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フランスのラ・サール大学名誉教授でフローベール研究の第一人者(フランスで最も権威のあるプレイヤッド版のフローベールを担当されている)、ジャンヌ・ベム先生が関東学院大学の大鐘敦子教授の招聘で来日されました。その講演会を聞きに横浜の会場に出かけました。講演のタイトルは« La Tentation de saint Antoine : une manière pour le jeune Flaubert de dire « je »»(ポスター参照)。フローベール作
品は『ボヴァリー夫人』『感情教育』『三つの物語』『サランボー』までは読んでいたのですが、『聖アントワーヌの誘惑』はこれまで読んでおらず、講演会にあわせて慌ててテクストを読みました。いわゆる聖書に出てくる物語で、砂漠で苦行する聖アントワーヌの前に7つの大罪(「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」)にあたる誘惑が様々な形で彼を襲う、というものですが、フ
ローベールは古代や様々な宗教などに関する膨大な資料にあたって書いているので、ものすごく難解(テクストの後ろに語彙説明がついているほど)で読み終わるのに苦労しました。フローベールはブリューゲルの絵画《聖アントワーヌの誘惑》(右図:ろくろ首のような女性は「食欲」の罪を背負っている)にインスピレーションを得たとのこと。私は個人的にはグリュネワルトの同じタイトルの絵(左下図)の方がより奇怪で好きなのですが、フローベールは他のどの画家の絵よりもブリューゲルの聖アントワーヌに惹かれたようです。この作品は彼がまだ20代後半(1849年)の時に書いたものの、友人たちの評価が悪くてお蔵入り、何度も書き直して1874年に刊行、という作家人生を通じて書いたとも言える作品で、今回のベム先生はその初稿を取り上げ、聖アントワーヌに作者自身(「私」)が重なっているという話で、大変興味深いものでした。講演の初めには20世紀初めの日本に来たフランスの写真家の写真(市電が通る道で赤ん坊を背負った母親や通行人が通る様子を大きな壁を背景に撮ったスナップショット)を見せてくれ、壁の染みが舞台の幕のように見え、一種の舞
台となっていて、異国の人の眼を通した当時の日本人像が浮き彫りになっていました。
講演会の後は横浜の中華街(写真左)で夕食をベム先生と一緒に取りました。「金香楼」というお店で、中国情緒溢れる「水上庭園席」で名物の壺料理を頂きました。酢豚やフカヒレスープなどおなじみの料理ですが、四川の麻婆豆腐はさすがにかなり辛かったです!ベム先生も中華を楽しんでおられました(写真右:中央)。
1981年のノーベル化学賞を受賞されたロアルド・ホフマン氏が書かれた戯曲「これはあなたのもの」を西宮の兵庫県立芸術文化センターまで見に行ってきました(ポスター)。昨年11月にホフマン先生ご自身が来日され、名古屋工業大学でこのお芝居が上演されましたが、この時は名工大の学生さんや地元の劇団の方が演じていましたが、今回は本格的なお芝居として、主役のフリーダには八千草薫さん、その息子のエミールには吉田栄作さん、アーラ役にはかとうかず子さんというテレビでも主役級の俳優さんたちが登場しています。11月にも名古屋まで芝居を見に行ったので同じ内容のお芝居を見たことになりますが、舞台装置がさすが、大学のホールとは違って凝ったものでした。ナチス占領下の1943年のウクライナの屋根裏部屋(ユダヤ人の母親フリーダと6歳の息子エミールがウクライナ人教師のオレスコの家に匿われている)と、1992年のアメリカ、フィラデルフィアのエミールの家(母親のフリーダと妻で心理学者のタマール、17歳の娘ヘザーと13歳の息子ダニーの家族)が、劇では交錯しますが、今回は垂直的構造を取って、下が1992年現在、上が屋根裏部屋の窓(小学校の運動場が見え、「自由の窓」の象徴)を背景にした風景に分けられ、1943年の時は上段に照明が当てられる仕組みとなっていました。ユダヤ人の同胞のために戦ってナチスに殺された(すなわち、妻子よりも同胞を選んだ)夫への妻としての複雑な気持ち、夫や妹など身近な者をウクライナ人のために殺されたため、ウクライナ人への深い恨みを持ちながらも、オレスコのような善意のウクライナ人に助けられた、という善悪ないまぜの状態に立つフリーダの気持ちが、決して声を荒げることはなく沈黙を通したり、または「ウクライナ人は人殺し」とのみ言う彼女の気持ちを八千草さんがさすがにうまく表現しておられました。オレスコの娘のアーラが両親の遺品の中から金の結婚指輪を見つけ、それを返しにわざわざフィラデルフィアの家まで寄ってくれても、フリーダは匿ってもらう代わりに金品を渡すという契約であったのだから、「それはあなたのもの」と主張して受け取らない、というのが従来の感傷的なドラマ(例えばフリーダが涙ながらに指輪を受け取り、二人が抱き合う、といった筋書き)とは違う大きな点だと思います。観客にとってはカタルシスがなく、何ともすっきりしない形で幕を閉じますが、そこにホフマンさんの狙いがあったように思います。彼はあえて「オープンエンド」にしたとインタビューに答えておられ、結論は観客に任しています。舞台の最初に天国の場面が唐突に出てきて、「真理」が粉々に割れる場面がありますが、絶対的な「真理」は存在しない、という意味にも思えます。また、アメリカの中流階級として恵まれた生活を送るエミール一家と、ソ連の共産社会で不自由な生活を余儀なくされたオレスコ一家(フリーダたちがアメリカから必要な物資を毎年小包で送っている)―ソ連崩壊後はウクライナとして独立―との立場の逆転も見逃せない点だと思います。
しかし、15か月もこの家に隠れ住み
、戦後も苦労してアメリカに渡って、苦学の末にノーベル賞を受賞されたホフマン先生はたぐいまれな努力の人であったと言えるでしょう。しかもアメリカの大学ではドナルド・キーンから日本文学を学び、文学にも興味を持っておられたとのこと、さすがに一流の科学者は文学にも造詣が深い、と大いに感銘を受けました。
お芝居を見た後は、西宮北口の懐石料理店「花ゆう」でおいしい料理を頂きました。特にお吸い物の「海老しんじょう」(写真左)と鯛のアラ炊き(写真右:たで酢のソースでさっぱりした食感)は絶品でした。
連休中に大阪本町のフレンチレストラン「ラ・シム」(La Cime :フランス語で
「頂」という意味)にランチを食べに行ってきました。まずはシャンペン(サンテミリオンのChâteau le Châtelet, 1998年)(写真左)で乾杯。アミューズ・グールは3種で、まずは空豆のお焼きのようなものの上にリコッタチーズと空豆(写真右:下は木の切り株を模したもの)、次が「ニシン蕎麦」というメニューでどのように出てくるのか、と思っていると、蕎麦のガレット(少し京都の焼いた八つ橋の細い筒を半分に割ったようなもの:上にはこしゃくという小さな野草の花がのっています)の上に小さなニシンが乗っていました!(写真左下)。3つ目が「イカ、日向夏とカラスミのアクセント」(写真右下)。
イカの上に細かく切ったカラスミがまぶされ、日向夏のゼリー、パンジーの花と一緒に彩りよくお皿に盛られていて、見た目も
美しいものでした。次に「野草のラヴィオリとタケノコ スープ仕立て」(写真左)。焼いたタケノコはこれ以上無理、と思えるほど薄く切った形で、下に野草の入ったラヴィオリが埋まっていて、スープはイリコの出汁にトマト汁が少し入った日本風の味付け。次が「足赤エビ 緑鮮やかなな春のお豆」(写真右)ということで、足赤エビの頭は殻ごとパリパリ食べ、身の方はグリン
ピースの葉で包まれ、その蔓や豆が入っている、というもの。豆は生で食べられるほど新鮮で、少し茹でているそう
ですがシャキシャキとした歯触りがありました。メインは「舌平目 蕗のつぼみとコールラビ、ヨーグルトソース」(写真左)で、舌平目の上にはアンチョビの泡が乗っています。ヨーグルトソースが絶品で、ヨーグルトにシャルトルーズを加え、ハーブであえたものだそうです。肉料理はシェフの故郷である「奄美大島 島豚 アーティチョークとペコロス」(写真右)。フレンチで豚肉が出るのは珍しいで
すが、一つはロースを背脂で巻いた
もの、もう一つはバラ肉。付け合わせは、油で揚げたアーティチョークとペコロス(小玉ねぎ)。濃厚なソースにぴったりでした。デザートは「シャンパンのジュレとわらび餅」と「ブラッドオレンジのババ 赤いソルベとチュイル」。特にソルベの上に乗っているアーモンドのチュイル(瓦)の組み合わせが面白かったです(写真左)。最後の飲み物はこれも
、奄美のお茶(しょうがの香りのする)、サネン茶を頼み、その茶菓
子(写真下)が本当に美しい!これもシェフお手製のものだそうで、本当に手の込んだ料理で大満足の一日でした。
東京の西洋美術館にシャセリオー展(ポスター)を見に行ってきました。テオドール・シャセリオーは新古典主義の巨匠ドミニク・アングルにわずか11歳で弟子入りを認められ、16歳で画壇にデビューしたフランスの天才的な画家です。彼は神話や
聖書など、古典的な主題を描きながらも情熱溢れるロマン主義的な絵画を描くようになり、1846年にアルジェリアを旅して以来、オリエントを題材にした絵画も多く描き、オリエンタリスムの画家ともみなされています。さらに、ギュスターヴ・モローやオディロン・ルドン等の象徴主義の画家や、壁画装飾においてはピュヴィス・ド・シャヴァンヌもシャセリオーから影響を受けた画家とされています。シャセリオーは1856年に37歳で急逝、早すぎる死は残念な限りです。ポスターの《カバリュス嬢の肖像画》は、清楚な衣装を身にまとい、楚々としながらも視線をまっすぐ正面(鑑賞者)に向けている女性の姿には意志の強さが見て取れます。また、神話から題材を取った《アポロンとダフネ》(右図)はアポロンの求婚から逃れるために月桂樹に姿を変えるダフネの、もはや感情を持たないような伏
せた眼差しが印象的です。あと、オリエントの絵画としては、《コンスタンティーヌのユダヤの娘》(右下図)が印象に残りました。エキゾチックな衣装を着たまだ10代と思えるユダヤ女性ですが、幼さを残しながらも非常に魅力的で、媚びることなく正面をまっすぐ見定める黒い眼に太い黒い眉が印象的です。少し、バルザックの小説にでてくるユダヤの美女エステルを思い出しました。壁画としてはエジプトのマリアの壁画もあって興味深いものでした。
上京したついでに友人と恵比寿の
ウェステインホテル最上階のフレンチレストラン「ヴィクターズ」でランチを一緒にしました。このレストランは野菜を使った料理に凝っていて、オードブルは
「ウフブルイエのエスプー
マ、季節の野菜添え」(写真左):卵を泡立てたものがソースとなっていて野菜をつけて食べるというもの。見た目もすごく春らしく、きれいでした。次にカリフラワーのポタージュ(写真中央)、メインは「サーモンのスチームと帆立のハーブクリームソース」(写真左下)。デザートが変わっていて「野菜のパフェ」(写真右下)。かぼちゃやレンコンの薄切りを乾燥させたものが上に乗っているバフェで野菜がたっぷり入った濃厚な味のパフェでした(下のお皿もきれい!)。東京でのランチを満喫しました。
本学の浅井美智子先生が3月末で定年退職となり、その記念講演会が先日、行われました(写真左は講演中の浅井先生)。浅井先生の経歴で面白いのは他の大学で教授として務められていたのが、教授という職階のために大学内での様々な雑務を負わされ、それが厭で府立大学の専任講師のポストに応募された、といういきさつ。いかにも社会的ポストよりも自分の生きたい道を進む、という浅井先生のポリシーがよく現れています。もともと登校拒否で学校に通わず、本を読んで過ごしていたという子ども時代から自分のポリシーを守るというぶれない生き方をされてきた
浅井先生に本当に大きな感銘を受けました。先生のご講演では、こうした自らの人生経験をふまえながら、ルソー研究から女性の生殖の問題―ルソーの『告白』や『新エロイーズ』『エミール』において、女性は命をかけて子どもを産み、育てる存在と規定されていることに疑問を持ったこと―に関心を持つようになり、生殖技術に関する今のご研究に発展したことが語られました。フーコーへの言及など博識をちりばめながらもユーモアを交えたお話で、あっという間の1時間半でした。浅井先生は学生の面倒見も良く、講演会には現役の学生、卒業した学生たちも参加して賑やかな会となりました(写真右)。これも浅井先生の人徳によるものでしょう。秋には故郷に戻られるそうですが、温泉とワインのおいしい土地柄と聞いているので、是非会いに行きたいと思っています。
聴講生の方々との恒例の懇親会がありました。今回は梅田のグランフロント大阪の Aux bacchanales(「古代ローマのバッカス祭」または「乱痴気騒ぎ」の意味もある)というレストランでのランチ。いかにもフランスのブラッスリー風のしゃれた店構えでウェイターさん(garçon)たちはオーダーをフランス語で厨房に伝えていました(トイレもフランスのシャンソンやニュースが流れていました)。食事をしながら、
フランスでの旅の話などいろいろな話で盛り上がりました(写真左は店の前で)。食事の後は有志の人たちと近くの空中庭園に上り(173メートルの高さ)、少し春霞の空の下、大阪の町を一望しました(写真左下)。庭園の一角にはパリのPont des Artsを真似て、
恋人たちがハートの鍵を金網にかける場所(写真右)があり、クリスマスやバレンタインデーの時期は混みあうのではないかと思います。3月も末となりましたが、今年はまだ肌寒く、桜の季節はもう少し後になりそうです。ともあれ、久しぶりに聴講生の皆さんと再会でき、楽しいひと時でした。幹事の南さん、御苦労さまでした。
大学の卒業式(現在は、学位記授与式と言います)があり、出席しました。人間社会学部はすでにないため、留学等で卒業が延びた学生さんのみで少し寂しい気がします。大学院では20名くらいの学生さんたちが修了しました。女子学生は着物や袴姿など、華やかな衣装で皆、輝いていました。修士課程を修了した私の学生、そして今年、定年退職される浅井美智子先生および、浅井先生の卒業学生さんたちと記念撮影(写真)。就職、進学と皆、進路は違いますが、大学で学んだ複眼的な視野を持って社会で活躍してもらいたいと思います。
オペラ・ガルニエでは新しい挑戦として文学作品をオペラに仕立て上げて上演する試みがなされ、バルザックの『人間喜劇』に登場するヴォートラン[本名:ジャック・コラン、またの名をトロンプ・ラ・モール(不死身)]を主人公にしたオペラとなっています。ヴォートランは『ゴリオ爺さん』『幻滅』『娼婦盛衰記』に登場する元徒刑囚で、表舞台には出られないため、貴族の美青年を使って社会征服を企てる「悪」を体現する人物ですが、作者バルザック自身の一種の分身でもあります。ヴォートランがリュシアンにかけたセリフ:「私はお前を拾って、お前に命を返してやった。だから被造物が創造者に属するが如く、お前は私の物だ」が有名です。この人物は元犯罪者で後に警察庁の班長となる人物(日本でも時代劇には岡っ引きの手下として働く元犯罪人が出てきますが、「蛇の道は蛇」と言われるごとく、闇の世界に通じている人物が警察の役に立っていたわけです)で、警察をやめた後は世界初の探偵事務所を開いたヴィドックがモデルと言われています。ヴィドックの回想録は当時、ベストセラーとなり、バルザックも面識がありました。ヴィドックはさらにユゴーの『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンおよび彼を追跡するジャベール警視のモデルでもあります。オペラでは『幻滅』の最後に借金のために自殺を考えて彷徨う美青年リュシアンを見かけたヴォートラン(この時はスペインの僧侶に変装してカルロス・エレーラと名乗っている)が彼を馬車で拾う、という場面から始まります。冒頭、大きなスクリーンにヴォートランの顔が映し出され、彼が薬を飲むと顔がみるみる醜く変形し別人に生まれ変わる様子がリアルに描かれます。その後、クルチザンヌのエステルとリュシアンの出会い。銀行家のニュシンゲンが森でエステルを見かけて一目ぼれする場面、エステルを探索するスパイのペイラードとヴォートランの戦い、リュシアンに熱を上げるブルジョワの娘クロチルドや身分の高い貴族のセリジー夫人との絡み、最後のリュシアンの自殺やヴォートランの警察への転身など『娼婦盛衰記』の一部が幕間なしで2時間に渡って演じられました(写真はプログラムより:左からリュシアン役の Cyrille Dubois, ヴォートラン役のLaurent Naouri, エステル役のJulie Fuchs)。特にヴォートラン役のLaurent Naouriがその容姿も声もぴったりのはまり役。リュシアンは思っていたのとイメージが少し違っていました。音楽および脚本はLuca Francesconiで、コンテンポラリー音楽の作曲者ということもあり、従来、私たちが聞きなれているモーツァルトやロッシーニ、ビゼーなどロマンティックな曲調の音楽ではなく、むしろシェーンベルクのような不協和音に近い
音楽で少し戸惑いました。舞台装置は素晴らしく、天井から柱が降りてくる演出など目を見張るものがありました。座席も中央のボックス席の前列で、昔、裕福な貴族やブルジョワたちがボックス席を年間で買い取って社交の場になっていたことを想像すると楽しい思いに駆られます(写真は舞台が始まる前の様子、天井はシャガールの絵)。ただ、時差ぼけがひどくて途中強い眠気に襲われて、眠気と戦いながらのオペラ鑑賞となってしまいました。
後日、Luca Francesconi 氏(写真)、Sarah Barbedette 演劇部門局長、音楽担当のSusanna Mälkki氏、 演出家のGuy Cassiers 氏、バルザック研究者の Andrea Del Lungo氏によるターブル・ロンドがオペラ座であったので、それにも参加しました。そこでCassiers氏がオペラの意図として4つの層(下から第一の層が人物たち―泥沼にはまり込んで身動きできない。第二の層が流動する音楽、第三の層が舞台のからくり、第四の層が芝居全体を動かす力)の話をされ、それはバルザックの『人間喜劇』の三つの層(結果[風俗研究]、原因[哲学研究]、原理[分析研究])とつながるとDel Lungo氏がつなげたのが非常に興味深かったです。バルザック研究者も多く参加していて久しぶりにイギリス人研究者Owenとも再会できて楽しいひと時でした。
オペラ・バスチーユのバレエ「真夏の夜の夢」を見てきました。シェイクスピアの原作をジョルジュ・ヴァランシンがバレエとして演出、舞台装置・衣装をクリスチャン・ラクロワが担当していて、妖精たちの水色やピンク、赤の衣装はそれぞれ軽やかで華やか、本当に夢の世界の雰囲気を醸し出していました(妖精たちの衣装には90万個のスワロスキーのクリスタルが縫い込まれているとか)。舞台も森の奥の幻想的な妖精の国がうまく表現されていました。まず、10代の少女たちの踊りから始まり、本当に可愛らしい踊りでした。その後、妖精の女王Titaniaが登場。妖精の王子Obéronが彼女に求婚しますが女王は相手にしません。さらに二組の恋人たち(赤の衣装を着たカップルと青の衣装を着たカップル)が登場しますが、青のカップルは仲睦まじいのに、赤の男性は青の女性に惹かれて、彼にしがみつく赤の女性をつれなく突き放します。青の女性にしつこく付きまとう赤の男、それを嫌がる青の女性は逃げ回る、赤の女性は赤の男性を追いかける、というように恋人たちの追いかけごっこが始まり、さらにいたずら好きのパックたちが悪さをして恋人たちはパックにかき回される、という状態。さらにパックにロバにされた男にTitaniaがパックの魔
法で好きになる、という風に話が錯綜していきますが、最後はパックが元に戻して3組のカップルの結婚で終わる、という恋愛劇が描かれています。特にTitania役のEleonora Abbagnato, 赤の衣装の女性Laëtitia Pujolは本当に体がしなやかで軽やかな動きで見惚れてしまいました。妖精の王役のHugo Marchandもダイナミックで高い跳躍で目を惹きました。シェイクスピア劇は本来、欲望が入り混じる世界でもありますが、ヴァランシンのバレエは多少、官能的は場面もありますが、むしろ夢幻の世界を美しく描いています(写真は舞台最後の挨拶の場面)。観客には小さな子どもたちもいましたが、このバレエは子どもたちも十分楽しめるバレエとなっていました。日本人のバレリーナも加わっていて、プリマ目指して頑張ってほしいものです。座席が正面4列目真ん中だったのでバレリーナたちの顔の表情までくっきり見ることができました。
ルーヴル美術館でフェルメールの特別展があると聞いて朝早くから出かけていきました。フェルメール
はフランスでも人気が高く、見るためには予めインターネットで時間を予約しないといけないのですがすでに売り切れ。当日券があるのでは、と思い、開館の9時より15分前に列に並びました(土曜日なので客の出足が遅くなるという見込みが見事に当たりました!)。幸
い、すぐに入れて9時半の予約が取れ、オーディオフォンを借りてゆっくり見ることができました。フェルメールの≪真珠の首飾りの娘≫(図左)、≪手紙を書く娘≫(図右)、≪地理
学者≫、≪天文学者≫(図左下)、≪レースを編む女≫(図右下)、≪牛乳を注ぐ女≫(図右下)、
≪ヴァージナル[オルガンのような楽器]の前に座る女≫、≪信仰の寓意≫などが展示されていて、若い娘の輝くように白い肌、黄色地に白い毛皮がついた豪華な衣装やきれいな青の衣装を着た裕福な娘たちの無垢な姿が映し出され、さらに彼女たちのお稽古事(リート、ヴァージナル)やレース編み、手紙(おそらく恋人に宛てたもの)に集中している(または、ふと書くのを中断してこちらに顔を向けている)様子が生き生きと描かれています。フェルメール特有の美しい青色も引き立っていました。さらにフェルメールと同時代の風俗画家(メツー、ネッチェル、テルボルフなど)の絵画も展示され、フェルメールと比較することができます。特に面白かったのは男女のきびを描いたもので、ミーリスおよびオクト
ヴェルトの≪牡蠣≫では、二作とも椅子に座っている女性に男が牡蠣を勧めているところが描かれています(図下)。「牡蠣」は媚薬的効果を与えるとしてエロチックな意味があり、人物の後ろにベッドが描かれているのが暗示的です。フェルメール展と同時に併設されていた「ヴァランタン・ブーローニュ カラバッジョの再創造」も見てきました。カラバッジョほど激しい色ではありませんが、ゴリアテとダビデ、ユーデットとホロフェロネスなど神話的な主題が描かれていて興味深かったです。さらにレンブラント展も見てきましたが、ルーヴルはあまりにも多くの作品が展示されていて迷路のようで、自分の見たい絵を探し当てるのにぐるぐる回り、3時間半歩き回るとすっかり疲れてしまいました。もう一つ Corps en mouvement. La danse au muséeも見たかったのですが、結局たどり着くことができず、ギブアップしました。