村田京子のホームページ – blog

BLOG

ポスター先日、「天野加代子とロシアの素晴らしい仲間たち」のコンサート(ポスター)に行ってきました。ロシアのウクライナ侵攻によって、政治的・経済的にはロシアとの断交が続いていますが、文化的交流は続けて人間同士の触れあいを深めるのはいいのではないかと個人的には思っています。天野さんは世界各地でメゾソプラノ歌手として活躍されている方で、表情も非常に豊かでその素晴らしい声を満喫しました。彼女の歌に加えて、日本の人間国宝にあたる「ロシア人民芸術家」の称号を持つ4人の音楽家からなる「モスクワカルテット」の演奏がありました。オペラ「セビリアの理髪師」や「カルメン」のおなじみの曲や、ムソルグスキー、ラフマニノフの曲、さらに映画「ドクトルジバゴ」の「ララの歌」やロシア民謡「黒い瞳」など、演目は様々でしたが、ロシアの民族楽器の音色が非常に心に響きました。バラライカは三角錐形の弦楽器で弦は3本で、右手の指で弾いて演奏されますが、チターに似た哀愁を帯びた音色になっています。ドムラは初めて知った弦楽器ですがグースリ、丸い共鳴板を持つ3本または4本の楽器で、今回演奏されたアレクサンドル・ツィガンコフさんは三絃ドムラ奏者で「ドムラの王」という異名を取る有名人とか。ドムラはピックで弾かれ、バラライカアンサンブルの主メロディーを担当することが多いようです。また、一番珍しかったのが、コンサートグースリ(右写真)という弦楽器で、小さいハープを横にしたような楽器で、単音や和音を鍵盤で押し、弦を弾いて音を出したり、ハープのようにアルペジオ演奏もできる、というもの。それにピアノやパーカッションも加わり、楽しい音楽のひと時を過ごすことができました(左写真:演奏者全員が舞台に上がったところ)。

Written on 7月 9th, 2024

IMG_0001先日、神戸大学で開催されたシャンソン研究会の集まりに行ってきました。今回の発表は3人の方で、まず、刊行されたばかりのフロランス・トレデズ著『ジョルジュ・ブラッサンスーシャンソンは友への手紙―』(鳥影社)の監訳をされた高岡優希さんが、本邦初翻訳のこの本についてのお話をされました。フランスでは高い知名度を誇るブラッサンスですが、日本では名前だけは知られているものの、あまりその曲が歌われることはない歌手です(有名なのは『オーヴェルニュの人に捧げる歌』くらいでしょうか)。それは一つにはギター一本で歌われることが多く、強面の風貌に地味な服装といった51npgSOHeiL._AC_飾り気のなさが要因ということでした。確かに、私にとってもブラッサンスは地味なイメージに留まっていました。ただ、フランスで大ヒットした映画(Le Dîner de cons:邦訳『奇人たちの晩餐会』:右写真)は、私の大好きな喜劇で、会話が何とも面白くて授業でも何度も学生に見せました。その主題歌としてブラッサンスの「時はたっても事態は変わらぬ」が使われていて、この曲はcon「アホ、馬鹿者」の連発で、「若くても、年をとっても、アホはアホ、変わりはない」(高岡訳)という意味で歌われています。conはもともとは卑猥な言葉なのですが、ものすごくあっけらかんと「コン、コン」と歌われていて笑いを誘います。ブラッサンスの歌は、社会批判、体制批判が多く、死刑反対(1981年のミッテラン政権の時に、フランスでは死刑は廃止されました)を訴える「ゴリラ」もその一つですが、歌詞の内容は性的意味合いが強く、最後の歌詞でやっと、死刑廃止の主張につながる、というもの。この曲は今の日本でも放送禁止になると思います。フランスでもなかなか放送されず、開局したばかりのEurope 1が初めて曲を流したとか。ブラッサンスの反骨精神は人気が出てからもずっと変わらず、アカデミー・フランセーズから会員のオファーがあっても断ったそうです(まさに、ボブ・ディランのように)。シャンソンはやはり、メロディよりも歌詞が一番、と改めて思いました。

次の発表は、長谷川智子さんの「バルバラとプレヴェール詩に付曲したコスマの作品の楽曲分析とその比較ー教会旋法の観点から」というタイトルで、音楽学からの観点によるシャンソン分析でした。「教会旋法」というのは、グレゴリオ聖歌のような昔の教会音楽で使われていた特別な旋法、ということですが、ドリア旋法、フリジア旋法、イオニア旋法などいろいろあって、音楽学に無知な私の頭には全く入ってこなかったのですが、コスマの曲「こども狩り」(プレヴェール詩)―「離島の感化院の子どもが脱走し、賞金がかけられ、大人に追いかけられた」実話に基づいた曲―の最後、海に飛び込んだ子どもの行く末がわからない歌詞で終わっているが、この最後の部分だけフリジア旋法で、フェルマータやデクレッシェンドで音が下がっているところから、子どもは死んだと考えられる、という分析は非常に納得がいきました。バルバラも教会旋法を使っていて、それは「祈りの表現」と解釈できる、という分析もなるほど、と思いました。

最後のハルオさんのご発表は、クイズ形式のオーディオビジュアルなもので、いつもと同じくポピュラー音楽についての博識ぶりを披露されました。今回はフランスで誰がジャズを広めたのか、というクイズで、トレネが有名だが実は、モーリス・シュヴァリエが1920年代にすでに「ジャズ」と冠したレコードを出しているとのこと。なぜトレネがジャズの開拓者だという通説が生まれたのかは、シャンソンに関して本や事典を書いた人がきちんとルーツにあたらずに、先行文献の誰かの言説をうのみにしたため、という理由でした(研究者には耳の痛い話です)。あと、Musique Dominanteという独自の概念も興味深いものでした。

Written on 7月 2nd, 2024

ポスターオペラ映画「フィガロの結婚」を見に行きました(ポスター)。1976年のドイツ映画ということで、少し古い映画ですが、フィガロ役:ヘルマン・スライ、スザンナ役:ミレッラ・フレーニ、アルマヴィーヴァ伯爵役:フィッシャー=ディスカウ、伯爵夫人役:キリ・テ・カナワという最高のオペラ歌手に、演奏はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、カール・ベーム指揮というもの。原作者はフランスの作家ボーマルシェで、モーツァルトが音楽をつけた傑作で、モーツァルト作品の中で最高の上演回数を誇っているものです。

物語は、アルマヴィーヴァ伯爵の従僕フィガロと小間使いのスザンナの婚礼の日が近づいた時、伯爵が昔の領主の特権「初夜権」を復活させてスザンナを自分の物にしようと画策しているのを、スザンナとフィガロがいかに阻止するか、そして伯爵が他の女ばかり追いかけまわすのを悲しく思う伯爵夫人が何とかして昔の夫の愛を取り戻すか、ということと、フィガロに金を貸したマルチェリーナが彼に結婚を迫って訴えたり、小姓のケルビーノが伯爵夫人やスザンナに言い寄って騒動を引き起こす、といった事件が重なり合い、はちゃめちゃなまま大団円を迎える、というもの。モーツァルトの美しい曲とオペラ歌手たちの素晴らしい歌唱力に酔いしれました。

原作者のボーマルシェはフランス革命直前のフランス社会に対して痛烈な批判や皮肉を浴びせています。IMG_0001モーツァルトのオペラ(ダ・ポンテ脚本)はそうした社会批判を薄めているものの、アルマヴィーヴァ伯爵の好色ぶり、その理不尽な要求、妻への不実は特権階級への批判となっています。伯爵役のフィッシャー=ディスカウ(写真)は、気品のある顔立ちながら、その目つきで好色ぶりを示すなど、演技力も一流でした。フィガロ役のスライは、庶民の逞しい力を表しています。スザンナと伯爵夫人の二重唱も非常に美しいものでした。とりわけ「フィガロ」で特徴的なのは、社会的に優位に立つ男たちを女たちがやり込めるという筋書きです。「セビリアの理髪師」では、才気あふれるフィガロの活躍ぶりが目立ちましたが、「フィガロ」ではむしろ、彼の婚約者スザンナが積極的に動き、伯爵ばかりかフィガロも彼女と伯爵夫人の計略に翻弄される受け身の立場に立っています。音楽で印象に残ったのは、二重唱や三重唱、さらには六重唱の場面があることで、それぞれの感情(愛情、反感、密かに復讐を誓うなど)を少しずつ重ねて歌うところ。映画ならではなのは、心の内を歌う時は、口を開けないままで、声だけが音楽として流れていました。これは舞台ではできないものでした。また、ケルビーノは少年ですが、女性のメゾ・ソプラノ歌手が演じるズボン役(途中で、女装の場面もあり)で、この作品の主要人物は男二人(フィガロ、アルマヴィーヴァ伯爵)に対して女三人(スザンナ、伯爵夫人、ケルビーノ)と数の上でも女性優位のオペラでした。

Written on 6月 20th, 2024

IMG_0001上京したついでに、上野の東京都美術館に『デ・キリコ展』(ポスター)IMG_0002を見に行ってきました。初夏というよりも、もう真夏という暑さの中、上野公演の奥の美術館まで歩いて行きました。デ・キリコは、ニーチェ哲学やベックリンの作品の影響を受けて「形而上絵画」と名付ける絵画を描いた画家で、フランスのアポリネールやシュルレアリストに衝撃を与えたと言われています。まずは、彼の肖像画、自画像のコーナーの後、彼が啓示を受けて描いたのが《イタリア広場》(右図)で、フィレンツェである日、見慣れた街の広場ば突然、初めて見る景色であるような感覚に襲われたそうです。それがこの絵で、「柱廊のある建物、長くのびた影、不自然な遠近法」によって、「不安や空虚さ、憂愁、謎めいた感覚」を生じさせます。旗がたなびく城壁にも、前景の道ににも人っ子一人おらず、騎士像が建物の後ろに隠れている(馬しか見えない)のも不思議な感じです。次にIMG_0004、キリコを特徴づけるものとして、「マヌIMG_0003カン」のモチーフがあります。彼は神話を題材とした作品を多く描いていますが、《ヘクトルとアンドロマケ》(左図)もその一つです。卵型の顔に全く目鼻立ちが描かれておらず、仮面をかぶっているかのようで、マヌカンは「謎めいたミューズ、予言者、占い師、哲学者」など様々な役割を演じています。この絵はトロイア戦争の物語の一場面で、戦地に赴くトロイアの勇将ヘクトルと愛妻アンドロマケの別れの場面とか。幾何学的な図が衣装にも組み込まれていて硬質なイメージですが、よりそう二人の姿には卵型の顔の曲線のためか、愛情も感じられます。また、同様のモチーフに《南の歌》(右図)があります。こちらの方が、全体的に柔らかな輪郭で、印象派のルノワールの影響を受けているとか。オレンジの色合いがルノワール的でしょうか。キリコは一旦、伝統的な絵画に回帰し、ネオ・バロック的な絵を描いた後、晩年に形而上絵画に戻り、過去の作品を再解釈した「新形而上絵画」を生み出したそうです。彼の絵画の変貌を見ましたが、やはり無機質なマヌカンが一番印象に残りました。

Written on 5月 18th, 2024

IMG_0001京の新国立劇場でオペラ『椿姫』(ポスター)の公演を見てきました。アレクサンドル・デュマ・フィスの小説『椿姫』は出版されるやベストセラーになり、劇場でもお芝居として演じられます。それを見た作曲家のヴェルディが『ラ・トラヴィアータ(道を踏み外した女)』というタイトルに変えてオペラにした作品です。初演の時は評判が芳しくなかったものの、後に内容を少し変えて上演し、成功への道を築くことになります。小説の『椿姫』では、「椿姫」ことマルグリットの死に際に恋人のアルマンは間に合わず、彼の妹の縁談と、彼自身のためにアルマンの父親から説得されて彼女が身を引いたことをその死後に分かって、後悔するという筋立てでした。それに対して、芝居では彼女の臨終の場面に彼と父親が駆けつけ、彼女の真意を知って謝る形に変わっています。マルグリットの裏切りを知ったアルマンが怒って彼女に札束を投げつける、というのも戯曲のシナリオで付け加わり、オペラは戯曲版をもとに作られています。しかも、公衆の面前でマルグリットに札束を投げつけたアルマンの行為は、周りの者だけではなく父親からも激しく非難される、という場面など、かなり道徳臭が強くなっています(小説では、マルグリットが屈辱的な目に合わされるだけに留まっています)。ブルジョワ道徳が重んじられる19世紀当時とすれば、お芝居やオペラでは道徳的な面が強められても仕方ないのかもしれません。

アルマンの父親が故郷の純真な娘(アルマンの妹)のためにアルマンと別れてくれ、と懇願する場面では、マルグリットのアルマンへの愛が真実のものであるとわかった上での説得で、しかも単に別れるのではなく、彼に未練を残さないためにも元の娼婦生活に戻るよう頼むと父親の態度は、ブルジョワのエゴが露わになるところです。ただ、オペラのこの場面のヴィオレッタ(マルグリット)と父親ジェルモンとのデュエットは素晴らしくて非常に印象に残りました。最初はアルフレード(アルマン)への愛を諦められない、と歌っていたヴィオレッタが次第にジェルモンの「天使のように清純な妹のために」という声に重なり、最後には父親の声が響き渡ってヴィオレッタが別れを決意する、というところは圧巻でした。ヴィオレッタ役のソプラノ歌手中村恵理の歌唱力、演技とも素晴らしかったばかりか、ジェルモン役のバリトン歌手グルターボ・カスティーリョの声が圧倒的で、アルフレード役のテノール、リッカルド・デッラ・シュッカを凌駕している気がしました(拍手も男性陣としては、カスティーリョの方が大きかったような気がします)。第一幕では有名な<乾杯の歌>が聞けましたし、ヴィオレッタのアリア<不思議だわ! 花から花へ」も聞かせどころでした。

IMG_0002今回の公演では舞台衣装にも凝ったそうで、衣装担当はヴァンサン・ブサール。「椿姫」の衣装(赤紫のドレスに緑のスカートが覗いている)も良かったですが、「椿姫」の同業者のクルチザンヌ、フローラの衣装(左写真)が白い小花を散らしたようで素敵でした。私もモードとクルチザンヌとの関係について、プログラムに解説を書くよう頼まれ、文章を載せました(解説)。舞台装置も宴会の場面は非常に華やかで、さらにマルグリートの部屋などは、左側面に鏡が巡らされていて、人物の姿が映る(前と後ろ)も斬新でした。

こうした本格的なオペラが常設劇場で度々上演されるのは東京に限られ、関西ではなかなか見れないのは残念な限りです。また、オペラの本場、ヨーロッパに行ってみたいと思いました(円安のこの頃ではなかなか難しいですが。。。)

Written on 5月 18th, 2024

IMG_0001先日、フェニーチェ堺(堺市民芸術文化ホール)にシェイクスピア原作、ニコライ作曲の『ウィンザーの陽気な女房たち』(ポスター)を見に行ってきました。粗筋としては、貧窮した老いぼれ貴族フォルスタッフが二人の夫人(フルート夫人とライヒ夫人)を誘惑してお金を引き出そうとするが、同じ文面のラブレターを二人に送ったため、夫人たちの怒りを買い、彼を懲らしめようとする物語です。それに加えてフルート夫人の嫉妬深い夫も懲らしめる、という妻の夫に対する復讐と、裕福なライヒ家の娘アンナを巡って三人の求婚者が登場、そのうちの一人の青年がアンナと恋仲だが貧しいために父親から結婚を反対されるものの、最後は二人が結ばれる恋愛物語も展開されます。傲慢で自惚れた男たちを女たちが巧みな策略で翻弄し、懲らしめるという痛快喜劇となっています。ただ、最後は彼らの過ちも許され、「苦しみは全部シャンパンで洗い流しましょう!」と、仲直りして終わるハッピーエンドとなっています。

一番ひどい目に合うのがフォルスタッフ(大きな洗濯籠に入れられて、川に流されびしょびしょになったり、ウィンザーの森で妖精役の農民たちから叩かれるなど)ですが、自分の欲望のままに行動し、喜怒哀楽をそのまま表に出して、食べて飲んでどんちゃん騒ぎをする彼の磊落さは、どこか憎めず、愛嬌たっぷりで、ブルジョワのフルート氏やライヒ氏よりも、人間味あふれている気がします。作曲家のオットー・ニコライは、ドイツ出身で、ワーグナーと同時代の作曲家ということですが、その名前は知りませんでした。ヴェルデイがシェイクスピアの同じ作品からオペラ『フォルスタッフ』をニコライのすぐ後に発表し、こちらの方が有名なようです。ニコライとヴェルディはライヴァル関係にあったとか。今回の演出では、時代を1945年~55年に時代設定され、それは演出家の粟國淳氏によれば、「世界中が(第二次大戦後の)新しい時代を作り上げている時代」「(イギリスの場合)貴族が変わらなければいけない時代」「一般庶民や女性を見直す時代」であったら、とのこと。それは現在にもつながる問題提起だと思いました。舞台装置も、スケルトンで家の外、部屋の中などが見えるようになっていました。セリフ、歌詞はドイツ語でしたが、字幕があったので問題なくオペラを楽しみことができました。歌手もオーケストラも演出家も日本人によるものでしたが、レベルの高いオペラでした。

Written on 3月 27th, 2024

睡蓮先日、大阪中之島美術館に「モネ展」(左のポスター)を見に行ってきました。印象派を代表する画家クロード・モネが、ポスターの絵の《睡蓮》にあるような連作(同じ場所、同じテーマで天候や異なる季節、異なる時間を通して「一瞬の表情や風の動き、時の移り変わりをカンバスに写し取った」)を生み出すに至るまでの過程を追った展覧会となっていました。大きく5つに分けられ、「1.印象派以前のモネ」「2.印象派の画家、モネ」「3.テーマへの集中(同じ場所を季節や天候、時刻によってエトルタ変化する様子を描く)」「4.連作の画家、モネ(四季によって風景が変わる《積み藁》など)、「5.「睡蓮」とジヴェルニーの庭」と年代順に並んでいました。モネの経歴で面白かったのは、10代の頃はカリカチュアを描いていたこと(なかなか上手でした!)。風景画家ブーダンの勧めで風景画家になったそうです。

とりわけ印象に残った作品の一つがノルマンディー地方のエトルタの海を描いたもの(右のポスター)。非常に荒々しい波が岩に打ち寄せているのが迫力満点に描かれています。エトルタには25年前くらいに行ったことがありますが、ちょうど、この波で抉られた岩の左側が少し洞窟になっていて、引き潮の時には砂浜になって洞窟に入ることができます。ただ、満ち潮になると水に埋まってしまうので、満ち潮になる前に戻るよう、注意されたことを思い出しました。現在は改修されて橋ができたモン=サン=ミシェルも、それ以前は引き潮時は遠浅の海を歩けるけれども、満ち潮になると波が猛烈なスピードで押し寄せてきて、何人か溺れ死んだ、というのを耳にしたことがあります。モネの絵は、そうした荒々しい海の様相をモネが捉えていると言えるでしょう。

積み藁連作の《積みわら》(左図)は、ジヴェルニー地方の積みわらを春、夏、秋、冬と四季に渡って描いています。昨年9月末にジヴェルニーを訪れましたが、やはり同じような積みわらが畑に並んでいて、今も変わりない風景だと感銘を受けました。同時期のバルビゾン派のミレーにも積みわらの光景が描かれていますが、ミレーの場合は、積みわらの前景に農民が大きく描かれていて、人間が中心となっていること、それに対してモネの場合、自然風景がメインであることです。とりわけ、《積みわら》の夏のシリーズでは、わらのところに母親と子どもが座っているのですが、眼を凝らしてよく見ないとわからないくらい小さく、わらと人物が溶け込んだ形で描かれています。

最後に有名なジヴェルニーの庭の《睡蓮》シリーズですが、ポスターの池の睡蓮睡蓮のようにはっきり睡蓮の花が描かれているものから、次第に水に映り込んだポプラや柳の木の影が睡蓮と重なって見える絵(右絵)、輪郭がぼんやりして定かではなくなっていく様子がわかります。これは、モネが白内障を患っていたせいともされていますが、抽象画に近づいているような気もしました。ジヴェルニーの庭には二度ほと行ったことがあり、緑の太鼓橋や柳、四季折々の花が咲き誇る庭をなつかしく思い出しました。

モネだけではなく、ルノワールやセザンヌ、ゴッホなど印象派の画家はなぜか、日本人に非常に好まれているせいか、訪れた日も平日にも拘わらず、多くの人で賑わっていました(特に若い人が多く、ミュージアム・ショップは買い物客でごった返していました)。

モネ展鑑賞会(Mon Nara 2024年6月号

Written on 3月 18th, 2024

_Fusen_A4_front奈良県立美術館で「漂白の画家 不染鉄」展(ポスター)が開催されているので、見に行ってきました。不染鉄は明治生まれの画家で、日本画家のもとで学び、現在の京都市立芸術大学を首席で卒業して、画家の道に進みました。ただ、戦後は奈良・正強高校の校長に就任し、画壇とは距離を置きながら画家として独自の道を進んだとのこと。「郷愁漂う村落風景」「悠然とたたずむ富士の眺望」「神聖な古寺の景観」を描いた絵や、幻想的な風景、彼の理想郷などが描かれています。ポスターの絵は《山海図絵(伊豆の追憶)》で、一時、漁師をしていた伊豆の海が前景に描かれ、後景に富士山が聳え立っていますが、山の背後にも家が並んでいて、遠近法的には少しおかしい不思議な絵となっています。不染の描く家はすべて、茶色い藁ぶきの屋根の四角い家で、この家が彼の原点なのでしょう。彼の殆どの絵は茶色の色調がベースで、海も少し緑がかった茶色となっています。海に浮かぶ岩はごつごつしたもので、海に浮かぶ白い帆の小舟も度々描かれています。

思い出の記《思出之記(田園部)》(右図)では、絵筆のタッチがものすごく細かく、後景は恐らく奈良の薬師寺ではないかと思われます。家や木々は非常に細かく丁寧に描かれていますが、田んぼ落葉浄土や道は少しぼやけていて、筆を水平にさっと動かして描いたようなイメージ。手前に文字が書かれていますが、文字が小さすぎて裸眼では読めない状態です(不染は絵葉書を友人にたくさん送っていますが、そこに書かれた字もものすごく小さくて、さぞかし読むのに苦労したのでは、と思われます)。また、彼の理想郷を描いた《落葉浄土》(左図)には、家の門の前に仁王像が二体、立っていて今にも動きそうですし、お堂には様々な菩薩が並べられていますが、建物の一番左奥の部屋には和尚さんと小僧が向かい合って座っています。現実世界に垣間見える幻想空間のような感じで、とても気に入りました。

不染鉄はこれまで知らなかった画家で、この展覧会で初めて彼の作品に接しました。一見、地味だがよく見ると精緻な描写で不思議な世界が描かれていて感銘を受けました。ちなみに彼は、上村松園の息子で花鳥画で有名な上村松篁と仲が良かったそうです。

 

Written on 2月 29th, 2024

ポスター先日、「坂東玉三郎初春お年玉公演」(ポスター)を見に行ってきました。会場は昨年、開場100周年を迎えた老舗の劇場、大阪松竹座で、氷雨の降る寒い日でしたが、玉三郎ファンの大勢の観客が舞台を見に来ていました。ブログラムはまず、「口上」ということで、コロナ禍の後、公演を再開した折にこれまでに舞台で着た衣装(背が高いのでそれまでの女形の衣装が合わず、全部新しく誂えてもらったそうで、35年前からの膨大な衣装)を展示したので、今回もお見せしようと思っていたが、残念ながらアメリカのメトロポリタン美術館に現在、出展中、とのこと。1枚の着物を京都の職人さんに頼むと、手刺繍なので2年はかかるそうです。その豪華な着物が見れず、残念でした。口上「口上」(右写真)ではさらに「女方の魅力」ということで、普通の細長い手ぬぐいを使って、いかに女らしく肩にかけるか(手ぬぐいを軽く一回転させて曲線を作る)、また扇の持ち方、回し方など滑らかな美しい曲線を作ることで、「女らしい」所作を心掛けているとのこと。現代では「男らしさ」「女らしさ」の考えが変わってきていますが、その美しい所作はマネしたいものです。

舞踊としては、京都や大阪の座敷舞として発展した上方舞で、その演奏には地唄(箏(こと)、胡弓、あるいは三絃のシンプルな編成)が使われます。まず『黒髪』は、源頼朝との恋を諦め、北条時子に妻の座を譲った辰姫が髪を梳きながら、諦めきれぬ恋心と嫉妬心に苛まれる様子が舞に託して演じられました。また、「由縁(ゆかり)の月」は、京都の島原から大阪新町に移った遊女の夕霧(27歳でこの世を去る)にちなんだ話です。思いもよらぬ男に身受けされた遊女が、それまで苦界と思っていた廓を去ることで、愛しい恋人に会うことができなくなってしまうという悲しさを、水に映る月影に寄せる、というもの。ポスターにあるような華やかな衣装を着た玉三郎は、艶やかな女の色気と悲しみを湛えていました。また、泉鏡花の『天守物語より』では、映像技術を駆使し、玉三郎演じる富姫(映像)と亀姫が共演する、趣向を凝らした演出で、その中で亀姫の玉三郎は箏を弾き、唄も披露しました。今回は、「お年玉公演」ということで、C席は1500円と安く、学生など若い人たちにも気軽にも来てもらうよう工夫したとのこと。お正月早々、能登大地震や飛行機の事故などがあって、なかなか明るい気持ちにはなれませんが、それでも玉三郎の公演は生きていく励みになったと思います。

Written on 1月 15th, 2024

ポスター先日、中之島公会堂でのフランス文化講座の帰りに、中之島美術館で開催中のテート美術館展(ポスター)に行ってきました。テート美術館と言えば、ラファエル前派の絵で有名ですが、ターナー今回はラファエル前派はバーン=ジョーンズの《愛と巡礼者》のみで、「光」をテーマにした作品を集めたものとなっています。まずは、「光の画家」ターナーの《光と色彩(ゲーテの理論)―大洪水の翌朝―創世記を書くモーセ》(右写真)。モーセの杖が真ん中に見え、モーセが上方にいるのがわかります。人々の顔が下方に見え、光(または水)の渦の中に巻き込まれるようなダイナミックさが感じられました。次に、ポスターにあるジョン・ブレットの《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》。光を反射した水面、画面の枠一杯に広がる水平線が自然の大きさを反映しているようでした。さらに天から射しているような光線は、神秘的な印象も与えます。一方、ゲルハルト・リヒターの《アブストラクト・ペインティング》(左写真)は、ぼやけてはっきりしないために見る者に様々なイメージ(雨で濡れた道を行きかう人や車、または水に映る木々の影など)を連想させます。また、オラファー・IMG_0001エリアソンの《星くずの素粒子》(右写真)では、半透明ガラスの球体がゆっくり回転しながら光を乱反射していて、壁に映る大きアプストラクトな影は地球のようにも、宇宙にも見え、壮大な空間が浮かび上がっていました。他にもブレイクやホイッスラー、モネ、カンディスキーなどの絵画や光のインスタレーションが展示されていて、「光」に特化した本展は、普通の絵画展より実験的な展覧会だと思いました。

Written on 12月 1st, 2023

HOME | PROFILE | 研究活動 | 教育活動 | 講演会・シンポジウム | BLOG | 関連サイト   PAGE TOP

© 2012 村田京子のホームページ All Rights Reserved.
Entries (RSS)

Professor Murata's site