村田京子のホームページ – 講演会・シンポジウム

講演会・シンポジウム

(村田がコーディネーターまたは発表者として関連している講演会・シンポジウム・研究会などの案内および報告を掲載しています。授業公開講座は教育活動のカテゴリーに掲載しています。)

2019年度

2018年度

2017年度

バルザック国際シンポジウム
Balzac et la représentation de la Table
開催日: 2017年9月23日(土)10時~17時30分
場所 大阪府立大学 I-siteなんば
コーディネーター 鎌田隆行 信州大学准教授
《案内》「バルザックと食卓の表象」についての国際シンポジウムを開催します(詳細はプログラムをご参照下さい)。フランスからはMartine Reid リール大学教授、Nathalie Preiss ランス大学教授を招聘し、日本からは6人のバルザック研究者がフランス語での研究発表を行います。バルザックと食の関わりは強く、彼が牡蠣を何ダースも一度に食べたというエピソードがあるように、普段は大食漢ですが、小説の執筆(真夜中に行う)時にはほとんど食べず、コーヒーを何杯もがぶ飲みしながら一気呵成に筆を走らせた、というエピソードが有名です。バルザックの小説大系『人間喜劇』には、貧しい学生が通う安食堂から金持ちやダンディが通う流行のレストラン、銀行家が催す贅沢な宴会など、多様な食事の光景が描かれています。シンポジウムでは様々な観点からバルザックと食の関わりを浮き彫りにしていく予定です(私は『人間喜劇』における高級娼婦たちと食との密接な関係を見ていく予定です)。参加費は無料ですので、興味のある方は是非、ご来聴下さい。

なお、国際シンポジウム前日の9月22日(金)にもプライス先生の講演会 (タイトル:Balzac et l'illustration) が大阪大学で開催されます(詳細は案内ちらしをご参照下さい)。講演会にも奮ってご参加下さい。

第21回ジョルジュ・サンド国際シンポジウム
21e Colloque International George Sand
George Sand et le monde des objets
開催日: 2017年6月19日~22日
場所 クレルモン=フェラン=オーベルニュ大学、ノアン=ヴィック
コーディネーター Pascale Auraix-Jonchière クレルモン=フェラン=オーベルニュ大学教授
《案内》第21回ジョルジュ・サンド国際シンポジウムが今年はフランス、クレルモン=フェラン=オーベルニュ大学で19日、20日、場所を変えて21日、22日はサンドの故郷ノアンで計4日間、開催の予定です。今回もフランスだけではなくアメリカ、カナダ、ドイツ、イタリア、日本など様々な国のサンド研究者40名以上が一堂に会し、研究発表を行います。今回は「ジョルジュ・サンドとモノ(objets)の世界」というタイトルで小説の中に登場するモノや、ノアンの館のサンドとゆかりのあるモノなど、モノを中心とする様々な分析が展開されることになっています。さらに、シンポジウムの後にはサンドの恋人であったショパンのコンサートやサンドの息子で画家のモーリス・サンドの展覧会なども準備されていて、サンドが生きた19世紀当時の雰囲気を味わうことができる趣向となっています。詳細はプログラム(Programme )を参照のこと。

《報告》連日、気温が37度まで上がるという猛暑の中(しかも、冷房なし)、朝9時から夕方6時半まで研究発表、ディスカッションが行われ、かなりハードなシンポジウムとなりました(写真左は主催者側のあいさつの場面)。暑さにも関わらず、初日(6月19日)の参加者は100名近くの大盛況でした。私の発表は初日の午後、分科会2での発表で、司会者は前回のシンポジウム主催者のローラ・コロンボ ヴェローナ大学教授(写真右)。私は『ジャンヌ』の同名の主人公が彫像にしばしば喩えられているのに注目し、「彫像」の象徴的な意味をジェンダーの視点から探りました。イザベル・ナジンスキー先生が ご発表の中で、現在のフランス語には patrimoine (世襲財産:「男から男に相続される財産」が元の意味)という語しかなく(「世界遺産」もpatrimoine mondialeという)、matrimoine (女性から女性へと伝えられる財産)という言葉が消えてしまっている(15世紀の女性作家Christine Pizanが使っていた)が、「女性から女性へ伝えられていく才能」という意味の matrimoine を復活する必要がある、と強調されていましたが、『ジャンヌ』の場合、ジャンヌの母親からジャンヌへと伝授される自然の知恵 (connaissance) が描かれており、サンドが matrimoine を目指していたことがわかります。19日のシンポジウム終了後は、クレルモン=フェランの中心街にあるシックなレストランでの夕食に招待され、おいしい食事を味わいました。20日は午前中の発表の後、午後からはチャーターした大型バスでラ・シャートルへ(1時間余りの旅)。車窓は見渡す限り、田園地帯でフランスが農業国であることが実感できます。ラ・シャートルのホテルから車で30分くらい(地方に来ると、車がないと移動が難しく、車で来ている参加者に同乗させててもらいました)のChassignolesでコンサートに招待されました。会場は昔の大きな納屋を改造したところで、サンドと親しかったオペラ歌手で作曲家でもあるポーリーヌ・ヴィアルドと、その姉で当時、一世を風靡した同じくオペラ歌手マリー・ブランの曲をTammy Hensrud, Korliss Uecker さんの二人のオペラ歌手が歌ってくれました(写真左)。さらに、ショパンの「革命」や「ファンタジア」、ベートーベンの「月光」を Cyril Huvé氏が3つのピアノ(プレイエル、スタンウェイなど)で弾き分けてくれました。シンポジウム3日目は午前中、サンドが住んでいたノアンの館を学芸員さんの説明を聞きながら見学。午後からサンドの館の敷地内にあるコンサート会場(写真右:ここも納屋を改造したもので、ショパンコンサートなどが開催されるとか)でシンポジウムが行われました(ここもかなり暑く、皆、バテ気味!)。4日目はシャトー・ダルスでモーリス・サンドの展覧会を見た後、ホールをシンポジウム会場として10時から5時過ぎまでシンポジウムが行われ、6時前に無事、閉会となりました。スケジュールがタイトでしたが、サンドやショパンが暮らした場所で、濃密な時間を過ごすことができました。

2016年度

「文学とジェンダー」ミニシンポジウム(人間社会システム科学研究科人間科学専攻共同研究プロジェクト)
「文学とジェンダー」
開催日: 2016年11月22日(火)
場所 大阪府立大学なかもずキャンパスA15棟1階130教室
コーディネーター 村田京子
《案内》今年度の「文学とジェンダー」共同プロジェクトのミニシンポジウムを下記の通り、開催します。今回は中国文学専門の本学教員が、DVDなど最新の映像資料も使い、武術小説における「闘う女性たち」についてお話をします。関心のある方はふるってご参加下さい(詳細はポスターを参照のこと)。

2時~3時 : 大平桂一  「闘う女性たち―武術小説の中の女性像」

3時15分~3時45分 : 自由討論

《報告》11月下旬とは思えない暖かい一日で、講演会日和となりました。今回は大平先生のお話(写真左)で、『史記』に出てくる絶世の美女、虞美人が四面楚歌の場面で二振りの剣を使って舞う(女性はなぜか、二刀流だそうです)、というところから始まり、『世説新語』に出てくる桓温の正妻公主が嫉妬に狂って妾の李氏を襲う場面や、ディズニー映画「ムーラン」のモデルの木蘭の紹介がありました。木蘭は年老いた父親に代わって男装して出征し、勇敢に戦って10年後に故郷に帰還。その間、仲間の兵士たちは彼女が女であることに気づかなかったとか。また、唐代になると伝奇小説に女性の暗殺者(幼い時に尼に誘拐されて暗殺術を仕込まれた)が登場するそうです。標的を暗殺した後、首を持ち帰り、それに薬をかけると首は跡かたもなくなり、「水」になってしまう、というもので、恐ろしい限りです。その他にも『水滸伝』に男以上に腕っぷしの強い女性が登場します。清代には十三妹という女傑が大家の若様を救い、賊をなで斬りにするものの、最後には殺人を恥じ、若様と結婚して貞淑な妻になるという、かなり矛盾した筋になるそうです。ここまでは「戦う女性」といっても、あまりその心情が描かれることはなく、スペインのピカレスク小説の女性版のようにも思えました。現代の小説家、金庸の武術小説あたりから、女性の武術家の成長物語、「教養小説」の要素が入ってくるようです。話の前に大平先生が修業(?)のために持っておられる大理石の球や棒術の説明もあり、用心棒は竹棒に鉛を入れて敵を打ち倒すそうです。棒術も少し披露してくれました(写真)。最後にワイヤーアクションのすごい映画「グリーン・デスティニー」の映画の場面を幾つか見せてくれました。昔、何度か見た映画ですが今でも迫力がありました。質疑応答も活発に行われ、盛会のうちに終わりました(参加者25名)。

女性学講演会(大阪府立大学女性学研究センター・「文学とジェンダー」共同研究プロジェクト共催)
「文学とジェンダー」
「文学、モード、ジェンダー」
開催日: 2016年10月8日(土)
場所 大阪府立大学 I-siteなんば 2階C2 C3
コーディネーター 村田京子
《案内》第20期女性学講演会第1部「文学とジェンダー」第1回を開催いたします。今回は副題に「文学、モード、ジェンダー」とあるように、19世紀後半から20世紀にかけてのフランスのモードと文学の関係に焦点を当ててジェンダーの視点から探っていきます。この時代、男性作家(ゾラ、ゴンクール、マラルメ、プルーストなど)が美術やモードに関心を持ち、美術評を新聞・雑誌に掲載したり、最新流行のモードを纏った女性の登場人物をその作品に登場させています。こうした女性たちがどのように描かれているのかを、ゾラおよびプルーストの作品を通じて見ていきたいと思います。モードの図版や絵画も多数使う予定ですので、関心のある方はふるってご参加下さい(詳細は2016女性学講演会を参照のこと)。

2時~3時:

「『服飾小説』としてのゾラ『獲物の分け前』―モード、絵画、ジェンダー」      村田京子(大阪府立大学教授)

3時15分~4時15分:

「プルースト『失われた時を求めて』―モードから見る三人のヒロインたち―」  長谷川富子(神戸海星女子学院大学名誉教授)

4時30分~5時 : 講演者との質疑応答

《報告》10月にしては蒸し暑いほどの天気でしたが、60名を越す方々が講演会に参加して下さいました。まず、村田(写真左)がゾラの『獲物の分け前』を「服飾小説」とみなし、女主人公ルネを中心に、衣装と人物の関係をジェンダーの視点から分析し、以下の4点を明らかにしました。①ルネと「パリ人形」との関連:当時、大量生産された「パリ人形」(写真右)は大人のファッションの正確なレプリカであり、「パリ人形」と呼ばれるルネはまさに「着せ替え人形」のように描かれている。また、ゾラが擁護する印象派のモネの《庭の女たち》における女性像とルネには共通点―ファッションプレートのような人物像、「装飾的で消極的な特徴を持つ社会的ステイタスの象徴」であること、上流階級を象徴する「鮮やかな白」の衣装を纏っていること―がある。②ウージェニー皇后とルネとの類似:ファッション・リーダーとして過剰な装飾の高価な衣装を好んだこと。また、ゾラの小説では「芸術家」を標榜するウォルムス(皇后の仕立屋でオートクチュールの祖ウォルトがモデル)によって、仕立屋と顧客の主客が転倒し、ルネは服を着る「主体」から「芸術家」の手になる「作品」に変容している。③「操り人形」としてのルネ:ルネは夫のサカールにとっては「顕示的消費」の対象であり、一種の「金融資産」とみなされ、義理の兄ルーゴンには「政治的身体」として利用され、次第に彼らに都合の良い衣装―「裸体」を浮き彫りにする衣装―を纏うようになる。④ルネの私的空間である小サロン、寝室、化粧室が「服飾用語」で描写されている。こうした部屋が温室も含めてルネの身体と密接に関わり、ルネの身体は部屋に組み込まれている(ホイッスラー、シャプラン、ギュスターヴ・モローの絵画との関連にも言及)。こうした分析から浮かび上がってくるのは第二帝政社会における「女の身体のモノ化」でありました。

次に長谷川先生(写真)がプルーストの大長編小説『失われた時を求めて』に登場する三人のヒロインたちに焦点をあて、第三共和政から第一次大戦までのベル・エポックの時代におけるモードの移り変わりと関連づけて人物像を分析されました。一人目のヒロインが高級娼婦オデットで、男たちを手玉にとり、派手な衣装でその美を誇示する挑発的な女性から、スワン夫人となると「王妃の気品と娼婦の媚」を持つようになったこと。そして、モードが過剰な装飾のバッスル・ドレスからS字型に変わっていくにつれて、オデットの性格も変化していること。最後にスワンの亡き後フォルシュヴィル伯爵夫人となり、エレガントの極致に達していることを明らかにされました。二番目のヒロインとしては、パリでも由緒ある貴族たちが住むフォーブール・サン=ジェルマンの頂点に立つゲルマント公爵夫人が登場し、洗練された衣装を纏った公爵夫人は威厳と権威に満ちた女神のように描かれていること。ただし、スワンから不治の病に罹っていることを聞かされても、社交界を優先して出かけていく夫人の驕慢さと残酷さは、彼女の真っ赤な衣装に象徴されていること。三番目のヒロインは語り手の「私」の恋人アルベルチーヌ。彼女はポロ帽を被り、自転車に乗る、新しい時代のスポーツ娘として溌剌と登場するものの、「私」によって家に閉じ込められ、羽根を切られた鳥のような「囚われ女」となり、最後はその束縛から「逃げ去る女」へと変わること、そのきっかけが部屋着(着物風)のまま外出することであった、というのは面白い指摘でした。また、映画やドラマの『失われた時』の映像を多く見せて頂き、当時の雰囲気がよくわかりました。講演の後は、「女のショート・カット」についての質問で会場が盛り上がるなど、活発な質疑応答があり、盛会のうちに終わりました(参加者68名)。

 

2016年度男女共同参画事業
「カウントされない生/命」
開催日: 2016年7月16日(土)
場所 大阪府立大学中百舌鳥キャンパスB3棟 119講義室
コーディネーター 浅井美智子 大阪府立大学教授
《案内》大阪府立大学女性学研究センター主催で、下記のシンポジウムを開催の予定です。「対外受精等の生殖補助技術は産ませる技術である一方、死産児や人口妊娠中絶児を生み出しています。また、目に見えにくい貧困層の子どもを生み出しているのも事実です。前者は生殖における身体の担い手である女性に、また、後者は多くの場合、母親の貧困に起因しています。本シンポジウムでは、四つの視点から生殖子育てにおいて女性たちがどのように翻弄されているのか問題提起し、議論したいと思います」(主催者の言葉から)。関心のある方は是非ご参加下さい(詳細は「カウントされない生/命」ポスターを参照のこと)。

日時: 2016年7月16日(土) 13時30分~16時30分

報告タイトルと報告者

1.「望んだ妊娠から消される子ども(中期中絶から死産児へ): 山本由美子(大阪府立大学講師)

2.「不妊治療の現場から消えていく受精卵」: 居永正宏(大阪府立大学非常勤研究員)

3.「みえない母子の貧困と孤立」: 梅田直美(奈良県立大学講師)

4.「売買される卵子・妊娠出産」: 浅井美智子(大阪府立大学教授)

《報告》梅雨明けも間近な土曜、炎天下の中、20名以上の方々が集まってくれました。4人のパネラーによって20分ずつの報告がありましたが、それぞれ内容の濃い、興味深い問題提起でした。まず、山本さんは妊娠中絶に関して、特に出生前検査および中期中絶(人口中絶)の「処遇」を日本、アメリカ、フランスの例を挙げて報告されました。医療技術の発達で、妊娠23週目の手のひらに乗るような小さな赤ちゃん(283g)もちゃんと育てることができるようになり、それゆえ、胎児に障害などがあった場合、生まれてこないよう、「医療化された子殺し(人工中絶)」が起こっているとのことです。医療の抱える悲しい矛盾と言えるでしょう。次に、居永さんの報告によると、生殖補助医療の研究に必要なヒトの受精卵等の入手法として、不妊治療の際の「余剰胚(余剰受精卵)」と「余剰卵(余剰未授精卵)」(採卵したが不妊治療に使えなかったもの、使わなかったもの)を使うことが多いそうです。しかし、日本では受精卵等の入手や提供を直接規定した法律はなく、生殖医療研究のための「余剰胚」の利用についての議論が抜け落ちている、という指摘で、確かにそれに関して法律の整備をするべきだと思います。3番目の梅田さんは、日本において「みえない/みえにくい」母子の貧困と孤立の問題を、戦後日本の「子捨て」「子殺し」「母子心中」をめぐる言説分析を軸として検討されました。その結果、「貧困による子殺し」から「現代日本の子殺し(既婚の母親のノイローゼなど精神的疾患によるもの)」へと言説の焦点が移行し、それによって、「母子の孤立」を「貧困」と切り離して論じるようになったそうです(それは大問題だと思います)。最後に浅井さん(写真左)が、対外受精の技術の発達により、卵子や精子、妊娠・出産が売買の取引となって「商品化」し、グローバルな市場を形成している現状を報告されました。無償・有償で卵子を提供した女性、代理出産をした女性たちがその後、どうなったのか(一部の女性は卵巣肥大や排卵誘発剤による後遺症などを患っているのに)、という追跡調査が全くなされておらず、実態がわからないそうです。海外では「子どもが産めない女性への同情」や「学費を稼ぐため」に安易に卵子を提供する女性がいるそうですが、そのリスクを知らないまま提供しているのは大変危険なことだと思います。「女性の生殖身体のモノ化現象」は今後さらに問題となっていくことでしょう。4人の報告の後、会場からも活発の質問が出てディスカッションすることで、さらに問題意識を深めることができました(写真右:4人の報告者)。

バルザック・サンド合同研究会
バルザックとサンド
開催日: 2016年5月28日(土)
場所 学習院大学西1号館3階305
コーディネーター 西尾治子、村田京子
《案内》日本フランス語フランス文学会2016年度春季大会が5月28日、29日と2日にわたって学習院大学で開催の予定です。その一環としてフランスから招聘されたジョゼ=リュイ・ディアズ パリ第7大学名誉教授と、その奥さまのブリジット・ディアズ カーン・ノルマンディ大学教授に、バルザック研究会とジョルジュ・サンド研究会の合同研究会において、バルザックとサンドの様々な関わりについて話をして頂くことになりました。ジョゼ=リュイ・ディアズ氏は長年、バルザックをはじめとする19世紀フランス・ロマン主義文学を研究され、現在「19世紀ロマン主義研究協会」の会長を務めておられます(ちなみにディアズ氏には、村田がパリ第7大学に博士論文を提出した時に、その審査委員会の委員長を務めて頂き、お世話になりました)。一方、ブリジット氏は19世紀フランス文学作家における書簡を中心に研究され、ジョルジュ・サンドの国際シンポジウムで毎回発表されるなど、活発に活動されています。ご夫婦とも多くの著作、論文を出版されています。今回は下記のタイトルでご発表の予定です(フランス語のみ)。興味のある方は是非ご参加下さい。

José-Luis Diaz : « Balzac et Sand : deux écrivains en vitrine (1831-1850) »

Brigitte Diaz : « Balzac et Sand : deux romanciers en correspondance »

《報告》5月28日に、日本のバルザック研究者、サンド研究者の前でディアズご夫妻がバルザックとサンドの関連について、講演されました。まずディアズ氏(写真)は二人の作家がメディアにおいてどのような評価を得たのか、を明らかにされました。氏によれば、ジャーナリズムが発達した19世紀において、作家は自らの作品だけではなく、私生活が公にされるようになり、それがスキャンダルを引き起こしたり宣伝として使われるようになります。それはまさに、SNS などが発達して無名の個人の私生活が露わになる現代社会の先駆けとも言えるでしょう。しかも、ロマン主義の詩人たちは僧侶に代わって民衆の魂を導く「聖なる職務」を担っているとされましたが、小説は風紀を乱す「不道徳」な文学ジャンルとみなされ、「流行作家」バルザックやサンドは私生活が丸見えの「ガラスの家」に住んでいるとされたわけです。そうした時期にシャトーブリアンやサンドなど、様々な作家の自伝が出版されたのも、こうした風潮の一環である、という氏の指摘は大変興味深いものでした。次にブリジット先生は、書簡を通してバルザックとサンドの関係を探り、二人が深い友情で結ばれていることを明らかにされました。ただ、サンドとフローベールが交わした手紙はその書簡集が出版されるほど、数が多かったのに対して、バルザックとサンドの間には30通ほどしか残っていないことは意外でした。二人の関係は量より質、ということで互いに本の献辞を捧げあったり、バルザックがノアンの館を訪れるなど、直接的な交流があったことは確かです。ただ、残念なのは、バルザックがサンドの才能を認めながらも、彼女をモデルにした登場人物カミーユ・モーパン(『ベアトリクス』に登場する女性作家)が、最後には修道院に自ら引きこもり、「沈黙」するのは、やはり女性作家に対するバルザックの恐れだったのでしょうか。ともあれ、2時間、バルザックとサンドの世界に浸る濃密な時間を過ごすことができました。会の後、ご夫妻を交えて皆で昼食を共にし、文学談義に弾みました。

ジェンダー講演会
「19世紀の女性芸術家と女性知識人―書簡にみる女性たちのネットワーク」
開催日: 2,016年5月24日(火)
場所 奈良女子大学 総合研究棟S228
コーディネーター 高岡尚子 奈良女子大学教授
《案内》奈良女子大学アジア・ジェンダー文化学研究センター主催、大阪府立大学女性学研究センター後援で、下記のジェンダー講演会を開催いたします。講演者はフランス、カーン・ノルマンディー大学教授でフランス・ジョルジュ・サンド学会の会長でもあったブリジット・ディアズ先生で、先生は長年サンドの書簡について研究されてこられました。今回はサンドを中心に、同時代の女性芸術家・作家たちとの交流を探るものです。フランス語での講演ですが、逐次訳もありますので興味がある方は是非、ご参加下さい(詳細は講演会ポスターを参照のこと)。

5月24日(火): Brigitte Diaz :  « Femmes artistes et intellectuelles au 19e siècle à travers leurs correspondances »

《報告》真夏を思わせる初夏の午後、50名を越す奈良女子大の学生さんたちで一杯の教室でブリジット・ディアズ先生の講演が開催されました(写真左は講演中の先生)。ご講演では、19世紀フランスの女性にとって職業作家になるのがいかに難しかったか、そして作家修業のツールとして書簡が大きな役割を果たしたことを明らかにされました。書簡は「論理性がなく、とりとめもなく書きつづる文学ジャンル」として女性の領域とされながら、女性作家の書簡集の数が少ない中で、28巻にのぼるジョルジュ・サンドの書簡集は群を抜いています。ディアズ先生によれば、そこにはサンドと他の女性作家や作家志望の女性たちの交流が数多く見られ、サンドの書簡集が女性たちのネットワークを知る上で貴重な資料となっています。サンドは作家志望の多くの女性たちのイニシエーターの役割を果たしていたこと、しかしその中で作家として成功したのはマリー・ダグーなど少数であったこと、そして彼女たちが様々なメディアから数々のバッシングを受けたことをカリカチュア等を通して明らかにされました。講演の後、学部学生や院生などを交えて、奈良女子大のテラスでコーヒーを飲みながらディアズ先生ご夫妻と歓談しました(写真右)。夕方は奈良まちをぶらぶら皆で散策し、ご夫妻は京都とは違う、少し鄙びた奈良の魅力を発見されたようです。

東京でも同じ内容の講演会(日仏女性研究学会主催、於 日仏会館)が5月26日に開催されました。その報告は、『女性情報ファイル』第124号、p.7に掲載されています。

 

放送大学(奈良学習センター)面接授業
「人間と文化/フランス・ロマン主義文学と絵画」
開催日: 2016年4月30日~5月1日
場所 奈良女子大学
《案内》放送大学(奈良学習センター)の面接授業として2日間にわたり、「フランス・ロマン主義文学と絵画」というテーマで話をする予定です。午前9時45分から夕方16時35分まで、4コマの授業を2日連続で行うので凝縮した内容となりますが、パワーポイントを使って、図版を多数お見せしながら楽しい授業を目指しています。詳細は放送大学のHPをご参照下さい。

《報告》面接授業1日目は少し肌寒い朝でしたが、日中は5月らしい快晴となりました。連休の始め、ということもあり行楽客の多い奈良までわざわざ授業を聞きに地元の奈良だけではなく、神戸や大阪、堺など遠くから来られている方もいて本当に聴講生の皆さんの熱意には頭が下がります。30名余りの方々が参加され、85分授業を午前中2コマ、午後からも2コマ、となかなか集中力を維持するのも難しくなりますが、最後まで熱心に聞いて頂きました。2日目は汗ばむほどの暑さとなりました。その中、2日間で8コマというハードスケジュールでしたが、授業の後には多くの方が様々な質問をしてくれ、活発な質疑応答が交わされました。本当に充実した2日間を過ごすことができました(少し、しゃべりすぎて喉が嗄れてしまいましたが)。「絵画」と「文学」の深い関連性を少しは分かって頂けたかな、と思っています。

2015年度

大阪府立大学 市民フォーラム
「はばたく女性たち 歴史・文学・伝説」
開催日: 2016年1月26日~2月23日
場所 大阪府立大学 I-siteなんば
コーディネーター 河合眞澄 大阪府立大学教授
《案内》大阪府立大学教員による第10回市民フォーラムを以下のように開催します。「現在でこそ、女性たちはさまざまな分野で活躍していますが、時 代をわずかにさかのぼれば、みずからの思うような行動に踏み切れない女性たちも大勢いました。活躍するための力を蓄えようとしている女性、それを下ざさえ している女性たちの姿は、振り返っておかなければなりません。一方、封建的な社会にあっても、臆せずにみずからのなすべきことを考え、主張する女性たちの 存在もありました。日本・中国・フランス・アメリカの例から、はばたく女性たち、あるいははばたこうとする女性たちの現実を再認識し、その実態を見直して 行きます」(案内文より)。詳細は大学HP(http://www.osakafu-u.ac.jp/extension/evt20160126.html)および市民フォーラムパンフレットをご参照下さい。

1月26日(火): 河合眞澄 「浄瑠璃・歌舞伎の「姫」」

2月2日(火): 大形徹 「『列仙伝』の女仙」

2月9日(火): 村田京子 「もう一人の椿姫―ジョルジュ・サンドの『イジドラ』」

2月16日(火): 中村治 「家事・農作業の機械化と女性」

2月23日(火): 滝野哲郎 「アメリカ南部の女性たち」

《報告》2月2日のフォーラムの日は朝から嵐のような風が吹き荒れ、一時はどうなるかと心配しましたが、夕方には寒さは残ったものの、風は止みました。そんな寒い中、80名もの方々が聴講に来て頂き(特にいつも名古屋から駆けつけてくれる、いおりさん、どうもありがとう)、本当に感謝しています。司会の河合先生から簡単な紹介の後、6時30分きっかりに話を始めました(ちゃんと電波時計が用意されていて、センター入試の監督を思い浮かべてしまいました)。90分間、皆さん、熱心に聞いて下さいました(写真左)。

クルチザンヌ(高級娼婦)と言えば、貧しさのために売られた女性、というイメージが強く、「はばたく女」のイメージとは一見、反対のように思われます。確かにデュマ・フィスのクルチザンヌ「椿姫」も愛する恋人のために自ら身を引き、恋人からの迫害、侮辱を受けても黙って耐え忍び、ただ一人、肺結核で血を吐きながら死んでいく、という悲劇です。この「椿姫」には実在のモデルがいて、それがマリー・デュプレシ(右図)という女性でした(実際、マリーは楚々とした美女で、クルチザンヌとしてパリで一世を風靡したものの、23歳の若さで肺結核で死んでいます)。しかし、女性作家ジョルジュ・サンドの『イジドラ』には同じマリーをモデルとした「椿姫」(ジュリー=イジドラ)が登場しますが、デュマ・フィスの「椿姫」とは全く違う運命を辿ることになります。イジドラは男性優位の社会の中で自らがお金で買われた女であることに傷つき、屈辱を覚えながら生きてきましたが、最後には男たちが嘲る「老醜」を恐れなくなり、穏やかな「老いの庭」を楽しむようになります。彼女は次のように言っています。「厳しい忠告者である私の鏡、それについては男たちが皮肉たっぷりの常套句をさんざん言い、書いてきたことですが、その鏡を覗いて、皺が一本増えたことや、何本かの髪の毛が白くなっているのをみて、つい最近までは震え上がったものです。でも、突然、心を決めて、歳月のもたらす容色の衰えを確かめようとさえ、もう思わなくなりました」。彼女は「男の眼差し」で鏡を見るのではなく、鏡に映る「年老いた女」を「別の女、新たに始まるもう一つの私」とみなして幸福感に浸っています。こうしたくだりは、アンチエイジングがもてはやされる現代社会に生きる私たちにとっても身近な問題提起のように思えます。

女性学講演会(女性学研究センター主催、人間社会学研究科「文学とジェンダー」共同研究プロジェクト共催)
「文学とジェンダー」
「文学における危険な女性たち」
開催日: 2015年12月26日(土)
場所 大阪府立大学なかもずキャンパス B3棟106会議室
コーディネーター 村田京子
《案内》第19期女性学講演会 第2部(第2回)「文学とジェンダー」を開催いたします。今回は副題に「文学における危険な女性たち」とあるように、フランス文学(とりわけ、「宿命の女 (femme fatale)」が多く登場する19世紀後半の文学作品)に登場する「危険な女性たち」を取り上げ、彼女たちがどのような点で男性作家および当時の男性たちによって「危険」だとみなされたのかを探っていきたいと思います。また、こうした女性に関わる絵画も参照しながら、ジェンダーの視点から文学を味わっていきたいと思います。関心のある方は、ふるってご参加下さい(詳細は2015女性学講演会を参照のこと)

2時~3時 :      「母と娘―フローベールのサロメ像と神話の変遷」  大鐘敦子 関東学院大学教授

3時15分~4時15分: 「危険な「ヴィーナス」―ゾラの娼婦像と絵画」   村田京子 大阪府立大学教授

4時30分~5時 :  講演者との質疑応答

《報告》師走の忙しい時期に、大勢の方に来て頂きました。まず、大鐘先生の「サロメのダンス」に関するお話で、特にワイルド劇の「七枚のヴェールの 踊り」として知られるサロメのダンスは、実際はフローベールの『ヘロディアス』で初めて言及されたものであったことを明らかにされました。確かにワイルド の戯曲ではト書きで「サロメは七枚のヴェールの踊りを踊る」とあるだけで、フローベールの小説でエジプトのベリーダンスのようなサロメの踊りが詳しく描写 されています。その中でも大鐘先生は「視線の動き(焦点化)とエロティスム」、「文体(音韻とリズム)」(聖なる3つのリズム)、「エジプトの踊り子 (Almée)のダンス」、「象徴性」「母と娘」という5つのキーワードでフローベールの小説を分析されました。とりわけ、「象徴性」に関して、サロメが 「巨大なスカラベ」に喩えられているのを取り上げ、スカラベ(ふんころがし)はエジプトでは「太陽を司る神の化身」であり、「復活の象徴」となっているこ と、ヨハネの死がキリストの出現を用意するという復活劇(ユダヤ教からキリスト教への移行)の中で、サロメはその介入者としての役割を担っていると解釈さ れているのが非常に心に残りました。また、ヘロディアスはキュベレー神(大地母神)とつながっているなど、示唆に富む興味深いお話でした。その他にも中世 の動物叙事詩「イセングリムス」にすでにヘロディアスが登場していることなどにも触れられ、サロメ神話の奥の深さを感じるご講演でした(写真左は講演中の 大鐘先生)。

次に村田がゾラの『ナナ』についての話をし、「社会の解体をもたらす危険な女」として登場するナナの危険性とは一体どのような ものなのかを検証しました。ゾラは、ロマン主義時代に席巻した「恋するクルチザンヌ(高級娼婦)」(真実の愛によって浄化される娼婦)のテーマ―デュマ・ フィスの「椿姫」など―を「感傷主義」だと批判し、「ありのままの娼婦」「真の娼婦」を描こうとしました。それがナナで、彼女は物語冒頭ではオペレッタ 『金髪のヴィーナス』の主役として舞台に登場し、観客をその性的魅力の虜にします。その「ヴィーナス」像をアカデミー絵画(カバネルやブーグロー)の ヴィーナス像と比べながら両者の類似と差異を明らかにしました。次にナナの「獣性」に関する考察(「女の匂い」や「厚化粧」など)、同じく「真の娼婦」を 描いたとされるマネ(ゾラが特に《オランピア》についてマネ擁護の記事を書いています)との関わり(ゾラとマネが社会の秩序を乱す恐れのある「もぐりの下 級娼婦」を描いたこと;マネの《ナナ》とゾラのナナとの共通点は、「見られる女」であると同時に「冷静に見る女」でもあること、など)、「空間を侵食する ナナ」のテーマでは「裏社交界 (demi-monde)」が「社交界 (grand-monde)」に侵食し、解体崩壊していく過程を追いました。また、『ナナ』にも「サロメ」のテーマが隠されており、ギュスターヴ・モロー の絵画とのつながりを明らかにしました。ゾラの小説でもサロメ神話を垣間見ることができたわけです(写真は講演中の村田)。

講演の後の質疑応答では様々な質問、意見がでて時間をオーバーするほど熱中した議論が続き、盛会のうちに終わりました(参加者37名)

「文学とジェンダー」ミニシンポジウム(人間社会学研究科共同研究プロジェクト)
「文学とジェンダー」
開催日: 2015年10月9日(金)
場所 なかもずキャンパスA15棟中会議室
コーディネーター 村田京子
《案内》2015年度第1回「文学とジェンダー」ミニシンポジウムを下記の通り開催いたします。今回は中国思想(神仙思想)と、日本文化(演劇)専門の本学教員がお話をいたします。参加は自由ですので、興味のある方はふるってご参加下さい(詳細は ポスターを参照のこと)

2時~3時 : 大形徹  「『列仙伝』の女仙」

3時10分~4時10分 : 河合眞澄 「浄瑠璃・歌舞伎のお姫様―はばたく女性たち」

4時20分~5時 : 自由討論

《報告》秋晴れの中、大勢の方に参加頂きました。まずは、大形先生(写真左)が前漢の劉向撰とされる『列仙伝』に現れる女仙の話をされました。同じ劉向撰とされる『列女伝』では孟母三遷の話で有名なように、婦徳を説く道徳的な物語が集められているのに対し、『列仙伝』では修業や苦行の果てに仙人になるといった道徳とは無関係に女性が仙人になる話で、特に女丸という女性の紹介がありました。女丸は酒売りの女性で、客の仙人が飲み代の代わりに素書(絹の白書)を置いていったので、その書物を開くと養性交接の術が書かれており、彼女はそれをマスターして少年たちを集めては美酒を飲ませて宿泊させ、術を行ったおかげで30年経っても20歳くらいの美しさを保っていた、30年後に仙人が彼女の元を訪れ、「道を盗んでも師がいなければ、羽があっても飛べない」と言われ、彼女は仙人の後を追って姿を消した、というものです。男の「精」を吸い取って若返る女性は、例えば欧米では「宿命の女 (femme fatale)」として恐怖の的となり、「宿命の女」も最後は恐ろしい死によって罰せられる、という形になりますが、中国の場合、女丸は罰せられることもなく、非常にあっけらかんとした結末で興味深かったです。仙人に特徴的な長寿というのも、もともとは死者の復活という考えが起源にあったそうです。

次に、河合先生(写真右は河合先生が八重垣姫に扮して踊った時のもの)が浄瑠璃・歌舞伎に出てくる三人の女性―それぞれ愛する男性のために積極的に行動する女性―の話をされました。①『本朝24孝』の八重垣姫(上杉謙信の娘):彼女は敵方の武田信玄の息子勝頼(=蓑作)と許嫁であったが、勝頼が父の謙信の命令で暗殺されることを知り、愛する彼のために諏訪明神に祈り、神の狐の助けを借りて諏訪湖の湖水を渡って彼を追いかけていく、という話。江戸時代の儒学では「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と言われ、夫となる人のために父を裏切って自分の意志を貫く女性を描くことができたようです。②『祇園祭礼信仰記』の雪姫:祖父が雪舟である女絵師、雪姫を松永大膳が自分の物にしようと幽閉し、さらに彼女の夫の直信を殺そうとする。捕えられた雪姫が桜の花びらで鼠の絵を描くと、絵から白鼠が現れ彼女を助ける、というもの。これは有名な雪舟の逸話から派生したものですが、女性が自分の身を投げ出して夫の命乞いをするといった筋書きではなく、自ら積極的に行動を起こすところに雪姫の独自性が見出せます。③『鎌倉三代記』の時姫:豊臣秀頼と千姫の物語を鎌倉時代に置き換えて演じたもので、北条時政の娘、時姫(=千姫)は敵の武将三浦之助義村(=豊臣秀頼)を慕い、親に逆らって彼の母親の看病をしている所に、戦から傷を負った三浦之助が帰還。彼は自分が討死した後、時姫が父の時政を打てば後の世まで自分の妻とする、と約束し、時姫がその誓いを立てるという話。これも親子の縁よりも夫婦の縁を尊ぶもので、「親殺し」の罪をかぶっても自らの愛を全うしようとするところに時姫の強さが見出せます。しかし、その後どうなったか、結末を省くところに日本のお芝居の面白さがあると思います。

お二人の話のあと、活発な質疑応答がなされ、盛会のうちに終わりました(参加者46名)

ジョルジュ・サンド国際シンポジウム
George Sand et ses consœurs : la femme artiste et intellectuelle au XIXe siècle
20e Colloque International George Sand
開催日: 2015年6月29日~7月1日
場所 ヴェローナ大学(イタリア)
コーディネーター Laura Colombo
第20回ジョルジュ・サンド国際シンポジウムが、6月29日から7月1日まで3日間にわたり、イタリアのヴェローナ大学で開催の予定です。2年前のベルギー、ルーヴァンカトリック大学でのシンポジムと同様に今回もイタリア、フランス、アメリカ、プエルトリコ、スイス、中国、日本など世界各国の研究者総勢50名以上が参集して研究発表を行うことになっています。今回は「ジョルジュ・サンドと女の同僚たち」というタイトルで、19世紀における女性芸術家、女性作家、女性詩人たちとサンドとの関係を様々な視点から検証するもので、幅広いテーマでの発表が予定されています。詳細はプログラム(George Sand et ses consoeurs - programme)を参照のこと。

【報告】ヴェローナ大学での3日間にわたる国際シンポジウムを無事終え、帰国しました。ヴェローナ大学は、町の中心(城塞に囲まれた部分)から歩いて15分くらいのところにあり、修道院のような回廊のある中庭を抜けて校舎に入る、素敵な大学でした。連日30度を越す猛暑でしたが、さすが南の国なので冷房完備で快調に過ごせました。開催にあたってまずヴェローナ大学の学部長、女性の研究科長、ミラノ・フランス領事(代理)、フランス文化官などのあいさつ及び、主宰者ローラ・コロンボ・ヴェローナ大学教授とカトリーヌ・マッソン・ウェズリー大学教授の挨拶(写真)がありました。今回のシンポジウムでは、サンドが同時代の女性作家・芸術家たちとどのような連帯をしたのか、しなかったのか、彼女たちとは違うサンドの独創的な点、さらにはサンドと同時代の女性作家の作品分析、サンド作品のモデルとなった女性芸術家たち(女優のマリー・ドルヴァルやオペラ歌手ポーリーヌ・ヴィアルドなど)の生涯について、または「サンドの娘たち」に分類される女性たち(サンドの娘ソランジュ、サンドの影響を受けた後代の女性作家たち―フランスだけではなくロシアやアメリカ、イギリスなどヨーロッパ全土にわたる―)の生きざまとその作品の紹介など、多岐にわたる発表が行われました(ヴェローナ大学HPでの報告)(日仏女性研究学会「第20回ジョルジュ・サンド国際学会(ヴェローナ大学)」– 「女性情報ファイル」No.123(2016年2月)西尾治子氏報告)。

私はマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールの『ある画家のアトリエ』を取り上げ、バル