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先日、2018―2019年度ニューヨーク、メトロポリタン劇場におけるオペラのライブビューイング(映画:ポスター)を梅田のステーションシネマに見に行ってきました。全10作(『アイーダ』『カルメン』『椿姫』『ワルキューレ』など)がそれぞれMetで上演されて約1ヶ月後に映画として上映されるというもの。料金も大人3600円と普通の映画の二倍はしますが、上映時間も平均3時間~3時間半、ワーグナーの『ワルキューレ』は5時間10分という長さ。間に歌手へのインタビューや舞台裏が映し出されたりで、休憩が2回入ります。本物の劇場では、この幕間にはロビーでシャンパンなどを片手に友人同士で話をしているところです。映画としては高い料金ですが、オペラ劇場のS席は1万円~2万円はする(日本だともう少し高い)ので、それに比べると安く、歌手たちが大写しになるのでオペラグラスの必要がなく、臨場感たっぷりの雰囲気を楽しむことができます(オーケストラも映画館のスピーカーを通してなので、音がいい気がします)。字幕があるのも助かります(劇場だと、舞台上に字幕が電光掲示板に出てきますが、それを読んでいると舞台をきちんと見れないし、演技を見ているとイタリア語の意味がわからない、というジレンマにいつも陥ってしまいます)。
今回は19世紀のフランス人の劇作家スクリーブとルグヴェによる戯曲『アドリアーナ・ルクヴルール』をイタリアの作曲家チレアが1908年にオペラとして上演したものを見ました。先日の女性学講演会で白田先生からサラ・ベルナールも演じた戯曲、と紹介があっただけに興味深いオペラでした。アドリアーナは18世紀の実在の女優(コメディー・フランセーズで人気を博した)で、彼女の恋人マウリツィオ(ザクセン伯爵)、彼の元愛人でアドリアーナの恋敵ブイヨン公妃も実在の人物で、芝居の筋立てのように、アドリアーナが急死し、ブイヨン公妃に毒殺されたという噂もあったとか。アドリアーナ役のアンナ・ネトレプコ(ポスターの女性)は、「ビロードのような美声で絶大なるカリスマ性で、現代のオペラ界をけん引するプリマ・ドンナ」とされ、さすがに素晴らしいソプラノでした。演技力も素晴らしく、『フェードル』の中でフェードルが言う「偽りの心を持つ女」というセリフを公衆の面前で公妃を指さして告発する場面での激しい女の情念や、彼女が恋人に渡したスミレの花(実は公妃が毒を塗って彼の贈り物としてアドリアーナに届けたもの)を見て恋人に捨てられたと嘆く場面、最後の毒が効いてくる場面など、それぞれ迫真の演技で心を打たれました。敵役の公妃を演じたアニータ・ラチヴェリシュヴィリも悪役を見事に演じると同時に、恋人の心変わりを嘆く女の哀れさも見て取れました。
マウリツィオ役のベチャワ(テノール)も甘い声で良かったですが、アドリアーナを密かに愛し、彼女を優しく見守る舞台監督ミショネ役のマエストリ(バリトン)が声、演技とも際立っていました(最後のカーテンコールでも主役の二人についで拍手喝采を受けていました)。二人の恋人が誤解も解けて抱き合い、ハッピーエンドになるかという時に、毒がまわってアドリアーナが死ぬという結末は、いかにもお涙頂戴の劇ですが、ザクセン選帝侯の庶子で、ザクセン王にもなる可能性があった伯爵と女優では、正式な結婚はこの時代では不可能であったと思われます。ただ、好色なブイヨン公爵、狂言回しのような枢機卿など、男たちはマウリツィオも含めて、激しい情熱を迸らせるアドリアーナやブイヨン公妃と比べて、性格的に弱いか、または滑稽に描かれていました。このオペラはもともと劇場が舞台となっているばかりか、劇中劇(『フェードル』)や舞踊(バレエ『パリスの審判』)が挿入されていて、それぞれが深い意味を持っていて、非常に見ごたえがありました(音楽は『カルメン』や『椿姫』のような馴染みの曲はありませんでしたが、非常に抒情性豊かなメロディーでした)。本場のオペラをまた聞きに行きたくなりました。
先日、堺アルフォンス・ミュシャ館に「サラ・ベルナールの世界展」を見に行ってきました(ポスター)。今年度の女性学講演会で白田先生のサラ・ベルナールの生涯についての話を聞いた後だったので、ベルナールが非常に身近な存在となっていただけに、展覧会を何倍にも楽しめました。サラ・ベルナールは19世紀末から20世紀初めにかけて、コメディ・フランセーズを始めとする多くの劇場(パリだけではなくアメリカでも)で主役を演じ、さらには彫像を作成したり、ファッション・リーダー(舞台衣装も彼女のアイデアだったり、その装飾品は本物の宝石を使った非常に豪華なもの)としても活躍しました(写真右は『アドリエンヌ・ルクヴルール』を演じるサラ)。また、無名の画家ミュシャをこの世に出したのもサラで、彼が作製したベルナールのポスター(リトグラフ)は
一躍有名となり、アール・ヌーヴォの代表作となっています。サラが演じた『椿姫』や『ジスモンダ』のポスターが有名で
すが、ギリシア悲劇を題材とした《メディア》のポスター(図版)では、イアソンが妻のメディアを捨てて旅立とうとするのを見て、メディアが彼との間にできた子どもを殺す場面を描いています。メディアの大きく見開いた眼には、「夫に裏切られた女性の深い悲しみと怒り」(カチュール・マンデスの脚本による戯曲)が現れているのかもわかりません。このポスターにはメディアの左腕に巻きつく蛇のブレスレットが描かれていますが、この蛇のモチーフが気に入ったサラが宝飾家ジョルジュ・フーケに作らせたのが、写真右のもの。蛇の頭部にはオパールとダイヤモンドが施され、サラ自身、このブレスレットを舞台の小道具として使っていたそうです。また、ルネ・ラリックもサラが舞台で使う装飾品を作り、彼女がプライベートで身につける装身具もラリックに注文したそうで、それがジュエリー作家としてのラリックの名をとどろかせるきっかけとなります。写真は、ルネ・ラリックが作製したチョーカーヘッド。いかにもアール・ヌーヴォーの作品らしく、女性の髪をうねるような曲線で表現しています。カタログの解説によると、「日本の伝統文様の一つである流水紋にも通じる」そうです。確かに浮世絵や着物の柄にもあるような気がします。ともかく、舞台衣装の豪華さではサラ・ベルナールは群を抜いていて、当時、衣装は女優の自前であったことを考えると、衣装を調えるだけで莫大なお金が必要だったことがわかります。晩年、サラが右足を切断する羽目に陥ったのも、舞台で窓から飛び降りる場面で、小道具係が衝撃止めのマットを敷き忘れたのに気づきながら窓から飛び降り、右ひざをひどく打って怪我をしたことによるものとか。さすが、彼女の女優魂が感じられます。堺の美術館は小ぢんまりとしていて観客も少なく、それだけ一層、ゆっくり見て回ることができ、ベルナールの世界を堪能しました。
「西洋文化史」の授業で、今年は「食の歴史」をテーマとしたので辻静雄料理教育研究所顧問、山内秀文先生をゲストスピーカーに迎え、授業をしてもらいました。山内先生は「コーヒーおたく」と自称されておられるように、コーヒーは生豆から選んで、自宅にある業務用の焙煎機で焙煎して飲む、というコーヒー通で、今回はコーヒーとカフェ(喫茶店)に関する歴史をレストランとも絡めながら話して下さいました。文献に残っている限りでは、コーヒーは14世紀中ごろのエチオピア、アデンで最初に飲まれ、イスラム圏でカフェが始まったこと、それがオランダ、イギリス(コーヒーハウス)を経由してフランスでは1672年に現れたそうです、ワインは人を酩酊させますが、コーヒーは覚醒剤として、理性の時代である啓蒙時代にぴったりの飲み物と言えます。とりわけカフェ・プロコプが有名で、コメディ・フランセーズ前のこの店は、17世紀にはラシーヌやフォントネルなど詩人、劇作家たちが集まり、18世紀になるとヴォルテールやディドロ、ダランベールなど啓蒙思想家たちがここで『百科全書』を作ったとされています。そして、カフェ・ド・ラ・レジャンスではチェスが興じられたそうで、著名人たちが集まる場となったようです。また、革命前夜のパレ・ロワイヤルでのカフェ・ド・フォワの果たした役割(デムーランは「武器をとれ!」とアジ演説をし、それがバスチーユ襲撃につながる)や、さらには1830年以降にはやったイタリア通り(ブルヴァール)のカフェ=レストランの話など、様々な図版を見せながら貴重な情報を教えて下さり、90分では足りずに時間オーバーするほど熱のこもった授業となりました。その後、有志の方々と近くのイタリアレストランに昼食を一緒に食べに行きましたが、そこでもコーヒー談義、レストラン談義に盛り上がりました(写真はレストランでの山内先生と聴講生の方々)。山内先生、楽しい授業をありがとうございました。
女性学講演会の後の懇親会は、昨年度と同様に玉出にあるフレンチレストラン「ぽたじぇ」で行いました。料理が評判を呼んで、総勢32名(店でぎりぎりのスペース)となりました。今年のメニューはまず、カップに入った「パンプキンスープ」。まったりとしたいい味で、気持ちもほっこりします。次が「前菜盛り合わせ」(写真左)。中身はパテカンパーニュ、リエットのカナッペ、自家製
ロースハム、キャロットラぺ(人参をすりおろしたもの)、根セロリ、鶏のガラン
ティーヌ。次が「海老のブロ
シェット」(写真右)。「ブロシェット」は串焼きを意味するので、赤海老が串にささっていると思っていましたが、違ったものがでてきました。白ワインソースともう一種類のソースがたっぷりかかって
いて、どちらもおいしくて皆さん、パンでソースをきれいにすくい取って食べておられました。次が「鶏肉のマリニエール、バターライス添え」(写真)。このレシピは有名なレストラン(先日のカメキチでも出てきましたが)「ラ・ピラミッド」のフェルナン・ポワンのものだそうです。そして、デザートはクロッカントにパンプディング、ブルーベリーのアイスクリーム(写真)。肥田シェフは、ソースがたっぷりかかった伝統的なフランス料理を出してくれ、皆さん、料理に堪能されたようです。おいしい料理に話も弾み、本当に楽しいひと時を過ごすことができました(写真:今回は人数が多くて全員で撮れず、一部のみ載せています)。
先日、~歳の誕生日を迎えました。娘が誕生ケーキを作ってくれて家族でお祝いをしてもらいました。ケーキのデコレーション、なかなかきれいにできています(写真)。マジパンで花を作るのが一番時間がかかったそうです。娘に感謝! 夫も赤飯を炊いてくれました(この年になると誕生日がきても、また年をとったと複雑な気持ちになるだけですが。。。とりあえずは家族に祝ってもらってうれしいです)。
ちょうどその誕生日に、以前に委員をしていた堺市の個人情報保護審議委員会のメンバー二人が任期満了で委員を退くため、送別会があり、私も参加しました。左の写
真中央の花束を持っているお二人と、同じく同僚の女性教員と4人で撮ってもらいました。市役所の方々も含めて委員全員の集合写真(写真右)。久しぶりに会う方々もいて、月一度の委員会で顔を合わせるだけでしたが、弁護士や大阪ガスの所長さん、NHKの方など普段はあまり合わない異業種の方々と話ができて非常に刺激的でした。写真からも和気あいあいとした雰囲気がにじみでていると思います。堺市も政令指定都市で独自の政策を打ち出していて、市役所の方々との話も面白く、また仕事とは違う家庭(子どものことなど)の話はどこも共通で、些細な話題にも盛り上がりました。またメンバーの皆さんと再会できれば幸いです。
先日、「西洋文化史」の授業でゲストスピーカーとして話をして
もらうことになっている辻料理研究所の山内先生、八木先生たちと打ち合わせを兼ねて夕食をご一緒しました。辻調理師学校のフランス、リヨン校を首席で卒業し、ポール・ボギューズの元で修業したという、亀井シェフの店(谷町4丁目駅の近く)で待ち合わせ。ビストロ料理を主に出す店だそうですが、今回はシェフお任せの本格的な料理を出してもらいました。まず、前菜として菜の花の上にカワハギのきもあ
え、大根の薄片にキャビアが乗っています(写真左)。ワインは白で飲み口のいいブルゴーニュのサン=ヴナン。次にフォワグラのポワレ+黒トリュフが玉ねぎのコンソメスープの中に浮かんでいるもの(写真右)。
トリュフが香ばしく、フォワグラも思ったよりあっさりして食べやすかったです。コンソメスープが絶品。最近は昔ながらのポタージュは出なくなったそうです。次にシタビラメのフェルナン・ポワン風(フェルナン・ポワンはリヨン郊外のレストラン「ラ・ピラミッド」のオーナーシェフで、亡くなるまでミシュラン三つ星を守り続けたという伝説の料理人)。日本にはシタビラメはあまり存在せ
ず、赤ヒラメが大体売られていて、フランスのシタビラメとは味も違うそうです。グラタン風で、中に幅広のパスタが入っています(写真左)。赤ワインはシャトー・ヌフ・デュ・パップ。これもまろやかな味わいで料理にぴったり(ワインは八木先生が選んでくれました)。メインはシャラン鴨(写真右)。定番のオレンジソース。鴨肉は場合によれば、臭みが残りますが、さすがここでは全く臭みがなく、焼きむら(肉のどの部分にも同じように火があたるよう、何度も肉をひっくり返すとか)もなく、しかも柔らかい!(低温調理?)。分厚い切れですが、全然気にならない厚さでした。デザートはクレーム・ダンジュ(チーズケーキ)にフランボワーズのアイスクリーム。おしゃべりと料理に夢中になり、あっという間に4時間が過ぎていました。お二人の先生からは最近のレストラン・料理事情をたっぷり聞かせてもらいました。
先日、京都祇園の花見小路を少し行った南の路地(か
なりわかりにくい所)にある、和風料理の店「大渡」に行ってきました。町屋風のお店で靴を脱いで通されたところがカウンターになっている、という小さな店(9席)ですが、料理だけではなく、店の大将が面白いという評判のお店のようです。食事は夜のみで、1コースのみと決まっています。まず出てきたのが、冬至にちなんで「ゆずがお風呂に浮かんでいる」イメージ(写真左)のお皿。ゆずの中身はふぐの白
子をこしたものに、ウニ、アワビが入っている、という贅沢な一品。次はわけぎ
のヌタ合え(写真右)に、あんこうの肝のペースト、アーモンドのスライスがのっています。次がカニの身が上にのった(茶色の部分はかにみそ)蒸し寿司(写真)。見た目もきれいで美味。お椀は白みそ仕立てで、大根とフカヒレが入っていました。次は、何とクリスマスシーズンということで、眼の前で鳩をロースト(大将は八坂神社の鳩も、数が減るな、という冗談を交えながら焼いていました)。和風料理にジビ
エが出てくるのは珍しい!その鳩肉を薄く切って、おもゆの上に乗せ、クワイのクルトン、鳩のスープ出汁に鰻のたれを
混ぜたソースがかかっています。鳩肉は臭みが全くなく、クワイのクルトンは初めて食べましたが、歯ごたえも良く、おいしかったです(鳩の鳴き声の連想でクルトンとか)、おもゆは「思いれたっぷり」という洒落とか。次にかぶらの煮物が出た後、大きなぶりの熟成肉(5日間熟成したものとか)。最近、牛肉でも熟成肉が流行していますが、ぶりも熟成できるようです。刺身にすると油が勝つ形になりますが、熟成するとしっとりとした食感となります。写真はぶりを手にする大将。ぶりを薄く切ったものに、白わさびがのっていました(写真)。最後のメインが生きたせこがに(写真)を眼の前で解体、その足をお湯でさっと通したものがでてきました。その後のカニ雑炊が本当に絶品の味で、隣の男性など4杯もおかわりして食べるほど。デザートはきなこをたっぷりまぶしたわらびもち。すっかり満足して京都を後にしました。
奈良女子大に、マルティーヌ・リード リール大学教授の講演
「「異性装」の意味するところ ジョルジュ・サンドとコレットをめぐって」を聞きに行ってきました(ポスター)。あいにくの雨模様でしたが、ジェンダー言語文化学プロジェクトということで、大勢の学生さん、教員の方々が集まってこられ、80名を越す参加者で教室が満杯になるほどでした。リード先生の奈良女子大での講演は2度目で、非常にわかりやすく、面白いお話をされました(写真)。講演の前半は、フランス革命からの服装史を簡単に説明され、服装がいかに社会階級や身分、貧富の差を表すか、ということと、ジェンダー的に見れば、男の服装は動きやすくできているのに対して、女の服は動きが阻害される窮屈なもので、公的空間で自由に動くことができなかったこと、さらに異性装(ズボン)は女性には禁じられていた(カーニヴァルなどを除く)ことを説明されました。後半はジョルジュ・サンド(1804-1876)およびコレット(1873-1954)がなぜ「男装」したのか、その理由を探るものでした。サンドの場合は、実用面(お金が安くすむ)、活動面(自由に公共の場に出入りできる)、「男性作家」と肩を並べる手段、というのが男装の主な理由で、自らの才能が認められてからは、男装をやめたため、男装の時期は短いものでした。コレットはまず、夫のペンネーム(Willy)で『学校のクロディーヌ』を出版しました。さらに夫のプロデュースで自作の作中人物の扮装(女生徒の衣装)をして、先生然としたウィリーの前で跪いているというポートレート写真(ジェンダー構造がよくわかります)を出したりしました。その後、パントマイムの勉強をして女優マチルド・ド・モルニとカップルでそれぞれ男性を演じたり(男装)、その「妻」役を演じたりしてスキャンダルを引き起こしました。そして夫と離婚した後は、「コレット」という名で小説『雌猫』を出版するわけです。彼女の場合、半人半獣の「フォーン」をほぼ裸で演じた写真を残したりしていて、サンドの頃のカリカチュア(Bas-bleuブルーストッキングとしてかなりカリカチュアで揶揄されました)ではなく、写真という媒体によって自らの主張を発信していて、時代の変化が伺えました。
講演の後、質疑応答も活発に行われ、2時間があっという間に過ぎました。その後、近くのフレンチレストラン「ラ・フォルム・ド・エテルニテ」でサンド研究者同士の交流会を行いました。このレストランは大阪で人気を博した後、奈良に移って来ただけあり、繊細な料理を出してくれました。前菜は白身魚のマリネ(カルパッチョ)(写真左)と奈良産レタスのグラタン(ベーコン入り)、メインは鱈、および猪肉
(写真右)を選び、皆でパルタージュ。猪(singlier)はフランスでもジビエ料理で出てきますが、リード先生は初めて食べたそうです。全く臭みがなく、おいしい猪肉でした。デザートはクレーム・ブリュレに栗のアイスクリーム、トリュフ入りと贅沢なデザート。スパークリングワインと赤ワインを料理と一緒に飲み(写真は最初の乾杯の時)、すっかり満足の一日でした。
先日、友人たちと越後湯沢からタクシー
で20分の山奥(大沢スキー場のある山が真正面にある)の「里山十帖」という宿に泊まってきました。この宿のコンセプトはHPによれば、「四季折々、さまざまな物語が展開される自然豊かな里山。豪雪に耐えてきた黒光りする梁と柱。古民家と共存する、世界を代表するデザイナーの家具。創造力と創作欲をかきたてる現代アート。そしてなにより、自然の力強さを感じる食……。里山十帖はお篭もり旅館でも、サービスを競うホテルでもありません。「Redefine Luxury」。私たちは体験と発見こそが、真の贅沢だと考えています」とのこと。温泉がついていますが、いわゆる温泉旅館ではなく、玄関に入ると眼に入るのは、黒くて太い大きな柱が頭上にはりめぐらされた天井の高い吹き抜け(写真左:フロント、椅子などの家具もお洒落でした!)で、フロント横の階段を上がるとラウンジになっていて、コーヒーや、夕食前のアペリティフ(特に梅酒をにごり酒につけたものがおいしかった!)を楽しめます(下の階の薪がくべられた暖炉の暖かい空気が上にあがって、ラウンジはぽかぽか)。部屋は和風ではなく、洋風(ベッド)
で、デザイナーズ・ルームのため、部屋によって内装が違うという
もの。ベランダには一人用の露天風呂もついています。大浴場はそれほど広くないのですが、露天風呂からは夜は星空(この日は残念ながら、月とかすかに星座が見えるくらいでした)、朝は日の出が見えます。料理に関して言えば、これもHPによれば、『早苗饗 −SANABURI−』と名付けられ、「伝統を大切にしながらも、ジャンルにとらわれない新しい饗応料理を目指し」、テーマは「大地の恵みを感じていただくこと」
「食材の力を感じていただくこと」。「料理を担当するのは「ミシュランガイド関西」で三ッ星を獲得している京都「吉泉
」で修業したチーフ・フードクリエイターと、スリランカでアーユルヴェーダを学んだヴィーガン料理に長けたシェフ。さらにクリエイティブ・ディレクターの岩佐十良のアイデアが融合」したもの。したがって、コースのほとんどが野菜か山菜の料理となっています。まず、前菜(写真左)は、イチジク、柿、八色椎茸。もみじの葉が秋を物語っています。次に「新潟の秋」(写
真右)。菊花、里芋、林檎、柿、あけび、新生姜が美しく載って
います。3つ目は大きな「赤かぶ」(写真左)で、ふたをあけるとかぶのスープとなっています。4つ目は「佐渡」(写真右)。ワカメ、アジ、インカ(じゃがいも)など。5つ目が秋鮭に山のハーブが載ったもの(写真)。最後に「煌麦豚と山葡萄」(写真)。山葡萄を豚肉に載せて食べると、山葡萄のぷりぷりした食感も味わえて非常にマッチしていました。最後に土鍋で炊いた新米(コシヒカリ)を頂きました。お米は近くの田んぼで作った自家製、ハーブも作っていて(または三つ
葉やクレソン、スイバなどは自生)、夕方、スタッフの方(写真)が近くを案内してくれ、私たちもハーブ摘みのお手伝いをしました(写真は、山道で見つけた小さな滝)。温泉は、無臭ですがしっとりした湯質で、肩凝りも少し取れたような気がします。日常生活を離れて、こうした山奥で過ごすことで、心身ともにデトックス効果があるのではないかと期待しています。
藤田嗣治展(ポスター)を見に、京都国立近代美術館に行ってきました。金曜は夕方時間延長して開いているので、4時過ぎに美術館へ。おかげでそれほど混んでおらず、ゆっくり鑑賞することができました。藤田といえば、「乳白色の肌」で、ポスターの女性の顔や手に見られる美しい白のつるつるした独特の質感は藤田ならではの技術と言えるでしょう。彼がフランスに渡ったのは1913年、パリに着いてすぐにピカソの絵に衝撃を受け、キュビスムのような絵を描いています。それから風景画、静物画などを描いて修業をし、彼独自の「乳白色の肌」を生み出したのは1920年代、ちょうどベル・エポックまたは「狂乱の時代」と言われた時代で、パリの南側、
モンパルナスには「エコール・ド・パリ」と呼ばれる様々な国籍の芸術家が集まりました。ピカソ、モジリアニ、ユトリロ、シャガール、スーチン、リベラ、ザッキン、レジェなど錚々たる画家たちが一堂に会しています。その中で他の画家とは違う色彩の絵を目指したのが藤田の「乳白色」であり、そ
れがパリの画壇で認められることとなったわけです。それに引き換え、日本では彼の絵は評価されず、さらに第2次世界大戦で戦争画を描いたために戦後、戦犯扱いされて藤田は日本を離れ、晩年、フランスに帰化することになります。才能があればどの国の芸術家でも受け入れるパリと、この時代の偏狭な精神に溢れた日本との違いかもわかりません。戦犯扱いされた藤田ですが、その《アッツ島玉砕》などは戦争昂揚のためのものというよりも、戦争の悲惨な光景(断崖から飛び降りる人や、死者が折り重なる様子など)が描かれていて、むしろジェリコーの《メデューサ号の筏》やドラクロワの《キオス島の虐殺》を想起させます。恐らく藤田もジェリコーやドラクロワを目指したのではないかと思われますが、ただ彼らほどの迫力には至っていない気もします。中南米での絵画や日本で描いたものは作風も違い、茶色地のものが大半ですが、やはり「乳白色の下地」が藤田らしいと思います。彼は裸婦を多く描いていますが、裸婦の肌を引き立てる、花柄の装飾模様の布など、その背景も素晴らしいものです。今回、日本初公開の《エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像》(右図)は、背景に銀箔が使われ、「横長の画面は日本の障壁画を思わせる」とされています。青いドレスに黒字に金箔の刺繍が入ったベスト、さらに花柄のクッションが丁寧に描かれています。藤田の肖像画には猫がつきものですが、普通は日本猫なのに、この絵では黒猫となっています。また、《争闘(猫)》(左図)は、猛々しい猫たちの躍動感溢れる姿が描き出されています。1940年制作で、ちょうどナチス・ドイツが台頭していた時期にあたり、第2次世界大戦勃発後の世情を映し出したものと言えるでしょう。
絵の鑑賞の後、近くの中華レストラン「静華」で夕食をとって帰りました。
この店は一見、フレンチレストランのようで、出てくる料理も非常に洒落ています。最初に出てきたアミューズ・グール(写真左)は、「桃の花の涙」、白クラゲに梨。また、一見、麻婆豆腐に見えるものが実は、豆腐の代わりにモッツォラレ・チーズであったり、ガチョウ肉になぞらえた湯葉とか、遊び心一杯の料理でした。特にきれいだったのが、鯛の刺身(写真右)。明石鯛の刺身にナッツ、きれいな
色のゼリー寄せがついています。また、牛肉に米粉をつけて揚げたものを野菜と一緒に蒸した蒸し物(写真)も珍しく(中国の
伝統的な家庭料理とか)、デザートはきれいな色のフルーツ・ティーにゴマ団子、シャインマスカットのジュレなど(その前に出た杏仁豆腐もすごく柔らかくで絶品でした!)。藤田の絵で眼を楽しませた後、おいしい食事も食べてすっかり満喫した一日でした。