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パリには何世紀も前に遡る昔ながらの建築物が残っている界隈もあれば、新しく蘇って建て替えられ、新名所となるものも混在しています。例えば、18世紀に遡るパサージュ(ガラス屋根に
覆われたアーケード街)がいまだに残っていて、そのうちの幾つかを訪れました。切手などが売られているパサージュ・パノラマ、市松模様の床のギャルリー・ヴェロ・ドタ(左写真)、グレヴァン蝋人形館(残念ながら、中に入る時間はありませんでした。次回の楽しみです)のあるパサージュ・ジュフォロワ(右写真)など、狭い路地にテーブル、椅子が所狭しと並べられ、レトロ感に溢れて今にも19世紀の人々が店から出てきそうな気がしました。
また、オテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)近くの映画館 Luminor(右下写真)で、バルザックの『カディニャン公妃の秘密』を見ましたが、この映画館は何と1912年にできた老舗の映画館でした。この映画(左下写真)は、ちょうど9月13日にフランスで封切られたばかりで、女 優のアリエル・ドンバルがプロデューサー兼主演を演じている映画です(作者のバルザック自身も登場しています)。粗筋は、王政復古時代に浮名を流したカディニャン公妃が36歳になって過去を振り返り、これまで真に愛したことがないと、友人のデスパール夫人に告白する場面から始まり、公妃に騎
士道的な愛を捧げて死んでいったクレチアンを偲びつつ、彼の親友であった作家のダニエル・ダルテスとの愛を育む、という話。王政復古時代の彼女の華やかな生活(『骨董室』に描かれている)が回想シーンで出てきて、それとコントラストをなす現在の質素な彼女の姿が描かれています。ただ、小説の中ではダルテスを引きつけるための公妃の手管(念入りに用意した衣装のおかげで10歳は若返って見える)が詳細に描かれていましたが、映画では主役のドンバルがどう見ても老けて見える(後で調べると70歳とか!)ので、いくら純情でも40代のダルテスを魅惑する役どころには無理があるように思えました。ダルテス役は舞台でも人気のあるセドリック・カーン、デスパール侯爵夫人がジュリー・ドパルデューでイメージにぴったり合い、ラスティニャックやデグリニョン役の俳優もなかなかハンサムで、19世紀当時のパリの雰囲気が良く描かれていました。それだけに主役のアリエル・ドンバルが少し残念でした(ドンバルはさすが、女優だけあって70歳には見えませんでしたが、せめて20~30年前に主役ならば良かったのですが)。ともあれ、古い情緒のある映画館(残念ながら廃業の危機にあるとか)でバルザックの映画が見れて良い思い出となりました。
一方で、パリの新名所なったのがブルス・ド・コメルス(左写真)で、19世紀の
証券取引所を改造して、実業家のフランソワ・ピノー(美術品収集家でもある)が美術館として再生することにし、日本の建築家、安藤忠雄に設計を依頼した建物です。オリジナルの円形の建物はそのまま残し、建物内は白一色、壁の装飾画もそのまま残しています(右写真)。一番上の階の手すりには鳩が集団となって止まっているように見えましたが、これは作り物の鳩! 会場内には現代アートが展示され、韓国系アメリカ人のAnicka Yiのランタン(左写真)や、Cy Twomblyの絵(右
写真)などが展示されていました。サイ・トンブリは非常に有名で、美術を専攻
する者には憧れの画家で、色の配置など熟慮され尽くされた絵ということですが、素人眼には幼児の描いた絵にも見えます。このあたりが、現代アートがいまだに私には理解できない理由となっています。ただ、フランスの優れた点は、文化予算を日本の何倍も使い、様々な国の芸術家たちに奨学金を与え、保護していることです。日本も文化大国を目指すならば、文化面にも、もっとお金を使ってもらいたいものです。
パリでは、来年のオリンピック開催に向けての工事があちこちでなされていましたが、美術館でもオリンピックにちなんだ特別展が開かれていました。まず、ガリエラ・モード美術館では La Mode en mouvementというタイトル(パンフレット)で、18世紀のアンシャン・レジームの時代から現在
に至るまでのスポーツウェアが展示されていました。右写真の左上が1928年から32年頃の水着、右上が1900年頃のサイクリング用の服(半ズボンは、ブルマーとも言われていた)で、当時は女性がズボンを穿くことに強い抵抗感があったため、こうした格好でサイクリングを楽しむ女性は石を投げられたそうです。左下はクーレージュのコンビネゾン(シャツとズボンがつながったつなぎ;1967-68)、右下はヤマモトヨウジのアンサンブル(ジャケットとズボン:2001-02)。どれも女性のスポーツウェアですが、昔の服はコルセットをつけていたりして、少し動きにくそうでした。
次に装飾芸術美術館でも、Mode et Sportというタイトル(パンフレット)で、スポーツウェアが展示されていました(右写真:特にオリンピックにまつわるスポーツウェア)。ここでは、古代ギリシアに遡るスポーツ競技から現在に至るまでのスポーツ、スポーツウェアが
紹介されていました。面白かったのは、テニスの原型とみなされるJeu de paumeの変遷(最初はボールを手で打っていたのが、グローブのようなものに代わり、次第にラケットに変わっていく)の様子
がよくわかったこと(さらに『クレーヴの奥方』の映画の中で、ジュー・ド・ポームをしているシーンが映し出されている)でした。また、20世紀初頭のポール・ポワレのテニスウエア(左絵)や、同時期の水着(右写真)は、
ちょうどプルーストの小説に出てきそうな可愛い服装でした。ただ、テニスウェアはポワレのは別にして、白いシャツにスカート姿で、どう見ても動きにくそうでした。19世紀におなじみの乗馬服(アマゾン)もあり、女性は馬に横座りの形で乗っていました。スポーツウェアには、オートクチュールのポール・ポワレやシャネルから始まり、ピエール・バルマンやディオール、ゴルチエ、ヤマモトヨウジ、ミヤケイッセイなどの名も見られました。さらに現在では、スポーツウェアは日常着ともなって、ユニセックスなデザインが増えてきました。二つの美術館で、その変遷を見られて非常に面白いエクスポジションでした。
ガリエラ美術館に行ったついでに、その近くにあるイヴ・サンローラン美術館にも寄りました。彼
が手掛けたドレスやアクセサリー、デッサンのほか、彼の仕事場のアトリエ(左写真)が再現されていました。サンローランと言えば、パンツルックと画家のモンドリアンの絵を模したモンドリアン・コレクション、肩を強調し、女性のパワーを感じさせるかっちりとした服(右写真)が思い出されます。また、彼自身のヌード写真がセンセーションを引き起こし、有色人種のモデルを最初に起用したのも彼で、自らがホモセクシュアルであることを公言し、今でいうLGBTQの先駆けでもあったと言えます。色鮮やかな彼の服は大好きで、1980年代の華やかな時期を思い出させてくれます。
9月10日から26日まで数年ぶりに渡仏し、いろいろな美術館・博物館を訪れました。まず、訪れたのがパリのAtelier des Lumières(左写真)で、140台ものプロジェクターを使って、巨大な空間(壁・床の総面積3300㎡、高さ10m)に巨大な映像が映し出され、音楽とともに映像が動き出すという迫力満点の場所(
右写真)でした。今回はシャガールがテーマで、シャガールのお馴染みの絵が大きく映し出されていました。さらに、ニースのシャガール美術館では、本物のシャガールの絵を見てきました。そこでは、「天地創造」(下の絵)を描いたステンドグラス(人類の創造⇒エデンの園⇒楽園追放⇒キリストの誕生⇒キリストの受難⇒十字架に架けられたキリスト
など)が展示されていました。彼独特の青と、空に浮かぶ人物像、牛などの動物が描かれてメルヘンチックな様相を帯びていますが、2度の世界大戦を生き抜いたシャガールにとって、戦争の悲惨さも知り尽くした上での優しさ、人間への哀れみが滲み出ているような気がしました。
奈良日仏協会のメンバーの皆さんと一緒に、京セラ美術館に「ルーヴル美術館展 愛を描く」(ポスター)を見に行ってきました。会場に入る前にナビゲーターの三野先生から簡単にレクチャーを受けてから会場に。入るとまず、ロロコの画家ブーシエの《アモルの標的》
(右図)が目に入ります。ヴィーナスの息子で愛の神アモル(キューピッド)たちが持つ標的に矢がささっていて、恋人たちの愛の誕生が表現されています。天上ではアモルたちが「高潔な愛で結ばれた恋人たちに授ける月桂冠」を掲げ、地上では不要になった弓矢を燃やしているところが描かれています。ただ、いつも思うのですが、アモルの顔が愛らしいというより、少し上目遣いの何やら怪しげなことを企んでいるような目つきをしていること(ラファエロの《サン=シストの聖母》でも一番下に描かれるアモルの表情も同じ)! また、ギリシア神話のアモルとプシュケの主題を描いた絵画も数点ありましたが、今回の美術展の眼玉となっているのが、ポスターにあるジェラールの《アモルとプシュケ》です。19世紀新古典主義の画家ジェラールは、初々しい少女と美少年のアモルの姿を描き、二人の清らかな愛が垣間見えます。
ギリシア神話や聖書を題材とした絵画の後には、18世紀ロココのエロティックな絵画が続きます。ブーシェの《褐色の髪のオダリスク》はかなり煽情的ですが、フラゴナールの《かんぬき》(左図)はいろいろな仄めかしが隠されていて見る者を引きつけます。二人の男女はダンスをしているかのようなポーズですが、男性は寝室にかんぬきを
かけようとしており、女性はそれを止めようとしているようでもあり、眼を閉じた様子は逆に男性を誘っているようにも見えます。「かんぬき」や「壺」「花びらの散った薔薇の花」「りんご」など精神分析学的視点から見るとかなりエロチックな要素がふんだんに散りばめられています。このように、男女の恋愛遊戯が優雅な形で描かれています。また、17世紀オランダ絵画は人々の日常生活を描いた風俗画で有名ですが、その中でもホーホストラーテンの《部屋履き》(右図)は示唆に富んだ作品となっています。開かれた部屋の扉の向こうに、脱ぎ捨てられた部屋履きが投げ出され、扉には鍵がかかったままとなっています。あたかも部屋の奥で何やら秘め事が行われているかのようで、部屋にかかる絵(テルボルフの《父の訓戒》―娘の不品行を父親が叱っている絵)が暗示的です。単なる室内画ですが、人が描かれていないだけに、鑑賞者はその奥に隠された人間ドラマに思いを馳せる仕組みになっています。
また、愛をテーマにした絵画展において、デュビュッフの《アポロンとキュパリッソス》(左図)のような男同士の愛を取り上げ、異性愛に限らない愛の形を取り上げているのも現代的だと思いました。二人とも筋骨たくましいというより、女性的な華奢な体つきで、両性具有的な存在として描かれています。神話を題材にした歴史画においては、ヴィーナスという形で女の裸体を描くことができたばかりか、同性愛も堂々と描くことができたと言えるでしょう。パリのルーヴル美術館には何度か行きましたが、広すぎるので見逃している作品も多く、一つのテーマに基づく美術展では、個々の作品をじっくり鑑賞できるので、見に来て良かったと思いました。
先日、フランス映画「テノール」を見てきました(ポスター)。パリ郊外に住むラップ・ミュージシャンで寿司の出前アルバイトをしている青年アントワーヌが主人公で、オペラ・ガルニエに寿司を配達に行き、そこで偶然耳にしたオペラレッスンの歌声に魅せられ、からかわれた彼がオペラの歌真似をすることで、彼の運命が変わることになります。その素晴らしい歌声に魅せられたオペラ教師マリーが彼にレッスンを施し、彼はオペラ歌手への道を進むようになる、という話です。オペラという「高尚な」音楽と、郊外の移民地区に住む貧しい若者という異質な取り合わせが映画のテーマで、その結末がたやすく予測できるものの、なかなか感動的なストーリーとなっていました。この映画の特徴は、彼を阻む悪意のある敵役がいなくて、違法な決闘による掛け金でアントワーヌたち兄弟を体を張って養っている兄のディディエも、アントワーヌが経理士になることを願っているものの、最後は弟の夢を理解し応援するようになります。オペラレッスンに通う金持ちのブルジョワ階級の生徒たち(特にマキシム)もアントワーヌに最初は反感を抱きながらも、最後は彼の才能を認めてコンクールで正々堂々と戦えるよう尽力するなど、すべての人物が人間味溢れる姿で登場しています。特に、音楽教師のマリーが、アントワーヌが彼女に渡したラップのCDをかけてノリノリで踊り出し、庶民の音楽であるラップに全く偏見を持っていないことが印象的でした。彼女は癌で余命わずかですが、最後の時間を自分の好きなように生きることに幸福を感じています。また、この映画の舞台となるオペラ・ガルニエの建物内部や、レッスン場となるグラン・ホワイエは、その豪華絢爛さにため息が出るほどで、オペラ・ガルニエにオペラやバレエをまた見に行かねば、と思ってしまいました。劇中で「蝶々夫人」「リゴレット」「椿姫」「トゥーランドット」の有名な曲が歌われ、特に最後の「誰も寝てはならぬ」は圧巻でした! さらに、フランスのテノール歌手の第一人者、ロベルト・アラーニャが本人の役で出演していて、「リゴレット」の「女心の歌」を歌い、美しい声を披露してくれるなど、オペラファンにはうれしい映画となっています。殺伐としたニュースが続く今、心を少し温かくしてくれる映画でした。
先日、神戸大学で行われた第37回シャンソン研究会に参加しました。ちょうど、前日は台風接近のため警報が出て電車も一部ストップするほど大雨が降りましたが、台風一過、快晴となりました(ただ、東京、信州方面から来られた方は新幹線が午前中、止まっていたり、道路が不通になったりで、大変だったようです)。今回の発表は、まず、常連の高岡優希さんの「バルバラ―心の傷とそのレジリアンス(精神科医ボリス・シリュルニクの提言)」というタイトルの発表から始まりました。バルバラは少女の頃に父親から性的虐待を受け、心に深い傷を負います。その後、長らく行方不明であった父親が危篤状態にあるという連絡を受けて彼女は病院に駆けつけますが、父の死に目にはあえず、その時のことを歌ったのが『ナントに雨が降る』でした。この曲が父親への鎮魂歌となっていること、父を赦しただけではなく父の臨終に間に合わなかったことへの自責の念が歌詞には込められているといいます。そして、『真夜中に』から『黒い鷲』(左写真)に至る過程で「個人の記憶が一般化され」、「詩作品としてより高度な仕上がりに昇華」されたとのこと。『黒い鷲』では蛮行以前の父親の娘に対する優しさを思い出していて、彼女の中で父への恨みがなくなり、父を赦すことで「心の回復(レジリアンス)」がなされた、という趣旨のお話でした。さらに『近親相姦の愛』では、父親に言ってもらいたかった言葉が歌詞として綴られている、という解釈は非常に納得のいくものでした(果たして父を完全に赦せたかは、わかりませんが、バルバラは歌うことで新しい人生を築くことができたと言えるでしょう)。
バルバラに関しては、長谷川智子さんによる音楽家の視点から分析した「バルバラ作品における平和の表象―プレヴェールからの影響を中心に」というタイトルの発表もありました。プレヴェールの詩から影響を受けたバルバラとプレヴェールの子どもに向けた作品に絞って、両者の歌詞と曲を比較したもので、三拍子がキリスト教の三位一体と関わり、三拍子の曲は西洋では「祈りの手法として使われることが多い」というお話は、新しい視点からの分析で非常に興味深いものでした。また、『黒い鷲』の出だしは、ベートーヴェンの『悲愴』の第2楽章を連想させるとのこと。しかも、曲の最後で音程が2度ほど上がって、バッハのカノンのような転換があり、曲がフェイドアウトして終わるのも、無限にループしていくイメージだそうです。「ドリア旋法(教会旋法)」や「導音」といった音楽の専門用語も素人の私には非常に新鮮でした。
もう一人の発表者、ハルオさんの「バックダンサーの男女則 および ドラマ音楽のパリイメージ」は、2部立ての発表で、まず、音楽のジャンル別、年代別に男女の歌手の後ろで踊るダンサーの男女の比率を膨大なビデオクリップから導き出して統計にしたものでした。クロード・フランソワなど男性歌手の後ろには女性ダンサーがついているのが殆どで、それは男の眼を惹きつけるためであり、女性ファンは自らをダンサーの身において見ている、とのこと。女性歌手の後ろに男性ダンサーがいるのは少ないようです。ラップ歌手については、男性のみのグループ(歌手もバックダンサーも男)が多いとか、ジャンルによっても違うようです。後半は、映画やドラマにおいてパリのイメージを醸し出す音楽はどのようなものか、年代順に分析されたもので、やはり最初はアコーデオンとモーリス・シュヴァリエの曲が定番であったようです。1950年代のオードリー・ヘプバーンの映画(「麗しのサブリナ」などパリが舞台となる映画)が一つの分岐点となり、『バラ色の人生』やC’est si bon、『聞かせてよ、この愛』などお馴染みのシャンソンがバックグラウンドミュージックとして登場したとのこと。ヘプバーンは私も大ファンなので、シャンソンの普及にも携わったのはうれしい限りです。現代のドラマでは、もはやこうしたシャンソンは聞けないようですが。。。
3人の発表はどれもが面白く、もっと詳しく聞きたいところ、時間が限られていたのが残念でしたが、久しぶりにシャンソンを堪能しました。
上京の折に、東京の友人たちと3年ぶりに会って、食事をしました。
3日間の滞在でいろいろなレストランに行きましたが、一番感動したのが白金高輪にあるフレンチレストラン「白金シェ・トモ」でした。駅からはだいぶ歩かないといけないのですが、瀟洒な建物の中にある店内がお洒落なだけではなく、料理も見た目も美しく、おいしいものでした。ランチを頂きましたが、前菜は若鶏のバロンティーヌに16穀米のリゾット(左写真)、次にお店のスペシャリテ、有機農法野菜が28種、ガラス皿に美しく盛られ
(右写真)、一つ一つが丁寧な味付けがされていました。メイン(左写真)は少し焼いた甘鯛にソースのかかったもの(料理の詳細は
残念ながら覚えておらず、ただ味は良かった!)。デザートの段で、お店の人が果物が載った大きなお盆(右写真)を持ってこられたのには驚きましたが、これらの材料を使った3種類のデザートのどれを選ぶか、を聞いてきたものでした。私はメロンのジュレ、アイスクリームにマカロンを選びましたが、友人はチョコレートにオレンジ菓子(右写真)を選びました。どの品も色鮮やかで繊細
な手の込んだ盛り付けで、手をつけるのがもったいないほどでした。これで3500円というのは、安い! と大いに感動した一日でした。
学会で上京したついでに、上野の東京都美術館に「マティス展」(ポスター)を見てきました。マティスは「純粋な色彩による絵画様式であるフォーヴィスム(野獣派)」を生み出し
た画家として有名ですが、ギュスターヴ・モローに師事し、若い頃はシニャックの影響で新印象派的な点描画(右図)を描いていたのは、知りませんでした。南仏に移ってからはフォーヴィスム的な作品となり、さらにキュービスムにも影響を受けて、「装飾性と平面性を備えた室内画」を手掛けるようになる、とのこと。こうした試みの先に《赤の大きな室内》(ポスターの絵)に至ります。「赤」が
マティスの色ですが、「青」もまた印象に残り、その代表作が《金魚鉢のある室内》(左図)でしょう。何年か前(コロナ禍の前)に親しい友人とフランス各地を旅しましたが、この絵が描かれたコリウールを訪れました。コリウールは海岸に面したリゾート地で、マティスがこの角度からこの絵を描いた、という看板(複製画つき)があちこちに立っていて、それを目安に散策したのを覚えています。南仏ヴァンスにはマティスのロザリオ礼拝堂があり、今度是非行ってみたいと思っています。マティス展で意外だったのは、彼が彫刻も手掛けていた、ということ。彫刻は「自分の考えを整理するため」に制作したとのこと。また、切り絵はそのデザイン性の高さに驚きました。
バルザック原作、グザヴィエ・ジャノリ監督の『幻滅』(ポスター)を見に行ってきました。地方都市アングレームからパリに出てきた詩人で美青年のリュシアンを主人公にした物語で、映画ではとりわけ腐敗と虚飾、偽りに満ちたジャーナリズムの世界と劇場の世界に焦点を当てて、才能を浪費し、放蕩のあげく自滅していくリュシアンの姿を描いています。彼は、最初は高邁な文学に憧れていたのが、次第に政治的信条に関わりなく新聞記事を注文に応じて書き分け、読んでもいない本を酷評することにも良心の呵責を感じなくなり、王党派の口車に乗って、リベラル派から王党派に移って仲間を裏切ったりするなど、強い意志を持つことのできない彼の弱さが浮き彫りになっています。そのあたりは原作に忠実と言えますが、彼と一緒にアングレームを出奔するバルジュトン夫人は彼への愛情を抱きながらも社交界から追放されることを恐れてやむなく彼を見捨てる、という筋立ては少しひいき目な解釈のように思えました。「幻滅」というのは、様々な次元での幻滅であり、バルジュトン夫人とリュシアンがパリの社交界の華々しい人物を目の当たりにした時、互いに対して「幻滅」を感じた、ということも含まれると思います。原作のダニエル・ダルテスがナタンに代わっていたのも少しがっかりしました(ジャーナリズムと真面目な青年たちのグループ、セナークルとの対立が省略されていたのは残念でしたが、監督によれば「ただ善なるものを撮ることに飽きていた」からとのこと)。一方、女優コラリーの魅力とリュシアンへの献身ぶりはよく描かれていました。劇場でのサクラの元締めサンガリの存在がかなり大きな位置を占めていますが(サンガリは原作には存在しない)、サンガリがお金次第で大喝采やブーイングを行う(まるで指揮者のようにサクラの面々を動かす)さまは、非常に面白かったです。映画はリュシアンが故郷の湖に入水自殺する場面で終わっていて、原作の第三部が省略されているため「話が違う」と思いましたが、長編の映画化の場合、仕方がないことかもわかりません。リュシアンを悪の道に誘い込むルストー役のヴァンサン・ラコストが単なる悪役ではなく、地方から出てきた時は彼も純情だった、という複雑な気持ちを表していて魅力的な人物になっていたと思います。リュシアン役のバンジャマン・ヴォワザンも純情だが軽薄さを持ち合わせた青年をうまく演じていました。海千山千の出版者ドリアはジェラール・ドパルデューが演じていて、適役でした。ジャノリ監督は大学でバルザック研究者フィリップ・ベルチエ氏に学んだと語っており、大学の授業が監督に影響を与えたというのは、バルザック研究者としてはうれしい限りです。2時間半に及ぶ映画でしたが、時間の長さも気になりませんでした。
評判のフランス映画「パリタクシー」(ポスター)を見に行ってきました。46歳のパリのタクシー運転手シャルル(お金に困っていて、休みも取れず、免停寸前の状態)がパリ南東にある郊外の町ブリ=シュル=マルヌから94歳のマドレーヌを乗せてパリを横断する形で、パリ北西のクルフヴォアの老人介護施設まで送る、という一種のロードムービーです。途中で彼女の言うままにあちこちに立ち寄りますが、それは彼女の人生の軌跡をたどる旅でもありました。第二次世界大戦直後のアメリカ兵との燃えるような恋、彼は彼女を残してアメリカに発ってしまいますが、彼女のお腹には子どもがいました。次に知り合った男と結婚するものの、激しい暴力を振るわれ、息子にもその暴力が及んだ時、彼女は恐ろしい行為に出ます。裁判での彼女の決然とした態度(女性と子どもに暴力を振るう男は「夫」とは呼べないと主張)と彼女を理解しない裁判官たちの態度の落差が1950年代の保守的で男性優位のフランス社会を象徴していました。10数年刑に服した後も、最愛の息子はベトナムへカメラマンとして出かけて戦死するなど、彼女の人生は悲惨な人生のように見えます。しかし、それを淡々とシャルルに語るマドレーヌの顔は毅然としていて美しく、彼は次第に尊敬の念と共感を覚えていきます。それと同時に、むっつりした怒りっぽい表情から優しい表情に彼の顔つきが変わっていくのが印象的でした。最後に彼には思いがけない贈り物がもたらされ、人生の新たな出発が可能となります(何となく結末は予感していました)。
タクシーがヴァンセンヌ⇒パルマンティエ大通り⇒アルコル橋、コンシエルジュリ―、裁判所⇒エッフェル塔、シャンゼリゼ大通り、凱旋門⇒ヴァンドーム広場とパリの名所を回る(夜の美しい照明のパリも)のは、パリの観光案内でもあり、17区の洒落たレストランでの夕食も一度行ってみたいと思うようなレストランでした! また、パリの渋滞や今流行のトロティネットが出てきたり、パリの風物詩も盛り込まれていました。しかし何といっても、94歳のリーヌ・ルノー(シャンソン歌手であり女優)の演技の素晴らしさと、ダニー・ブーン(コメディアン)との掛け合いのうまさがこの映画の最大の見どころと言えます。また、是非パリに行ってみたい気になりました。