村田京子のホームページ – blog

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IMG_0001リアリズム文学研究会主催のオンライン・シンポジウム「旅するリアリズム―近代文学における外部世界との接触」(ポスター)に参加しました。毎年恒例のシンポジウムですが、前回のテーマ「室内 私空間の近代」では、現実からの逃避によって自己に閉じこもり、自己完結的な世界が浮き彫りになりました。今回は「旅」に出ることで外部世界と接触し、ばらばらになった自己をどう統一していくのか、探っていこうとする試みになっています。

まず、イギリス文学専門の井上大智氏が「自然に抗って―英国唯美主義におけるリアリズムの位置」というタイトルで、19世紀後半のイギリスの唯美主義とリアリズムの関係を検証しました。氏はまず、14世紀のチョーサーの『カンタベリー物語』における巡礼の旅から始まり、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を取り上げました。夏目漱石はこの小説を「些末な事を箇条書き」にする外面的なものと批判しましたが、今日では、デフォーは「内面的な指向性を持つ作家と外面的な指向性を持つ作家の中間的な位置」に位置づけられているとのこと。さらに19世紀になると、産業革命で裕福になったブルジョワ階級がヨーロッパ大陸に繰り出すようになり、トマス・クックやヴェデカなどのガイドブックが旅の大衆化を促進させました。しかし、ディケンズの『イタリアのおもかげ』のように、旅した町の様子を記憶を辿りながら幻想的に描く内面への旅へと移行していきます。19世紀末の唯美主義になると、リアリズム的な「対象をあるがままに見る」のではなく、「自分自身が受けた印象をあるがままに認識する」ことが重要となり、オスカー・ワイルドのように「日本的効果」を見たければ、わざわざ東京に出かけていかなくても日本画に沈潜し、その精神を捉えれば十分、と主張するようになります。それはアウエルバッハが言う「より真実な、より深層の、まさしくより現実的な現実を探索しようとする」試みにつながる、という話でした。井上氏の話を聞いていて、コロナ禍で外国旅行ができなくなった今、ワイルドのようなヴァーチャルな旅の可能性に思いを馳せました(しかし、どこまで真実にたどり着けるかは個人の認識能力に左右されると思いますが)。また、トマス・クックの時刻表は昔、ヨーロッパを旅する時にお世話になったな、となつかしく思いました。

次にドイツ文学専門の久山雄甫氏が「アレクサンダー・フォン・フンボルトにおける思弁と経験」というタイトルで、「旅する科学者」フンボルト(南北アメリカ、シベリア、中央アジアを探検)の著作『コスモス』における彼の世界観について、話をされました。まず、ロバートソンやブーガンヴィル、クックなど18世紀後半の探検家に触れた後、フンボルトの生涯を簡単に説明し、最後に『コスモス』の内容の紹介がありました。氏によれば、フンボルトは最晩年に『コスモス』という大著を著しますが、この著書において彼は、過去の探検旅行によって得た膨大な科学的データを使い、「経験主義的な考察」をすると同時に「思考を伴って宇宙を認識し、理性に即して宇宙を把握する」という思弁的な立場にも立っています。とりわけ興味深いのは、本文は美しい文体の知的な文章で書かれているのに対し、膨大な注(1頁につき、注が3頁もある箇所もあるとか)には、科学的データが事細かに、乾いた文章で書かれているそうです。こうした本文と注の組み合わせは、他にも絵画とデータ(わかりやすいイメージの両側には科学的データが記されている)、総論と特論(本文と注と同じ関係)が組み合わされて、一方では経験内容のデータ化による「経験の脱感性化」、他方では知識のイメージ化による「思弁の感性化」がなされているとのこと。現在、久山氏は『コスモス』の翻訳の最中だそうで、翻訳の出版が待ち望まれます。フンボルトの兄が有名な言語学者で、スタール夫人とも親しく、兄弟とも素晴らしい業績を残した学者であることに改めて感動しました。

3人目の発表者はロシア文学専門の中村唯史氏で、「文学空間への旅の向こう―トルストイ『コサック』を読む」というタイトルで話されました。トルストイは『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』で有名ですが、1863年に発表した『コサック』は、作者自身がコーカサス地方に軍人として駐留していた時期の経験に基づく自伝的小説とみなされています。この小説は、1820年~1830年代にロシアで流行した「コーカサスもの」を再現するものとして、多くの批評家からアナクロニズムと批判されたそうです。当時、ロシア帝国がコーカサスを併合しましたが、山岳民はロシアに抵抗して戦ったため、コーカサスはロシア文学において「他者」とみなされていました。「コーカサスもの」とはロシア人が「他者」であるコーカサスに出かけていく物語で、氏の発表は、既存の「コーカサスもの」とトルストイの小説との相違点を探るものでした。比較の対象として、まずプーシキンの『コーカサスの虜』(1821-22)が取り上げられました。この小説ではコーカサスに来たロシア人が山岳民の捕虜となるが、そこでコーカサスの娘と出会って恋仲になる、という筋書きで「ロシア=文明(虚偽、敵意、中傷)」と「コーカサス=自然、自由」という二項対立の元に、文明側からの「自然」への憧れが描かれています。『コサック』でも「文明」と「自然」の同じ二項対立のもと、ロシアから来た主人公オレーニンは、コーカサスのコサック(国境警備隊)の娘マリアンカに恋愛感情を抱き、彼女に「崇高な自然」のイメージを重ねます。しかしそれは結局、オレーニンの幻想、妄想に過ぎなかったというリアリズム的な結末になっています。さらにコーカサスはコサック(ロシア人との混血、ロシア正教)と山岳民(イスラム教のチェチェン人)の二重構造になっていて、ロシア人は山岳民とは全く触れ合えずに終わります。言わば「自己」と「他者」の融合の不可能性に、この小説のリアリズム性が見出せるという中村氏の発表は、様々な国の内部で民族闘争がいまだに起きている現在にもあてはまるのではないかと思いました。

最後の発表者はラテンアメリカ文学専門の花方寿行氏で、「D. F. サルミエントとパンパ―ヨーロッパ的視線とその揺らぎ」というタイトルで、中南米スペイン語圏(イスパノアメリカ)の作家サルミエントの著作について話をされました。18世紀にスペイン帝国の一部であった中南米の国において、19世紀前半になると自国の独自性を強調するため、「イスパノアメリカの知識人はフンボルトをはじめとするヨーロッパの探検家・旅行者の言説を参照」しました。しかしそれは、「ヨーロッパの言説が一方的に「辺境・植民地」を占有していく過程」ではなく、その限界を露わにし相対化していく作業であったことを、サルミエントの著作を通して検証する試みとなっています。サルミエントは19世紀アルゼンチン文学を代表する作家であり、さらに1868年にはアルゼンチンの大統領になった政治家とのこと。その彼が書いた『ファクンドまたは文明と野蛮』(1845) では、ヨーロッパの崇高美学に基づくパンパ(平原)の美的価値が謳われています。しかし実際は、彼はパンパを知らず、旅行者やアルゼンチン作家の記述に基づいて書いたもので、ヨーロッパにない新しい芸術的素材としてのパンパに「野蛮」を見出し、その暴力性は文明化を妨げるものとして、中央集権的な国家が吸収すべきだとしています。しかし、彼がヨーロッパ、アフリカを旅行した時の『旅行記』(1849)では、オリエントへのヨーロッパ的な眼差しでアフリカを描いていた彼が、これまでの文学で扱われてこなかった「クスクス」というアラブ料理に直面すると、どう表現していいかわからなくなり、「アメリカ大陸の田舎のバーベキュー風に焼かれた仔羊」が出てほっとするという場面があります。そこではヨーロッパ的な観点に対する「揺らぎ」が見られ、さらに『大軍での遠征』(1852)では、実際にパンパを目撃した作者は感激するものの、目の前に広がる平原はピクチュアレスク美学や崇高美学には当てはまらず、パンパそのものを表現することが不可能になっています。イスパノアメリカ文学に関しては、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』など、魔術的リアリズムしか知らなかったので、19世紀の作家サルミエントに関する今回の発表は非常に勉強になりました。ちなみに「クスクス」は大好きで、フランスに行った時だけではなく、スムールを買ってきて自宅でも「クスクス」もどき(仔羊は手に入れにくいので)を楽しんでいます。

シンポジウムは、13時から18時過ぎまでの長丁場で少し疲れましたが、4人のご発表はそれぞれ示唆に富み、私にとって馴染みのフランス文学との相違点、新たな観点を知ることができ、有意義な時間を過ごすことができました。

Written on 1月 31st, 2022

2111_Beauvoir_j_1122フェミニズム理論の創始者とも目されるフランスの作家、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの未刊の自伝的作品『離れがたき二人』(Les Inséparables)がフランスのエルヌ社より出版され、その翻訳が早川書房から出版された記念として東京大学東京カレッジ主催(在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本、日仏会館、日仏女性研究学会共催)でオンラインでの講演会が開催され、聴講しました。ボーヴォワールと親しく、彼女の著作権を継承した養女のシルヴィ・ル・ボン・ド・ボーヴォワール氏の基調講演の前に、林香里・東大副学長から話がありました。ボーヴォワールの時代にはブルジョワ女性は結婚して母親になることが運命づけられ、その道から外れ、自立した生き方を目指す女性は社会から抑圧されました(それが、ボーヴォワールの親友ザザの辿った運命で、哲学者のメルロ=ポンティとの交際を親に反対されたザザは21歳で死去。彼女との関係が『離れがたき二人』に描かれています)が、それは現在でも根強く残っている(例えば、メディアやアニメでも女性のステレオタイプ化が顕著)という話をされました。東大では林先生は副学長としてダイバーシティ分野を担当し、女性研究者を25%以上に増やすことを目指しているそうです。特に自然科学分野、数学、哲学分野において女性研究者が少ないですが、ボーヴォワールは、まさに哲学と女性を結びつける貴重な存在であると結論づけられました。

次に、シルヴィ・ル・ボン・ド・ボーヴォワール氏から『離れがたき二人』についての紹介がありました。この小説は、ブルジョワ教育およびカトリック教育への異議申し立ての書であり、ブルジョワの偽善性を浮き彫りにしているとのこと。作者のボーヴォワール自身は裕福なブルジョワ家庭に生まれましたが、父の破産によって(父から「持参金を出せないので、結婚はできない」と宣言されます)かえって、ブルジョワの規範から外れて学問に没頭し、作家の道に進むことができました。さらに思想的同志サルトルとの出会いや、1839年に勃発した第二次世界大戦、ナチスによるフランス占領、レジスタンス運動への参加を経て戦後、アンガージュマンの思想を掲げた雑誌『レ・タン・モデルヌ』をサルトルたちと一緒に発行し、政治に積極的に参加していきます。特に女性の解放を主張し、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」(On ne naît pas femme, on le devient)という有名な言葉(『第二の性』)が生まれることになります。今ではすでに常識となっている「ジェンダー」という考え方-社会的・文化的に構築された性別―をいち早く指摘したと言えるでしょう。彼女はいわゆる「女らしさ」「男らしさ」の規範からの解放を、女性だけではなく男性にも訴え、さらに「老い」の関する迷妄からの解放も訴え、日本の今村監督の映画『楢山節考』にも触れているそうです。すなわち、老いて働けなくなると社会から捨てられる慣習(老いの否定)への異議申し立ても行っています。『離れがたき二人』が未刊であったのは、サルトルから出版に値しないと言われたからとのことですが、シルヴィ・ル・ボン氏は、思想家、哲学者としてのボーヴォワールのイメージを壊すとサルトルが考えたからではないかと推察されました。私個人としては、女同士の関係を描いた小説は「出版に値するほどの公的価値はない」という女性蔑視的なサルトルの考えが多少とも働いたような気がします。次の登壇者、中村彩氏は、ボーヴォワールが何度かザザとの関係を書こうとしながらうまくいかず、結局、小説から回想録(『娘時代』)に転換してザザの想い出を書いたその理由を探られました。3番目の登壇者でボーヴォワールの著書『モスクワの誤解』を翻訳された井上たか子氏の話に関しては、ボーヴォワールは女性の生物学的条件(子どもを産む性であること)を否定したわけではなく、むしろリプロダクティヴ・ヘルス/ライツの権利(子どもを産む・産まないといった選択の権利を女性が持つことなど)を主張した、というのが非常に記憶に残りました。

17時から20時までの3時間にわたる講演会(一部、用事のために聞くことができない部分もありました)に参加して、ボーヴォワールの『第二の性』をもう一度、紐解いてみたいと思いました(『離れがたき二人』も読んでみたいと思います)。『第二の性』は日本でも有名ですが、翻訳書は絶版になっているそうで、シルヴィ・ル・ボン・ド・ボーヴォワール氏も大変残念がっておられました(サルトルの著書は絶版ではないのに)。同氏はこれからも未完の書簡集などを発行していく予定とのこと。オンライン開催は、自宅で簡単に参加できるのが便利ですが、シルヴィさんのインターネット環境がもう一つ良くなくて画像がフリーズしたり、音声が聞こえなかったりで、質疑応答の場でコミュニケーションがうまくいかなかったのが少し残念でした。ともあれ、日本でもフェミニズムを扱う出版社(松尾亜紀子代表のエトセトラブックスなど)や書店が次々に登場していることに、日本の未来への希望を見いだしました。

Written on 12月 12th, 2021

s-IMG_4907知人の絵の展覧会を見に行ったついでに、奈良公園に紅葉を見に行ってきました。s-IMG_4908まずは昼食ということで、近鉄奈良駅から徒歩5分の懐石料理店「かこむら」へ。20人余りしか入らない小さなお店ですが、非常に繊細な味の料理をだすお勧めの店で、久しぶりに訪れました。まずは先付として帆立とほうれん草が銀杏のお皿に入っていてきれいでした(左写真)。次がお造り(右写真:あまてカレイと剣先イカ)。イカは歯ごたえが良いけれども適度に柔らかで、あまてガレイ(まこガレイ)も美味でした! 次は、今年最後と思えs-IMG_4909る土瓶蒸しで、松茸とハモを堪能しました(最後のご飯も松茸ご飯で、香りがなんとも言えない幸福感をもたらしてくれます)。八寸(左写真)は、子芋、柿なます、イクラ、カニ、サツマイモと大学麩、だし巻き卵、鮭のてまり寿司とs-IMG_4910、見た目もきれいで秋らしく、おいしく頂きました。次は鱧の天ぷら(右写真)、穴子の卵じめ、最後のデザート(左写真)はピオーネのゼリーと新高梨。お皿がすごくきれいで、お祝い事に使えそうでした。

食事を満喫した後、奈良公園へ。ちょうど、興福寺の五重塔が特別公開(ポスター)s-IMG_4912していて、普段は見られない仏像が見れる、ということで参拝することにしました。塔の中心には心柱が立っていて、しゃがむとその土台が見えるようになっていました。南方には釈迦如来坐像が普賢菩薩と文殊菩薩を両脇に従えて安置され、西方は阿弥陀如来坐IMG_0001像(観音菩薩と勢至菩薩が両脇)、北方は弥勒菩薩座像、東方は薬師如来坐像が安置されていました。それぞれが関連する菩薩像に挟まれていました。四方仏に釈迦、阿弥陀、弥勒、薬師が選ばれたのは、「奈良時代よく知られていたいわゆる顕教における四仏をs-IMG_4921s-IMG_4922配置したもので、貴重な事例」だそうです。奈良公園も、緊急事態宣言が解除されたこともあり、修学旅行生や観光客がだいぶ戻ってきていました。次に、東大寺まで行き、表の池に映る紅葉(左写真)や、境内裏の大きな銀杏の木(右写真)を見て帰りました。ここはいつもなら人が少ないのですが、この日はカメラ愛好家のグループが来ていて、盛んに写真を撮っていました。久しぶりに奈良公園をゆっくり散歩できて楽しいひと時でした。

Written on 11月 18th, 2021

IMG_0001先日、あべのハルカス美術館での「ポーラ美術館コレクション展」を見に行ってきました(ポスター)。箱根のポーラ美術館には以前に行ったことがあり、恐らくすでに見ているはずですが、その選りすぐりを見に行くことにしました。今回は印象派(モネ、ルノワール、ゴッホ、ボナールピカソなど)からモディリアーニ、ピカソ、デュフィ、シャガール、ローランサンまでの20世紀の絵画が展示され、「時代を映すファショナブルな女性像」「近代化によって大きく変貌するパリ」「画家たちが旅先で出会った風景や、南仏など重要な制作地を巡る旅」という三つのテーマに基づいているとのこと。「ファショナブルな女性像」というのは、ルノワールなど印象派の画家たちが描いた女性像でしょう。ピカソの女性像(右図:《花売り》)はそのデフォルメと言えるかも。「パリ」についデュフュイては、デュフィの《パリ》(左図)がまさに、エッフェル塔とモンマルトル寺院など「花の都」パリが明るい色調で描かれています。ゴッホやボナールの絵では南仏の明るい風景が描かれていて、今回の展覧会はコロナ禍を忘れ、気持ちを晴れやかにさせる絵画が選ばれたような気がします。

昼食は、ハルカス内の都ホテル57階にあるレストランで取りました。テーブルからは下の町並みを展望できるようになっていて、薄曇りでしたが天王寺公園などが見渡せましたs-IMG_4887s-IMG_4891(右写真)。ランチは前菜とカボチャのスープ(濃厚で美味)、クリームソースの魚介バスタもパプリカなど色どり豊かでおいしく、特にデザートの桃のコンポート(左写真)が絶品でした!桃一個分にアイスクリームが中に入っていて、白チョコでコーティングされていて見た目もきれいなデザートで、これだけですっかり満腹になりました。久しぶりの大阪を楽しみました。

Written on 8月 1st, 2021

330px-Pomme_Cigale_janvier_2020シャンソン研究会が1年ぶりに開催されました。コロナ禍のため、オンライン開催で発表も30分ほどに縮める形で4人の方が発表されました。恒例の高岡優希さんの発表は「静かな風 ポムPomme―等身大の女性の内面をひそやかに歌う―」というタイトルで、24歳の若手女性歌手の紹介をして下さいました。本名はClaire Pommetで、そのニックネームがPommeということ(左写真)。音楽好きの両親の影響を受けて歌手になったそうで、彼女の2枚目のアルバム(作詞作曲も本人)が音楽大賞で新人賞を取って以来、注目の高まった新進気鋭の歌手で、「Pommeは身をもって体験した音楽界にはびこるセクシャルハラスメント、パワーハラスメントなどを告発」(高岡さんの資料より)し、さらに「LGBT(Q)についての率直な告白」もしているそうです。その一例として「On brûlera(身を焼く私たち)」の曲の一部を聞かせてもらいました。そこではレズビアンとしての彼女の恋人への想いが激しく語られています。それは、「Je t’aimerai encore(あなたをずっと、愛するでしょう」や「Je veux mourir dans tes bras(あなたの腕の中で私は死にたい」という何度も繰り返される歌詞からもわかります。さらに、「敬虔なクリスチャンである母への罪悪感」を歌った「1996」(1996年は彼女の生まれた年)の曲も流してくれました。若干24歳の女性が、こうした複雑な心の内面を率直に歌い、それがヒットチャートに載ること自体が日本では考えられない事だと思います(日本では、彼女が宮崎駿監督の映画『千と千尋』の主題歌を日本語で歌ったのが有名なようで、少しアイドル歌手的な扱いがされているのには少し違和感がありました。ただ若いフランス人が日本のアニメに非常に興味を持っている証拠でもありますが)。

images米金孝雄さんの発表「ケンジ・ジラク Kendji Girac ―  sa vie et ses chansons」では、同じく24歳の若手歌手ケンジ(右写真)の紹介がありました。彼はワインの産地で有名なボルドー地方のペリグー生まれで、2014年の音楽番組The Voice(4人の審査委員の前で歌ってその技量を競う人気番組)でラップ歌手Maître GimsのBellaという曲などを歌って優勝し、その後、ジプシーの価値観(生きる喜び、太陽など)を歌ったColor Gitanoが大ヒットして一躍有名になった歌手です彼はカタローニャのジプシー (gitane)出身で、夏は路上、冬はベリグーに住むキャンピングカー生活者として育ったそうで、スペイン語、オック語、カタローニャ語がしゃべれるとか。彼の曲は確かに、ジプシーキングに連なるジプシー音楽のジャンルに入りますが、gens de voyage(定住地を持たず各地をキャンピングカーで移動して暮らす人々)と呼ばれる当事者からの発信、というのがケンジの特色ではないかと思います。gens de voyageは、しばしば掏りや泥棒扱いされ(ケンジも人々に警戒された経験を語っているそうです)、偏見の眼で見られてきたのを跳ね返す形で音楽活動をしている点で、ポムとの共通点(マイナーな側からの社会的発信)が見出せるように思います。

また、岡本夢子さんの発表「『シャ・ノワール』のシャンソンと当時の反響」では、19世紀末のパリのモンマルトル界隈にあった「シャ・ノワール」というキャバレーでの多岐にわたる活動(シャンソンや詩、モノローグの披露、影絵劇、政治・文芸評論など)の中で、とりわけシャンソンを取り上げられました。当時の客が「シャ・ノワール」に通ったのは主にシャンソンを聞くためであったのに、これまではエピソード的にしか扱われず、学問的な対象にはならなかったそうです。岡本さんは、シャンソンを回想録などを中心にこれから研究される計画とのことでした。最後に、吉田正明さんが「フランスにおける『子どもの歌』の誕生」というタイトルで、19世紀後半になって、民衆歌に連なる「子どもの歌」に初めて関心がもたれるようになった経緯を話されました。とりわけ、Dumersanの『子どもの歌とロンド』がその嚆矢となり、1843年に精巧な挿絵の入った豪華本(3巻本)として出版されました。「子どもの歌」といっても、古い民謡に遡り、そこには民衆の猥雑さが入り混じった不謹慎な歌詞が入っていたのが、ブルジョワ向けに書き換えられていったとのこと。その例をいくつか紹介してくれました。Dumersanの本には歌詞の他に楽譜も載っていて、ピアノ伴奏で歌えるようになっていたそうです。今では子供向きとされる、ペロー童話やグリム童話においても、そのルーツとなる昔話の性的な部分や残酷な部分が削除されたように、「子どもの歌」も次第に無邪気な歌詞に変わってきたのでしょう。

4人の方々の発表は、それぞれ多様な視点からのご発表で非常に示唆に富み、音楽も聞けて、本当に楽しいひと時を過ごすことができました。

 

Written on 6月 28th, 2021

IMG_0001コロナ禍で休館していた京都の美術館が再開したので、先日、京セラ美術館で「古代エジプト展」を、その向いにある国立近代美術館で「ピピロッティ展」を二つ、はしごして見に行ってきました。エジプト展(ポスター)は時間指定予約で人数制限した中での鑑賞でしたが、結構、混んでいました(IMG_4873すべての陳列品が写真OKになっていたため、小さな副葬品でもその一つ一つを携帯で写真を撮る人が多く、なかなか人の波が動かないのが一つの原因でしょうか。私は目ぼしい作品を数点カメラに収めましたが、残りは眼でしっかりと確かめるに留めました)。「天地創造の神話」(ジャッカルの頭のアヌビス神(ミイラ作りの神)がアニメのキャラクターとなって説明してくれます)が本展覧会のテーマとなっていました。暗闇の混沌とした世界(ヌンと呼ばれる「原初の海」)から自力で出現したのが創造神アトゥムで、アトゥムは様々な神を生み出し、秩序ある世界が創造されます。これらの神々はヒヒやライオン、ハヤブサなど様々な動物の姿をまとい、《ヒヒを肩に乗せ、ひざまずく男性像》(右写真)のように、神と一体となった人間像も見られました(ヒヒは知恵の神でしょうか)。人間社会のリーダーがファラオですが、《ハトシェプスト女王のスフィンクス像》(左写真)などエジプトには女王が多く、後世にはクレオパトラIMG_4871が登場したように、昔のエジプトは、現在の日本よりも男女平等の世界だったのかもわかりません。人は死後、内臓を抜き取られてミイラとなるわけですが、死者は「死者の書」を携えて死後の世界に行き、「正義の広間」でオシリス神による死者の審判が行われるそうです。42人の神々から生前の行いを吟味され、死者の心臓と生前の行いが秤にかけられ、悪行の方が多いと心臓は消滅してしまうとか。無事、天国に行っても、仏教の極楽やキリスト教の天国のように美しい場所でゆったり過ごすのではなく、生前の生活を続ける(魚を捕ったり、畑を耕したり労働は欠かせない)そうです。ただ、精巧で色鮮やかで、金を散りばめたミイラ・マスクやカルトナージュには確かに「不滅への祈り」が込められていたと思います。その一方で世界自体は最後には滅び、再び混沌の世界に戻る(ただ、アトゥム神は消えずに混沌の海に潜んでいる)というエジプトの世界観も興味深いものです。

ピピロッティ一方、国立近代美術館では、現代の映像作家ピピロッティ・リストの展覧会(ポスター)が開催され、ジェンダーや身体、自然をテーマにしたカラフルなビデオ作品が展示されていました。その代表作「永遠は終わった、永遠はあらゆる場所に」では、花の形のハンマーを手にした女性が、楽し気げにIMG_0002街路を歩きながら、路上駐車している車のサイドガラスを叩き割っていきます(右写真上)。後ろから黒人の女性警官が近づいてきますが、女性の行為に驚くことも阻止しようともせず、ニヤリと笑って通り過ぎていく、というものでフェミニズムと深く関わっています。女性があまりに楽しそうなので、見ている方もやってみたいなと思ってしまうほど爽快感が広がります。逆に別のビデオではプールで潜っている女性が水の上に頭を出すと必ず沈められる、という動作が何度も繰り返される様子が映っており、それは女性の社会進出を阻む男性優位の社会への暗示でしょうか。また、経血で血みどろになる女性の映像などショッキングなものもありますが、女性が自らの身体や性を取り戻そうとする動きと関わっているようです。ピピロッティの作品には水が欠かせない要素(しかも、水の底から見た映像が多い)で、しかも右写真下のよIMG_4884うに、鑑賞者はベッドに寝転んで天井の映像を見るとか、面白い趣向が凝らされています。この展覧会自体が入り口で靴を脱いで入り、床に座ったり寝転がったり、ソファに腰掛けたりして鑑賞することになっていて、リラックスしてゆっくり映像を楽しむことができました。「アパートメント・インスタレーション」では、居住空間を模した空間で、ソファやベッドに座って家具に移る映像を見るようになっていて、食堂テーブル(左写真)が色鮮やかな光(少しどぎつい色ですが)で次々と照らし出されていくのを見るのも非常に面白かったです。

久しぶりの京都で、美術館にどっぷり浸かることができて楽しいひと時でした。

Written on 6月 21st, 2021

3月8日の国際女性デーを記念して、日仏女性研究学会と日仏会館共催のシンポジウム「モダンガール、時代を牽引した女たち」(オンライン開催:ポスタープログラム)に参加しました。本シンポジウムは、第一次世界大戦後(1920年代)に出現した「モダンガール」に焦点を当て、彼女たちがジェンダー規範を逸脱した女性として迫害されたいきさつを探る試みとなっています。まず、サンドラ・シャール氏がストラスブールのご自宅から基調講演をされました。シャール氏は京都大学で研究をされただけあり、流暢な日本語で「1920~30345px-Kobayakawa_Tipsy_2年代の日本の風刺画に見るモダンガール」というタイトルで発表されました。当時、タイピストなど新しい職業に就いた短髪にお洒落な服を着た都会の女性たちが「モダンガール」(右図)としてもてはやされましたが、一方で彼女たちは「良妻賢母」という理想の女性像から逸脱しているがゆえに、社会風刺画において揶揄の対象となりました。彼女たちは「女らしさ」の規範を破壊する力を持っているため、知識人にとっては危険な存在で、岡本一平を始めとする風刺画の作者を刺激したようです。そこでは、「モガ」たちは異常で病的な「ニンフォマニア(色情狂)」、「自由奔放なセクシュアリティ」の体現者、家族制度の破壊者として描かれています。シャール氏の発表は、こうした風刺漫画を数多く使って、モダンガールが引き起こした男性たちの反応を明瞭に浮かび上がらせ、非常に説得力のあるものでした。次に、新行内美和氏が「『魔女』にみる日仏の女性表象の変遷―フェミニズムとポップカルチャーをめぐって」というタイトルでの発表をされました。まず、中世末期から18世紀までの西欧における「魔女」の歴史の概略の説明eUFCYQlm4oyQ5OjFFh7PkzDjxa4T78ip2KzVsGMa(特に、魔女裁判および近代国家の成立とともに魔女狩りが終焉するまで)の後、1970年代に「男性が主体となって形成してきた『魔女』表象の歴史を女性が引き受け、主体として取り戻す動き」がウーマンリブ運動の中で生まれたことの説明がありました。さらに、日本の大衆文化の中で「魔女」が「少女文化」と結合し、「魔法少女」といった日本独特のアニメのキャラクターとして登場してきたことの紹介がありました。キャラクターとしては、思春期の少女が大人の女性に成長していく過程を描いた「魔女の宅急便」も印象的ですが、特に「セーラームーン」(左図)は画期的で、ヒーローに守られる「受け身の女性」ではなく、男性を守って戦う戦闘少女として登場しました。キリスト教文化が根強く残る西欧とは違い、日本の場合は「魔女」に宗教色は全くなく、少女の憧れの的となり、それが西欧に逆輸入されているのが面白い限りです。

日立第二部は「モダンガール、新天地を切り拓いた女たち」というタイトルで、まず、吉川佳英子氏が「建築家 早間玲子氏の夢と奮闘」というタイトルで、日本の女性建築家の先駆けとして、早間氏の業績を紹介されました。1933年生まれの早間氏の時代では、建築はまだ女性に閉ざされた世界で、建設現場には女性は危険だという理由で入れなかったそうです。彼女はフランスに渡り、建築家ジャン・ブルーヴェのアトリエに入り、フランス共和国建設家会に日本人で初めて登録し、アトリエを開設、苦労の末にブルターニュのキャノン新工場、オルレアンの日立コンピューター工場(右写真)を建設し、高い評価を得たとのこと。興味深かったのは、建築はフランスでは芸術の範疇に入り、行政の所管は文化省になるのに対し、日本では工学の範疇で国土交通省の所管になるとか。早間氏は日仏のこうした文化の違いでも様々な障害にぶつかったそうです。次に、志田道子氏が「永瀬清子―詩人のたたかい」というタイトルで、夭折した有名な詩人金子みすゞと同世代の女性詩人、永瀬清子について話をされました。彼女は農作業の傍ら、詩作を続け、1980年代に脚光を浴びたそうです。特に素晴らしいのは、81歳で代表作『あけがたにくる人よ』を出版したことで、我儘な夫との闘いを描いているそうです。また、「マリア」という短章は精霊によって受胎した聖母マリアについてで、予期せぬ妊娠によって得体のしれない子どもを育むことになった恐怖を描く、という全く新しい視点からのものとのこと。私も実際に読んでみたいと思います。最後に秦佳代氏が「イレーヌ・ネimagesミロフスキー『孤独のワイン』における自画像」というタイトルで、1920年代にフランスで活躍した女性作家についての話をされました。ネミロスフキー(左写真)の自伝的小説『孤独のワイン』と彼女の最初の作品を比較することで、彼女が自立に至るまでの母親との闘い(男に依存する古いタイプの母親と、新たな生き方を模索する娘との葛藤)を分析されました。マルグリット・デュラスの『アマン』にも母親との確執が描かれていますが、母と娘の葛藤、娘の自立への模索は、いつの時代にも当てはまる問題だと思います。ネミロフスキーの代表作『フランス組曲』は、映画にもなっているそうで、また翻訳を読んでみようと思っています。

巷でも大きな話題となりましたが、2020年のジェンダーギャップ指数は、日本は135か国中、121位(フランスは15位)と先進国ではほぼ最下位で、女性が伝統的な「女らしさ」の枠を越えて公的領域で活躍することの難しさを実感しています。その意味でも100年前に新しい道を切り開いたこうした女性たちの存在がもう少し知られることを願っています。

 

Written on 3月 9th, 2021

IMG_0002先日、梅田芸術劇場にミュージカル『マリー・アントワネット』を見に行ってきました。原作が遠藤周作、脚本ミヒャエル・クンテェ、音楽シルヴェスター・リーヴァイ、演出ロバート・ヨハンソンで、マリー・アントワネット役は宝塚出身の花総まり(左写真:プログラムより)。冒頭でマリー・アントワネットの処刑を嘆く恋人のフェルセンの回想から幕があき、彼女がフランスに嫁いできた時の様子が少し紹介された後、パレ・ロワイヤルにおけるオルレアン公主催の舞踏会で華やかな衣装を着たアントワネットがフェルセンと踊る場面が繰り広げられます。ただ、革命直前の飢IMG_0003えに苦しむパリの民衆の姿も同時に描かれ、舞踏会に紛れ込んだ庶民の娘マルグリット・アルヌー(右写真:昆夏美)がアントワネットたち貴族の浪費生活を非難し、民衆にパンを与えるよう要求します。その場で、あの有名なセリフ「パンがなければブリオッシュを食べればいいのに」という言葉(舞台では「ブリオッシュ」ではなく「お菓子」になっていました)が出てきます(アントワネットの言葉ではなくおつきの女性の言葉として)。これが二人の女性の出会いで、二人の運命が今後、交差していくことになります。民衆の苦しみを知っているフェルセンがアントワネットを諫めますが、彼女にはその意味がわからず、後に後悔することに。オルレアン公はルイ16世を蹴落として自らが国王になることを企む「敵役」として登場(国王夫妻、特にアントワネットへの誹謗中傷記事をエベールに書かせ、治外法権であったパレ・ロワイヤルの印刷所で印刷して世間に流布させたり、王妃の首飾り事件を陰で糸を引いていたり)。国王の裁判の時に死刑に賛成投票を入れたのがオルレアン公図24(フィリップ・エガリテ(平等)と自ら名乗る)なので、敵役としてぴったりですCoiffure_belle-pouleが、かなりデフォルメした形になっていました。王妃の髪結い師ベルナールや仕立職人のベルタン夫人も登場し、当時の贅沢で派手な衣装(パニエで膨らませた衣装:図版)に突拍子もない髪型(図版)がそのまま実現されていて、興味深いものでした。派手な生活に飽きたアントワネットがベルサイユ宮殿に作ったプチ・トリアノンでの疑似農園や、ロアン枢機卿が騙された、有名な首飾り事件や市場の女性たちがパンを求めてベルサイユに行進して、国王夫妻をパリに連れ戻しにくる場面、国王逃亡事件(ヴァレンヌで捕らわれる)、国王の処刑、コンシエルジュリ監禁、裁判など、アントワネットに関わる大きな出来事は、ほぼ網羅されていました。大きな虚構としては、民衆の先頭に立って革命を推進するマルグリットが実は、アントワネットと腹違いの姉妹であったという設定。アントワネットに対する告発者であったマルグリットが最後には彼女に同情し、オルレアン公を告発する、という筋立ては全く史実にはないものですが、作者は身分の全く違う二人の女性をそれぞれの分身として描きたかったのでしょう。このミュージカルのタイトルは「MA」で、マリー・アントワネットの頭文字であると当時に、マルグリット・アルヌ―の頭文字でもあるわけです。

大阪初日の舞台だったので、最後に主役の花総まりさんの挨拶もあり、コロナ禍で舞台の上演ができたことへの喜びを語っておられました。観客席も8割くらい埋まっていて(女性客がほとんど)、拍手で盛り上がりました。やはり、舞台は画面越しではなく、直に見る方が感動が大きいと改めて思いました。

782px-Marie_Antoinette_and_her_Children_by_Élisabeth_Vigée-Lebrunところで、プログラムの中の山口幸史氏の記事「マリー・アントワネットをめぐる人々」が非常に面白かったです。女性画家ヴィジェ=ルブランのマリー・アントワネットの肖像画(図版)についてで、この絵には3人の子どもとアントワネットが描かれていますが、まず、注目すべきは彼女が宝石を身に着けていないこと。これは、「首飾り事件で権威を失墜した王妃のイメージアップ作戦の一つ」で、宝石よりも子どもたちが自分の宝だとアピールするためだったとのこと。長男のルイ=ジョゼフはすでに肺病に罹っていてまもなく亡くなりますし、彼が指さしている空っぽの揺りかごは次女のソフィ(絵の制作中に死去)を暗示しています。王妃に抱かれた赤ん坊が後にルイ17世(彼も若くして逝去)となるルイ=シャルル。結局、革命後、生き残ったのは娘のマリー=テレーズのみという悲劇の家族です。この絵が制作された意図は知らなかったので、この記事に非常に納得がいきました。

Written on 3月 5th, 2021

コロナ感染者も減少傾向にあり、私の誕生祝いということもあって、先日家族でフレンチレストラン「エサンシエル」にランチを食べに行ってきました。久しぶりに電車に乗りましたが、通勤時間より外れていたので、結構空いていました。大学はほとんどオンライン授業でIMG_4853しょうし、在宅勤務も増えているのでしょう。店も感染対策はしっかりしてIMG_4854いて、客は2組だけでかなり離れていたので、貸し切りに近い状態でした。まず、出てきたのが「蕪と蛤のスープ」。蛤の身がすごく大きくて歯ごたえもプリプリ!次に「杉野さんのトマト、弓削牧場フロマージュフレ」、「菜の花のケックサレ」(左写真)。「塩入りケーキ」ということで、菜の花が中に入ったクッキーのようなものを想像していましたが、上に菜の花が乗っている、見た目もきれいなものでした。次の「帆立貝柱、春野菜、香草バター」(右写真)は、やはり帆立が絶品!普通のIMG_4857IMG_4856魚屋では手に入らないほどおいしいものでした。上に乗っているソースは香草バターで、とても香ばしい香りがしました。「三種の根、セロリ、パセリ、チャービル」(左写真)は、上に乗っている薄くスライスしたIMG_4858ものを揚げたのがセロリとのこと。チャービルの根はさつまいものような味がしました。パセリ、チャービルの根というのも今まで見たことがなく(実物の根も見せてもらいました:写真)、付け合わせではなく、一品として供されて驚きました。メインは「天然真鯛のポワレ」(写真)。ポワレなのでフライパンで焼いているのかと想像していましたが、蒸したものでした。レモンソースであっさりとした味に仕上がっていました。真鯛も春IMG_4859IMG_4860の魚なので今回のメニューは春の野菜や魚と、春のエキスを十分もらったような気がしました。デザートは「蕗の塔のアイスとイチゴ」で、イチゴの上に花梨のソースをかけてもらいました(写真)。コーヒーと小さなショコラも頂いて、心も体も大満足の食事でした。

Written on 2月 24th, 2021

IMG_00011月24日のリアリズム文学研究会主催のオンラインシンポジウム「室内 私空間の近代」(ポスター)に参加しました。発表者は西洋美術史、フランス文学、アメリカ文学、日本文学専門の研究者4名で、まず、尾道市立大学の西嶋亜美氏が「19世紀フランス美術における「室内」の演出」という800px-Pompadour6タイトルで、多数の絵画を紹介しながら発表されました。まず、ドガの《室内》という問題作(別名《強姦》)について触れた後、私的空間を描く絵画として「風俗画」(庶民の日常生活を描いたもの)を取り上げ、17世紀のオランダ絵画(フェルメールやメツーなど)や18世紀のフランス絵画における室内表現について話をされJuliette_Récamier_(1777-1849)_Cました。また、18世紀から19世紀にかけて、歴史画や肖像画においても風俗画的な親密な場面設定や、時代考証に基づいた家具調度などが描き込まれ、過去の時代や異国の室内が再現されるようになったとのこと。さらに、ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人の肖像画(右図)では、机の上に啓蒙思想家たちの本が並び、足元にはスケッチ挟み、手には楽譜と1280px-Frédéric_Bazille_-_Bazille's_Studio_-_Google_Art_Project夫人の教養の高さを示しています。それは、19世紀のロマン派のミューズ、レカミエ夫人の肖像画(左図)でも同様で、後景には本の並んだ書棚、手前にはハープとピアノが描かれ、室内が住人の趣味や暮らし向きを表しています。そして、19世紀には「創造の場」として画家のアトリエが描かれるようになります。アトリエは創作の場であると同時に、画家や作家など友人たちが集まる社交の場となり、彼らとの交流が描かれています(例:印象派の画家バジールのアトリエ:右図)。画中には画家自身の絵が掛かっていたりして、その画中画を見るのも興味深いものです。西嶋氏のお話を伺っていて、こうした室内を描いた絵画に何が描き込まれているのか、それはどのような意味を持つのか、その「演出意図」を考えてみたくなりました。

次に青山学院大学の福田美雪氏が「近代フランスの芸術家小説が描く『創造の場』」というタイトルで、19世紀フランスの芸術家小説、バルザックの『知られざる傑作』、ゴンクール兄弟の『マネット・サロモン』、ゾラの『制作』を取り上げ、「創造の場」としてのアトリエに焦点を当てた発表をされました。福田氏は「アトリエは、画家が孤独に葛藤する「内的な空間」なのか、モデルやパトロンとの交流によって画家と外的世界をつなぐ「親密な空間」なのか、「創造の場」をめぐる作家たちの解釈を、時代の流れに沿って比較検討」されました。福田氏の発表で特に興味深かったのは、ヴィオレ=ル=デュク(パリのノートル・ダム寺院の、一昨年に焼失した尖塔部分を建築した建築家)が書いた小説では、主人公の建築家が建てる屋敷の見取り図が正確に描かれていた、ということ。その中で、①内と外を繋ぐ場:玄関、階段、バルコニー、②社交のための部屋:食堂、サロン、喫煙室、ビリヤード、温室、③親密な生活のための部屋:寝室、閨房、浴室、④人目から隠すべき部屋:女中部屋など、4つに分類され、室内でも「公的領域」と「私的領域」に分けられ、さらに喫煙室が男性専用で、閨房は逆に夫でも妻の許可なく入れないなど、男女の区別があることが非常に印象に残りました。

三番目に近畿大学の辻和彦氏が「Edgar Alan Poeと閉ざされた室内」というタイトルで、ポーが小説で描く「室内」の意味を彼の伝記的要素も考慮に入れながら考察されました。特に、推理小説の祖と言われるポーの4つの作品(フランス人探偵デュパンが活躍する『モルグ街の殺人』『マリー・ロジェの謎』『盗まれた手紙』、フランス系のユグノーのレグランドが探偵役で暗号小説の草分けと言われる『黄金虫』)がすべて、室内で事件が起こり、室内で謎が解決される、アームチェア探偵物である、という指摘が非常に心に残りました。ポー自身は貧しくて豪華な書斎とは生涯縁がなかったのに、彼の作品には「室内」が舞台となり、理想の「室内」についての論考もあるそうで、小説には絢爛豪華な家具が描かれています。ただ、ポーのデビュー作に無名の青年が部屋に閉じ込められる恐怖を描いたものがあり、それは、ポーと同じベッドで寝ていた兄のヘンリーが感染病で死亡(コレラの疑い)したことと関連しているのではないか、コレラによって部屋に閉じ込められたポー自身の心象風景が反映されている、というお話は、現在のコロナ禍で家に閉じ込められた私たちとも重なるでしょう。

最後に甲子園大学の浅井航洋氏が「明治期日本文学における《室内》表現」というタイトルで発表されました。江戸末期の戯作では、人物の動作や服装が最小限、語られるだけで会話が主となって進行していき、戯作につけられた挿絵の中で、室内が描かれているそうです。読者は、挿絵から室内の様子を読み取ることになり、作者の挿絵への関与が強く、言葉による指示があったそうです(挿絵は浮世絵師が描いたとか)。明治前期の小説においても、挿絵を前提としているために、景観や室内の視覚的描写は手薄だったのが、明治中期(坪内逍遥の『当世書生気質』)には、小説のbunko14_b0067_p0002室内描写は挿絵と概ね一致し、逍遥自筆の下絵には「障子が破れている」といった指示も書き込まれています(左図:逍遥の絵、なかなか味があって上手い!)。とりわけ二葉亭四迷の『浮雲』には、室内描写がその住人の性質を反映するようになり、部屋と住人との照応関係が見られるようになります。これは、フランスのバルザックの小説にも見出せるもので、近代小説の特徴とも言えるでしょう。そして、明治後期には「室内表現が背景や人物の説明のためではなく、それ自体が作品を構成するモチーフになる」ということで、日露戦争以降、自然主義文学の台頭の時期と重なるそうです(田山花袋の『蒲団』)。特に興味深かったのは、江戸の戯作と挿絵の関係、および日本家屋は西欧の家屋と比べて「個室」(=プライヴァシーの場)がなかったため、一人で閉じこもって内省する「個室」に憧れた(永井荷風など)という話で、日本と西欧の違いがよくわかりました。

以上のように、13時から18時すぎまでの長時間にわたる内容の濃い、充実したシンポジウムでした(PC画面を長時間見るのはかなり疲れましたが)。

Written on 1月 27th, 2021

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