では、シャネルがデザインした水着やテニスウェアを着たバレエダンサーたちが登場します(会場で映像の一部が見れました)。この時代は詩人のコクトーの他にも画家のピカソや写真家マラガーフェルドン・レイなどがともに活躍した時代で、美術・音楽・文学・ファッションが領域の垣根を越えて結びついた時代でした。マリー・ローランサンもその一人であったと言えるでしょう。シャネルとは肖像画の問題でひと悶着あったため、個人的には親しくなかったものの、ローランサンがシャネルの服を纏うことはしばしばあったようです。さらに、1983年から30年以上にわたりシャネルのデザイナーを務めたカール・ラガーフェルドは、ローランサンからインスピレーションを受けた衣装を制作し、2011年のオートクチュール・コレクション(左写真)が、まさにそれにあたります。その意味でもローランサンの絵画が現在に至るまで多くの芸術家にインスピレーションを与え続けていると言えるでしょう。

Written on 3月 7th, 2023

IMG_0001文化講座の聴講生のお一人、阪本さんが大阪高島屋での未生流いけばな展に作品を出展されたので、s-IMG_5242聴講生の方々と一緒に見に行ってきました(案内状)。今回のいけばな展は、未生流が生まれてから70周年ということで、大勢のお弟子さんたちの作品が一堂に会していて、壮観でした。私は「お花」を習ったことがなく、全くの素人ですが、独創的な花器に活けられた色鮮やかな花や木々の躍動感に感銘を受けました。パンフレットによれば、未生流の初代家元は「いけばなの多様性」を主張し、流儀的な「格花」、伝統様式の美しさを現代s-IMG_5245に応用した「新格花」、花材や花器を自由に取り合わせて活ける「新花」など多様な花型があるとのこと。阪本さんの作品は「新花」(右写真)の部類に入るもので、花器は縄文土器のような形で、黄色の花がランの一種のエピデンドラム、奥に赤いアマリリス、緑の葉はモンステラ、さらに銀色と金色のしだれ桑が奥に植え付けられている、という非常にダイナミックなものでした。ちなみに花器は抽選で決まるとか。かなり大掛かりな「いけ花」で体力を使うので、花をいs-IMG_5247け終わったあとは、くたくたになったそうです。色といい、形といい、鮮烈な印象を残す作品に仕上がっていました。阪本さんの作品と対になっている作品(左写真)も、激しさを感じさせるものですs-IMG_5256が、インドネシアのバリ島での火祭りをイメージしたものだそうです。その他にも花器が可愛らしいものやアーティスティックな作品(右写真)、「格花」の部類に入る、これもダイナミックな作品(左写真―竜をイメージしているそうです)など、様々な形式の「いけ花」に触れて、久しぶりに目の保養をすることができました。

Written on 3月 2nd, 2023

IMG_0001奈良女子大学で開催されたクリスティーヌ・バール アンジェ大学教授の講演会『カルナヴァレ歴史博物館企画展示:パリの女市民たち!女性解放のための動き(1789-2000年)』(ポスター)に参加しました。バール氏は昨年9月から今年1月まで、カルナヴァレ博物館で開催された特別展 Parisiennes citoyenees! を企画し、フランス革命から2000年に至る211年間のパリの女性たちの政治的・社会的・文化的活動を表す文献や絵画、写真などの展示に関わってこられました。美術展の入場者は9万人にのぼり、そのうち8割が女性だったとのこと。まず、美術館・博物館において女性がマイノリティであること(美術館のカタログなどでも男性芸術家およびその作品が90%以上を占めている。カルナヴァレの特別展でも写真家カルティエ・ブレソンや作家プルーストについては、単独の展覧会が開かれているのに対して、女性の場合、今回のように複数の女性たちにまとめられている)を指摘され、バール氏はフランスで初めて女性のための博物館をアンジェ大学に創設したそうです。

特別展のために選んだイメージ(作品)の一Gerda_Wegener_portrait_de_Lili_Elbe_1922部は、68年以降のフェミニズム運動をよく表すジェンダーの境界侵犯を表すもので、Gerda Wegnenerが描いた彼女の夫 Lily Elbeの肖像画(右図)[性転換手術を受けて女性になった最初の男性]がその典型となっています。それと同時に、母性・母親役割も蔑ろにはせず、分娩の苦痛から免れるための「無痛分娩」などを取り上げています。女性たちは昔から妊娠中絶の苦痛を味わってきたが、誰もそれについて言及することはなかった、戦争や拷問、処刑など残酷な場面が絵画の題材となってきたのに、中絶を扱った作品は美術館で一つも見出せない、というアニー・エルノー(昨年の文学ノーベル賞受賞者)の言葉をバール氏は引用されましたIMG_0001が、確かにその通りであることに今更ながら愕然としました(聖母子像は無数にあるのですが)。また、本企画展は、これまで不可視化されてきた女性たち、匿名の女性たちの集団に光を当てるもので、例えば黒人女性や女性労働者たち、娼婦、身体的にハンディのある女性たち、レジスタンス運動に参加した女性たちの写真や彼女たちが残した物も展示しているとのこと。さらに、19世紀のサン=シモン主義の女性がズボンを穿いている図像(左図)は、女性の解放を目指すサン=シモン主義の象徴とみなされてきたが、実際はサン=シモン主義を揶揄する芝居のための衣装に過ぎず、彼女たちは権力の象徴としてのズボンを穿くことはなかったというのが、非常に印象的でした(可愛いデザインなのですが、嘲笑的な場面で使われていたことになります)。政治的分野では、パリテ法(男女同数の候補者の義務化)により、女性議員の数は飛躍的に伸びたが、市長や大統領など政治の要職にはなかなかつけていないことが課題として挙げられました。

バール氏のお話でショッキングだったのが1999年にパリの有名レストラン「フーケッツ」で女性二人の入店が「男性のエスコートがない」という理由が断られたこと!女性だけだと男の客を漁りに来た「娼婦」とみなされる、という古い考えがいまだに残っていることに驚きを禁じえませんでした(店はフェミニストの抗議を受けて謝罪するのですが。。。)

s-IMG_5240以上のように、様々な領域にまたがるパリ女性の女性解放運動が多くの図像を伴ってわかりやすくまとめられ、非常に面白い講演会でした(写真は、講演中のバール氏)。企画展は大好評を博し、苦情としてはあまりにも資料が多すぎてきちんと見るには何時間もかかる、といったものだけだったとのこと。企画側としては、極右勢力からの批判を恐れたそうですが、それは全くなかったそうです。美術展の解説は感情的な表現を避け、事実だけを述べるに留めたことがその理由ではないか、とのこと。できればパリで特別展を直に見たかったと残念に思いましたが、さっそくカタログを取り寄せました。バール氏は講演に先立ち、東大寺や興福寺を訪れるなど奈良見物をし、また、京都では雪の金閣寺を見ることができて素晴らしかったと感想を述べられるなど、初めての日本訪問を心から楽しんでおられました。

Written on 2月 28th, 2023

IMG_0001先日、マリア・カラス生誕100周年記念の映画「私は、マリア・カラス」(ポスター)を見に行きました。彼女の未完の自叙伝や友人に宛てた手紙、当時のニュース映像、舞台映像や彼女のインタヴュー映像などを交えた半ば、ドキュメンタリー映画の形を取っていました。「ベルカント」としての高度なテクニックを自在に操る歌唱力と、役柄に一体化する演技派女優としての才能、さらにエキゾチックな美貌(ギリシア人の血を引く)が相まって、聴衆を虜にしたカリスマ的なディーヴァとしてのマリアの姿が余すことなく描かれていました。ローマ歌劇場では、大統領などイタリアの名士が集まる中で、第一幕で降りたことに世間からバッシングを受けます。風邪を引いて気管支炎になり、声が出なくなったためのやむを得ない降板だったのが、聴衆の期待が大きかっただけに、バッシングがひどかったのでしょう。また、悪びれない彼女の態度が反感を買ったのかもしれません。メトロポリタン劇場の支配人との軋轢で、数年間、舞台に上がることができなくなりますが、それも自分のポリシーに合わないことはきっぱり断る、という彼女の潔さによるものでしょう。恋愛においても、28歳年上の男性との結婚では、結局彼が妻の華々しい栄光に酔って、オペラ歌手として彼女を酷使したことへの恨みが彼女に生まれ、それがギリシアの大富豪オナシスに惹かれていく要因であったようです。彼女にとって大恋愛の相手オナシスは結局、ジャクリーヌ・ケネディを再婚相手に選び、彼女は心に大きな痛手を負います(オナシスは数年後、ジャクリーヌとの結婚は失敗であったと認めてマリアの元に戻ってくるのですが)。しかも、オペラ歌手の常として40歳を越えると声が衰え始め、舞台に復帰することを願いながらも50歳台半ばで亡くなってしまいます。このように、「音楽史に永遠に輝く才能」と絶賛され、一見、華やかな人生を送りながらも精神的には満たされずに死んだ悲劇的な女性と言えるでしょう。ただ、「スキャンダルやバッシングの嵐の中、プロフェッショナルとしての信念」、「倒れても歌うことを諦めなかった壮絶な」歌手としての生きざまには大きな感銘を受けました。ファニー・アルダンがフランス語のナレーターを務め、マリア・カラスの内なる声を代弁しているのも、なかなか良かったです。しかも、映画の中で流れる彼女の「圧巻の歌声」に酔いしれることができ、2時間の上映時間もあっという間でした。

Written on 2月 20th, 2023

IMG_0001 IMG_5215信州大学でのシャンソン研究会の翌日に、上田まで足を延ばし、上田城跡を訪れました。上田城は、真田一族(特に真田昌幸、真田幸村で有名:写真)の城として有名で、天守自体は残っていませんが、公園があって、春の千本桜や秋の紅葉を見に多くの人で賑わっています。当日は天気予報では雨でしたが、曇り空ながら雨は降らず、散策にはちょうど良い天候でした。城門(右写真)を通り、真田神社を訪れた後、広い公園内を散歩。銀杏の葉で敷き詰められた中を回っていると、誰かが葉っぱを置いたのか、木の幹につけられた葉が人の形になっていました(左写真)。広い公園内は無料で入れて市民の憩いの場になっているようで、犬を散歩させる人たちが見られました。駅から徒歩で15分くらIMG_0224いのところにあり、公園を回って駅まで戻ると歩いた距離は1万歩以上になっていました! 今年の秋は姫路城に続き、上田城と、城廻りの秋となりました。

Written on 11月 28th, 2022

IMG_0001先日、姫路城(左写真)を訪れました。秋晴れの天気で、少し歩くと体が熱くなるほど。姫路城は今回、初めて訪れましたが、姫路駅から歩いて15分くらいのところIMG_0003(行きはバスに乗りましたが、2駅でした)にあり、広い道路を渡ると、お城が聳え立っていて、「平成の修理」と銘打って5年かけて修理が行われただけあって、真っ白に輝く大天守は「白鷺城」の呼び名がぴったり。まず、表玄関の「菱の門」(右写真)を通り、石畳を上り、「いの門」「ろの門」「はの門」「にの門」を通って大天守へ。天守内は靴を脱いで6階まで急な階段を登っていきます。最初に入った所は薄暗い灯篭の廊下で、暗闇に慣れず、つまずかないように、おっかなびっくり歩IMG_5150いていました。6階には長壁神社があり、天守内で祀られているのにびっくり。屋根瓦(写真)は鬼瓦、軒丸IMG_0004瓦など、歴代の城主が修理する度に違っているそうです。また、徳川家康の孫娘、千姫が住んでいた西の丸は、その外周を廊下がぐるっと巡っていました。千姫は豊臣秀頼に嫁いだ後、大阪夏の陣で秀頼が自害、彼女は燃え盛る炎の中から助け出されます。その後、再婚したのが本田忠刻で、彼と姫路城で一緒に暮らしたそうで、彼女の生涯においてこの時期が一番幸せであったと言われています。そうした時代を思い浮かべながら、城の中をゆっくり歩きました。お堀から見たお城(左写真)もなかなか美しいものでした。

IMG_5186IMG_0002次に、姫路城西お屋敷跡の庭園「好古園」にも入りました。まず、渡り廊下から見たお庭もなかなかのもの(左写真)。庭も①苗の庭、②茶の庭、③流れの平庭、④夏木の庭、⑤松の庭、IMG_5181⑥花の庭、⑦築山池泉の庭、⑧竹の庭と区分され、さらに、池泉回遊式庭園で、本園最大のお屋敷の庭(右写真:立派な錦鯉が泳いでいる)があります。とりわけ、夏木の庭は落葉樹ばかりが植えられているため、美しく紅葉していました。また、流れの庭では水に映る紅葉もなかなかのもの。竹の庭は、葉を落とした長い竹が立ち並ぶ、少し寒々とした光景でした。「好古園」という名前は、江戸時代の最後の姫路藩主酒井家によって、この庭園の入り口付近に移設された藩校「好古堂」(文武両道の振興を図った)に因んでつけられたそうです。平日だったせいか、観光客もそれほど多くなく、ゆっくりお城や庭園を回ることができました。夜は、ライトアップもあるそうです。

Written on 11月 24th, 2022

IMG_0001知り合いのフルート奏者 松村容子さんのコンサートに行ってきました(ポスター)。「同期会」ということで、松村さんが同じ大学(大阪教育大学音楽課程フルート専科)の同窓生3人と一緒に開いたフルート四重奏のコンサートで、梅田のドルチェ楽器(金管楽器の専門店)の音楽ホールで行われました。ホールは新しくできたばかりの、100人程度収容のこじんまりしたコンサート会場ですが、音響効果が非常に良く、アットホーム感に満ちていました。演目は、①バッハ「羊は安らかに草を食み“狩りのカンタータ”より」、②マクマイケル「地の塩」、③ジブリメドレー、④鶴薗明人:組曲「あめ」で、②のマクマイケルは、ミシガン出身の女性作曲家で、タイトルは福音書の「地の塩、世の光」からの引用です。オクラホマの歴史的な自然、政治、文化を表現した曲とのこと。第一楽章「静けさ」では、美しい自然、民謡的なワルツが展開され、第二楽章「狂暴性」は、竜巻などの自然の猛威を表し、第三楽章「繁栄」は躍動感のある音楽、第四楽章「不正行為」は、過去に黒人奴隷が東部に強制移動させられた時の過酷な状況が描かれ、第五楽章「大胆不敵」では、流麗な旋律のワルツ、起伏の大きい音楽が流れます。③のジブリメドレーは、「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」「魔女の宅急便」のお馴染みの曲で、トトロの歌は、つい口づさみたくなりました。最後の日本人のフルート奏者、鶴薗さんの「あめ」は日本の四季それぞれの雨を曲にしたもので、6月の「しづくあめ」、8月の「いそぎあめ」(夕立)、11月の「かすみあめ」(少し物悲しい秋の雰囲気)、1月の「かざりあめ」(雪まじりの雨)、3月の「わたりあめ」(春の兆しを感じさせる)に分かれ、ちょうどフルートのピチカートの音が雨音に聞こえて、フルートにぴったりの曲でした。ショパンの「雨だれ」を彷彿とさせますが、フルートの軽い音の方が楽しげに躍動するように聞こえました。同じフルートでも、パイプのようなものをつけたバス・フルート、アルト・フルートもあり、フルートだけで低い音から高い音まで出すことができることは、全く知らず、フルートだけで交響曲のような趣が作れるのに感動しました。約1時間半のコンサートは、あっという間に過ぎ、また次回のコンサートが楽しみです。コロナ禍でコンサートからも久しく遠ざかっていましたが、やはり、生演奏は体全体で受け止める感じでいいな、と改めて実感しました。

Written on 11月 7th, 2022

堤さん知り合いの書道家、堤さんが個展(左写真)を三年ぶりに開いたので、s-IMG_5135見に行ってきました。コロナ禍で遠ざかっていましたが、少し日常生活が戻って来たようでほっとします(まだマスクは手放せないですが)。今回は、コロナ禍で家にいることが多い中、庭に出ると植物の螺旋のつるなどが目に入り、「螺旋」をテーマに作品にしたそうです。「ヘラソカズラの戦い」(右s-IMG_5136写真)は、蔓性多年草のヘラソカズラをテーマにしていて、蔓が勢いよく伸びている様子が「戦い」に見えたのでしょうか。今回の作品はどれも「書」というよりも、絵画と言えるかもしれません。「土」というタイトルの作品(左写真)も同様で、「土」から出てきた「筍」のようにも見え、生命の息吹を感じました(すべて螺旋で描かれています!)。螺旋と言えば、ヨーロッパの教会の狭い螺旋階段を何段も登って、屋上まで出たことを思い出しました。この後、久しぶりに知り合いの方々とおいしいお寿司を食べに行き、近況を語り合いました。こうした機会がもっと増えることを願っています。

Written on 10月 12th, 2022

海遊館先日、数十年ぶりに海遊館に行ってきました(パンフレット)。10月の連休明けだったので、IMG_5111それほど混んでなくてゆっくり館を回ることができました。まず、「日本の森」を模した外のスペースでは、小さな滝やコケが配され、カワウソや小さな魚が泳いでいました。次に、アメリカ・カリフォルニア州のモンタレー湾でアシカたちがすいすい岩場をすり抜ける様子が見られました。「南極大陸」コーナーにはペンギン(右写真)たちがいて、水の中では勢いよく泳いでいました。「エクアドル熱帯林」には色鮮やかな熱帯魚やイグアナがいて、「タスマン湾」にはイルIMG_5123IMG_5129カ。「グレート・バリア・リーフ」には珊瑚礁の隙間に熱帯魚(左写真2枚)がいて、昔、オーストラリアのグレート・バリア・リーフで潜ったことを思い出しました。右の珊瑚は菊の花のようで、非常に美しい色をしていました。圧巻は巨大な水槽の周りIMG_5115を上から下にらせん状に降りていくスポットで、巨大なジンベエザメ(右写真)が空を飛んs-IMG_5119でいるように見えます。あと、イワシの大群が岩の隙間をぐるぐる回っていて(左写真)、その鱗が光ってきれいでした。クラゲの展示コーナーもあり、暗い水の中を蒼白く光りながらプカプカ浮かんでいるのは幻想的。日常を離れてこうした海の世界に身を浸すのも心が安らぎます。

Written on 10月 12th, 2022

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