村田京子のホームページ – blog

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sIMG_3382先日、恒例の井上舞の「舞さらへ」を見に行ってきました。sIMG_3393今回は歌舞練場の一角、「ギオンコーナー」の会場でありましたが、歌舞練場の前には草間彌生さんのかぼちゃ(写真左)が設置されていて、古い伝統的な建物とも微妙にマッチングしていました。花見小路沿いの店はすべて暖簾がかかっていて提灯がぶら下げられた和風建築で統一されていますが、その一角にエルメスが旗艦店を出しています。店内は色とりどりの革の布が柱に張り巡らされ、修sDSC_0007理の実演も行っていました(写真右)。和と洋がうまくマッチングしているもう一つのsIMG_3390例と言えるでしょう。同僚の今回の舞は「都島」(写真)。一つ一つの足さばき、腰の動きが洗練されていて見ていてうっとりします。足袋はオーダーするそうで、自分の足にぴったりあった足袋でないと動きも違ってくるのだと思います。今年は瓢箪柄の浴衣で、帯は元芸妓さんの帯を借りたそうで、なかなかいい帯でした。

sIMG_3396夕食は歌舞練場の向いにあるフレンチレストラン「萬養軒」で取りました。萬養軒は明治37年の創業だそうで、皇室やエリザベス女王、故ダイアナ元妃もお食事をされた由緒あるお店です。お茶屋を改造してレストランにしたそうで、正面は町屋風となっています。sIMG_3397コース料理、まずはアミューズとして「とうもろこしのジュレ」が出た後、「香草風味のウナギのオーブン焼き」(写真中央)。リゾットの上にウナギが載っていて全く臭みのないおいしいウナギでsIMG_3398した。次に「海の幸と夏野菜の冷たいスープ仕立て」(写真右)。まさにウニやアワビなど海の幸が入っていて、見た目も涼しげですっきりしたsIMG_3400味のスープでした。「鮎とポテトのコンフィ、サバイヨンソース、キャビア添え」(写真左上)は稚鮎を揚げたもので、頭から尻尾まですべて食べられる、というもの。スープはヴィシソワーズ・スープ、メインは「オマール海老のポワレ ケイパー風味」(写真右上)と「特選牛フィレ肉のステーキ、トリュフ風味」(写真左)。どちらも素材がいいだけでsIMG_3404はなく、ソースが絶妙な味わいでした。チーズが少し出た後、デザートは「夕張メロンのスープにライチのジュレとヴァニラアイスクリーム」、コーヒーと小菓子(小さなマカロンなど)で、すっかり満腹となりました。日本的な素材も使いながら、オーソドックスなフランス料理でした。暑い一日でしたが、楽しい会話とおいしい食事のひと時を満喫できました。

 

Written on 7月 26th, 2017

ベルギー1学会で上京した折に、二つの美術展を見てきました。一つはBunkamuraのミュージアムでの「ベルギー奇想の系譜」展と、もう一つは国立西洋美術館での「アルチンボルド展」。どちらも「奇想の系譜」と言えるでしょう。「ベルギー奇想の系譜」展(ポスター)では、第1章がボス派やブリューゲルなど15~16世紀フランドル画、第2章が19世紀末~20世紀初頭のベルギー象徴派・表現主義の絵画、彫像を集めたものとなっていました。何と言ってもポスターにもなっているヒエロニムス・ボス工房の《トゥルヌグダルスの幻影》(右図)が奇想のフランドル絵画の代表と言えるでしょう。放蕩の騎士トゥルヌグダルス(左下で眠っている男―後ろに守護天使が控えている)が夢を見て、地獄と天国に導かれ、異界巡りをする話で、地獄での「7つの大罪」を犯した者への懲罰を目撃して悔い改める話に基づいたものです。眠っている騎士の頭上にいるのが7つの大罪の一つ、「嫉妬」を表しマンデイン「蛇に誘惑され、犬に食べられるアダムとエヴァ」、その上の丘の上に座る若い女性に鏡を見せる死者の仮面の怪物は「傲慢」を象徴しています。右上のベッドに横たわる女性は「怠惰」を表し、その寝床に様々な怪物が襲いかかっています。その下の円筒の中の左側が「大食」の罪を犯した者で、無理やり大量の酒を飲まされています。その横が「激怒」で、激昂した兵士に剣で背中を刺されています。画面中央の桶には大きな顔の男の鼻から金貨が降っていますが、そこで溺れているのが「貪欲」の罪を犯デルヴィルした修道士と修道女。桶の手前にいる、サイコロに腰かけた男は「邪淫」の罪を犯した者で、サイコロは賭け事を表し、魔物に腹を刺されています。後景にも火の海となった町が描かれ、大勢の人が血の池で溺れているなど、凄惨な場面が描かれているわけですが、怪物の表情はどこかユーモラス(らっぱを吹いている怪物や、右下の女性を背中に乗せた小さな恐竜のような動物など)で、あまり怖さは感じられません。むしろ、その精緻な描写に感動を覚えるほどです。その他にもヤン・マンデインの《聖クリストフォロス》(右図)も面白かったです。キリストを背負って川を渡るクリストフォロス(渡っているうちに背中のキリストが重くなっていきますが、それはキリストが人類の罪を背負っているため)が中央に描かれ、右には巨大な修道女の館(娼婦の館)、左には賭けごとをしている者たちが配され、小さな怪物たちが散在している、という奇妙なものです。聖人伝説を描いていながら奇妙なファンタジーの世界に変容しているのが何とも不思議な感じです。第2章の19世紀末からの絵としてはフェリシアン・ロップスの《娼婦政治家》(豚を散歩させる、眼隠しをした裸の女)や、ジャン・デルヴァルの《レテ河の水を飲むダンテ》(左下図)が印象に残りました。ベアトリーチェを見捨てたことへの罪の呵責で苦しむダンテが、忘却の女神レテから、すべてを忘却できるとされる水を飲ませてもらう場面を描いたもので、ダンテは右手に純潔の印、百合の花を女神に差し出しています。淡い色調の幻想的な光景となっています。

アルチンボルドもう一つの「アルチンボルド展」(ポスター)は、何と言っ大地ても神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世に捧げた肖像画(春夏秋冬の連作《四季》と、水、大気、火、大地の《四大元素》の肖像画シリーズ。アルチンボルドの生きた16世紀は、新大陸発見や喜望峰回りの航路の発見を経て、世界各地のモノや情報がもたらされ、宮廷にはこれらの自然の驚異を収集した「驚異の部屋」(博物館の前身)が出現しました。アルチンボルドの絵もこうした時代の風潮を反映したものと言えるでしょう。ポスターの絵は《春》で、春に咲く様々な花や植物を寄せ集めたものです。《大地》(右図)はライオンや象、羊、猿、鹿、イノシシなど様々な動物が画面に見出せます。《大気》(左下図)では、ハプスブルク家を象徴する鷲と孔雀が前面に描きだされています。頭の鳥は庭師数えきれないほどで、観察眼の鋭さに驚きの念を禁じ得ません。《四季》と《四大元素》のなかで、季節の産物や世界中の大気動物を寄せ集めることで、「時(四季)と世界(四大元素)を統べるハプスブルク家の皇帝を称揚」しているそうです。しかし、こうした政治的背景を知らなくても、自然の様々なモノを集めた絵は一種の判じ絵として面白く(北斎の浮世絵にもあったような)、会場には多くの子どもたちが見に来ていて、絵を指さしながら隠れている動物を楽しそうに探していました。もう一つ面白かったのが、上下さかさまにすると違った光景が展開する絵画で、その一つが《庭師/野菜》(右下図)でした。どちらの会場もかなり混雑していましたが、大いに楽しめた美術展でした。

 

Written on 7月 17th, 2017

ベルギーベルギーのリエージュ大学教授 Laurence Wéry教授が府大に視察に来られました。リエージュ大学とは学術交流協定を結び、来年以降、リエージュ大学の学生さんとの交流が始まる予定です。それに先立ち、日本におけるフランス語教育がどのようなものか知るために、本学におけるフランス語の授業を見学に来られました。私の担当する授業(1回生の文法の授業)にも来られて自己紹介されましたが、ベルギーと言えばチョコレート(ゴディバやレオニダスなどは日本でも有名)、ビール(村ごとに特産のビールを醸造していて900種類以上のビールがあるそうです)、漫画は「タンタンの冒険」で、そのあたりは知っている学生もいました。言語は複雑で、北の地域がオランダ語から派生したフランドル語圏(アニメで有名な「フランダースの犬」はフランドル地方のアントワープが舞台となっています)、南がフランス語圏、東に小さな領域ですがドイツ語圏と3つの言語が交錯しています。しかも、ブリュッセルは北のフランドル語圏に属していながらフランス語圏。したがって、ブリュッセルは国の首都であり、同時にフランドル語圏の首都とフランス語圏の首都で、EUの首都も兼ねるという4つの首都になっています。現在は北の工業地帯が栄え、南のフランス語圏との格差は大きくなるばかりのようです(失業率も北が5%、南が10%。テロリストの温床とも言われる移民地区を持つブリュッセルの失業率は18%に上るとか)。

Wéry先生の「ベルギーのフランス語」(ポスター)についての講演にも参加しました。先生によると、ベルギーのフランス語とフランスのフランス語との違いは3つの要因―①古いフランス語を守っている。例:90をquatre-vingt-dix ではなくnonanteと呼ぶなど。②ドイツ語の影響。例:市長(maire)をドイツ語風にbourmestreと言う。③フランドル(オランダ語)の影響―によるそうです。また、フランス語で「知事」という意味のpréfetはベルギーでは「校長先生」を意味し、「高校」という意味のフランス語lycéeはベルギーでは「女子校」という意味になるとか、興味深いお話も伺いました。その上、フランスとは違い、カトリック系の学校も「私立」ではなく「公立」で宗教と政治の分離はなされていないとか。学校は二つのコースー聖書を学ぶ授業のあるカトリック系と宗教色のない、またはイスラム教など他の教義を学ぶコース―に分かれ、学生がどちらかを選択するそうです。そのあたりは、政教分離(laïcisation)が原則で学校など公的な場所ではイスラム教のヴェール着用禁止のフランスとは全く違うベルギーの特色が垣間見られました。EU圏の大学生は母語ではない言語を話す他のEU圏の国に必ず6か月~1年留学すること(エラスムス計画)が決められていて、リエージュ大学でも多くの外国人学生を迎えているそうです。今後、日本とベルギーの大学との若い人たちの交流が進むことを願っています。

Written on 7月 8th, 2017

sIMG_3334sIMG_3327国際シンポジウムの一環として、シャトー・ダルス(写真)へ行きました。このルネサンス様式の城はサンドの友人で医師のGustave Paetの所有で、サンドの小説の舞台ともなった場所です。ここで、サンドの息子モーリス・サンド展(パンフレット)が開催され、それを参加者揃って見に行きました。モーリスはドラクロワの弟子として画家修業をしましたが、ドラクロワのようなロマン主義的な絵画よりも、むしろ幻想的な絵の方が描きたかったようです(写真)。またはカリカチュアで、母親のサンドとその仲間たちのカリカチュモーリス1sIMG_3351アを多く描いていますsIMG_3356(写真)。また、マリオネット作製(写真左下)にも情熱を注ぎ、イタリアのコメディア・デラルテの役者たちモーリス2(写真右下:イラストはモーリス )を扱った Masques et bouffons というsIMG_3362本も出版しています(序文は母親のサンド)。ジョルジュ・サンドは2人の子どものうち、息子のモーリスは溺愛し、モーリスもかなりのマザコンでしたが、娘のソランジュの方は母親に反発し、サンドがショパンと別れたのもショパンがソランジュの味方をした、というのが一因となっています。モーリスの絵の才能はそれほどではなかったようで、母親のサンドが全集を出す時に出版者に息子の挿絵を全面的に使いたいと強く要望したにも関わらず、他の挿絵画家との共作という形に収まりました。この点ではサンドも親馬鹿な面を見せています。朝、1時間余り展覧会を見た後、シャトーのホールでシンポジウムが午前、午後と行われ、6時過ぎに閉会となりました。2年後のシンポジウムはスイスのローザンヌ大学で開かれるそうです。

Written on 6月 29th, 2017

sIMG_3278国際シンポジウムの一環で、ジョルジュ・サンドの住んだsIMG_3284ノアンの館に行きました(写真左)。サンドはこの館でその著作の殆どを執筆し、ショパンと一緒に暮らしたのもこの館で、19世紀を代表する作家バルザックやフローベーsIMG_3290ル、ピアニストのリスト、その恋人マリー・ダグー夫人や画家のドラクロワなどもこの館に滞在しています。以前から訪れたかったのsIMG_3297ですが、交通が不便(バスが一日数本しか走っていない)で、なかなか行けず、今回初めての訪問となりました。学芸員さんが説明してくれ、まずは台所ノアン2(写真:銅鍋が並んでいます)から始まり、客を迎えた豪華な食堂(写真:展示では招待客の名前も記されていました)、寝室(写真:すべて同じ可愛いピンクの花柄生地で統一されています)、書斎、サロン(写真:隅にはピアノが置いてありましたが、残念ながらショパンが使っていたものとは違うそうです)、ノアン1sIMG_3302そしてマリオネット(写真右下)とその劇場(写真隣)。息子のモーリスが人形を作り、サンドが衣装を制作、ショパンが即興で演じたIMG_3307というものsIMG_3311で、友人たちや村人を招待してマリオネット劇をしたそうです。2階にはさらに息子のモーリスが収集した石や蝶の標本が置かれ、あたかも生物学教室にいるような印象を受けました(写真2枚)。サンドも鉱物・植物・鳥など自然界には非常に興味を持ち、それは彼女の作品(『おばあさまのコント』など)によく現れています。昼食は館の敷地内のレストランでAssiette des Bessons sIMG_3318sIMG_3321(写真:「双子の料理」:『愛の妖精』に登場する双子の男の子ランドリーとシルヴィネを指すベリション方言Bessonsに因んだ料理名)を頂きました。ワンプレートに地元料理、パテ・ド・パック(すり潰した肉をパイ皮で包んだもの、パックはイースターのことで、卵と関係しているのでゆで卵が入っている)にランティーユ(豆)が載っていました(写真:サンド研究の重鎮ベアトリス・ディディエ先生、アナベル・レア先生たちと)。午後からはこの敷地内のグランジュ(納屋)でシンポジウムが行われました。本来はノアンの館の屋根裏部屋が会場でしたが、猛暑のため、急遽、場所が変更されました。暑さには苦しめられましたが、一日、ノアンの館で過ごすことができ、幸せな気分です。

Written on 6月 29th, 2017

クレルモンフェラン国際シンポジウムがあったクレルモン=フェランは、パリのベ聖母ルシー駅からの特急列車で3時間半の所にあります。列車はコンパートメント式の6人座席。一等車(ネット予約をすると一等と二等の料金は600円くらいしか違わない)は空いていたので2人で一つのコンパートメントを独占して快適な旅となりました。駅から徒歩20分くらいで観光スポット、ゴシック建築のノートル=ダム=ド=ラソンプション教会(写真左)があります。教会の外側が黒いのはVolvic(ミネラルウォーターで有名)山の火山石を使っているせいで、教会の中には同じく「黒い聖母像」(写真右)が安置されていヴィクトワ―ル広場ます。教会周辺が広場(ヴィクトワール広場)になっていて、カフェ・レストランがそれぞれ外にテラスを出しています(写真左下)。フランスの地方に行くと必ずそうですが、教会を中心に町ができているのがよく分かります。行ったのが日曜ということもあり、普通のレストランは軒並み閉まっていますが、さすが観光客の集まるヴィクトワール広場は店が開いていました。夕食にはビールと軽食(幅の広いパンの薄切れにサーモンを焼いたものが載っている)を取りました。クレルモンはオーヴェルニュ地方の一部ですが、牛牛(写真右下)が名産として有名でお昼に食べたのはチーズのキッシュとシャルキュトリ(ハム・ソーセージの盛り合わせ)とジャsIMG_3234ガイモの付け合わせ(写真:一人分を二人で分けて食べましたが、それでも量が多い!)。教会に至る石畳みの狭い小道はまだ中世の趣を残していて、路地から中世の騎士がでてきそうな雰囲気でした(町の周辺にはトラムが走っていて近代的な建物が並んでいるのですが)。

Written on 6月 28th, 2017

sIMG_3190ジェラール・ジャンジャンブル先生が地元のジヴェルニsIMG_3196ーに招待してくれました。パリのサン=ラザール駅からルーアン行きの列車に乗り、約45分でVernon-Giverny駅に着きました。駅では先生ご夫妻が待っていて下さり、車で30分くらいのレストランMoulin de Fourgesへ。ここは文字通り、水車小屋 (moulin)だった建物(と言ってもマリー・アントワネットのトリアノン宮を建てた建築家が建てたもので、18世紀に遡る由緒ある建物:写真左右)。セーヌ川沿いのテラスで昼食をご夫妻と一緒に取りました。アントレsIMG_3204は冷トマトスープにスモークドサーモン、チーズが載ったパンがついたもの(写真左)、スープはガスパッチョのようにピリッとした香辛料が入っていて暑いsIMG_3205夏には適しています。ワインは白でシャブリ、メインも魚介類なのでアルザスの白ワインをジャンジャンブル先生が選んでくれました。メインはこの地方名産のmarmite(白身魚、ムール貝の入ったクリームポタージュの上にパイ皮の蓋がされたもの)を選びました(写真右)。チーズはsIMG_3206地元のチーズが幾つも並んで壮観(写真)。このうち、2種類(手前右のオレンジ色のチーズとやぎのチーズ)を取りました。デザートはシャーベットをシュークリームの皮で包んだものを選びました。どれもおいしく、ボリュームのあるものでしたsIMG_3200。ジャンジャンブル先生とは研究や政治(ちょうど国民議会選挙が終わったばかりで、マクロン陣営の圧勝に終わったばかりということもあり)の話で盛り上がりました(写真)。フランスはすっかりヴァカンス気分で、このレストランも観光客で満杯でした。

sIMG_3212昼食の後は、先生の車でジヴェルニーのモネの家へ。ここも20年前行ったことがありますが、その時とは比べられないほど観光客でごった返していて、長蛇の列。庭は日本風庭園を真似たもの(写真左)で、柳や太鼓橋(なぜか、緑色)がかかっていてジヴェルニー色とりどりの草木が植えられていて壮観です。ただ、37度近い炎天下の中、歩くのはかなり体力を消耗し、日傘か帽子を持ってくるべきだったと反省。モネの家(写真右)では所せましと浮世絵がかけられ、明るいタイル張りの食堂(写真)は南仏を思い起こさせるものでした。どこも人で一杯でしたが、さすがに6月ということもあり、日本人観光客の姿は見えませんでした(テロの影響もあるかジヴェルニー2もわかりません)。ジャンジャンブル先生ご夫妻のおかげで、充実した一日を過ごすことができました。

Written on 6月 28th, 2017

sIMG_3183パリに来たついでに、ジャック・シラク元フランスsIMG_3184大統領の名前を冠するケ・ブランリ博物館(エッフェル塔の近く)を訪れました。千里の民族博物館のフランス版ですが、展示の仕方が非常に凝っていて会場を自由に回遊できるようになっています。 この美術館はアフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカの固有の文明・文化・芸術を扱っており、収蔵品は30万点に及び、3500点以上の物が展示されています。フランス観光公式サイトによれば、「ガラス張りの斬新な建築はフランスの現代建築の巨匠ジャン・ヌーヴェpicassoル、熱帯を思わせる美術館周囲の庭園は造園家ジル・クレモン、建物外壁に植物が植えられたオリジナルな垂直庭園は植物学者のパトリック・ブランが手掛けたもので、すべてが融合して心地よい空間を形成しています」。特に面白かったのは、葬式用のトーテンポールのような大きなオブジェや人物、魚、動物像(写真左)と、ブードゥー教のタブロー(写真右)。ブードゥー教の装束は色彩的に非常に派手で、今まで抱いてきた暗いイメージとは違ったものでした。さらにアフリカのマスクで、ピカソやジャン・コクトーなどが影響を受けたものです。特別展Picasso primitif(ピカソ2パンフレット)も開かsIMG_3187sIMG_3185れていたので、それも見てきましたがアフリカのプリミティヴアートがいかにピカソに影響を与えたのかがよくわかりました(写真2枚)。キュビズム時代のピカソに特徴的な様々な角度から見た顔や体の部分を合体させて描いた絵も、ピカソが創造したというよりも、アフリカ芸術の模倣であったようにも思えます(写真右:ピカソのアトリエ)。岡本太郎の太陽の塔もアフリカの彫像、マスクを連想させると思いました。

Written on 6月 28th, 2017

アウリオン大阪府立大学学術情報センター図書館が発行している「アウリオン」43号に各図書室長の紹介が掲載されました(写真)。私は今年度、ヒューマンサイエンス系図書室長を務めます。その吹き出しにもありますように、「様々な情報が飛び交う現在ですが、読書によって批判精神を養いましょう!」というのが私のモットーです。インターネットでは虚実ないまぜの様々な情報が発信されていますが、間違った情報を鵜呑みにしないためにも、読書によって複眼的視野を培う必要があると思います。また、ヴォルテールの有名な言葉「私は君の意見に賛成しない。しかし、君がそれを言う権利は命を賭けても守ろう」にあるように、自分とは相いれない意見でも尊ぶ精神を持ち、数学のように答えが一つではなく複数の答えや解釈があることも読書を通じて知ることができると信じています。

Written on 6月 27th, 2017

sIMG_31759月に開催されるバルザックの国際シンポジウムsIMG_3176(於 大阪府立大学 I-site なんば)の懇親会場の下見にカジュアルフレンチ料理店「びすとろぼたじえ」(Bistrot pot à J)―「菜園(potager)のお店」かと思いきや、違う意味の店名のようです。オーナーに名前の由来を聞くのを忘れてしまいました―に主催者メンバーと一緒に行ってきました。シンポジsIMG_3177ウム会場の最寄り駅「大国町」からは四つ橋線で数分の「玉出」駅で降り、徒歩5分でレストランに着く、という最適な立地sIMG_3178のレストランでした。全部で2,30人くらいで満杯になるような小さなお店ですが、白を基調とした明るいお店で、オーナー・シェフの肥田さんは辻調理師学校のフランス校(およびアメリカ校)の校長だった方だそうです。知り合いの辻調理師学校の先生方も一緒に来て頂き、夕食を戴きながら、バルザックにちなんだ料理を1、2品、懇親会に出そうと計画しています(メニューはこれから)。食事の方はまず、アミューズ・グールとして「焼きなすのポタージュ」(写真左上:見た目にはなすとは思えないスープですが、確かに香ばしい焼きなすの香りがしました)。前菜は「盛り合わせ」(写真右上)を頼み、ラタトイユや細切り人参、サーモン、ハム、テリーヌなどをシャンパンとともに頂きました。バルザックにもおなじみのリエット(豚肉のペースト状のものでパンにつけて食べる)もあり、いかにもフランスのビストロ、といった感じでした。メインは「舌平目のムニエル デュググレ風」(写真左下)を注文。フレンチレストランで、その店の味の良しあしを知るには舌平目を頼むのが一番、という辻調理師学校の先生に教えられてさっそく注文した次第です(「デュググレ」はこのソースを考えだした19世紀のシェフの名前)。デザートは夏ミカンのアイスクリームとクラフティ、カラメル入りケーキ(写真右下)をおいしく戴きました。デザートは特にシェフが力を入れているものだそうです。9月のシンポジウムの後の懇親会、参加者にも楽しんでもらえそうです。

Written on 6月 13th, 2017

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