村田京子のホームページ – blog

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ポスター奈良女子大に、マルティーヌ・リード リール大学教授の講演sIMG_4152「「異性装」の意味するところ ジョルジュ・サンドとコレットをめぐって」を聞きに行ってきました(ポスター)。あいにくの雨模様でしたが、ジェンダー言語文化学プロジェクトということで、大勢の学生さん、教員の方々が集まってこられ、80名を越す参加者で教室が満杯になるほどでした。リード先生の奈良女子大での講演は2度目で、非常にわかりやすく、面白いお話をされました(写真)。講演の前半は、フランス革命からの服装史を簡単に説明され、服装がいかに社会階級や身分、貧富の差を表すか、ということと、ジェンダー的に見れば、男の服装は動きやすくできているのに対して、女の服は動きが阻害される窮屈なもので、公的空間で自由に動くことができなかったこと、さらに異性装(ズボン)は女性には禁じられていた(カーニヴァルなどを除く)ことを説明されました。後半はジョルジュ・サンド(1804-1876)およびコレット(1873-1954)がなぜ「男装」したのか、その理由を探るものでした。サンドの場合は、実用面(お金が安くすむ)、活動面(自由に公共の場に出入りできる)、「男性作家」と肩を並べる手段、というのが男装の主な理由で、自らの才能が認められてからは、男装をやめたため、男装の時期は短いものでした。コレットはまず、夫のペンネーム(Willy)で『学校のクロディーヌ』を出版しました。さらに夫のプロデュースで自作の作中人物の扮装(女生徒の衣装)をして、先生然としたウィリーの前で跪いているというポートレート写真(ジェンダー構造がよくわかります)を出したりしました。その後、パントマイムの勉強をして女優マチルド・ド・モルニとカップルでそれぞれ男性を演じたり(男装)、その「妻」役を演じたりしてスキャンダルを引き起こしました。そして夫と離婚した後は、「コレット」という名で小説『雌猫』を出版するわけです。彼女の場合、半人半獣の「フォーン」をほぼ裸で演じた写真を残したりしていて、サンドの頃のカリカチュア(Bas-bleuブルーストッキングとしてかなりカリカチュアで揶揄されました)ではなく、写真という媒体によって自らの主張を発信していて、時代の変化が伺えました。

sIMG_4158 sIMG_4161講演の後、質疑応答も活発に行われ、2時間があっという間に過ぎました。その後、近くのフレンチレストラン「ラ・フォルム・ド・エテルニテ」でサンド研究者同士の交流会を行いました。このレストランは大阪で人気を博した後、奈良に移って来ただけあり、繊細な料理を出してくれました。前菜は白身魚のマリネ(カルパッチョ)(写真左)と奈良産レタスのグラタン(ベーコン入り)、メインは鱈、および猪肉sIMG_4155(写真右)を選び、皆でパルタージュ。猪(singlier)はフランスでもジビエ料理で出てきますが、リード先生は初めて食べたそうです。全く臭みがなく、おいしい猪肉でした。デザートはクレーム・ブリュレに栗のアイスクリーム、トリュフ入りと贅沢なデザート。スパークリングワインと赤ワインを料理と一緒に飲み(写真は最初の乾杯の時)、すっかり満足の一日でした。

Written on 12月 8th, 2018

フロント先日、友人たちと越後湯沢からタクシーラウンジで20分の山奥(大沢スキー場のある山が真正面にある)の「里山十帖」という宿に泊まってきました。この宿のコンセプトはHPによれば、「四季折々、さまざまな物語が展開される自然豊かな里山。豪雪に耐えてきた黒光りする梁と柱。古民家と共存する、世界を代表するデザイナーの家具。創造力と創作欲をかきたてる現代アート。そしてなにより、自然の力強さを感じる食……。里山十帖はお篭もり旅館でも、サービスを競うホテルでもありません。「Redefine Luxury」。私たちは体験と発見こそが、真の贅沢だと考えています」とのこと。温泉がついていますが、いわゆる温泉旅館ではなく、玄関に入ると眼に入るのは、黒くて太い大きな柱が頭上にはりめぐらされた天井の高い吹き抜け(写真左:フロント、椅子などの家具もお洒落でした!)で、フロント横の階段を上がるとラウンジになっていて、コーヒーや、夕食前のアペリティフ(特に梅酒をにごり酒につけたものがおいしかった!)を楽しめます(下の階の薪がくべられた暖炉の暖かい空気が上にあがって、ラウンジはぽかぽか)。部屋は和風ではなく、洋風(ベッド)sIMG_4093で、デザイナーズ・ルームのため、部屋によって内装が違うというsIMG_4095もの。ベランダには一人用の露天風呂もついています。大浴場はそれほど広くないのですが、露天風呂からは夜は星空(この日は残念ながら、月とかすかに星座が見えるくらいでした)、朝は日の出が見えます。料理に関して言えば、これもHPによれば、『早苗饗 −SANABURI−』と名付けられ、「伝統を大切にしながらも、ジャンルにとらわれない新しい饗応料理を目指し」、テーマは「大地の恵みを感じていただくこと」sIMG_4098「食材の力を感じていただくこと」。「料理を担当するのは「ミシュランガイド関西」で三ッ星を獲得している京都「吉泉sIMG_4099」で修業したチーフ・フードクリエイターと、スリランカでアーユルヴェーダを学んだヴィーガン料理に長けたシェフ。さらにクリエイティブ・ディレクターの岩佐十良のアイデアが融合」したもの。したがって、コースのほとんどが野菜か山菜の料理となっています。まず、前菜(写真左)は、イチジク、柿、八色椎茸。もみじの葉が秋を物語っています。次に「新潟の秋」(写sIMG_4103真右)。菊花、里芋、林檎、柿、あけび、新生姜が美しく載ってsIMG_4091います。3つ目は大きな「赤かぶ」(写真左)で、ふたをあけるとかぶのスープとなっています。4つ目は「佐渡」(写真右)。ワカメ、アジ、インカ(じゃがいも)など。5つ目が秋鮭に山のハーブが載ったもの(写真)。最後に「煌麦豚と山葡萄」(写真)。山葡萄を豚肉に載せて食べると、山葡萄のぷりぷりした食感も味わえて非常にマッチしていました。最後に土鍋で炊いた新米(コシヒカリ)を頂きました。お米は近くの田んぼで作った自家製、ハーブも作っていて(または三つsIMG_4111葉やクレソン、スイバなどは自生)、夕方、スタッフの方(写真)が近くを案内してくれ、私たちもハーブ摘みのお手伝いをしました(写真は、山道で見つけた小さな滝)。温泉は、無臭ですがしっとりした湯質で、肩凝りも少し取れたような気がします。日常生活を離れて、こうした山奥で過ごすことで、心身ともにデトックス効果があるのではないかと期待しています。

Written on 11月 4th, 2018

藤田藤田嗣治展(ポスター)を見に、京都国立近代美術館に行ってきました。金曜は夕方時間延長して開いているので、4時過ぎに美術館へ。おかげでそれほど混んでおらず、ゆっくり鑑賞することができました。藤田といえば、「乳白色の肌」で、ポスターの女性の顔や手に見られる美しい白のつるつるした独特の質感は藤田ならではの技術と言えるでしょう。彼がフランスに渡ったのは1913年、パリに着いてすぐにピカソの絵に衝撃を受け、キュビスムのような絵を描いています。それから風景画、静物画などを描いて修業をし、彼独自の「乳白色の肌」を生み出したのは1920年代、ちょうどベル・エポックまたは「狂乱の時代」と言われた時代で、パリの南側、fujitaモンパルナスには「エコール・ド・パリ」と呼ばれる様々な国籍の芸術家が集まりました。ピカソ、モジリアニ、ユトリロ、シャガール、スーチン、リベラ、ザッキン、レジェなど錚々たる画家たちが一堂に会しています。その中で他の画家とは違う色彩の絵を目指したのが藤田の「乳白色」であり、そ猫れがパリの画壇で認められることとなったわけです。それに引き換え、日本では彼の絵は評価されず、さらに第2次世界大戦で戦争画を描いたために戦後、戦犯扱いされて藤田は日本を離れ、晩年、フランスに帰化することになります。才能があればどの国の芸術家でも受け入れるパリと、この時代の偏狭な精神に溢れた日本との違いかもわかりません。戦犯扱いされた藤田ですが、その《アッツ島玉砕》などは戦争昂揚のためのものというよりも、戦争の悲惨な光景(断崖から飛び降りる人や、死者が折り重なる様子など)が描かれていて、むしろジェリコーの《メデューサ号の筏》やドラクロワの《キオス島の虐殺》を想起させます。恐らく藤田もジェリコーやドラクロワを目指したのではないかと思われますが、ただ彼らほどの迫力には至っていない気もします。中南米での絵画や日本で描いたものは作風も違い、茶色地のものが大半ですが、やはり「乳白色の下地」が藤田らしいと思います。彼は裸婦を多く描いていますが、裸婦の肌を引き立てる、花柄の装飾模様の布など、その背景も素晴らしいものです。今回、日本初公開の《エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像》(右図)は、背景に銀箔が使われ、「横長の画面は日本の障壁画を思わせる」とされています。青いドレスに黒字に金箔の刺繍が入ったベスト、さらに花柄のクッションが丁寧に描かれています。藤田の肖像画には猫がつきものですが、普通は日本猫なのに、この絵では黒猫となっています。また、《争闘(猫)》(左図)は、猛々しい猫たちの躍動感溢れる姿が描き出されています。1940年制作で、ちょうどナチス・ドイツが台頭していた時期にあたり、第2次世界大戦勃発後の世情を映し出したものと言えるでしょう。

sIMG_4131絵の鑑賞の後、近くの中華レストラン「静華」で夕食をとって帰りました。sIMG_4135この店は一見、フレンチレストランのようで、出てくる料理も非常に洒落ています。最初に出てきたアミューズ・グール(写真左)は、「桃の花の涙」、白クラゲに梨。また、一見、麻婆豆腐に見えるものが実は、豆腐の代わりにモッツォラレ・チーズであったり、ガチョウ肉になぞらえた湯葉とか、遊び心一杯の料理でした。特にきれいだったのが、鯛の刺身(写真右)。明石鯛の刺身にナッツ、きれいなsIMG_4139色のゼリー寄せがついています。また、牛肉に米粉をつけて揚げたものを野菜と一緒に蒸した蒸し物(写真)も珍しく(中国のsIMG_4141伝統的な家庭料理とか)、デザートはきれいな色のフルーツ・ティーにゴマ団子、シャインマスカットのジュレなど(その前に出た杏仁豆腐もすごく柔らかくで絶品でした!)。藤田の絵で眼を楽しませた後、おいしい食事も食べてすっかり満喫した一日でした。

Written on 11月 4th, 2018

IMG_4043公開講座の聴講生の方たちとの恒例の懇親会に参加しIMG_4044ました。今回は、淀屋橋駅近く、大江橋を渡ってすぐのレストラン「sumile」が会場。川沿いの素敵なレストランで、店のホームページによると、「sumile(スミレ)は、ニューヨークで誕生したDREAMS COME TRUEの思いが詰まったレストラン。吉田美和のソロワークとしてリリースされたファーストアルバム「beauty and harmony」シンボルフラワーであるスミレの花をIMG_4045モチーフに、人々の笑顔 = Smile(スマイル)を願い「suIMG_4046mile」と名付けられました」とのこと。会議場にもなるような天井の高い、広くて明るい会場で、25名もの方が参加してくれました。料理はアミューズ・グールの後、オードブルは鯛のカルパッチョにワカメのソース(写真左)。パスタはパンチェッタ(豚のベーコン)としめじのクリームパスタ、上にはマイクロセルフィーユが載っています(写真右)。メインは鰆のポワレ(少しカレー味)。長芋や里芋、冬瓜(?)の付け合わせ。デザートもおいしくて、どの品も満足のいくものでした。最後に記念撮影(写真)。皆、笑顔で写っています。夏を思わせる快晴で、日傘をうっかり持って来なかったので、太陽の光が眩しいほどでした。幹事の梅村さん、南さん、御苦労さまでした。

青磁食事の後、有志の方たちと、近くの東洋陶磁美術館へ「高麗青磁」展を見青磁2てきました。高麗青磁は高麗王朝(918-1392)滅亡とともに姿を消し、「幻のやきもの」とされていたのが、19世紀末~20世紀初頭に墳墓などから発掘され、再び世に出たとのこと。「翡翠の煌めきにも似た」美しい釉色の高麗青磁は、一躍脚光を浴びるようになったわけです。「九龍浄瓶」(写真左)は、「九龍灌頂」の説話にちなんだ、九龍をモチーフにした作品で、九龍の口から浄水が流れる仕組みになっているそうです。それぞれが精巧で、九匹の龍からどのように水が出てくるのか、実際に水を入れて試してみたいものです。また、次の青磁(写真右)は、ひょうたん型の注器(水や酒などを注ぐ)で、童子が葡萄の蔓をよじ登っている姿が描かれ、子孫繁栄の願いが込められているとか。また、シンプルながら丸みがなんとも美しい酒器や、美しいラインの油滴天目茶碗(写真下)などがあり、こうした茶碗でお茶を一服、飲んでみたいものです。この展覧会は、「祈り」「喫茶文化」「飲酒文化」を切り口とした高麗青磁の魅茶碗力を紹介するもので、あわただしい日常を忘れて、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

Written on 9月 20th, 2018

IMG_4012九州に来たついでに、嘉穂劇場へ。ここは、歌舞伎小屋としIMG_3995て昭和6年に建てられた劇場で、「桟敷」「木造桝席」「廻り舞台」(人力で動かす)などがある、全国でも数少ない劇場(金毘羅劇場など)の一つです(写真左)。当時の観客は、筑豊の石炭炭鉱の労働者とその家族が中心で、大衆演劇や歌手の公演などで賑わったそうで、当時のなつかしいポスターが所狭しと貼られていました。2003年に大雨によって劇場が被災した後、復旧イベントに有名芸能人たちが駆け付け、2004年9月に復興したそうで、すごくきれいな劇場でした。小道具部屋や奈落も見学でき、枡席(写真右)にも座ってみました。桝席は少しずつ傾斜していて、後ろの人も見えやすくしているそうです。海老蔵の公演も近々あるようで、観劇しながらつまむ駄菓子も売っていて、いかにも大衆の場という雰囲気でした。昔は炭鉱夫たちで連日の賑わいで、相撲の巡業もあったそうですが、現在は催しが減ったそうで、時代の流れとはいえ、なくならないで存続して欲しいものです。

白蓮伊藤邸次に、朝ドラの「花子とアン」で有名なった、炭鉱王伊藤伝右衛門の屋敷(写真)を見学しました。貧しい炭鉱夫から成り上がった伝右衛門が、大正天皇ともつながる高貴な家柄の美女、白蓮を後添えとして迎えるにあたり、彼女のために建てた屋敷で、四つの居住棟と三つの土蔵を持ち、池を配した広大な回遊式庭園(写真下)を持つ近代和風式豪邸(敷地面積、約2300坪、建物面積300坪)となっています。歌人として有名な白蓮(写真)は25歳の時に、兄の借金の形に無理やり50歳の伝右衛門の所に嫁がされ、10年間この屋敷にいましたが、竹久夢二の絵のモデルの女性とも言われ、当時の三大美女の一人でもありました。伝右衛門は、身長の低い彼女(140センチほどだったとか:彼は180センチ)のために、顔を洗う水場も低くし、トイレも日本初とも言える洗浄式トIMG_4018イレ、応接間のステンドグラスの白く光る部分はダイヤモンドをあつらえるなど、彼女を喜ばすことに気を配ったようです。そして白蓮の書斎(2階)からは美しい庭が一望でき、その部屋の階段横に小さな開き窓があり、そこから女中さんが食事を運ぶ(女中の顔を見ないで済む)ようになっていたとか(伝右衛門自身も、許可なく彼女の部屋には入れなかったとか)。柱一つとっても一本300万円もする木が使われているそうで、一つ一つが繊細で優美な装飾がなされていました。それでもやはり、白蓮としては、自分が「人形」のように扱われているようで(さらに、お妾さんや子どもたちも一緒に住んでいたので)、息苦しく「黄金の籠」に入れられているような気がしたのでしょう。若い宮崎青年と駆け落ちをして、夫に離縁状を新聞に載せる、という大胆な女性でもあり、彼女の肖像写真も強い意志が感じられるものとなっています。

門司最後に、門司港に寄り、レトロな建物を見て回りました。IMG_4037旧門司三井倶楽部(写真左)には、アインシュタインが宿泊した部屋のベッドや浴室が保存されており、さらに林芙美子記念室があり、彼女の『放浪記』にまつわるものや「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」という色紙もありました。旧門司税関(写真右)も、ちょうど港に面していて、素敵な雰囲気でした。昼食のコースの一つに「門司港名物焼きカレー」があり、カレーライスの上にチーズを載せてオーブンで焼いたもので、美味でした!宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島も近くにありましたが、残念ながら時間がなくて行けませんでした。お天気は汗ばむほどの暑さで、夏の最後を存分に満喫しました。

Written on 9月 20th, 2018

sIMG_3965「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の世界文化遺産登録一周年事業として、9月17日に宗像大社辺津宮で市川海老蔵の歌舞伎奉納公演があり、見に行ってきました。宗像大社(写真)は天照大神の娘、三女神を祀った神社(沖ノ島「沖津宮」には田心姫神、大島「中津宮」には湍津姫神、田島(本土)「辺津宮」には市杵島姫神)で、辺津宮には宗像大神ご降臨の地と伝えられる「高宮祭場」があり、ここは全国でも数少ない古式祭場とのこと。

野外での公演なので、雨が心配されましたが、何とか雨も海老蔵降らず、落ち着いて見ることができました。まずは歌舞伎十八番の内『勧進帳』より「延年之舞」(頼朝に追われて、山伏に変装して京から奥州平泉に落ちて行く義経と弁慶が安宅の関で関守・富樫左衛門とのやり取りを終えた後、義経一行が危機を脱した後半の場面で弁慶が披露する舞)では、最後の「見えを切る」場面がやはり、格好良かったです(ここで「成田屋」と声をかけるそうですが、なかなか声は出ません)。次に和太鼓の辻勝さんの「響」(特に最後の大太鼓を威勢よく叩く姿は本当に勇ましかった!)。最後に「蛇柳」。これは、高野山奥の院にあった柳の木で、弘法大師が雄と雌の蛇を法力によって柳に閉じ込めていたのが、雄が逃げ出し、雌を助けるべく現れる、というもので、海老蔵はまず、「丹波の助太郎」として登場し、住職たちの前で次第に心を乱して雄の蛇になって踊ります。柳の木の結界を破ることに成功するや、今度は雌の蛇の精となって、女踊りをします。蛇の精と住職たちとの戦いが繰り広げられ、最後は金剛丸照忠が蛇の怒りを鎮めますが、海老蔵はいつの間にか、金剛丸に早変わりし、勇壮な姿となって現れる、という三役を務めています。ポスターの写真は、金剛丸の姿の海老蔵。大きな竹を振り回し、衣装も派手で、大柄な海老蔵が着ると、すごく大きくみえ、役とぴったり合っていました。最後の鬼気迫る表情で見えを切る海老蔵に、拍手喝采が絶えませんでした。3000名にのぼる観客でごった返し、海老蔵人気が窺えるものでした。

IMG_3984また、幕間にはユネスコ無形文化遺産となっている戸畑祇園大山笠をIMG_3987特別に見ることができました。これは「提灯山」の愛称で親しまれている、200年を越える伝統行事だそうで、毎年7月の3日間に行われ、昼の幟(のぼり)山笠が夜になると提灯山笠に代わるので有名だそうです。幟山笠は、高さ1、8メートル四方の台座に勾欄付きの台をすえ、紅幟、白幟が12本立てられ、台座は武者絵などの図柄を金糸銀糸で刺繍した幕で飾られています(写真左)。それが夜になると、幟だけではなくすべての装飾が取り外され、台上に櫓を組み、12段に309個の提灯を飾るものです。その過程を一部始終見ることができました。特に、一番上に乗る7段の三角柱を提灯の火がついたまま、四方から長い棒で持ちあげて取り付ける作業(写真右)IMG_3988が見ていてハラハラするもので、一旦、バランスを崩して落ちそうになったりしましたが、何とか据え付けに成功、その後は一段ずつつけていく、というもの。10分くらいのあっという間の作業でしたが、間近に見れて、迫力がありました。歌舞伎にお祭りと、両方見れて、何だか得したような気がしました。

 

 

Written on 9月 20th, 2018

プーシキン展お盆休みに、大阪中之島の国立国際美術館にクロード・ロラン「プーシキン美術館展」に行ってきました(ポスター)。「旅するフランス風景画」ということで、17世紀のクロード・ロラン《エウロペの略奪》(右図)から、18世紀ロココ時代のブーシェなどの作品、19世紀はコローやバルビゾン派のミレー、レアリスムのクールベ、印象派のルノワール、セザンヌ、ゴーガンなど、20世紀はドランやピカソなど様々なW 62 1865 Luncheon on the grass ma5画家の風景画が展示されていました。風景画は歴史画を頂点とするアカデミー絵画における序列は低く、ロランの絵にあるように、神話などの背景として描かれてきました。しかし、次第に風景のみをクローズアップしたものが出てくるようになりました。印象派の絵画がその代表と言えるでしょう。この展覧会の目玉はクロード・モネの《草上の昼食》(左図)(はたして風景画と断言していいのかは、少し疑問ですが)。これはモネが28歳の時、描き始めたものの、未完のままに終わり、のちに習作を仕上げたのが、プーシキン美術館に収められている絵画となっています。女性のモデルは後に妻となるカミーユで、何と、絵のすべての女性のモデルとなっています。人間を描くというよりむしろ、当時流行の衣装を描いたもので、その衣装に太陽の光がさして陰をつくっています。男性は友人の画家のバジルがモデル。しかし、ピクニックで楽しむ青年たち、という構図ですが、右端の木の後ろに男性が隠れていて、彼らを覗き見ています。何か、意味ありげ。。。ともかく、マネの有名な《草上の昼食》を意識して描いた大作です。また、もう一つの目玉がポスターにある、アンリ・ルソーの《馬を襲うジャガー》。税管吏という職業で、正規の絵の修業をせずに独自のタッチで描いた日曜画家のルソーですが、彼の素朴なタッチと空想の世界には魅惑されてしまいます。風景画というよりも、空想の風景画ですが、中央の白い馬は、ジャガーに襲われているのに、きょとんとした眼で、何が起こっているのかわからないようですし、ジャガーも馬を襲っているのか、抱きしめているのか、わからない構図となっています。ルソーはジャガーを見たことがなく、敷物のジャガーを参考にしたとか。道理で平べったい胴体になっています。お盆で観客は多めでしたが、身動きが取れないほどの混雑ぶりではなく、ゆっくり鑑賞することができました。

ベカス美術鑑賞の前に、お昼は淀屋橋のフレンチレストランsIMG_3941「ラ・ベカス」で食事(「ベカス」はくちばしの尖った鳥の「山シギ」の意味で、ジビエとしては最高とか)。ビルの奥にあって、通り過ぎてしまうような店ですが、中に入るとシックな店の構え(写真左)。渋谷オーナー・シェフは、ポール・ボsIMG_3943ギューズやアラン・シャベルに師事した方で、非常に凝った料理を出してくれました。アミューズ・グールはヴィシソワーズ(じゃがいもの冷スープ)に鮎のリエットが入ったもの(写真右)。リエットはパンにつけて食べるのが普通ですが、スープになっているとは。。。鮎の香ばしい香りがしました。次がフラsIMG_3944ン(洋風茶碗蒸し):自家製のオイル・サーモンにとうもろこしなどが入ったもの。次に帆立のクロケット(コロッケ)(写真左)。下に焼きなすのソース。クロケットがパリッと歯ごたえもよく、なすとよく合っていました。バターやクリームなどsIMG_3945を使った伝統的なフランス料理よりは、軽めの味付けのソースが特においしかったです。次がオマール海老のサラダ(写真右)。これも、見た目もきれいで白トリュフを焼いたものが上に載っています。次が少し中華風で、鱧を骨切りするのではなく、骨を抜き取ったもので、すごく柔らかい歯ごたえ。スープも鱧の頭などからとったそうです。それに、長芋やこんにゃく、人参など和の素材を使ったスープ。小さな肉まんがついていて、sIMG_3947肉まんをスープにつけたら、絶品の味になりました(写真左)。次が鰆に味噌のソース、そしてメイン二つ目は、仔羊のパネ(写真右)。さすが、ジビエ料理の得意なシェフだけあり(来日したフランス人シェフも絶賛だったとか)、非常においしかったですが、量が多くて全部は食べきれませんでした。デザートはメロンのスムージーに蜂蜜のアイスクリーム。スカートが苦しくなるくらい満腹となりましたが、大満足のランチでした。

Written on 8月 15th, 2018

今年も井上舞の「舞さらへ」(祇園コーナー)に行ってきました。このところ、猛暑続きで、京都は連日38度、39度の暑さで、観光客たちもげんなりしているように見えます。今回は若い芸奴さんたちが午前中に踊る、ということで、会場の客もその関連の芸奴さんや舞子さんも来ていて華やかだったそうです(私は午前中は用事で、昼過ぎにしか行けず)。sDSC_0015今年の浴sDSC_0017衣の柄は「わらび」ということです。毎年、柄が変わるのですが、絵柄は尽きないのでしょうか。。。元同僚は、今年は「夕顔」「恋しらず」の二つの舞でした(写真2枚)。皆さん、緊張して扇を持つ手が震えていたりしますが、さすがベテラン、落ち着いた舞を披露してくれました。後ろ姿、髪型がきれいにまとまっていて、うっとりしてしまいます。

4時頃にはsIMG_3921終わり、少し休sIMG_3920憩してから同僚たちと、夕食を一緒に食べに行きました。今回は地下鉄の市役所前の近くのフレンチレストラン、Motoiでコースを頂きました。一品一品は少なめですが、品数がsIMG_3918多いので、最後は満腹でコーヒーと一緒に出るミニャルディーズ(小菓子)は持ち帰りに。メニューは、アミューズ・グーsIMG_3924ルが「パニプリと栃餅と白玉」(細い黒い皿に3つ、可愛く載っていました)。「鱧のベニエ」(写真左上)。鱧は7月の京都には必須の魚ですが、鱧の湯引きではなく、揚げたもので、歯ごたえがパリパリしてsIMG_3927おいしかったです。次に「豚バラ肉を広東の技法で焼き上げたもの」。シェフがもともとは中華レストランで働いていたそうで、その時の中華料理を思わせる一品(北京ダックの薄切りのような、これもパリッとした食感)。「ナチュラルなフォアグラとアマゾンのカカオ」(写真右上)。フォアグラがふんだんに出ていましたが、それほどしつこくなくあっさりと仕上がっていました。「スッポンのパネとリゾット」(写真左)。これもスッポンを揚げてイカスミで黒くしたもの。スッポンのスープは食べたことがありますが、この調理法でスッポンを食べたことはなく、驚きでした。「ブルターニュ産オマール海老のラヴィオリ」「マハタのポワレ ソースアルベール」、そして「ロゼに焼き上げた平井さんの京都肉」(写真右)。これは牛肉のステーキですが、お店の人がおもむろにオーストラリア産のトリュフを持って来られて、割増料金になるが、これは絶品なので是非、ステーキと一緒にお召し上がりください、と言われ、なかなか立派な黒トリュフを見てしまったので、頼むことに。肉の上にふんだんにトリュフを削ってかけてくれました。とても濃厚で美味でした!デザートも何と3品もでてきました。一番気に入ったのは、「加納岩の桃とシャンパーニュのジュレ」(写真)。加納岩の桃はなかなか手に入らない桃で、見た目も涼しげでおいしく頂きました。

Written on 7月 28th, 2018

ショパンピアニスト・作曲家のショパンとジョルジュ・サンドの恋の始まs八木邸2り(1838年6月)から180年周年を祝って、「ショパンの恋 告白のプレリュード 女流作家ジョルジュ・サンドとの恋」というレクチャーコンサート(ポスター)が香里園の八木邸で開催され、参加してきました。八木邸は、有名な建築家藤井厚二が1930年に建てた二階建ての家で、当時の家具調度がまだ残っている貴重な建物です。コンサートの前に家の中を見学させてもらいました。当時、まだ冷暖房の設備がない時代に、各部屋の足元に窓がついていて、そこから風が通るようになっており、窓の開け閉めで温度調節ができる、という機能的な作りになっていました。左写真は食堂に続く居間で、電動掘りごたつになっています。すごく広い台所は建った頃からオーs八木邸ル電化とか。2階は洋間と、畳の間(お琴などが置いてありました)、寝室(広いベッド)と子ども部屋(ここもベッド)があり、階段横には机と椅子が置かれ(写真右上)、ソファーは作り付け(1階の客間も)で、ぴったりはまった形になっています。2階にも顔を洗える水場(タオル掛けも作りつsIMG_3872け)があり、トイレもあって下まで降りて行く必要がなくて便利。この家の当主の八木さん(84歳)ともお話出来ましたが、この家の維持が大変ということでした(庭木の手入れだけで年4回植木屋さんに入ってもらっているとか)。現在は、同じ敷地内の、裏手の家にお住まいだそうです。シンプルな建築ですが、住み心地の良さを最優先した設計だと思います(写真右は玄関)。

コンサートは客間でピアノの後ろに椅子を並べる形のアットホームな雰囲気(規模は違いますが、19世紀フランスでショパンが好んだ20人くらいの客の前で演奏したサロン・コンサートを彷彿とさせます)で、ピアノは八木さんのお母様が嫁入り道具として持って来られた、ドイツのゲラーというピアノ。建築デザイナーで、フランスとの文化イベントなども手掛けておられる金子文子さんが、サンドの自伝『わが生涯の記』から、ショパンとの生活(サンドは1838年から9年間ショパンと一緒に暮らしました)を綴った部分を抜粋して読みあげた後、ピアニストの出口瑞穂さんがショパンの曲を演奏する、というのを繰り返す形で行われました。演目は「ノクターン」や「マズルカ」「雨だれ」(スペインのマヨルカ島で作曲)、「スケルツォ」などおなじみの曲の他にポーランド民謡から作曲した「ワルツ」、彼の遺作の「ポロネーズ」(かなり暗い曲)は初めて聞いた曲でした。ショパンは「スケルツォ」のような激しい曲も書いていますが、むしろピアニシモを大事にする繊細な曲も多く、その意味では大きなコンサート会場よりも、今回のようなサロン・コンサートの方がショパンに向いていると、改めて実感しました。あいにくの大雨でしたが、客間は観客で溢れるほどの盛況ぶりでした。コンサートの後は、ハーブティが供され、歴史的建築物の中で、ゆったりとした優雅なひと時を過ごすことができました。

Written on 6月 24th, 2018

ルーヴル美術展同じく東京に出たついでに、六本木の国立新美術館にルーヴルマスク美術館展を見に行きました(ポスター)。今回のテーマは「肖像芸術」ということで、柩に入っていたエジプトのマスク(右図)や古代ギリシア、ローマ、エトルリアなどの彫像、ルイ14世やナポレオンなどの君主像、女性の肖像画など様々な時代、場所の肖像作品を一堂に会した美術展となっていました。特に感嘆したのは、ルイ13世時代のリシュリュー枢機卿の等身大以上の彫像で、大理ナニー石なのに衣装やマントの細かい襞まで彫られていて、圧巻でした。また、本展覧会の目玉でもあるヴェロネーゼの《女性の肖像》通称《美しきナーニ》(左図)は、非常に魅力的で、その豪華な衣装に白い透き通るような肌が生き生きと描かれていました(現在の基準から見ると、かなりふくよかな体型ですが、この当時の美女の理想で彫像あったと思われます)。あと、マリー・アントワネットの女性肖像画家ヴィジェ=ルブランの、女性の優しい表情を映しだした絵画やベラスケスのスペイン王妃の肖像など、おなじみの肖像画も多く見受けられました。もう一つ面白かったのが、フランツ・クサファー・メッサーシュミットの《性格表現の頭像》(右図)で、様々な表情をした自分の顔を鏡に映して、それを見ながら彫像にしたとか。ナポレオンにしろ、ルイ14世(特に幼い頃)にしろ、君主の肖像画、彫像は当然のことながら、かなり美化されていました。エジプトのマスクと19世紀の肖像画が同じ部屋にあったり、「母と娘の肖像画」のコーナーでは、母娘が入っている絵画が漠然と集められている感じで、展示のコンセプトがもう一つわからなかったですが、それでもなかなか面白い美術展でした。

Written on 6月 9th, 2018

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