村田京子のホームページ – 源氏物語ミュージアムと石山寺

女房装束先日、大学の同窓会の源氏物語にまつわる催しで、宇治の源氏物語ミューパンフレットジアムと石山寺の見学に参加しました。ミュージアムでは、六条院の模型(春夏秋冬の庭)と牛車、女房装束(左写真)が展示されていました。今年のNHK大河ドラマが紫式部が主人公となっていて、源氏物語ブームになっているので、訪れる人も多かったです。ただ、このところの暖かいお天気のせいか、残念ながら紅葉はまだでした。

その後、石山寺へ(ここも観光客でごった返していました!)(パンフレット参照)。平安時代に、石山詣でが盛んになり、女性文学者たちがここを訪れ、紫式部も上東門院 彰子に新しい物語を作るよう命じられて7日間、石山寺に参籠したそうですIMG_6036(左写真は、本堂横にある紫式部の人形)。伝説によれば、紫式部は紙が手元になかったので、経文の裏に物語を書いたとか。罰当たりということで地獄堕ちになるが、その後「観音」になったそうで、その絵が描かれていました。お寺の本尊自体は、秘仏のために33年に一度しか開帳されず、見られませんでした。興味深かったのは、兜跋毘沙門天(右写真)で、足元には地天女がいて、毘沙門天は地天女の両手に支えら毘沙門天UP500 CIMG3203れていること、天女の左右にいるのは邪鬼ではなく、二鬼(尼藍婆、毘藍婆)とのこと。本堂への石段を登り、毘沙門堂や多宝塔など、ゆっくり回って戻ってきました。

また、京大の美術史専門の院生の方がガイド役になってくれ、お話を聞きながら回って行きましたが、大河ドラマの時代考証についての話が非常に興味深かったです。実は、平安時代の美術品というのがほとんど残っていないそうで、ドラマの室内の場面で背景の襖絵が水墨画になっているが、水墨画が襖絵として描かれるのは13世紀(鎌倉、室町時代)になってからだそうです。また絵師が絵を描く場面で、その背景にある絵は一つは正倉院にある天平時代の「鳥毛立女屏風」、もう一つは18~19世紀のものとのこと。衣装などは時代考証をきっちりしているものの、背景となるとなかなか正確にはいかないようです。こうした時代劇を見る時は、背景の道具などにも注意してみると、面白いかもわかりません。

天気にも恵まれ、楽しい一日を過ごすことができました。

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