3月8日の国際女性デーを記念して、東京の日仏会館で3月8日、9日にわたって催しがありました(チラシ参照)。8日は、日本ペンクラブ会長である女性作家の桐野夏生さんと、リール第3大学名誉教授のマルティーヌ・リードさんとの「女性と文学」をめぐっての対談がありました。最初に桐野さんから作家としてデビューした頃のお話や、日本の文学界の現状についてのお話がありました。桐野さんは、『OUT』で推理小説作家としてデビューされましたが、賞の選考からもれた時に、ある男性批評家から女性が殺人の話を書くことへの批判があったそうです。男性作家ならば、猟奇的殺人を描いても許されるのに、女性は駄目、というのもジェンダー意識のなせる業でしょう。「文豪」と言われて思いつくのは夏目漱石を始めとする男性作家ばかりで、女性作家には「文豪」の名は冠せられない、というのも、「確かに」と頷けました。ただ現在は、文学賞の選考委員会は女性委員の方が多いということで、ジェンダー平等は少しずつ進んでいるようです。リードさんのお話も、フランス文学史において、女性作家・詩人・劇
作家への言及が極端に少なく、これまでないがしろにされてきたこと、さらに、女性が本を出版して自分の名前を公にすることの困難さに言及されました。というのも、家父長的な社会では、女性は家事・育児など家庭内の領域に留められ、慎ましさを要求されるだけに、公(publique)の空間に出ていくことは、はしたないこと、さらには自分の身を曝け出すこと=娼婦(「娼婦」はフランス語で「公の娘(fille publique」と呼ばれています)とみなされていたからです。こうした問題は、翌日の「フランスにおける文学史と女性作家」(右のチラシ)の中で、さらに詳細な説明がありました。女性作家の呼び方にしても「ラファイエット夫人」「スタール夫人」など、夫の姓で呼ばれることが多く、リードさんが編纂した『女性と文学――一つの文化史』では、「ジェルメーヌ・ド・スタール」と、極力、名前も入れて記入しているとのこと。ただ、女性作家だけを取り上げた文学史ではなく、教科書などで学ぶ一般的な文学史の中に、男性作家と女性作家が均等に紹介されるのが、理想だとも言っておられました。それは、日本の文学史でも同じだと思いました。
現代の日本の作家、桐野さんと、19世紀フランス文学専門の研究者のリードさんとで話の接点があるのかなと最初、危ぶみましたが、ジェンダーの視点からは非常に共通点があったと思います。桐野さんの『OUT』を熟読しましたが、深夜の弁当工場に勤める女たちの閉塞感、家族や社会に対する怒りが爆発していく過程がリアルに描かれていて、かなり暴力的ですが、主人公のエネルギーの大きさに圧倒されました。リードさんも仏訳でこの作品を読んだそうですが、これほどの怒りの爆発、激しさを描いた女性作家は知らない、と驚いておられました。
3月11日にはさらに、奈良女子大学でリードさんの講演会「19世紀フランスの女性文筆家デルフィーヌ・ド・ジラルダンの生涯と作品をめぐって」(チラシ)があり、それにも参加しました。ジョルジュ・サンドと同じ年に生まれ、十代で詩人として有名になり、アカデミーからも賞をもらうほど才能が認められ、「新聞王」エミール・ド・ジラルダンと結婚してからは、サロンの女主人としてバルザックを始めとする各界の名士を集め、新聞記者としてもパリの風俗を活写したその記事が評価され、当時としては有名な人物であったのが、今や忘れ去られているので、その掘り起こしを試みたお話でした。私も、デルフィーヌ・ド・ジラルダンには注目していたので、リードさんのお話は非常に興味深いものでした。特に印象に残ったのは、独身の時に出版された彼女の詩集には、「デルフィーヌ・ゲー」という名前だったのが、結婚してから出版した本の表紙には「エミール・ド・ジラルダン夫人」と夫のフルネームに「夫人」がついたもので、「デルフィーヌ」という名前が消えてしまっていること。また、巷で話題になっていたバルザックのトルコ石を散りばめた太いステッキを題材にして書いた小説『バルザック氏のステッキ』の序文で、女性が本を出版できるのは「つまらない内容」に限られていることを謙虚を装って述べ、そして権威ある男性作家を持ち出しているが、実はそこには鋭い風刺と揶揄が込められていることが面白く、ディドロの手法を彷彿とさせました。講演の後、活発な質疑応答が1時間にわたって行われ、とても有意義な一日でした。講演の後、リードさんと参加者でお茶を飲み(リードさんは珍しそうに「ぜんざい」を頼んでいました)、奈良町を少し散策し、夕食は和食をご一緒ました。