村田京子のホームページ – METライブビューイング

met先日、2018―2019年度ニューヨーク、メトロポリタン劇場におけるオペラのライブビューイング(映画:ポスター)を梅田のステーションシネマに見に行ってきました。全10作(『アイーダ』『カルメン』『椿姫』『ワルキューレ』など)がそれぞれMetで上演されて約1ヶ月後に映画として上映されるというもの。料金も大人3600円と普通の映画の二倍はしますが、上映時間も平均3時間~3時間半、ワーグナーの『ワルキューレ』は5時間10分という長さ。間に歌手へのインタビューや舞台裏が映し出されたりで、休憩が2回入ります。本物の劇場では、この幕間にはロビーでシャンパンなどを片手に友人同士で話をしているところです。映画としては高い料金ですが、オペラ劇場のS席は1万円~2万円はする(日本だともう少し高い)ので、それに比べると安く、歌手たちが大写しになるのでオペラグラスの必要がなく、臨場感たっぷりの雰囲気を楽しむことができます(オーケストラも映画館のスピーカーを通してなので、音がいい気がします)。字幕があるのも助かります(劇場だと、舞台上に字幕が電光掲示板に出てきますが、それを読んでいると舞台をきちんと見れないし、演技を見ているとイタリア語の意味がわからない、というジレンマにいつも陥ってしまいます)。

今回は19世紀のフランス人の劇作家スクリーブとルグヴェによる戯曲『アドリアーナ・ルクヴルール』をイタリアの作曲家チレアが1908年にオペラとして上演したものを見ました。先日の女性学講演会で白田先生からサラ・ベルナールも演じた戯曲、と紹介があっただけに興味深いオペラでした。アドリアーナは18世紀の実在の女優(コメディー・フランセーズで人気を博した)で、彼女の恋人マウリツィオ(ザクセン伯爵)、彼の元愛人でアドリアーナの恋敵ブイヨン公妃も実在の人物で、芝居の筋立てのように、アドリアーナが急死し、ブイヨン公妃に毒殺されたという噂もあったとか。アドリアーナ役のアンナ・ネトレプコ(ポスターの女性)は、「ビロードのような美声で絶大なるカリスマ性で、現代のオペラ界をけん引するプリマ・ドンナ」とされ、さすがに素晴らしいソプラノでした。演技力も素晴らしく、『フェードル』の中でフェードルが言う「偽りの心を持つ女」というセリフを公衆の面前で公妃を指さして告発する場面での激しい女の情念や、彼女が恋人に渡したスミレの花(実は公妃が毒を塗って彼の贈り物としてアドリアーナに届けたもの)を見て恋人に捨てられたと嘆く場面、最後の毒が効いてくる場面など、それぞれ迫真の演技で心を打たれました。敵役の公妃を演じたアニータ・ラチヴェリシュヴィリも悪役を見事に演じると同時に、恋人の心変わりを嘆く女の哀れさも見て取れました。

マウリツィオ役のベチャワ(テノール)も甘い声で良かったですが、アドリアーナを密かに愛し、彼女を優しく見守る舞台監督ミショネ役のマエストリ(バリトン)が声、演技とも際立っていました(最後のカーテンコールでも主役の二人についで拍手喝采を受けていました)。二人の恋人が誤解も解けて抱き合い、ハッピーエンドになるかという時に、毒がまわってアドリアーナが死ぬという結末は、いかにもお涙頂戴の劇ですが、ザクセン選帝侯の庶子で、ザクセン王にもなる可能性があった伯爵と女優では、正式な結婚はこの時代では不可能であったと思われます。ただ、好色なブイヨン公爵、狂言回しのような枢機卿など、男たちはマウリツィオも含めて、激しい情熱を迸らせるアドリアーナやブイヨン公妃と比べて、性格的に弱いか、または滑稽に描かれていました。このオペラはもともと劇場が舞台となっているばかりか、劇中劇(『フェードル』)や舞踊(バレエ『パリスの審判』)が挿入されていて、それぞれが深い意味を持っていて、非常に見ごたえがありました(音楽は『カルメン』や『椿姫』のような馴染みの曲はありませんでしたが、非常に抒情性豊かなメロディーでした)。本場のオペラをまた聞きに行きたくなりました。

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