講演会・シンポジウム
(村田がコーディネーターまたは発表者として関連している講演会・シンポジウム・研究会などの案内および報告を掲載しています。授業公開講座は教育活動のカテゴリーに掲載しています。)
2025年度
2024年度
奈良女子大学ジェンダー言語文化学プロジェクト 講演会
開催日: | 2024年12月10日(火)13時~14時30分 |
場所 | 奈良女子大学 文学系S棟2階 S228 |
コーディネーター | 高岡尚子 奈良女子大学教授 |

タイトル:「モードとジェンダー 19世紀フランス文学を服装とモードで読み解く」
講師:村田京子
日時:2924年12月10日(火)13時~14時半
場所:奈良女子大学 文学系S棟2階 S228
19世紀フランス文学において、服装は職業・生活・習慣・性格を表す記号となっています。本講演では、ゾラの『獲物の分け前』(「オートクチュールの祖」ウォルトをモデルにした人物が登場)を取り上げ、第二帝政期のフランス社会で「モードの女王」として君臨した女主人公の生き方をジェンダーの視点から探っていきます(詳細はポスター参照)。入場は無料で、申し込み不要ですので、関心のある方は是非ご参加ください。(https://koto.nara-wu.ac.jp/gender/)
《報告》12月の少し冷たい空気ながら晴天に恵まれ(紅葉はまだ残っていました!)、無事講演会を終えることができました。予想をはるかに超える、75名の方が参加して下さいました(大学のジェンダーの授業の一環でもあったので、奈良女子大の学生さんと、一般の社会人の聴講生の方で、遠くからわざわざ参加して下さった方もいて、感謝!です。さらにオンライン受講生が15名)。講演では、パワーポイントファイルを使って、ゾラの『獲物の分け前』を主人公の服装に注目して分析しました。こうした分析を通して、オスマンのパリ改造における土地収用をめぐるサカール(女主人公ルネの夫)の画策や陰謀を背景にした小説において、彼を始めとする男たちに搾取されるルネの姿を浮き彫りにしました。1時間の講演の後には様々な視点からの質問がなされ、本当に有意義な一日となりました。若い学生さんとの接触も久しぶりで、とても刺激になりました(さらに後で、有志の皆さんと駅前の和菓子屋さんでおいしいお菓子を頂きながら、おしゃべりをしました)。
開催日: | 2024年9月18日(水)~ |
場所 | 中之島中央公会堂(B1階 第4会議室) |
コーディネーター | 武市福之、南千恵子 |

日時:9月18日/25日、10月9日/23日、11月13日、12月25日、1月15日/22日/29日、2月12日
毎回水曜日、10時20分~11時50分(10回、会費7000円)
《報告》9月18日に無事、第1回の講座を終えました。9月の中旬になってもまだ真夏が続いているようで、外に出ると眩しい太陽の光と暑さで、ふらっとしそうです。その中、大勢の方が中之島公会堂に集まって下さいました。7月の公開講座以来の再会の方もいれば、2年ぶりの再会の方もいて、皆さまの元気な顔をみてうれしさも倍増しました。コロナ禍もほぼ過去のものとなり、海外旅行に出かける方もいて、皆さまの活発な動きも戻ってきたようです。今日の講座では、『ラブイユーズ』の時代背景や、タイトルの変遷など、物語の前置きの部分を見ていきました。これまで取り上げてきた作品(『ゴリオ爺さん』『あら皮』)は、パリを舞台にした物語でしたが、今回はイスーダンという地方都市を舞台にしたもので、地方がどのように描かれているのかを見ていきたいと思っています。
開催日: | 2024年5月15日~7月17日 |
場所 | 大阪公立大学 I-site なんば 2階 |
コーディネーター | 大阪公立大学 社会連携課 |

テーマ:「絵画を通して読み解くフランス文学」
日時:2024年5月15日~7月17日 毎週水曜日 14:30~16:00
フランス文学と造形芸術の関わりは深く、画家、彫刻家を主人公とする芸術家小説が数多く見出せます。しかし、小説の人物描写において絵画の比喩が使われるようになったのは、「芸術の大衆化」が実現された19世紀以降です。本講座では、19世紀の作家と芸術家の親密な関係を考慮に入れながら、小説の中で言及される絵画や彫像を手がかりに、19世紀フランス文学を読み解いていきます。
取り上げる作品は、バルザック:『金色の眼の娘』『ラ・ラブイユーズ』『毬打つ猫の店』『知られざる傑作』『ラ・ヴェンデッタ』『砂漠の情熱』『従妹ベット』、ゴーチエ:『金羊毛』『カンダウレス王』、デボルド=ヴァルモール:『画家のアトリエ』、ゾラ:『ナナ』(詳細はチラシをご覧ください)
本講座では、日本語翻訳を使いますので、フランス語が読めない方も誰でも参加できます。興味のある方はふるってご参加下さい。詳しくは大学のサイト(https://www.omu.ac.jp/lifelong-learning/course/event-03955.html)をご覧ください。
《報告》10回の公開講座、無事に終えることができました。最初はアンケートに「難しい」というお声もありましたが、次第に皆さん、話の流れについて下さるようになり、多くの質問、感想、ご指摘などを寄せてもらいました。内容をつい詰め込み過ぎて、時間オーバーになり、最後は大急ぎでお話をしたこともあって、聴講生の方々を疲れさせてしまったかもしれません(大いに反省)。大学のスタッフの方のご尽力もあり、パワーポイントファイルをすべて印刷、配布して頂き、それで非常にわかりやすくなったと大変好評でした。スタッフの方々、ありがとうございます。また、暑い中、I-siteまで来ていただき、熱心に聞いて下さった参加者の皆さまに感謝いたします。今回は90名の方に参加して頂きましたが、私の方も皆さまの前でお話することで、大きな刺激となりました。来年も別のテーマで公開講座を行う予定ですので、その折にまた、皆さまとお会いできれば幸いです。
2023年度
開催日: | 2024年3月30日(土)10時~12時 |
場所 | 東京ウィメンズプラザ&オンライン |
コーディネーター | 西尾治子 日仏女性研究学会代表 |

報告者:永澤桂(女子美術大学・横浜国立大学非常勤講師):「美術とジェンダー:労働する女性の表象―お針子、バレエ・ダンサーを中心に―」
コメンテーター:村田京子(大阪府立大学名誉教授)
司会:西尾治子(日仏女性研究学会代表)
発表要旨:17世紀から19世紀において、女性たちの営みは、当時の社会規範である「良妻賢母」の枠組みのなかで大きく制限されていました。女性たちには、主に家庭内での仕事である家事や育児、家政が期待されていましたが、その中でも針仕事は特に重要とされていました。一方で、縫製業に携わる女性や、バレエ・ダンサーなど労働者階級の女性たちにも、当時の男性による「視点」から、芸術の領域においてさまざまに表象されました。特にお針子は「グリゼット」として知られますが、しばしば売春業と関連付けられました。また、貧しい階層出身のバレエ・ダンサーは、副業として影の世界に身を置くこともありました。男性画家たちは、当時の社会的偏見やジェンダー観念に影響されながら、こうした働く女性たちをどのように描写したのでしょうか。女性の労働を描いている彼らの作品には、社会の裏側に潜む現実を見逃すことなく捉えているものがあります。本発表では、特にお針子やバレーダンサーに焦点を当て、これらの女性たちの仕事の裏にある側面を、印象派の巨匠たちの絵画を通して探求し、ジェンダーの視点から解釈します。また、知られざる画家・ヴュイヤールの作品など、日本では、一般的に親しまれていない絵画も紹介いたします。
《報告》永澤さんは、主に19世紀フランスの絵画において「働く女性」がどのように描かれているのか、女子教育や当時の社会的背景を考慮に入れながら、ジェンダーの視点から丁寧に分析されました。良妻賢母を目指す女子教育において、針仕事が重要な位置を占めることを18世紀のシャルダンの絵画をもとに話をされた後、19世紀後半のカイユボットの《田舎の肖像》を取り上げられました。カイユボットの絵には4人の女性が描かれ、3人が針仕事、1人が読書をしていて、19世紀当時、読書をする女性は「怠惰」とみなされてきたが、この絵では針仕事と読書が同価値に位置付けられているとのことでした。また、ドガの《舞台稽古》などで描かれる踊り子は低賃金のため売春を余儀なくされ、「見られる客体(欲望の対象」となり、踊り子を見る男性は「見る主体(欲望・支配の眼差し)」となっていること、さらに踊り子に付き添う母親は娘を売り出す存在として描かれていることを明らかにされました。また、縫製業に女性たちに関しては、「グリゼット(お針子)」は「性の対象」と見なされていたが、19世紀末のヴュイヤールの絵ではお針子たちが真剣に働く様子が肯定的に描かれていて、新しい視点が見出せる、とのことでした。その他にもドガのアイロンをかける洗濯女など、労働者階級の女性を描いた絵画の紹介がありました。
私からのコメントとしては、カイユボットの読書をしている女性が老女であり、読書が「怠惰の象徴」「危険」であるのは若い娘にとってではないか、という指摘をしました。また、ドガの踊り子の絵では、永澤さんも著書で指摘しているように、踊り子の顔が「猿のように」醜く描かれており、それは「劣った存在」だとドガ自身が思っているためだとされているが、それはドガの女性蔑視の表れではないか、と指摘しました。それに対して、「性を売り物にしている女性」へのドガの冷たい視線だというお答えでした。最後にヴュイヤールの女性の労働者を肯定的に描く絵は、彼自身の母親が経営する縫製工房で母と姉の仕事を描いている、という特殊な家庭環境のせいではないか、「時代の先取り」であるが、一般的に女性労働者を肯定的に描くようになるのは、いつ頃か、という質問をしました。それについてはまだ明確ではないそうです。会場からもいろいろな質問が出て、非常に有意義な報告会であったと思います。
開催日: | 2024年3月22日(金)14時~17時 |
場所 | 近畿大学東大阪キャンパス EキャンパスA館402共同研究室 |
コーディネーター | 松村博史 近畿大学教授 |
岩村和泉:『あら皮』における共感―自然法と社会法の間で
村田京子『モードで読み解くフランス文学』(水声社、2023年)の書評(佐久間隆)
開催日: | 2023年10月11日(水)より |
場所 | 中之島公会堂 |
コーディネーター | 武市福之、南千恵子 |

日時:10月11日、11月1日/8日/29日、12月13日/20日、1月10日/24日、3月13日/27日
毎回水曜日、10時20分~11時50分(10回、会費 7000円)
《報告》10月11日:今年は5月から7月まで大阪公立大学の公開講座を開催したため、「フランス文化を学ぶ会」は半年ぶりの開催となりました。公開講座に参加された4名の方々が新たに加わり、総勢25名となりました。10月の初めまで夏の暑さが続きましたが、このところ急に寒くなり、秋がなくなって冬が来たような感覚です。ただ、初回当日は、秋晴れの気持ちの良い天気に恵まれました。新しく加わられた方がいらっしゃるので、今回は「復習」ということで、バルザックの『人間喜劇』の構造や19世紀当時のフランス社会について、さらに『あら皮』が「幻想文学」のジャンルに入ることから「幻想文学」についてのお話をしました。会が終わった後では、参加者の皆さまと昼食を取りながら、私のフランス滞在の話や近況報告などで盛り上がりました。久しぶりに皆さまのお元気な顔が見られて、楽しいひと時でした。
3月27日:10回にわたる『あら皮』の読書会、無事に最後まで読了することができました。最終回ということで、「あら皮」が何を意味するのか、リアリスティックな分析(肺結核で死ぬ主人公の肺細胞の象徴)や幻想文学的側面(神秘的、哲学的要素)の分析など、これまでの研究者たちの様々な解釈を紹介しました。とりわけ、ヘイワードの「あら皮=魔法の鏡」という解釈(鏡に映った自分の顔の皮膚―年を取るにつれて皺がよって皮膚が縮んでいく―の象徴)は、皆さん、頷きながら聞いておられました。最後まで熱心に聞いて下さった皆様には感謝の念で一杯です。また、9月の再会(バルザックの『ラ・ラブイユーズ』を読む予定)を楽しみにしています。
開催日: | 2023年5月17日~7月19日 |
場所 | I-site なんば |
コーディネーター | 大阪公立大学社会連携課 |

テーマ:「モードを通して読み解くフランス文学」
開催日時:5月17日~7月19日、毎週水曜日 14時30分~16時 (全10回)
フランスは、ルイ14世時代から「文化の中心」となり、パリは「モードの首都」として現在も威光を放っています。文学において服装が詳細に描写されるようになるのは、19世紀になってからで、「近代小説の祖」と称されるバルザック以降となります。バルザックは服装を職業・生活・思想・性格を表す記号とみなして小説に反映させ、次に続く作家たちもそれに倣いました。本講座では服装を手がかりに、19世紀フランス文学を読み解いていく予定です。
取り上げる作品はバルザック(『ふくろう党』『幻滅』『骨董室』『カディニャン公爵夫人の秘密』)、ジョルジュ・サンド(『アンディヤナ』)、ゾラ(『獲物の分け前』『ボヌール・デ・ダム百貨店』)、ゴンクール兄弟(『シェリ』)です(詳細はプログラムをご参照下さい)。
本講座では、文学テクストは日本語訳を使ってお話をしますので、フランス語ができない方も受講できます。興味のある方はふるって次のサイトまで、お申し込みください(https://www.omu.ac.jp/lifelong-learning/course/event-01658.html)。
《報告》5月24日:5月17日に初回の講座が始まり、70名を越える方々にご参加頂きました。初回は、時間通りに収めようと、早口になってしまい、「もう少しゆっくりお願いします」という声も聞かれ、2回目は少しペースダウンを努めました。2回目は「男装の麗人」と呼ばれるジョルジュ・サンドの作品を取り上げましたが、ロマン主義時代の理想の女性像(「はかない女性」のイメージ)や、変装が女主人公もたらした影響、そして男性服からきた女性用狩猟服(アマゾン)が女性を自立した生き方に導く女性解放に繋がっていることに触れました。会場の方からは「女性解放に至るには時間がかかりますね」という感想を頂きました。とりわけジェンダー指数の低い日本の場合、ジェンダー平等はまだまだ道遠し、というところでしょうか。
7月19日:5月から始まった10回にわたる本講座も本日が最後となりました。本講座ではフランス革命を扱ったバルザックの『ふくろう党』から始まり、最後は19世紀後半のゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』までの文学作品に現われるモードの変化を辿りました。フランス革命後、「服装の自由」が謳われ、原則的には誰でも自由に服装を選ぶことができるようになりました。その中で、エレガンスを窮めたのが「曰く言い難いもの」を身につけたフォブール・サン=ジェルマンに住む由緒ある家柄の貴族女性たちでした。彼女たちは革命後に台頭してきたブルジョワ階級の女性たちの模範として「モードの女王」となりましたが、19世紀後半の第二帝政期になると、ブルジョワ階級の女性たちが「モードの女王」となり、派手で贅沢なエレガンスを誇示するようになります。オートクチュールが生まれたのもこの時期です。それと同時に産業革命の進展により、大量生産が可能になり、デパートが誕生します。デパートによる「贅沢の民主化」により、大衆消費社会が生み出されました。デパートはその画期的な販売戦略により、近隣の小売業者を駆逐していきますが、21世紀の今、郊外の大型ショッピングセンターやアウトレット、ファストファッションなどの台頭によって、デパートが衰退・消滅しつつあります。このように、モードは社会の変化に応じて変化し、それを反映したのが文学作品だと言えるでしょう。それを読み解く醍醐味を少しでも味わって頂けたならば、幸いです。猛暑が続く中、参加者の皆さまが最後まで熱心に聴講して下さり、本当に感謝しています。また別の機会でお目にかかれるのを楽しみにしています。
2022年度
開催日: | 2023年3月25日(土)14時15分~17時 |
場所 | 近畿大学東大阪キャンパス EキャンパスA館4階 402共同演習室 |
コーディネーター | 松村博史 近畿大学教授 |
鎌田隆行:「バルザックと未完の美学」
村田京子:「19世紀フランス文学におけるフェミサイドのテーマ―バルザック、サンド、ゾラ―」
《報告》春の冷たい雨の後の少し肌寒い一日でしたが、15名以上の現地参加者(zoomでは6名)がいて、久しぶりに賑やかな会となりました(3年ぶりにお顔を拝見する方もいて、やはり画面越しではなく、直接お話できるのはうれしい限りです)。まず、鎌田氏のご発表では、バルザックの未完の原稿、作品をどのように捉えるのか、これまでは未完であるがゆえにネガティヴに捉えられてきたが、むしろ作品の無限性をもたらすものであると考えられるようになってきた、というその歴史的経過を辿りました。バルザックの同時代のゴーティエやボードレールから始まり、バルザックの草稿収集に力を入れたロヴァンジュール、さらに学術校訂版(埋もれた作品の発掘、および草稿や改訂の過程を注に詳細に記したプレイヤッド版などの様々なエディションについて)を丁寧に説明した後、未完であるがゆえに永遠に変わり続ける「バルザックにおける未完の現代性」について話されました。現在、電子媒体でのバルザック作品の刊行が準備されているとのこと、研究の幅もさらに深まることが期待できます。

研究会の後、有志の方々と懇親会を行い、楽しいひと時を過ごすことができました。まだまだマスクが必要な場合もありますが、少しずつアフターコロナの時代になってきたと安堵しています。
開催日: | 2023年3月4日(土)14時~18時30分 |
場所 | 日仏会館(東京)1階ホール |
コーディネーター | 日仏女性研究学会主催 |

アンジェ大学教授で歴史家のChristine Bard氏は、フランスの女性史やフェミニズムに関する著書を数多く出版しておられ、その代表作がUne histoire politique du pantalon (Seuil, 2010, 2014) となっています。本書においてバール氏は、1800年にフランスで制定された女性のズボン着用禁止条例がいまだに存続していたという歴史的事実を明らかにし、政府に本条例の廃止(2013年1月31日)を促すきっかけを作りました。さらに、現在、パリ・カルナヴァレ歴史博物館にて好評開催中の「展覧会 女性市民の闘いの歴史」の主宰者としても活躍されています。
本シンポジウム「女性と表象:服飾、モード、ジェンダー」では、まず、バール氏に「ズボンの政治史 (1789-2022)」と題する基調講演を行なっていただきます。フランスの服飾史において、コルセットを脱ぎ、ズボンを穿いた時から女性は自由と自立を獲得したとみなされています。本講演では、ズボンの歴史とフェミニズム運動との緊密な関係について論じていただく予定です。
第一部「服飾とモード:フランス文学における女性表象と社会」では、女性が服飾を通してどのように表象されていたのか、近現代の文学作品を通して検証します。まず、村田京子氏の発表「ゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』における「女性の搾取」―「頭のないマネキン人形」―」では、エミール・ゾラの作品を取り上げます。デパートは大衆消費社会の出現によって誕生し、女性たちの服飾品への購買欲を掻き立てましたが、本発表では、デパートによる「女性の搾取」をゾラがどのように描いているのかを分析します。次に、吉川佳英子氏の発表「コレットにおける身体の表象―男装、舞台での身体表現、そして書くということ―」では、コレットの作品群を取り上げ、女性作家の同性愛的傾向を視野に入れながら、男装、舞台衣装や身体表現、言語表現について論じます。
第二部「服飾のイメージをめぐる男性性・女性性」では、フランス革命を経た後の服飾史において大きな転換点となった19世紀に焦点を当て、まず、ダンサーの衣装に注目した発表を丹羽晶子氏と渡辺采香氏が行います。丹羽氏の発表「19世紀後半における男装をした女性ダンサーの役割とイメージ」では、パリ・オペラ座における女性バレエダンサーが男装することで、どのような役割を与えられ、どのようなイメージを付与されたかを分析します。次に、渡辺氏の発表「19世紀フランスにおけるオリエントの女性ダンサー表象にみるズボン」では、オリエント(中東・北アフリカ)の女性ダンサーを取り上げ、フランス人作家たちのオリエント旅行記において、ズボン姿の彼女たちがどのように捉えられているかを探ります。最後に、新實五穂氏の発表「19世紀フランスにおける男児服と初めてのズボン」では、男児が初めて着用するズボンという主題をめぐり、「男らしさ」を創出し、構築する通過儀礼としての男性性と主体性の確立の問題を浮き彫りにします。
第三部のパネルディスカッションでは、基調講演および、第一部、第二部で考察した服飾とジェンダー、女性表象に関する現代にもつながる諸問題について、パネラーの間で意見交換を行うとともに、会場の方々からのご感想や質問に丁寧に答えることで、議論を深めていきたいと考えています。
コロナ後に初めて開催する対面式のシンポジウムであることから、プログラムには4時間半という余裕をもたせた時間設定をしており、参加者数は70名に限定されてはいるものの、大規模なシンポジウムとなることが予想されます。多くの会員の皆様やお知り合いの方々にご参加いただき、コロナ禍での長い間の忍耐を解消すべく、暖かい交流の場となることを切望しております。
使用言語:日本語、フランス語(同時通訳付き) 参加費:無料
要事前申し込み:https://www.mfj.gr.jp/agenda/2023/03/04/2023-03-04_colloque_femme/index_ja.php
詳細はフライヤーおよびプログラムをご参照下さい。
《報告》3月初めの少し肌寒いながらも、日中は春を思わせる天気の中、国際シンポジウムが開催されました。現地開催は3年ぶりで、100名近くの方がわざわざ足を運んで下さいました(定員は70名だったのですが、日仏会館のご好意で、椅子の距離を適度に離しながらも、収容人数ぎりぎりまで入って頂くことが可能となりました)。
バール先生の基調講演では、フランス革命後、男性たちが華やかな装いをすることを断念し、画一化された地味な服を着るようになり、女性が専ら贅沢で華やかな衣装を着ることになったこと、その一方で女性の「開いた服」(=スカート)は女性の「傷つきやすさ」「性的に自由に近づけること」を表し、「閉じた服」(=ズボン)は、男性の「力」や「権威」の象徴となったこと、そして女性たちがズボンを穿くことはジェンダー規範に反していたことを明らかにされました。フランスのフェミニストたちは、ズボンを穿く権利を求めて長い間、闘ってきたことになります。第一部において村田は、ゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』で描かれる「女性の搾取」を、作中に何度も言及される「頭のないマネキン人形」を軸に分析し、「頭のないマネキン人形」は当時のジェンダー観に基づいた女性全体を表していることを明らかにしました。次に吉川氏がコレットの奔放な生き方(男装や、パントマイムの舞台での大胆な振舞いなど)および、彼女の作品における身体性との深い関わり、動物との共感を、クリステヴァなどの批評家の言説を通して浮き彫りにしました。
第二部の丹羽氏の発表では、ロマンティック・バレエの隆盛で男性ダンサーの数が減少し、女性が男役を演じざるを得なくなったこと、しかし、あくまでも容姿端麗な女性が男役を演じ、観客も女性として見ていたこと、したがって、女性がズボンを穿いて踊ってもジェンダー違反とはみなされなかったいきさつの説明がありました。次の渡辺氏の発表では、18世紀にはオリエントの女性たちの穿くゆったりしたズボンをポンパドゥール夫人など上流階級の女性たちが自宅でくつろぐ時に穿いていたが、19世紀にオリエンタリズムが流行すると、オリエントの女性たちはその「官能性」によってヨーロッパ人男性の欲望の対象となったこと、しかし、フランスの作家の旅行記でも女性のルイーズ・コレの場合、二人のダンサー(母と娘)の結びつきの深さに注目していることに、男性作家との視点の違いがあることを指摘しました。最後に新實氏の発表では、男の子が成長していく過程で、母親の庇護の下にある幼児の頃はスカートをはいていたのが、7歳頃になって父親を模範とする「男」になっていく時、スカートからズボン(キュロット)にとって代わられること、言い換えれば、ズボンを穿くことが「男」になるための通過儀礼であることを、19世紀当時の育児書や子ども向けの本を通して明らかにしました。
第三部では、村田がまず、「開いた服」と「閉じた服」の対立は特にフランスにおいて大きなものだが、渡辺氏の発表にあったように、オリエントではズボンを穿く女性は男の権利の簒奪者とはみなされていないこと、日本でも明治時代までは男も女も着物(「開いた服」)を着ていて、「開いた服」「閉じた服」の対立がフランスほどないこと、について質問をしました。バール先生の答えはやはり、地域によって考え方が違う、というものでした。会場からも様々な質問が出て、1時間の質疑応答もあっという間に過ぎてしまいました。服装、モードについていろいろ考える機会を持ち、非常に有意義な一日でした。

シンポジウム報告(女性情報ファイル137号)
開催日: | 2022年12月14日(水)より |
場所 | 大阪中央公会堂 B1 第4会議室 |
コーディネーター | 梅村智恵子、武市福之、南千恵子 |
日時:2022年12月14日/21日、2023年1月11日/25日、2月8日/15日、3月1日/8日、4月12日/26日
毎回水曜日、10時20分~11時50分(10回、会費7000円)
《報告》12月14日に第二期目のフランス文化講座が始まりました。11月は暖かい日々が続きましたが、このところ急に寒くなり、今冬一番の寒さとなりました。ただ、中之島公会堂の辺りは、本日から光の祭典「OSAKA光のルネサンス」が始まるそうで、夜には3年ぶりに公会堂でプロジェクションマッピングが投影されるとのこと。川沿いには暖かい食べ物や飲み物(vin chaudもあるようです!)を出す屋台が出ていました(昼間はまだ、準備中)。フランスのクリスマス時期には、クレッシュ(キリスト生誕の場面を表す人形などが飾られている)がショーウィンドーを飾り(機械仕掛けで動くのもあって、子どもたちは釘付けになります)、ストラスブールなどの町では路地にずらっと店が立ち並び、クリスマスの雰囲気を盛り上げています。日本もそれに近くなってきたようです。ただ、寒いので老若男女が集まるというよりも、主に若者たちが集まってくるのではないかと思います。講座の方は、第一期でやり残した『ゴリオ爺さん』の続きで、今回は男の名誉と関わりのある「決闘」について少しお話しました。次回も『ゴリオ爺さん』にかかりそうですが、年明けからは『あら皮』に入りたいと思っています。聴講生の方々はいつものように熱心に参加して下さり、話をする者にとって励みとなっています。
2月15日:朝晩の冷え込みが厳しく、日中も小雪の舞う極寒の中、大勢の方々に集まって頂きました。1月25日は雪が積もり、道路が凍結して危険な状態でしたので、不本意ながら講座は休ませて頂きました。今

3月8日:今日は日中は20度近くまで気温が上がるという、ポカポカ陽気の一日で、春の訪れを感じさせるものでした。講座も残すところ2回となりましたが、『あら皮』の最後まではどうも辿り着きそうにはありません。今回は、主人公が骨董屋で「あら皮」との「悪魔の契約」をする場面に焦点を当て、骨董屋の主人の言う「望む (Vouloir)」「できる (Pouvoir)」「知る (Savoir)」の意味を考えてみました。19世紀に生きる懐疑的な青年にとって、もはや「あの世の生」など存在せず、「悪魔との契約」も従来の「あの世の生(永遠の魂の救済)」と引き換えに、「この世での富、出世、知識」を得るという条件では

4月26日:第二期の文化講座も今日が最終回となりました。先週までの陽気とは打って変わって、肌寒い日が続いており、大雨にも拘わらず、大勢の方々にご参加頂きました。『あら皮』は完読できず、「つれなき美女」、フェドラ伯爵夫人が登場する前で終わってしまい、秋にその続きをすることになりました。今回は、バルザックの「芸術家論」を紹介しました。何か新しいものを生み出す者すべてをバルザックは「芸術家」と呼び、画家や彫刻家、音楽家、詩人、作家の他にもグーテンベルクやコロンブスも「芸術家」の範疇に入れています。「芸術家」はお金に無頓着で、「怠け者」とみなされているが、ぼーっとしている時が一番、活発な創造行為を行っている、というのは頷けるのですが、「芸術家」の理想の伴侶は「世界を我が物としながら、一文無しのこれら無分別な者たちの世話に身を捧げる献身的な女性」というのは、男の側の身勝手な願いのように思います。5月からは大阪公立大学の公開講座でまた、聴講生の皆さんとお目にかかるのを楽しみしています。
開催日: | 2022年11月19日(土)14時~17時30分 |
場所 | 信州大学人文学部第4講義室 |
コーディネーター | 吉田正明 信州大学教授 |
1)14:10~15:00(司会 鈴木球子 信州大学講師)
高岡優希(大阪大学非常勤講師):「ポール・エコールPaul École — 現代シャンソンの新しき語り部」
2)15:10~16:00(司会 青柳りさ 金沢美術工芸大学教授)
村田京子(大阪府立大学名誉教授):「19世紀フランスの歌姫ポリーヌ・ヴィアルド」
3)16:10~17:00(司会 吉田正明 信州大学教授)
本間千尋(東京藝術大学教育研究助手):「シャンソンにおける疫病と噂-1832年パリの場合-」
《報告》木々も紅葉し、晩秋の信州大学に行ってきました。朝晩、かなり冷え込むと聞いて服を着こんで行きましたが、思ったほどは寒くなくほっとしました(ただ、夜は冷え込んで手が少しかじかむほど)。まず、恒例の高岡氏の発表では、フランスの人気歌手カロジェロやクリストフ・マエ、パトリック・ブリュエルの歌詞を提供している作詞家ポール・エコールの紹介がありました。エコールは、カロジェロの「花火」の歌詞の作者ですが、カロジェロが2016年7月14日にニースで起きた同時多発テロを追悼する式典でこの歌を歌い、非常に評判になります。それによって、作詞家のエコールの名も一挙に広がったそうです。「月の明かりに (Au clair de la lune)」という曲は、多くの子どもの歌や童話が下敷きになっていて、その出典探しをするのが楽しく、歌詞の中にはcarabineで「カラビン銃」と妖精の名前がかけられ、次の句のcanonも「大砲」と音楽の「カノン」の二重の意味があるなど、言葉遊びが非常に面白い曲です。また、クリストフ・マエとの共作では、歌のタイトルLes gens(人々)の発音(ジュ)という音が歌詞のあちこちに繰り返し用いられていました(とうてい日本語には訳しきれないところです)。高岡氏の発表は、いつも現代の新しいシャンソンを紹介してくれ、そうした曲を聞くのをいつも楽しみにしています。
次に村田が19世紀のヨーロッパで一世を風靡したオペラ歌手ポリーヌ・ヴィアルドの生涯を辿りました。ポリーヌは両親ともオペラ歌手という音楽一家に生まれ、特に13歳年上の姉マリアが彼女の運命に大きな影響を与えます。マリア(ラ・マリブラン)はメゾソプラノ歌手として、その美貌と才能で「ロマン派のディーヴァ」と謳われた女性ですが、28歳の若さで亡くなったため、妹のポリーヌが「第二のラ・マリブラン」になるべくオペラ歌手にデビューします。彼女の歌や演技は聴衆から絶賛されますが、共和主義者のルイ・ヴィアルドと結婚したため、政治的理由で彼女は新聞・雑誌の劇評で酷評を浴びるようになります。パリの劇場で契約が取れなかったため、ヨーロッパ巡業を余儀なくされますが、それが彼女の名声を高めることになりました。彼女の代表作はマイヤベーアの《預言者》のフィデス役、グルックの《オルフェ》(ベルリオーズ編曲)のオルフェ役で、両作品とも100回以上のロングランとなっています。二月革命、普仏戦争と激動の時代を生き抜き、ピアニストのリスト、ショパン、クララ・シューマン、画家のドラクロワ、作家のジョルジュ・サンド、ツルゲーネフなど芸術家たち、さらに各国の国王、皇帝とも親しく、幅広い交流関係がありました。参加者からも、ポリーヌと交流のある人物の名はよく知っていているのに、ポリーヌの存在は知らなかったという感想をもらいました。彼女の名が日本でも知られることを願っています。
最後に本間氏の発表では、1832年にパリで流行したコレラに関するシャンソンの紹介がありました。こうした伝染病や地震などの災害が起こると、決まって毒物を誰かが井戸に入れた、といった噂が流れますが、1832年も同様だったようです。コレラを歌った諷刺的なシャンソンは、大衆相手の地下酒場(カヴォー)で歌われ、メロディは当時の流行歌に乗せて歌われた、とのこと。したがって、暗い歌詞なのに、メロディは長調の明るい曲、ということがありました。有名な大衆歌人ベランジェにもコレラに関する歌詞があるそうです。コロナ禍が完全に収束していない現在においても、コロナソングがフランスで流布しているだけに、疫病とシャンソンには深い関係があることに気づかされました。
【研究会会報:発表レジュメ】
11月という学期中の忙しい時期でしたが、交通の不便な信州大学での会に、約30名の方が参加され、質疑応答も活発に行われて、盛会のうちに終わりました。夕食は松本駅近くのレストランで、地中海料理にワイン(今年初めてのボージョレ・ヌーヴォーをアペリティフとして飲みました。他のワインも飲み口が良く、非常においしく頂きました)で舌鼓を打ちました。
開催日: | 2022年10月23日(日)13時~15時 |
場所 | 大阪大学箕面キャンパス |
コーディネーター | 梅澤礼 富山大学准教授 |
Le féminicide ou le fémicide est un terme qui désigne, depuis qu'il est inventé en 1974, l'homicide d'une femme. D'après l'OMS, celui qui est commis par un époux ou un petit ami —le féminicide intime— représente 35% du total, et ce, sans compter le meurtre dit d'honneur. Dans le féminicide non intime, sont inclus celui qui s'accompagne d'une agression sexuelle, ainsi que le terrorisme prenant des femmes pour cibles. Ainsi, certains inscrivent le féminicide dans un continuum de violence non seulement physique, psychologique mais sociale faites aux femmes.
En France, de 2009 à 2019, 128 femmes en moyenne ont été tuées par an : y compris Laëtitia, dont le meurtre a fait l'objet d'une enquête menée par l'historien Ivan Jablonka. Cependant, si le terme est nouveau, l'acte ne l'est pas. Murata examinera la littérature romantique (Balzac et Sand) ainsi que la littérature naturaliste (Zola) pour cerner le thème du féminicide dans la littérature française du XIXe siècle. À la fin de siècle, lorsqu'une dame a été tuée par un ami de la famille, les uns ont parlé d'assassinat tandis que les autres, de double suicide ; Renneville montrera comment cette affaire Chambige a inspiré Le Disciple (1889) de Paul Bourget et cinq autres romans. Le féminicide était en effet l'un des sujets favoris de la presse et de la littérature populaire de l'époque. Mano révélera, à travers une analyse des pièces du Grand-Guignol, la complicité latente entre le personnage meurtrier et les spectateurs. Au bout d'un siècle, certains en sont arrivés à considérer le meurtre d'une femme comme la manifestation de la masculinité de l'auteur ; Umezawa présentera une théorie psychiatrique du début du XXe siècle remarquant les causes individuelle et sociale du crime passionnel, appellation obsolète du féminicide.
Face à cette question profondément enracinée dans notre monde, ce « workshop » se veut une occasion de réunir des chercheurs japonais et français, en littérature et en histoire. Ceci dit, les panélistes étant tous dix-neuviémistes, ils souhaitent la participation des spécialistes de toutes les époques, de l'Antiquité au XXIe siècle.
《報告》学会2日目のワークショップは、千里中央駅からバスで10分の箕面キャンパスで行われました。箕面キャンパスは昨年に新設されたそうで、1日目の豊中キャンパスが広い池と緑に囲まれた昭和のキャンパスとすれば、箕面キャンパスは21世紀のキャンパスというイメージでした。レンヌヴィル先生は残念ながら、日本には来られず、早朝のフランスからオンラインでの参加となりました。ワークショップが始まる前にオンラインがなかなかうまくつながらず、阪大のスタッフの先生方にはお世話になりましたが、本番はちゃんとつながり、一同ほっといたしました。
まず、村田がバルザック、ジョルジュ・サンド、ゾラの作品を通してフェミサイドのテーマを探りました。『金色の眼の娘』と『ランジェ公爵夫人』には、バルザックのオリエントの夢が反映され、主人公はオリエントの暴君の絶対的な力を持ち、女性の裏切りを罰するために、暴力を振るい、その命までも自由にすることができました。女性の方も男の力を称賛し、男の暴力を喜んで受け入れるとみなされていま



最後に梅澤氏が L’affaire Chambige et « le crime passionnel » というタイトルで、シャンビージュ事件で彼を擁護した人たちが、グリーユ夫人をバルザックの『30女』の「罪ある母親」に喩えて批判していることを取り上げ、「罪ある母親(不倫をした母親)」は罪を償うために死ぬしかないが、男は死ぬ必要がなく、むしろ「理想の愛」を求めた人間として評価される、というジェンダー不平等が起こっていると指摘されました。そして、メリメの『カルメン』に代表されるような「激情犯罪 (crime passionnel)」において、愛するがゆえに男が女を殺すことが英雄視されることへの問題提起を行いました。それは「男らしさ」の概念を深く関わり、犠牲者の女性が蔑ろにされていることを意味していると思います。
2時間のワークショップで、質疑応答の時間がほとんどなくなったのが残念でしたが、現代社会が抱える「フェミサイド」という深刻な問題を考える上で、有意義なワークショップであったと自負しています。
今回の発表原稿は、フランス語版・日本語版の両方で 2023年3月8日にCriminocorpsで公開されました。次のサイトを御覧ください。(https://journals.openedition.org/criminocorpus/12269)
ワークショップのレジュメは、日本フランス語フランス文学会cahier 31 (2023年3月、pp.15-19)に掲載しています。
開催日: | 2022年8月27日(土) |
場所 | オンライン(ZOOM) 開催 |
コーディネーター | 松村博史 近畿大学教授 |
日時:2022年8月27日(土)15時~17時
村田京子:「スタール夫人はなぜ、ナポレオンの怒りを買ったのか」
柏木隆雄:「バルザックにおけるフランス革命」
《報告》今回は、バルザック研究会のメンバーの他にも昨年、日仏会館で開催されたシンポジウム「文学作品に現れたフランス革命」のオーガナイザー、および本の編著者の三浦信孝氏、シンポジウムの参加者でシャトーブリアンの専門家小野潮氏も参加して下さいました。まず、村田が前回の発表に基づき、それを補足する形でお話しました。補足した箇所の一つが、「市場の女性たちのヴェルサイユ行進」についてのスタール夫人の見解です。民衆を「猥褻」「不潔」とみなすシャトーブリアンに対して、スタール夫人は民衆を「下層民」と否定的に見ているものの、それほど嫌悪感は感じておらず、ヴェサイユ宮殿のバルコニーに姿を現したマリー=アントワネットを見て、猛り立った民衆が一転して歓呼の声を上げるさまを描いています。スタール夫人の視点は、国王側からの視点、ヴェルサイユ宮殿の内部からの視線で、それはシャンタル・トマの『王妃に別れを告げて』


次に、柏木氏がフランス革命の歴史的流れ、およびフランス革命を扱ったバルザックとほぼ同世代の作家たちの作品について簡単な説明の後、バルザックの『暗黒事件』について丁寧な物語の説明がありました。執政政府時代の王党派の政府転覆計画を阻止しようとする政府側との闘い、陰謀と策略に満ちた事件を扱ったこの小説において、主要な登場人物のミシュ、マラン、コランタンの背後には歴史的人物(ダントン、タレーラン、フーシェ、ナポレオン、ルイ18世など)が潜んでいるという指摘は大変、興味深いものでした。個人的には、この小説の中で、紅一点として登場するロランスが非常に気になりました。彼女はアマゾン(乗馬服)姿で登場し、シムーズ兄弟など王党派の青年たち以上に活気と気概に溢れて困難に立ち向かう「男らしい」女性として登場します。『ふくろう党』で同じくフーシェの密偵コランタンに立ち向かうのがヴェルヌイユ嬢で、彼女もエネルギッシュな女性として登場してきます。革命期に現れたこうしたアクティヴな女性は、その後の『人間喜劇』の作品には登場してきません。こうした女性は、良妻賢母を貴ぶブルジョワ社会においては生きづらいのかもわかりません。バルザック研究者の伊藤氏から作品タイトル(Une ténébreuse affaire)について質問がありました。確かに「暗黒事件」は少しわかりにくく、松本清張のように「黒い霧事件」にしようかと柏木氏も迷われたそうですが、なかなか既成のタイトルを変更するのは難しそうです。
参加者は26名にのぼり、発表の後の質疑応答も盛んで、予定時間を大幅にオーバーして6時過ぎまでいろいろ意見交換することができました。三浦氏からは、スタール夫人の作品巡り(イタリアでのヴァティカン宮殿やウフィツィ美術館など)をしましたか、と尋ねられました。イタリアには昔行ったことがありますが、『コリンヌ』を片手に美術館巡りはしなかったので、コロナ感染が収束したら、スタール夫人巡り(スイスのコペの館も含めて)をしたいものです。
開催日: | 2022年6月8日(水)より |
場所 | 大阪中央公会堂 B1 第4会議室 |
コーディネーター | 梅村智恵子、武市福之、南千恵子 |
日時:6月8日、22日/7月13日、27日/9月21日、28日/10月12日、19日/11月9日、23日
毎回水曜日 10時30分~12時(10回:会費7000円)
定員は30名の部屋で、すでに満員となっています。久しぶりになつかしいお顔を拝見できるのを楽しみにしています。毎回ではありませんが、時々、会の報告も行っていきたいと思っています。
《報告》6月8日:さわやかな6月の風が吹く(日中はだいぶ暑い!)時期に講座の初回を迎えました。10時過ぎにはすでに聴講生の方々がぎっしり机に座って待機しておられ、いつもながら皆さまの熱気と熱心さに感銘を受けました。3年ぶりにお目にかかる方も大勢いて、2年のコロナ禍を元気に乗り越えたことに感謝。第1回目ということで、まずはバルザックおよび彼の作品体系『人間喜劇』について簡単な説明をしました。バルザックが死ぬ直前に結婚するハンスカ夫人は、ウクライナの人なので彼女の屋敷がある町の名前も紹介しました。19世紀のウクライナの大貴族は結婚をするのもロシア皇帝の許可が必要で、バルザックも許可を得るために奔走しました(結婚の手続きのために無理をしたのが彼の病状悪化の原因だと思います)。ウクライナは現在だけではなく、過去も様々な侵略を受けてきた国だということを改めて認識しました。『ゴリオ爺さん』はじっくり読み込むと、様々な意味が浮かび上がってくる作品なので、丁寧に読んでいこうと思っています。あっという間に時間がきて、その後、公会堂のレストランで皆さんとお昼を食べながら懇談しました。やはり、PCの画面越しではなく、直接会って話ができる方が楽しいと実感した一日でした。
11月23日:第1期「フランス文化を学ぶ会」も、最終日となりました。本来は『ゴリオ爺さん』を10回で読みきる予定でしたが、特にヴォ―トランが主人公ラスティニャックを誘惑する場面を詳細に分析したりで時間を取り、第二期に少しずれ込むことになりました。この場面は、ゴシック小説や幻想小説に出てくる「悪魔との契約」と関わりがあり、「神に代わって人の魂を自分の思いのままに操る」行為に「悪魔性」が見出せます。その一方で、数年前に日本でも大きな話題となった経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本』にこの場面が大きく取り上げられており、経済学の面でもバルザックの小説が大きな意味を持つことが立証されています。ヴォ―トランが挙げる数字は経済学的にも正しく、19世紀フランスにおいて、労働資本(働いて得る賃金)の上位1%のエリート層が稼ぐ額は、最低賃金の労働者の10倍であるのに対し、相続資本を持つ上位1%は、労働者の25~30倍で、必死に働いてお金を稼ぐよりも、親などから相続財産を受け継ぐ方が恵まれた生活を送れる時代でありました。20世紀の第一次世界大戦以降は、労働資本が相続資本より上回りますが、21世紀になって少しずつ相続資本が労働資本を上回り始め、いわゆる「親ガチャ」の時代になりそうなのが、少し怖いところです。こういった話をしていると、つい時間オーバーになり、ゴリオの死の場面まで辿りつけませんでした。
聴講生の皆さんは最後まで熱心に聞いて下さいました。講座の後のランチも、皆さんとご一緒し、楽しいひと時を過ごすことができました。
2021年度
開催日: | 2022年3月26日(土)15時~17時 |
場所 | 近畿大学東大阪キャンパス EキャンパスA館4階 402 |
コーディネーター | 松村博史 近畿大学教授 |
村田京子:『人間喜劇』における「モードの女王」――モーフリニューズ公爵夫人(カディニャン公妃)
山崎恭宏:音楽小説『ガンバラ』と『マッシミラ・ドーニ』における「詩人」
《報告》研究会当日は、春の雨に見舞われましたが、近畿大学に来られた方が10名、オンラインで参加された方が20名以上で、総勢30名以上の参加者となりました。多少のトラブル(パワーポイントファイルがオンライン画面に映っていなかったようで、指摘されるまで気がつきませんでした)がありましたが、トラブルも解消して、無事に発表を終えることができました。
村田がまず、『骨董室』『カディニャン公妃の秘密』に登場するモーフリニューズ公爵夫人が「モードの女王」としてエレガンスの奥義を窮め、服装の記号を駆使して自分のなりたい女性に変貌するさまを見ていきました。「白いドレス」を纏った夫人は、「天使」のような清らかさを見せますが、同時に官能性も


次の山崎氏は、タイトルを少し変えて「バルザックにおける幻想の空間―『阿片吸飲者の告白』から『娼婦の栄光と悲惨へ』」というタイトルで、トマス・ド・クィンシーの『阿片吸飲者の告白』の影響を受け

研究会は予定の時間を越えて17時30分過ぎまで続き、活発な質疑応答がなされました。いつもオンラインで画面越しにしか話ができなかったのが、一部の方々とは久しぶりに直接再会できて、楽しい時を過ごすことができました。やはり、対面の方が楽しさも増大するようです。
開催日: | 2021年9月25日(土)13時~18時 |
場所 | オンライン会議 |
コーディネーター | 三浦信孝 中央大学名誉教授 |
« Balzac en collaboration »
開催日: | 2021年6月9日(水)~10日(木) |
場所 | オンライン会議 |
コーディネーター | Jacques-David Ebguy (Université de Paris), Bernard Gendrel (Université Paris-Est Créteil) et Takayuki Kamada (Université de Shinshu) |

《報告》6月9日、10日と2日間にわたるシンポジウムは、約40名の参加者のもと、無事に終わりました。第一セッションはフランス時間10時30分に始まりましたが、時差の関係で日本では17時半、さらにアメリカでは夜中の3時半というとんでもない時間の開始となりました。村田は1番手の発表でしたが、皆さん熱心に聞いて下さり、「説得力のある発表」と評価してもらいました。第一セッション(3人が発表)はテクストとイメージのコラボレーションということで絵画やリトグラフ、カリカチュアなどさまざまな図版を使っての発表でした。第一セッションの後のポーズはフランスでは昼食タイム、日本では夕食タイムで、13時30分(日本時間20時30分)から第二、第三セッション(それぞれ2人ずつ発表)ではバルザックを含め作家たちのコラボレーションによる小説集の刊行についての発表や、ロマン主義とバルザックとの関わり、さらに新聞書評における作家間のコラボレーションについての発表などが日本時間で深夜12時頃まで行われました。翌日も同じ時間帯で行われ、第一セッションでは演劇との関わり、さらにバルザックの小説に載っている楽譜やバルザックと作曲家との関係についての発表がありました。音楽に関しては楽譜を実際に演奏した曲など音楽を流してくれ、当時の雰囲気が味わえて楽しいひと時でした。後半のセッションではバルザックの未完作の続きを書いた作家や、一部の原稿が焼失したために穴埋めをした二人の協力者について、および彼らのテクストの検証が行われました。さらに、ドストエフスキーがバルザックの小説をロシア語訳したテクストの検証など、様々な観点からの発表がありました。どの発表も示唆に富み、活発な質疑応答がなされ、有意義なシンポジウムとなりました。オンライン会議のため、食事会など懇親の場がなく、夜中までの会議はかなり疲れましたが、逆に通常では簡単に集まれない方々が気楽に参加して下さり、その意味でも国際的な会議になったと思います(シンポジウムでの発表原稿は、L’Année balzacienne 2022に掲載予定)。
「19世紀フランス文学とジェンダー」
開催日: | 2021年5月29日(土)15時30分~17時 |
場所 | オンライン会議 |
コーディネーター | 京都大学フランス語学・フランス文学教室 |
《報告》オンラインでの講演、音声や画像の混乱もなく無事終えることができました。60名にのぼる方々に参加して頂き、本当に感謝しています。講演の後の質疑応答においても、いろいろ質問を頂き、楽しいひと時でした(質問にきちんと答えられたかは少し怪しいですが)。1時間の枠でこれまでの研究の内容をご紹介するのは、かなり大変で、駆け足でお話をしたため、参加して頂いた方には未消化の部分も多々あったと思います。ただ、その後で多くの方からメールを頂き、「図版を沢山使っての説明はわかりやすかった」というご感想や、府大の元聴講生の方々からは「先生の授業を思い出し、なつかしかった」といった言葉を頂きました。PC画面に自分の顔が大写しになるのにはどうも居心地が悪く、パワーポイントファイルを終始一貫して使うことで、小さな画面での顔出しに留めました。今回の講演はZoomウエビナーで、参加者のお顔は出ない形でしたので、皆様のお顔を久しぶりに拝見できず、残念でした。コロナ感染が収束して、直接お会いできる日が早く来ることを願っています。
2020年度
「フランス文学とジェンダー」
開催日: | 2020年7月31日(金)14時~16時 |
場所 | 大阪府立大学 I-siteなんば2階C2・C3教室 |
コーディネーター | 内藤葉子女性学研究センター主任 |

3月に大学を退職したしましたが、4か月遅れとなりますが、下記の通り、記念講演会を開催の予定です(ポスターは3月の折に作成したものです)。40年以上フランス文学(主に19世紀文学)の研究に携わってきました。その研究について、そしてなぜ「ジェンダーの視点」で文学を読み解いていこうと思ったのかをこれまでの研究を振り返りながらお話していきたいと思います。
「フランス文学とジェンダー」 村田京子
日時:2020年7月31日(金)14時~16時
場所:大阪府立大学 I-siteなんば C2・C3教室
完全予約制 30名(先着順)
申し込み先:女性学研究センター:https://www.human.osakafu-u.ac.jp/w-center/profmurata20200731/ または FAX: 072-254-9947(Faxの場合は、退職記念講演申込書(FAX)にご記入の上、お送りください)
定員約160名の会場ですが、三密を避けるために30名に限定させて頂きました。また、コロナ対策として、大学の要請により、皆様にはマスク着用、入り口での検温等をお願いすることになりました。いろいろご迷惑をおかけいたしますが、久しぶりに皆様にお会いできれば幸いです。
《報告》上記に予定していた講演ですが、大阪におけるコロナ感染者の拡大のため、残念ながら中止となりました。また別の機会に皆様とお会いできれば幸いです。
2019年度
「男性作家は女性をどのように描いたのか?」
開催日: | 2019年12月21日(土)13時30分~16時30分 |
場所 | 大阪府立大学 I-siteなんば 2階C2-C3 |
コーディネーター | 村田京子 |
日時: 2019年12月21日(土)午後1時30分~4時30分
場所: 大阪府立大学 I-siteなんば 2階 C2-C3
1時30分~2時30分: 村田京子 「ゴンクール兄弟『マネット・サロモン』における画家とモデルの関係」
2時45分~3時45分: 小倉孝誠(慶應義塾大学教授) 「若い女性たちの表象と現実」
4時~4時30分: 講演者との質疑応答
《報告》暮も押し迫った12月末での開催でしたが、大勢の方々に参加して頂きました。今回は、「男性作家は女性をどのように描いたのか」というテーマのもと、慶応義塾大学の小倉孝誠先生をお招きし、19世紀から20世紀にかけてのフランス文学における女性の表象を探りました。まず、村田が19世紀後半の自然主義作家ゴンクール兄弟の芸術小説『マネット・サロモン』(1867) を中心に、バルザックの『知られざる傑作』(1831) とゾラの『制作』(1886) とも比較しながら、男性


講演の後の討論の場でも、活発な質疑応答がなされ、盛会のうちに終わりました(参加者70名)

開催日: | 2019年11月1日(金) |
場所 | 大阪府立大学なかもずキャンパス A15棟2階中会議室 |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時 : 櫻井俊郎 「余治の保嬰会―清末上海における嬰児保護の試み―」
3時10分~4時10分 : 大形徹 「卑弥呼の鏡」
4時20分~5時 : 自由討論


お二人のお話の後、質疑応答が時間をオーバーするほど活発に行われ、盛会のうちに終わりました(参加者50名)。
Mondes et sociabilité du spectacle autour de George Sand
開催日: | 2019年6月24日~27日 |
場所 | Université de Berne, Université de Lausanne |
コーディネーター | Corinne Fournier Kiss (Université de Berne), Valentina Ponzetto (Université de Lausanne) |
《報告》6月最終週のスイスは連日36度を越える猛暑で、外は強烈な日射しで




2018年度
「文学、演劇、ジェンダー」
開催日: | 2018年2月2日(土)14時~17時 |
場所 | 大阪府立大学 I-siteなんば |
コーディネーター | 村田京子 |
日時:2019年2月2日(土)午後2時~5時
場所:大阪府立大学 I-siteなんば 2階 C2・C3
2時~3時:村田京子 「マリー・ドルヴァルとジョルジュ・サンド―サンドにおける理想の女優像―」
3時15分~3時15分:白田由樹(大阪市立大学准教授) 「サラ・ベルナールの挑戦―偉大な芸術家としての女優―」
4時30分~5時: 講演者との質疑応答



開催日: | 2019年1月26日(土)13時~18時 |
場所 | 京都外国語大学1号館7階171教室(小ホール) |
コーディネーター | リアリズム研究会・「フランス写実主義小説の成立に関する実証的研究」(科学研究費基盤C代表:田口紀子)共催 |
1.村田京子(大阪府立大学):「ジョルジュ・サンドの田園小説における「田舎」の表象―農民像を中心に」
2.奥山裕介(大阪大学):「世界を迎え、世界を見送る―ヘルマン・バング『路傍にて』における「駅の町」の近代」
3.浜本隆三(甲南大学):「幻想の西部―フロンティアとマーク・トウェインの田舎表象」
コメンテーター:磯崎康太郎(福井大学)、田口紀子(京都大学)

次に、デンマーク文学研究の奥山さんがヘルマン・バングという19世紀後半の作家の作品『路傍にて』を取り上げました。その前にまず、デンマークという国自体が地理的にもヨーロッパの「周縁」、「ヨーロッパの田舎」であったこと、それが産業化によって首都が急速に近代化し、首都と農村の格差が広がっていったこと、などデンマークの知られざる歴史の経過を説明されました。こうした歴史的背景のもと、都市と農村の中間に位置する「駅の町」(鉄道ができて駅周辺に鉄道工夫や職人が集住して共同体を形成)が生まれ、『路傍にて』はまさに、「駅の町」を舞台にした物語となっています。駅長とその妻カティンカ、農場管理者フース(カティンカと恋仲になる)の三人が主な登場人物で、近代的な「加速と発展」を体現する駅長、それに対してカティンカは「静止、滞留、自閉」を象徴しています。近代化によってコミュニケーションの断絶が起こりますが、カティンカの死後、彼女が残したものを通じて人々が共同性を取り戻す構造になっているとのことです。「動物」「花」が象徴的な役割をしているのが印象に残りました。
最後に浜本さんがアメリカ文学における田舎の表象をマーク・トウェインの作品を通じて分析されました。アメリカの場合、東部=都市、西部=田舎の図式となり、西部はフロンティアとして多くの移民を惹きつけてきました。ヨーロッパ文化に憧憬の念を持つメルヴィルやエマーソン、ソローなどアメリカン・ロマン主義とは違い、トウェインはヨーロッパ文化をありのままに、むしろ皮肉な視線で見ており、そこに彼のリアリズムが見出せます。農民の牧歌的神話の否定、自営農民の堕落が描かれており、さらにフィッツジェラルドの『ギャッツビー』では、ギャッツビー、彼の憧れの女性デイジー、語り手のトムも「西部人」であり、「東部」の生活には適合できない人間であったことを明らかにされました。方言に関しては、『ハックルベリーの冒険』でハックと黒人奴隷のジムがミシシッピ川を筏で下っていきますが、通り過ぎる場所ごとに違う方言が使われ、地方色が現れているというのが興味深かったです。
三人の発表の後、コメンテーターのお二人のコメントがあり、さらに会場からの意見、質問が相次ぎました。特に「田舎」が何を意味するのか、何と対立しているのか、はフランス、デンマーク、アメリカでは全く違い、一言では言えない問題だと改めて認識しました。もう一つは「語り手」の問題が議論され、「他者」としての「農民」の言葉をどのような形で表現するのか、または表現しえるのか、という問題がクローズアップされました。ディスカッションも2時間に及ぶ白熱したもので、有意義な一日を過ごすことができました。
報告書: 会報0号2019.2(リアリスム文学研究会)
開催日: | 2018年11月23日(金)15時~17時 |
場所 | 放送大学奈良学習センターZ308講義室 |
コーディネーター | 奈良日仏協会、放送大学奈良学習センター |

19世紀フランスの作家バルザック(1799-1850) は、「近代小説の祖」と呼ばれ、彼の小説大系『人間喜劇』(約90篇)には、フランス社会のあらゆる階級・職業・年齢の2500人以上の人物が登場しています。バルザック自身、自らを「歴史の秘書」とみなしているように、彼は、登場人物の服装や住居などを現実に即して詳細に描いています。とりわけ、彼は服装を職業・生活・習慣・性格を表す記号とみなし、『人間喜劇』において「服装の記号学」を打ち立てています。

物語でもあります。したがって、革命の歴史も絡めながら、本作品を読み解いていきたいと思います。
1.服装を通して見る男たちの戦い:共和軍司令官ユロと、共和軍を迎え撃つ農民たち、およびその指揮官モントーランの服装に焦点を当て、彼らの服装によって象徴される政治思想、さらに人物の性格を探っていきます。

このように、本講演では、様々なモード図版や絵画などを用いながら、「視覚的に」フランス文学を読み解いていきたいと思っています。


講演会報告:Mon Nara 12月号p.1
開催日: | 2018年10月31日(水) |
場所 | 大阪府立大学なかもずキャンパスA15棟2階中会議室 |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時: 青木賜鶴子 「『とりかへばや物語』の女君と男君」
3時10分~4時10分: 大平桂一 「柳如是と錢謙益―明末清初の愛の形―」
4時20分~5時: 自由討論


お二人のお話の後、様々な質問、意見が活発に出て時間をオーバーするほどで、大盛況のうちに終わりました(参加者45名)。
開催日: | 2018年6月3日(日)10時~12時 |
場所 | 獨協大学 |
コーディネーター | 小倉孝誠 慶応義塾大学教授 |
18世紀から19世紀にかけては、科学的啓蒙や文学の領域で多くの女性が活躍し、同時代的には多くの読者を得ていた。しかし例外を除いて、その後それら女性作家の多くは科学史や文学史から排除されてきた。近代は知と文学の言説を戦略的に「男性化」してきたと言えるかもしれない。知の生産や創作が展開する「文学場」は、ジェンダー的な力学と無縁ではないのだ。本ワークショップでは、18世紀の女性科学啓蒙家と19世紀の女性作家を対象にして、同時代の男性作家と比較しながら、広義の「文学場」とジェンダーの関係を問い直す。
川島は「女が書くこと、公表すること、名前を出すこと」に着目する。女性作家を扱う場合、この三要素は分けて考えなければならない。ここでは18世紀の科学啓蒙家エミリー・デュ・シャトレを取り上げ、彼女が科学の本を書き、出版し、そこに自らの名を冠するに至った経緯を、ジェンダーの視点から分析する。
村田は「捨てられた女」のテーマを取り上げる。このテーマはオウィディウスのサッフォー像に遡り、バルザックが同名の小説を出版するほどの文学的クリシェとなっている。男性作家が創造した「捨てられた女」のテーマを女性作家がどのように扱ったのか、スタール夫人やサンドの作品をバルザックの小説とも比較しながら検証する。
東はソフィー・ゲーを取り上げる。『アナトール』(1815)で知られる彼女の小説の魅力は細やかな観察にあるが、それだけでは長いキャリアを築くことはできなかった。女性作家が特別視されていた文学場において、ゲーはどんな戦略を取ったのか。ジャンル選択や男女の描き方に注目し、バルザックら男性作家と対比して検討する。
《報告》真夏を思わせる暑い一日となった6月3日、都心から少し離れた(上野駅から電車で40分余り)獨協大学でのワークショップ、10時からと早い時間だったにも関わらず、大勢の人が参加してくれました(約60名)。会場も新しい建物で教室の設備も良く(PCが教卓に備え付けられていてUSBメモリーのみ持参でスクリーンに映し出すことができるという、優れもの)、明るい快適な部屋でした。まず、小倉先生のワークショップの趣旨説明と発表者の紹介の後、川島先生が18世紀のサロンの女主人として有名なエミリー・デュ・シャトレ夫人について話をされました。女が本を書くということ、しかも自分の名前を出すことがいかに難しかったか、ヴォルテールとの関わり(最初はヴォルテールの名前で夫人自らの考えを世に出した)を通して明らかにされました。やはり、サロンの女主人として男の科学者や文学者とエスプリに富んだ会話を楽しむのは良くても、女性自らが専門的な科学知識を発揮して本にするのは、「女らしさ」の範疇から外れていたわけです。次に東先生が、19世紀の女性作家ソフィー・ゲーを取り上げ、作品分析をされました。ゲーが女性作家のジャンルとされる書簡体小説や感傷小説を書いている限りは、サント=ブーヴなど批評家たちから称賛されるが、男の領域とされる歴史小説のジャンルに入り込むと批判の対象となる、というのが特に興味深かったです。ソフィ・ゲーは新聞王エミール・ド・ジラルダンの妻「デルフィーヌ・ド・ジラルダンの母」としてのみ有名で、その作品は100年間再版されていないように、長らく忘れられてきました。しかし、もう一度読み直す必要があると実感しました。最後に村田が、「捨てられた女」のテーマを古代ギリシアのサッフォー像(オウィディウスの『名婦の書簡』によっ定着したイメージ:男に捨てられ、その詩的才能も失って崖から投身自殺をする)に遡り、それは男性が思い描く女性像に過ぎず、男性作家のファンタスムの産物であることを明らかにしました。その上でバルザックの作品(『ヴァン=クロール』『捨てられた女』『ウジェニー・グランデ』)における「捨てられた女」の特徴を抽出し、スタール夫人の作品(『デルフィーヌ』『コリンヌ』『サッフォー』)やジョルジュ・サンドの作品(『ラヴィニア』『メテラ』)がどのように「捨てられた女」のテーマを書き変えていったのかを検証しました。
パネリストの発表の後、会場からも様々な質問や意見が出て、予定の12時を越えるほどディスカッションが続き、大変有意義なひと時となりました。
ワークショップ報告(cahier22, 2018年9月発行、pp.6-10)
2017年度
「男らしさ」とは?
開催日: | 2017年12月16日(土) |
場所 | 大阪府立大学 I-siteなんば |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時:
「19世紀フランス文学・絵画における両性具有的存在――「男らしさ」の観点から――」 村田京子(大阪府立大学教授)
3時15分~4時15分: 「19世紀における囚人たちの「男らしさ」――隠語、文学、医学書から――」 梅澤礼(富山大学准教授)
4時30分~5時: 講演者との質疑応答


講演の後、当時の医学的言説や疑似科学(ガルの骨相学など)、啓蒙思想に関して、または絵画に関してなど、様々な視点からの質問が相次ぎ、意見交換が活発に行われ、盛会のうちに終わりました(参加者60名)。
開催日: | 2017年11月2日(木) |
場所 | 大阪府立大学A15棟2階中会議室 |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時: 大形徹 「馬王堆の『胎産書』」
3時10分~4時10分 河合眞澄「『女殺油地獄』の女性たち」
4時20分~5時 自由討論


開催日: | 2017年10月29日(日) |
場所 | 名古屋大学 |
コーディネーター | 梅澤礼 富山大学准教授 |
「男らしさvirilitéとは、単なる生物学的な性質とは異なり、男が維持し示すべき身体的・道徳的・性的な特質のことをいう。2011年に出版され、現在邦訳がなされている『男らしさの歴史』は、中世から現代までを専門とする総勢40名の研究者による全3巻の大作であり、このテーマがフランスの歴史文化においてどれだけ豊かな鉱脈であるかを物語っている。
このうち19世紀を舞台にした第2巻では、男らしさがさまざまな場所で誇示されていたようすが、「男らしさの勝利」という副題のもと示されている。しかし同時代の文学作品に目を向けてみると、必ずしもこのことを裏付けるものばかりとは限らないというのが実際のところである。19世紀フランス文学において、男らしさはどのように描かれていたのか。それはどのように、第3巻の副題ともなっている「男らしさの危機」を準備したのだろうか。」
3人のパネラーがそれぞれ、「男らしさの危機」について語ります。囚人文学を専門とされている梅澤先生は、「囚人の証言やパノラマ文学、医学研究」などからの分析、高岡先生はサンドの『アンドレ』を中心に、virilitéを発揮できていない男性に焦点を当て、村田が両性具有的存在と「男らしさ」について語りたいと思います。興味のある方は是非、ご参加下さい(詳細は、2017秋季大会プログラムを参照のこと)。
《報告》台風22号が週末に近畿、東海地方を襲う中、雨にも関わらず、30名以上の方々が参加して下さいました(ワークショップが同時間に8つ重なったため、10名程度しか参加者がいないのではないかと恐れていたのですが、30部用意した資料が足りないほどでうれしい驚きでした)。まず、村田が19世紀における「男らしさ」の定義をアラン・コルバンなどの文献に従って行ったあと、「男らしさ」を視覚化した


ワークショップ報告(cahier21, 2018年3月発行、pp.6-10)
ワークショップ報告(「女性情報ファイル」128号、2018年7月25日発行、p.11)
開催日: | 2017年9月23日(土)10時~17時30分 |
場所 | 大阪府立大学 I-siteなんば |
コーディネーター | 鎌田隆行 信州大学准教授 |
《報告》前日の雨もすっかり上がり、快晴の一日となりました。シンポジウムは10時からバルザック研究の重鎮、柏木隆雄先生のご挨拶の後、第一セッションが始まりました。鎌田隆行氏は『セザール・ビロトー』の食事の場面が生成過程によってどのように変容したのかを生成資料を丹念に読み解き、バルザックの意図を明らかにされました。次のマルティーヌ・リード氏は『ウ


《案内》 なお、国際シンポジウム前日の9月22日(金)にもプライス先生の講演会 (タイトル:Balzac et l'illustration) が大阪大学で開催されます(詳細は案内ちらしをご参照下さい)。講演会にも奮ってご参加下さい。
《報告》22日はあいにくの雨でしたが、阪大の先生方をはじめ、多くの研究者がプライス先生の講演に参加しました。発表タイトルは、Balzac Illustre (é)に変更になりました。意味としては

George Sand et le monde des objets
開催日: | 2017年6月19日~22日 |
場所 | クレルモン=フェラン=オーベルニュ大学、ノアン=ヴィック |
コーディネーター | Pascale Auraix-Jonchière クレルモン=フェラン=オーベルニュ大学教授 |




2016年度
開催日: | 2016年11月22日(火) |
場所 | 大阪府立大学なかもずキャンパスA15棟1階130教室 |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時 : 大平桂一 「闘う女性たち―武術小説の中の女性像」
3時15分~3時45分 : 自由討論


「文学、モード、ジェンダー」
開催日: | 2016年10月8日(土) |
場所 | 大阪府立大学 I-siteなんば 2階C2 C3 |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時:
「『服飾小説』としてのゾラ『獲物の分け前』―モード、絵画、ジェンダー」 村田京子(大阪府立大学教授)
3時15分~4時15分:
「プルースト『失われた時を求めて』―モードから見る三人のヒロインたち―」 長谷川富子(神戸海星女子学院大学名誉教授)
4時30分~5時 : 講演者との質疑応答



開催日: | 2016年7月16日(土) |
場所 | 大阪府立大学中百舌鳥キャンパスB3棟 119講義室 |
コーディネーター | 浅井美智子 大阪府立大学教授 |
日時: 2016年7月16日(土) 13時30分~16時30分
報告タイトルと報告者
1.「望んだ妊娠から消される子ども(中期中絶から死産児へ): 山本由美子(大阪府立大学講師)
2.「不妊治療の現場から消えていく受精卵」: 居永正宏(大阪府立大学非常勤研究員)
3.「みえない母子の貧困と孤立」: 梅田直美(奈良県立大学講師)
4.「売買される卵子・妊娠出産」: 浅井美智子(大阪府立大学教授)
《報告》梅雨明けも間近な土曜、炎天下の中、20名以上の方々が集まってくれました。4人のパネラーによって20分ずつの報告がありましたが、それぞれ内容の濃い、興味深い問題提起でした。まず、山本さんは妊娠中絶に関して、特に出生前検査および中期中絶(人口中絶)の「処遇」を日本、アメリカ、フランスの例を挙げて報告されました。医療技術の発達で、妊娠23週目の手のひらに乗るような小さな赤ちゃん(283g)もちゃんと育てることができるようになり、それゆえ、胎児に障害などがあった場合、生まれてこない


開催日: | 2016年5月28日(土) |
場所 | 学習院大学西1号館3階305 |
コーディネーター | 西尾治子、村田京子 |
José-Luis Diaz : « Balzac et Sand : deux écrivains en vitrine (1831-1850) »
Brigitte Diaz : « Balzac et Sand : deux romanciers en correspondance »

開催日: | 2,016年5月24日(火) |
場所 | 奈良女子大学 総合研究棟S228 |
コーディネーター | 高岡尚子 奈良女子大学教授 |
5月24日(火): Brigitte Diaz : « Femmes artistes et intellectuelles au 19e siècle à travers leurs correspondances »


東京でも同じ内容の講演会(日仏女性研究学会主催、於 日仏会館)が5月26日に開催されました。その報告は、『女性情報ファイル』第124号、p.7に掲載されています。
開催日: | 2016年4月30日~5月1日 |
場所 | 奈良女子大学 |
《報告》面接授業1日目は少し肌寒い朝でしたが、日中は5月らしい快晴となりました。連休の始め、ということもあり行楽客の多い奈良までわざわざ授業を聞きに地元の奈良だけではなく、神戸や大阪、堺など遠くから来られている方もいて本当に聴講生の皆さんの熱意には頭が下がります。30名余りの方々が参加され、85分授業を午前中2コマ、午後からも2コマ、となかなか集中力を維持するのも難しくなりますが、最後まで熱心に聞いて頂きました。2日目は汗ばむほどの暑さとなりました。その中、2日間で8コマというハードスケジュールでしたが、授業の後には多くの方が様々な質問をしてくれ、活発な質疑応答が交わされました。本当に充実した2日間を過ごすことができました(少し、しゃべりすぎて喉が嗄れてしまいましたが)。「絵画」と「文学」の深い関連性を少しは分かって頂けたかな、と思っています。
2015年度
開催日: | 2016年1月26日~2月23日 |
場所 | 大阪府立大学 I-siteなんば |
コーディネーター | 河合眞澄 大阪府立大学教授 |
1月26日(火): 河合眞澄 「浄瑠璃・歌舞伎の「姫」」
2月2日(火): 大形徹 「『列仙伝』の女仙」
2月9日(火): 村田京子 「もう一人の椿姫―ジョルジュ・サンドの『イジドラ』」
2月16日(火): 中村治 「家事・農作業の機械化と女性」
2月23日(火): 滝野哲郎 「アメリカ南部の女性たち」


クルチザンヌ(高級娼婦)と言えば、貧しさのために売られた女性、というイメージが強く、「はばたく女」のイメージとは一見、反対のように思われます。確かにデュマ・フィスのクルチザンヌ「椿姫」も愛する恋人のために自ら身を引き、恋人からの迫害、侮辱を受けても黙って耐え忍び、ただ一人、肺結核で血を吐きながら死んでいく、という悲劇です。この「椿姫」には実在のモデルがいて、それがマリー・デュプレシ(右図)という女性でした(実際、マリーは楚々とした美女で、クルチザンヌとしてパリで一世を風靡したものの、23歳の若さで肺結核で死んでいます)。しかし、女性作家ジョルジュ・サンドの『イジドラ』には同じマリーをモデルとした「椿姫」(ジュリー=イジドラ)が登場しますが、デュマ・フィスの「椿姫」とは全く違う運命を辿ることになります。イジドラは男性優位の社会の中で自らがお金で買われた女であることに傷つき、屈辱を覚えながら生きてきましたが、最後には男たちが嘲る「老醜」を恐れなくなり、穏やかな「老いの庭」を楽しむようになります。彼女は次のように言っています。「厳しい忠告者である私の鏡、それについては男たちが皮肉たっぷりの常套句をさんざん言い、書いてきたことですが、その鏡を覗いて、皺が一本増えたことや、何本かの髪の毛が白くなっているのをみて、つい最近までは震え上がったものです。でも、突然、心を決めて、歳月のもたらす容色の衰えを確かめようとさえ、もう思わなくなりました」。彼女は「男の眼差し」で鏡を見るのではなく、鏡に映る「年老いた女」を「別の女、新たに始まるもう一つの私」とみなして幸福感に浸っています。こうしたくだりは、アンチエイジングがもてはやされる現代社会に生きる私たちにとっても身近な問題提起のように思えます。
「文学における危険な女性たち」
開催日: | 2015年12月26日(土) |
場所 | 大阪府立大学なかもずキャンパス B3棟106会議室 |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時 : 「母と娘―フローベールのサロメ像と神話の変遷」 大鐘敦子 関東学院大学教授
3時15分~4時15分: 「危険な「ヴィーナス」―ゾラの娼婦像と絵画」 村田京子 大阪府立大学教授
4時30分~5時 : 講演者との質疑応答
《報告》師走の忙しい時期に、大勢の方に来て頂きました。まず、大鐘先生の「サロメのダンス」に関するお話で、特にワイルド劇の「七枚のヴェールの 踊り」として知られるサロメのダンスは、実際はフローベールの『ヘロディアス』で初めて言及され
次に村田がゾラの『ナナ』についての話をし、「社会の解体をもたらす危険な女」とし
講演の後の質疑応答では様々な質問、意見がでて時間をオーバーするほど熱中した議論が続き、盛会のうちに終わりました(参加者37名)
開催日: | 2015年10月9日(金) |
場所 | なかもずキャンパスA15棟中会議室 |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時 : 大形徹 「『列仙伝』の女仙」
3時10分~4時10分 : 河合眞澄 「浄瑠璃・歌舞伎のお姫様―はばたく女性たち」
4時20分~5時 : 自由討論
《報告》秋晴れの中、大勢の方に参加頂きました。まずは、大形先生(写真左)が前漢の劉向撰とされる『列仙伝』に現れる女仙の話をされました。同じ劉向撰とされる『列女伝
次に、河合先生(写真右は河合先生が八重垣姫に扮して踊った時のもの)が浄瑠璃・歌舞伎に出てくる三人の女性―それぞれ愛する男性のために積極的に行動する女性―の話をされました。①『本朝24孝』の八重
お二人の話のあと、活発な質疑応答がなされ、盛会のうちに終わりました(参加者46名)
20e Colloque International George Sand
開催日: | 2015年6月29日~7月1日 |
場所 | ヴェローナ大学(イタリア) |
コーディネーター | Laura Colombo |
【報告】ヴェローナ大学での3日間にわたる国際シンポジウムを無事終え、帰国しました。ヴェローナ大学は、町の中心(城塞に囲まれた部分)から歩いて15分くらいのところにあり、修道院のような回廊のある中庭を抜けて校舎に入る、素敵な大学でした。連日30度を越す猛暑でしたが、さすが南の国なので冷房完備で快調に過ごせました。開催にあたってまずヴェローナ大学の学部長、女性の研究科長、ミラノ・フランス領事(代理)、フランス文化官などのあいさつ及び、主宰者ローラ・コロンボ・ヴェローナ大学教授とカトリーヌ・マッソン・ウェズリー大学教授の挨拶(写真)がありました。今回のシンポジウムでは、サンドが同時代の女性作家・芸術家たちとどのような連帯をしたのか、しなかったのか、彼女たちとは違うサンドの独創的な点、さらにはサンドと同時代の女性作家の作品分析、サンド作品のモデルとなった女性芸術家たち(女優のマリー・ドルヴァルやオペラ歌手ポーリーヌ・ヴィアルドなど)の生涯について、または「サンドの娘たち」に分類される女性たち(サンドの娘ソランジュ、サンドの影響を受けた後代の女性作家たち―フランスだけではなくロシアやアメリカ、イギリスなどヨーロッパ全土にわたる―)の生きざまとその作品の紹介など、多岐にわたる発表が行われました(ヴェローナ大学HPでの報告)(日仏女性研究学会「第20回ジョルジュ・サンド国際学会(ヴェローナ大学)」– 「女性情報ファイル」No.123(2016年2月)西尾治子氏報告)。
私はマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールの『ある画家のアトリエ』を取り上げ、バル
2014年度
開催日: | 2014年11月8日(土) |
場所 | 信州大学 |
コーディネーター | 吉田正明信州大学教授 |
1)14:10~15:00 戸板律子氏(広島大学非常勤講師) 題 目:「シャンソンの中のヒロシマ」
2)15:05~15:55 高岡優希氏(大阪大学非常勤講師) 題 目:「ヒロシマからフクシマへ -核を巡るシャンソンたち- 」
司会者:鎌田隆行氏(信州大学准教授)
3)16:10~17:00 村田京子氏(大阪府立大学教授) 題 目:「フランス語授業におけるシャンソンの活用」
司会者:三木原浩史氏(神戸大学名誉教授)
4)17:05~17:55 中祢勝美氏(天理大学教授) 題 目:「バルバラの『ゲッティンゲン』-「仏独和解の歌」の成立をめぐって」
司会者:吉田正明氏
《報告》京都から名古屋まで新幹線、名古屋からは「しなのビュー」特急で2時間かけて松本駅に到着しました。信州大学へはタクシーで10分でしたが、大学構内の木々はすでに紅葉していました。まずは先日の広島大学での仏文学会ワークショップで発表された戸板さん、高岡さんからヒロシマ、ナガサキ、フクシマにまつわるシャンソンの紹介がありました。ヒロシマのイメージとしては、映画Hirosima mon amourの影響が大きいということ、その中でもColette Magnyのbura buraという曲(被爆者を歌ったもの)のインパクトが大きかったです。また、Ludwig von 88というロックグループのミニアルバムHiroshima 50ans d'inconscienceは、32頁もの原爆に関する克明な資料がつき、原爆が開発され、エノラ・ゲイという爆撃機が爆弾を落とす場面、さらにその時の広島市民の様子、被爆者の状態を描いた6曲にわたるもので、途中に井伏鱒二の小説をもとにした映画「黒い雨」の一節が挿入されるなど、原爆へのフランス人の関心の高さに驚きました。高岡さんの発表では、冷戦時代からシラク大統領のムルロワ環礁での核実験、2001年のアメリカでの同時多発テロ後のテロの脅威など、政治・社会情勢に連動したシャンソンが生まれていることが明らかになりました。ヒロシマ、フクシマという地名は世界中に知れ渡り、核の恐ろしさを示す代名詞となっていることは本当に悲しく、私たち日本人は決して忘れてはいけないという思いを新たにしました。
次に、村田はフランス語の授業でシャンソンを単に聞かせるだけではなく、発音の聞
発表内容は『シャンソン・フランセーズ』第5号に掲載予定です。
開催日: | 2014年12月13日(土)14時~17時 |
場所 | 大阪府立大学 I-site なんば2階 |
コーディネーター | 村田京子 |
14時~15時 :「終わりの予感―『コリンヌ』のヴェネツィア」 坂本千代 神戸大学教授
15時15分~16時15分:「絵画・彫像で読み解く『コリンヌ』の物語」 村田京子
16時30分~17時 : 講演者との質疑応答
《報告》今冬一番の寒さの中、大阪からだけではなく、東京や名古屋からも講演会のために駆けつけて下さった方もいて、本当にありがたい限りです。まず、坂本先生(写真左)がスタール夫人の『コリンヌ』執筆時期の歴史的背景(イタリア、特にヴェネツィア情
次に、村田が『コリンヌ』で言及される様々な絵画・彫像(コリンヌとオズワルドが訪れるローマのヴァティカン美術館、ヴェネツィアのウフィツィ美術館、コリンヌの
開催日: | 2014年10月31日(金) |
場所 | なかもずキャンパスA15棟2階中会議室 |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時 : 青木賜鶴子 「土左日記」のジェンダー
3時10分~4時10分 : 大平桂一 「中国の勉強する女性たち」
4時20分~5時 : 自由討論
《報告》ちょうど白鷺祭初日にあたり、楽しそうな音楽が聞こえてくる中でのミニシンポジウムとなりました。まず、大平先生が中国、後漢の時代の斑昭という女性の著書『女誡(じょかい)』を取り上げました(下の写真は講演中の大平先生)。この著作は「女性は朝から晩まで家事に務めるべし」とか「夫の心を得れば全て良し。夫の心を失えば全てを失う」、「姑の言うことが
次に、青木先生(右の写真)が紀貫之の『土左日記』の一節を紹介して下さいました。貫之自身は「土佐」
お二人の発表の後、質疑応答が活発に行われ、和気あいあいとしたなかで盛会のうちに終了いたしました(参加者46名)
開催日: | 2014年6月10日 |
場所 | 神戸国際会館 |
コーディネーター | CAF代表:長谷川富子・伊川徹・饗庭千代子 |
《報告》梅雨空のうっとおしい天気にも関わらず、50名以上の方々が本講座を熱心に受講して下さいました。フロラ・トリスタンはその波乱に満ちた人生、その著作に関しても、90分では全部話しきれず、彼女が「労働者階級の解放」を目指して戦った後半の人生における著作『ロンドン散策』『労働者連合』には触れる時間がありませんでした。しかし、彼女が父親の遺産を求めてペルーに単身向かった133日にわたる過酷な船旅などは、受講生の方々も息を詰めて聞いて下さり、後で「すごい女性ですね!」「こんな素敵な女性の存在を初めて知りました!」と感動の声を頂きました。これからも、こうした歴史に埋もれた女性の存在を紹介していきたいと思っています。講座の後、コーディネーターの先生方とランチをご一緒し、楽しいひと時を過ごすことができました。(講座ダイジェスト)
開催日: | 2014年5月19日~25日 |
場所 | 神戸大学ほか |
コーディネーター | 坂本千代 神戸大学教授 |
5月19日(月)17:00-18:30 神戸大学での講演会(講演会ポスター) 演題:「Women's Place in French Literature」 場所:神戸大学国際文化学研究科E棟4階410 講演言語:英語、通訳なし
リード先生と、奈良女子大の高岡先生
5月20日(火)14:40-16:30 奈良女子大学での講演会(講演会ポスター) 演題:「Masculin, féminin : George Sand et les femmes auteurs de son temps」(逐次通訳あり) 場所:奈良女子大学総合研究棟(文学系S棟)S124講義室
《報告》今日の講演は、1.ジョルジュ・サンドにおける性別の問題、2.サンドと同時代の女性作家との関係について、非常にわかりやすい言葉でお話して頂きました。1.に関しては、19世紀当時のフランスにおいて、文学活動は男の領域とされていたため、サンドは男のペンネームを使い、「男」として書いたが、現実生活では「女」として生きる、という矛盾したサンド像を浮き彫りにされました。特に、サンドを男の作家と間違えた人との滑稽な会話が喜劇そのものでした。ただ、サンドは当時のジェンダー観から必ずしも解放されておらず、「女性の『本質』は母親になること」と考えたこと、また、他の女性作家たちとの連帯はほとんどなく、サンドはむしろ自らを優れた男性作家に匹敵する「例外的存在」とみなして、彼女たちと一線を画していたことを明らかにされました。こうした点が男性作家にはない、女性作家の問題であると思われます。しかしながら、サンドは現実では実現できない男女平等の精神(教育の平等、登場人物が男女とも両性具有的な性質を持っているなど)や芸術活動における「母性愛」の役割など、ユートピアを描いている、というのが興味深いところです。 講演の後の質疑応答も活発で、終始なごやかな雰囲気の講演会でした。
5月23日(金)18:30ー20:30 日仏会館での講演会 演題:「19世紀に女性が小説を書くということ」(逐次通訳あり) 場所:日仏会館(渋谷区恵比寿)一階ホール
《報告》今回の講演では、「フランス文学史」における「女性作家」のマイナーな位置および、19世紀の女性作家たちが遭遇した様々な障害に関するものでした。その中でも印象に残った点は、ギュスターヴ・ランソンに始まる「フランス文学史」において、女性作家の存在は常に「例外」として語られ、現在でも「フランス文学史」を扱った教科書では、「小説」の項で「ピカレスク小説」「哲学小説」「書簡体小説」などの分類がされている中で、「女性作家の小説」があたかも一つのジャンルであるかのように、まとめられている、ということでした(女性作家も書簡体小説も書けば、ピカレスク小説を書いているのに!)。また、「女性作家」のフランス語での呼称が定まらず、例えばauteur(男性名詞)にe をつけて女性形にしたauteureや、écrivain の女性形écrivaineも、『アカデミー・フランセーズ辞書』では認められず、auteurまたはfemme écrivainのみが辞書に載っているだけ、とのことです。やはり、文学活動は「男」の領域、という 観念が根強く残っているようです。3つ目は、「小説」というジャンルは「感情を描くのに長けた」女性向けという通念に基づいて、小説以外に戯曲など書いている関わらず、ジャンリス夫人やサンドは常に「小説家」としか呼ばれない、といった問題があるようです。歴史の中に埋もれたこうした女性作家たちの作品を出版して現代の読者にも目に触れるようにすることが大事なことだと述べられていました。こうした考えに基づいて、リード先生はフォリオから2ユーロシリーズで様々な女性作家の作品を手ごろな値段で手に入るよう、努力を重ねておられるようです。講演会には、年配の男性の方からフランス文学研究者、女性学研究者、さらには西尾先生の教え子の若い女子学生たちが数多く参加し、約120名にのぼる聴衆で、活発な質疑応答がなされ、大盛況のうちに終わりました。(日仏女性研究学会講演会記録)
5月25日(日)15:15-16:15 仏文学会での講演 演題:「FIGURATIONS DU MASCULIN CHEZ STENDHAL」 場所:お茶の水女子大学 共通講義棟2号館201
開催日: | 2014年1月30日(木) |
場所 | 名古屋市立大学滝子キャンパス1号館5階515号室 |
コーディネーター | 山本明代 名古屋市立大学教授 |
『椿姫』のモデル、マリー・デユプレシ
マネ《ナナ》
2013年度
開催日: | 12月14日(土)14時~17時 |
場所 | 大阪府立大学 I-siteなんば2階 |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時 村田京子 「テオフィル・ゴーチエと造形芸術―ゴーチエの「石の夢」―」
3時15分~4時15分 澤田肇 「テオフィル・ゴーチエと舞台芸術―ジゼルはどこに?―」
4時30分~5時 講演者との質疑応答
《報告》今年4月に出来たばかりの「I-siteなんば」での講演会でしたが、ガラス張りの廊下から町並みが見下ろせるなかなか素敵な会
次に、澤田肇先生のご講演では、まず、バレエ・ブラン(バレリーナが白いチュチュを着て踊るバレエ)の3大作品とされる《ラ・シルフィード》《ジゼル》《白鳥の湖
講演の後、日本の「能」(この世のものではない霊がしばしば登場する)との関連を聞く質問や、ゴーチエの女性像についての意見など、活発な質疑応答がなされ、時間をオーバーするほどの盛会でした(参加者38名)。なお、澤田先生および村田の講演原稿は『女性学講演会集』(2014年3月刊行)に掲載します。
開催日: | 11月9日(土)14時~16時30分 |
場所 | 奈良女子大学総合研究棟(文学系S棟)3階S312演習室 |
コーディネーター | 吉川佳英子 |
【研究発表】
- 高岡尚子「ジョルジュ・サンドにおける<老い>について」
- 村田京子「ジョルジュ・サンドの世界における理想の女性画家像―『彼女と彼』から『ピクトルデュの城』へ」
【報告】 津田奈菜絵 「中・長期滞在フランコフォン向け京町屋シェアハウスのご案内」
《報告》今回の発表は、6月にベルギーのジョルジュ・サンド国際シンポジウムで発表した原稿を少し発展させた発表となりました。まず、高岡奈良女子大学准教授が、サンドにおける「老い」について話されました。サンドは72歳まで生き、当時としては長命でした。そのため年を経るにつれて彼女の「老い」に関する考えも変化し、若い頃の作品(『レリヤ』1833年)では、女性の「老い」は「破壊や絶望の表象」として捉えられていたのが、自分より若い世代の死(3人の孫や恋人マンソーの死)に一時は打ちのめされながらもそこから立ち直って死を乗り越え、最後に『祖母の物語』(1873年)では輪廻転生的な物語を紡ぎ出し、祖母から孫娘への継承という途切れることのない生の営みへの希望を抱くようになるという、時系列的な心境の変化を高岡先生は丁寧に説明されました。「老い」の問題、特に女性においては「美」から「醜」への変質ということで、アンチ・エイジングといった言葉が流行していますが、こうした身体の変容も含めて自らの「老い」を受容して将来への希望を持てれば幸せだと思います。サンドは死ぬ時に、自らの人生に悔いはなかったのではないでしょうか。
次に村田は、サンドの作品における女性画家について取り上げました。サンドの作品には女性のオペラ歌手、女優は何人か登場し、大きな役割を果たしていますが、女性の職業画家は『彼女と彼』と『ピクトルデュの城』に出ているだけです。それは、当時のアカデミーのヒエラルキーでは、聖書や神話を題材とした歴史画が最高位に位置し、歴史画を描くためには男の裸体をモデルにしたデッサン研究が必要で、女性には禁じられていた、ということに起因します。女性画家に許されたのは歴史画より下のランクの肖像画、静物画、風俗画でありました。『彼女と彼』はまさに、歴史画家のローランと肖像画家のテレーズの物語で、男性画家=天分を持ったロマン主義的芸術家、女性画家=再生産(模倣)の芸術家、という違いが明確に出ています。それがサンド晩年の『ピクトルデュの城』では絵の天分を持った少女が初めて登場し、努力の末に「生の真の秘密」を勝ち取る、という物語になっています。しかも、彼女を導くのは画家の父親ではなく、亡くなった母親であったことがサンドの特徴と言えます。ロマン主義文学では、「芸術の奥義」は男から男に伝えられる(例えば、バルザックの『知られざる傑作』)のがしばしばであるのに対し、サンドの場合はその構図を変えているわけです。ただ、「妖精物語」の形式で天分を持った女性画家を描いているのは、まだサンドの時代にはそうした女性が登場するのは困難であったこと、サンドの孫娘の世代には実現できることを彼女が期待したためかもわかりません。
発表の後、コレットを研究されていた津田さんが京都の町家を改造して、フランス人研究者などが短期間滞在できるシェアハウスを今年4月からオープンしたことのご紹介がありました。なかなか素敵なお部屋で、近所の人との交流(お祭りや運動会行事など)もあって、楽しそうでした(「京町屋とわ」のホームページ)。
それぞれの発表の後、質疑応答が活発になされ、その後の懇親会でも夜遅くまで盛り上がりました(参加者11名)。
開催日: | 2013年11月1日(金)14時~17時 |
場所 | 大阪府立大学なかもずキャンパスA15棟2階中会議室 |
コーディネーター | 村田京子 |
2時~3時 : 滝野哲郎 「写真の中のアメリカ女性」
3時10分~4時10分 : 河合眞澄 「歌舞伎の女性たち―『曾根崎心中』のおはつを中心に―」
「芸術、文学とジェンダー」 ポスター
講演中の滝野先生
《報告》 本シンポジウムでは、最初に滝野先生が「写真のなかのアメリカ女性―19世紀中頃」というタイトルで発表されました。1840年代にアメリカで撮られた写真を、南部、西部、北部という3つに区分してそれぞれの特徴を表わす写真を取り上げられました。まず、南北戦争の時に、北部のリンカーンと戦った南部大統領ジェファソン・デイヴィス夫妻の肖像写真では、大統領の妻ヴァリーナの元の写真が修正されて掲載されることがあると指摘されました。それは彼女の鼻が白人というより混血に見える(さらに肌の色がオリーブ色であった)ためであったそうです。次に、西部ユタ州の開拓者バイングトン一家の幌馬車での旅の写真では、妻2人、それぞれの子どもが写っており、当時のモルモン教では一夫多妻が認められていて、27人の妻がいる人もあったそうです(現在は、一夫一妻制)。3つめの写真は、北部マサチューセッツ州の紡績織物工場に働く10代の少女の写真で、裸足なのが印象的でした。
講演中の河合先生
次に河合先生のお話は歌舞伎に出てくる女性たちに関してで、その中でも『曾根崎心中』の天満屋の遊女おはつと醤油屋平野屋の手代徳兵衛との心中を取り上げられました。もともとは近松門左衛門が人形浄瑠璃として作った心中物ですが、近代ではむしろ、昭和28年に歌舞伎で復活上演されて以来、歌舞伎でおなじみのものとなりました。九平次という知り合いに騙されて主人に返すはずの大金を奪われた上に、公衆の面前で九平次たちに打ちのめされて面目を失った徳兵衛に対して、先に心中の覚悟をして徳兵衛に促すのは、おはつの方であった、ということ。『冥途の飛脚』や『仮名手本忠臣蔵』でも同様で、「浄瑠璃に描かれる女性たちは、いずれも分別を持ち、現実的に物事を見ている」「自らの意志で命を捨てようとして」おり、さらに歌舞伎では「女性たちが積極性を持つように演出」している、というのが非常に興味深かったです。危機的な状況に陥った時、肝っ玉がすわっているのは女性の方、というのが古今東西の常のような気がいたしました。
お二人のお話の後、質疑応答が活発に行われ、盛会のうちに終わりました(参加者32名)
19e Colloque international George Sand organisé par le Centre de Recherche sur l’Imaginaire avec le soutien de la George Sand Association
開催日: | 2013年6月20日~22日 |
場所 | ルーヴァン・カトリック大学(ベルギー) |
コーディネーター | Damien Zanone |
今回のシンポジウムは、発表者総勢54名にのぼる大きなもので、フランスやベルギーのサンド研究者の他にもプエルトリコ、カナダ、スコットランド、ロシア、アメリカ本土、ハワイ、ポーランド、チュニジア共和国など世界各国の研究者が一堂に会し、私たち日本人研究者も4人参加しました。今回のシンポジウムはサンドがしばしば「理想主義者(idéaliste)」とみなされてきたのを受けて、「理想 (idéal)」をキーワードにしたもので、バルザックを代表とするレアリスム(réalisme)との対比、歴史、ジェンダー、社会、政治、音楽や演劇、舞踊、絵画といった様々な側面からのサンドの理想主義または理想像を探るものや、愛や結婚・老い、野心といった精神生活における理想、プラトンやライプニッツなどサンドが影響を受けた哲学者の思想との関連、フロベールやゲーテ、プルーストなど作家たちとの関連など多岐にわたり、取り上げる作品もサンドの小説、戯曲、コント(『祖母の物語』)、自伝とヴァラエティに富んだものでした。特に2日目は9時から11時まで4名、11時半から3名、昼食をはさんで14時半から16時半まで4名、17時から19時まで4名が発表し、それぞれの発表の後には活発な質疑応答、意見の交換が行われ、時間をオーバーするほどで充実した時間を過ごすとともに、最後は集中力の限界との戦いとなりました。
私の発表は最終日の最終セアンス「絵画」での発表で、サンドの『ピクトルデュの城』に登場するディアーヌを通してサンドにおける女性画家の理想像(神話のディアーヌ=アルテミスと深く結びつき、maternitéに導かれた「理想」の探求)を探りました。ちょうど、私の前の発表者Véronique Bui氏がサンドとドラクロワとの実生活における関連(特にドラクロワがノアンで描いた《聖母の教育》)について話をした後だったので、ドラクロワの芸術論を反映した理想の女性画家ディアーヌという私の発表が、うまく結びつきました。さらに私が話した、真の芸術家に宿る「聖なる火 (feu sacré)」を持った『モザイク師』の登場人物の分析を次の発表者Lara Popic氏が行うという、偶然にも3人がぴったり連結した発表となったため、司会者や会場からも「よくまとまった発表であった」というお褒めの言葉を頂きました。時差のために睡眠不足で臨んだシンポジウムでしたが、非常に有意義な3日間でした。
Colloque G. Sand et l'idéal - Programme
開催日: | 2013年6月1日 |
場所 | 国際基督教大学(ICU)本館302 |
10:30-11:00 西尾治子:« L’idéal sandien et la philosophie de Platon:une lettre de G. Sand jamais parvenue à Flaubert »
11:00-11:30 高岡尚子:« Comment vieillir ? : la vieillesse idéale ou l’ideal d’une George Sand vieillir »
11:30-12:00 村田京子:« La figure idéale de la femme peintre dans l'œuvre de George Sand »
2012年度
開催日: | 9月22日(土・祝) 13:30〜16:30 |
場所 | 大阪府立大学 中百舌鳥キャンパス A15棟103講義室 |
コーディネーター | 村田京子 |
Fatal error: Call to undefined function is_post_publicly_viewable() in /home/sand200balzac/www/hp/wp-includes/media.php on line 1647