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先日、天川村の洞川(どろがわ)温泉に一泊してきました。大峯山ふもとの古くからある旅館街で、老舗旅館「花屋徳兵衛」(左写真)に泊まりました。入り口もなかなか風情のある趣ですが、縁側(写真)が設えられていて、大峯山で修行(修験道発祥の地とか)する行者さんたちの宿坊として建てられ、行者さんたちが白足袋を脱いで上がるためだそうです。内部も吉野の木々を用いた伝統建築で、温泉(「前鬼の湯」と
「後鬼の湯」)はこじんまりとした空間ながら落ち着いた風情で、少し熱めの湯(42度くらい?)にゆっくり浸かると、体中がぽかぽか温まりました。夕食は、あまごの甘露煮やにじますの刺身など川の幸や牛肉や松茸を朴葉の上に載せて焼いたもの、天然水を使った豆腐など、秘境の里ならではの食材が出ました。特においしかったのが鮎の塩焼き(右写真)。残念ながら今は天然の鮎の時期ではなく、養殖の鮎でしたが、そのまま齧りつき、骨まですっかり食べることができました。
旅館には早く着いたので、近くを散策することにして、まず、面不動鍾
乳洞を訪れました。木の幹型のトロッコで上まで上がり(45度くらいの急坂)、帰りはすすきの道を歩いて下りました。鍾乳洞内には、釣り鐘や乳房のような形をした鍾乳石(写真)がつららのように垂れ下がっていたり、地表から筍のような形をした石筍が広がっていて、非常に神秘的でした。中はひんやりと湿っていて、足元が暗いので少しおっかなびっくり歩いて回りましたが、結構狭いので頭を打ったりとなかなか大変な道中でした。次に、大峯山龍泉寺へ。木々はすっかり紅葉していてもみじが池にはらはらと落ちる様子が詩的でした(右写真)。行者
さんたちはこの寺の滝(左写真)で身を清めてから修行に向かうとのこと。寺の裏
から山道を登り、吊り橋(「かりがね橋」:写真)を渡りました。歩くとかなり揺れますが、それも一興。そこから展望台まで大原山の山道(木の根が張っているので、結構すべりやすい!)を歩き、また下ってふもとの旅館街に戻りました。大峯山自体は残念ながら、女人禁制とのこと。
翌日は旅館から行者の道を通って七尾山本堂でお参りをし、名水百選にも入っている「ごろごろ水」の取水場へ。古来から万病に効く霊力を持った名水とのこと(一口、飲みましたがおいしかった!)。ポリタンクを沢山持ってきて水を汲んでいる人たちが見られました。その後、車で15分くらいのところにある天河大弁財天社へ。ここは、年に3回開かれる能舞台(写真)で有名なところですが、今年は残念ながらコロナ禍で中止とのこと。来年以降、能を見にまた来てみたいと思います。
途中で直売店に寄り、地元の柿やこんにゃく、くず餅などを買って帰途につきました。11月とは思えない好天に恵まれ(夏日に達するほどの暑さで、用意してきたコートは必要がありませんでした)、楽しい時間を過ごすことができました。
奈良女子大学アジア・ジェンダー文化学研究センター主催の国際シンポジウム「都市空間とジェンダー:身体表象と記憶をめぐって」(ポスター)が、11月12日にオンラインで開催されました。講演者の中で、とりわけカトリーヌ・ネッシ カリフォルニア大学教授はバルザックやジョルジュ・サンド研究で有名な方で、個人的にも親しいこともあって、シンポジウムに参加しました。
ネッシ氏の演題は「自由に街を歩く女たち:都市空間・文学区間におけるジェンダー化された身体」で、そのお話を簡単にまとめると、次のようなものになります。
19世紀のフランス人作家、バルザックからボードレール、プルーストの作品において、パリという都市空間で男の遊歩者が通りすがりの女性に魅せられ、その一瞬の邂逅と別れを「逃げ去る美」と重ね合わせて考察する場面がしばしば描かれています。そこには、自由に街路を歩き回り、観察できるのは男の遊歩者であり、女性は男の欲望の眼差しの対象でしかないというジェンダー構図が浮かび上がってきます。しかし、少数とはいえ、男性遊歩者の役割を手に入れ、都市空間を観察することができた女性作家たちが存在していました。本発表では、ロマン主義時代の作家ジョルジュ・サンド、ベル・エポック時代のコレット、20世紀のアルジェリアの作家アシア・ジェバールという3人の女性作家の著作を取り上げ、「女性遊歩者」について分析しています。
まず、サンド(左図版)に関しては自伝『我が生涯の記』を取り上げ、彼女が男装をした一番の理由を挙げています。それは男性の友人たちと同様に、劇場、美術館、カフェ、クラブ、街路を自由に動き回るためでありました(当時、女性は私的領域に閉じ込められ、公的空間は女人禁制、または男性のエスコートなしには入れない場所でありました)。男装はいわば、「女性として注目されない」ためであり、公的空間を匿名の観察
者として自由に動き回り、社会の動きを知ることで、芸術創造に携わることができたわけです。次にコレット(右写真)の『さすらいの女』に関しては、主人公の女性が南仏の町をそぞろ歩きすることで、存在の自由を発見する過程が分析されています。コレットの遊歩者の最大の特徴は、視覚以外にも聴覚、嗅覚、味覚に関わる刺激を受けていることにありました。最後にジェバール(写真)の『影スルタン妃』では、とりわけ物語後半部分で、イスラム圏の女性としてヴェールをつけることを強制されてきたマグレブ女性が、ヴェールを脱いで顔を人目に晒して街を歩く場面が印象的で、それによって得られた新しい世界観、新しい自己認識を通して彼女の生きる喜びが描
かれています。このように、19世紀から20世紀にかけての女性の遊歩者を取り上げたネッシ氏の講演は、非常に示唆に富む興味深いお話でした。
次の小田原のどか氏の「スタチューマニアとは何か 女性裸体像の街頭進出をめぐって」は、第二次世界大戦の前には軍人の騎馬像があちこちに建っていたのが、戦後、GHQによって銅像追放が行われ、騎馬像の代わりに建てられたのが、平和の象徴としての女性の裸体像でした。この平和の象徴としての女性の裸体像というのは、日本固有の特徴だそうで、それが特に印象に残りました。さらに、吉田容子氏は、「敗戦後の日本の都市空間はどう描かれたか:当時の新聞記事見出しを資料として」というタイトルのもと、敗戦後の日本で、米軍基地の周辺にできた売春地域について、当時の新聞記事を調査された内容を発表されました。呉や沖縄など3つの地域を調査した結果、売春において半ば公認された娼婦(性病検査を行っている)と、私娼の二つのグループに分類される、という話は19世紀フランスで推し進められた、警察の風俗取締局に登録された娼婦を認可された娼家に閉じ込め、監視する規制主義と類似していると思いました(規制から逃れる娼婦は「もぐりの娼婦」と呼ばれて危険視されました)。日本でもフランスでも男性による女性の身体の規制の最たる例と言えるでしょう。
本シンポジウムでは、文学研究者、彫刻家および彫刻研究者、空間地理学の研究者と研究ジャンルの異なる3人の専門家が都市空間における女性像を分析されていて、それぞれ大変刺激的なご発表でした。オンライン会議は、気軽に参加できる利点がありますが、それでも少し物足りなく、コロナ感染が終息して、直接会って意見交換できる日が来ることを願っています。
11月も半ばとなり、秋の奈良公園を散策してきました。まずは、近鉄奈良駅近く(
奈良女子大学の近く)のフレンチレストラン「フォルム・ド・エテルニテ」でランチ。ランチとしては少し贅沢なコースですが、非常に満足のいくものでした。まず、前菜は「じんたん」のエスカベッシュ(左写真)。「じんたん」とはハタハタのことで、それを油で揚げて南蛮漬けにしたようなものに、新鮮なスプラウトが載っていました。下の見せ皿も美しく(フランス製で、「中国の花」を描いたもの)、食欲を誘います。次に、「秋鮭と赤いかのタルタル」(右写真)。赤鮭と、いかの白身、さらに赤いイクラがこの
下に入っていて、非
常に美味でした(イクラが特に絶品!歯ごたえが柔らかく、鮭もいかも生なのに全く臭みのないものでした)。次の「鳥取・日本海の鰆 ナージュ仕立て」(左写真)は、魚のスープにポワレにした鰆が入っていて小さな大根のように見えるのは、奈良産のカブとのこと。肉料理は「奈良県産・黒鶏プレノワール」(右写真)。この料理はこのレストランでは定番として出てくるもので、フランス産のプレ・ノワール(羽が黒い)を奈良で育てたもので、60度の低温調理でゆっくり焼いたもの。非常に柔らかい肉となっ
ていました。野菜の付け合わせの安納芋や、菊芋のソースなど、奈良産の野菜をたっぷり使ったものでした。デザートのモンブラン(写真:器は錫の器で、ずっしりと重たいもの)も甘すぎない繊細な味で非常においしかったです(立ててあるチュイルも同じくC’est si bon!)。
食事の後、寒さが少し増してきた奈良公園をぶらぶら散歩。東大寺周辺(写真)は、多少観光客が戻ってきていますが、これまでのように人でごった返す混雑はなく、小学生たちの小グループの見学が目立ったほどでした。紅葉はまだそれほど進
んでいませんでしたが、東大寺の裏側の大きな銀杏の木(写真)はすっかり黄色に染まっていました。あとは赤く染まっているもみじの木(写真)が所々見受けられたくらいです。鹿たちものんびり草地に座って秋を楽しんでいるようでした。木々が紅葉するのは11月末くらいでしょうか。また来てみたいと思いました。
長年、大阪女子大学、大阪府立大学で行ってきた授業公開講座や講演会などに参加頂いた聴講生のなかでもコアの方々と、久しぶりにお目にかかりました。昨年12月に女性学講演会を開催して以来、9か月ぶり(場合によれば、それ以上)にお会いした方もあり、本当になつかしい気持ちで一杯になりました。大阪の阪急デパート最上階のイタリアレストランでランチを一緒にしましたが、総勢19名となりました(皆さん、口に食べ物を入れる時以外、話をする時はマスクをつけて、なるべく大声を出さないように気をつけておられました)。コロナ禍の中で少し心配でしたが、皆さん、とてもお元気で趣味や教養など、すでに活動を開始されている方が多く、3か月以上完全にステイホームで弛緩状態にあった私にとって、大いに励みになりました。久しぶりに出てきた大阪ですが、だいぶ人が戻ってきて、デパート、特に食料品売り場は賑わっていました。早く昔のような活気が戻り、マスクをつけないで歩けるような日が来ることを願っています。写真は、ランチ会に最後まで残っておられた方々と撮った記念写真(秋晴れの天気のもと、まぶしい太陽の光に眼をしばつかせながら、写真を撮ってもらいました)です。12時から3時間余り、皆さんといろいろお話ができて本当に楽しいひと時でした。
go toトラベルで久しぶりに有馬温泉へ。「欽山」という老舗旅館で泊まりました。コロナ予防ということで、入り口での検温だけではなく、食事は個別に部屋で、さらにスリッパも使い捨てスリッパ。それぞれのスリッパに名前を書いて大浴場に行くときも、脱衣場の棚に自分のスリッパを置く形になってい
ました。旅館もコロナ対策、なかなか大変なようです。go to キャンペーンで観光客も少しずつ戻っていているようですが、やはり前来た時に比べると、温泉街を歩く人も少ないようです。ただ、客としてはゆっくり観光地を回れるのでいいのですが。。。夕食はまず見た目もきれいな前菜(左写真:大間もずくや鱧のお寿司、子芋雲丹焼など)。お酒は日本酒のシャンパンを頼みました。
次がやはり、秋の味覚、松茸の土瓶蒸し。お造り(右写真)は鯛と、戻り鰹の藁炙り(鯛のお造りの下にひいている葉っぱも秋らしい!)。鰹の味が絶品で、口元にもっていくと、炙った香ばしい香りにうっとりし、歯ごたえも十分。炊き合わせはずわい蟹入り湯葉に冬瓜。冬
瓜がとろとろの柔らかさで湯葉と絶妙な組み合わせでした。焼き物は子持ち鮎柚香焼き(左写真)。原木シイタケに袱紗玉子が付け合わせ。肉は黒毛和牛の蒸籠蒸し。ご飯は松茸、シメジ、エリンギの入った秋茸ご飯(右写真:小さなひょうたんの漬物が見た目にも可愛い)。まさに秋のごちそうとなりました。温泉は透明な湯と、茶色く濁った金泉の二つで、どちらもしっとりと肌になじみ、体の芯から温まります。食事の前と寝る前に2回入り、翌朝は起きてすぐに露天風呂へ。旅の疲れがすっかり取れました。
コロナ禍で半年間、ステイホーム状態でしたが、go to トラベルが始まったこともあり、
有馬温泉に家族で一泊することにしました。ちょうどこの時期、六甲ミーツ・アートが開催されているので、それぞれの展示会場を2日にかけてゆっくり回りました。まずは、ケーブルカーで六甲山上駅まで行き、天覧台から神戸を展望(左写真)。秋晴れのいい天気で、神戸空港、さらに関空も遠くにみることができました。ここにもアートが展示されていました(右写真)。中村萌さんというアーティストのもので、ロシア人形に似た少年少女像が、他のところでも見られました(写真)。少し無表情ですが、よく見ると味わいのある顔つきです。次に山上バスに乗って記念碑台へ。ここには巨大な蟻に似たオブジェが置いてありました。そこから数分歩いた所にあるのが、六甲山サイレンスリゾート(旧六甲山ホテルを建築家ミケーレ・デ・ルッキが修復した建物)で、館内にはゆったりと座れるソファのある素敵なロビーや、おしゃれなカフェテリア、子どもが喜びそうなキッズルーム、アートギャラリーがあり、特に金属で作った大きなサイ(写真)に圧倒されました。1日目最後は、六甲オルゴールミュージアムで、広い庭
園の中にも面白いアート作品が散りばめられていました(特に面白かったのは、木で作った鳥
で、手で鳥を触ると音が出て、体の部分によって違う音が出る、というもの。風が吹いてもきれいなメロディが奏でられ、非常にポエティックでした)。館内では特別展として日本人のからくり人形師ムットーニのオルゴールシアターが開催されていて、さっそく予約して見ました。特に、息子に父親がロケットを見せるという人形劇が素晴らしく、箱の中のロケットが外に飛び出して宇宙に飛び立つ場面(ポスター)が壮大で、オルゴールの音楽ともぴったりあっていて、美しい光景にすっかり見とれて
しまいました。
2日目は有馬温泉ロープウェイで頂上へ。ロープウェイ駅でもアート作品が置かれていましたが、遊園地で見かけるぬいぐるみを使って
の展示(左写真)で、座っているぬいぐるみは人が中に入っているかのような感じで、ノスタルジーを誘います。次にバスで六甲高山植物園へ。高山植物や六甲山の自生植物約1500種が栽培されていて、ここにも様々なアート作品がありましたが、中には不気味なものも(右写真)。次にガーデンテラスに行き、有名な六甲枝垂れへ(写真:秋のイワ
シ雲を背景にした建物は絵になります)。ガーデンテラスのあたりにもガウディの作品を彷彿とさせ
る動物のオブジェも(写真)あり、子どもたちがそれに乗って喜んでいました。最後に安藤忠雄が設計した風の教会へ。コンクリートの打ちっぱなしのシンプルな教会(右写真)でした。近くの六甲スカイヴィラにも寄りました。廃墟となった5階建てのホテルをアーティストたちが改造したもので、それぞれ
の部屋に展示品が置かれ、ユニークな作品ばかりで面白かったです(左写真は入り口)。1階にはメルヘンのような絵(右
写真)もあり、楽しい気持ちになりました。2日間、階段や急勾配の道を上がり降りしたり、歩き回ったので結構疲れましたが、お天気にも恵まれ、久しぶりに自然に触れて楽しいひと時を過ごすことができました。
先日、3か月ぶりに大阪まで出かけ、天王寺の大阪市立美術館に美術展を見に行ってきました(ポスター)。これまで巣ごもり生活を続けてきたので、春からいつの間にか初夏に変わっていて、今年は季節感がないまま時が過ぎてしまったという印象です。美術館内では、まずサーモスタットで体温を測った後、入館。すでに自粛明けだったので、来訪者は混雑するほどではないにしても、
かなりの数の人が来ていました。この美術展は、17世紀~19世紀フランスの絵画ということで、17世紀は古典主義の二コラ・プッサンやシャルル・ブラン(王立美術アカデミーの創設者)、ロマン主義の先駆けとされるクロード・ロランの風景画が展示され、18世紀はロココ美術を代表するヴァトーやブーシェ、シャルダンの絵が展示されていました。「フェット・ギャラント(雅な宴)」の画家と呼ばれるヴァトーの絵画は、男女の恋の駆け引きを描いた絵《ヴェネチアの宴》(右図)などが数枚きていました。ヴァトーの絵に描かれている女性の服装は「ヴァトー・プリーツ(襞)」(肩から裾にかけての美しい襞)と呼ばれて、18世紀だけではなく19世紀後半にも多くのオートクチュールが真似たスタイルとなっています。あと、「マリー・アントワネットの画家」と呼ばれた18世紀の女性画家ヴィジェ・ルブランの肖像画は、見逃せないでしょう。今回はマリー・アントワネットの肖像画はありませんでしたが、王妃の友人(悪友)のポリニャック公爵夫人の肖像画(ポスターの絵)が来ていました。ポリニャック夫人は、豪奢な生活に飽きて、トリアノンで羊飼いの女性の姿で遊んだマリー・アントワネットと同様に、シュミーズドレスに麦わら帽子という素朴な出で立ちで描かれています。最後に19世紀の絵画としては、新古典主義のジロデやアングル、ロマン主義のジェリコー、19世紀後半のアカデミー派のカバネルやブグローの絵画が展示されていました。コロナ禍のせいで来なかった絵画もあるようで、展示数は少な目でしたが、その分、ゆっくり回ることができました。
昼食はアベノハルカスの「エオ」で、フランス料理を頂きました。
新玉ねぎのスープ(左写真:上に焦がし玉ねぎが乗っている)に、牛肉(ランプ肉)を低温調理したもの(右写真)に野菜の付け合わせ(肉は本当に柔らかいものでした!)、デザート(蜂蜜入りアイスクリー
ム)。デザートもおいしかったですが、コーヒーと一緒に出た小菓子(写真:ミニマカロン、カヌレ、チョコ)が絶品でした。レストランでの食事も3か月ぶりで、久しぶりにおいしい料理を堪能しました。
3月末に大阪府立大学を退職しました。ただ、コロナウィルス関連で、送別会などの行事はすべて中止(最終講義は7月末に延期)で、3月31日の辞令交付式も、学長と退職教員、研究科長など少数の人たちだけが集まり、学術交流会館の大きな広間で天井までの窓は開けっぱなし(いわば吹きさらし)の中で、それぞれ1メートル以上の間隔をあけて立つ、という寂しいものでした。このご時世、仕方ありませんが。それでも式の後、研究科長、支援室の皆さんから大きな花束を頂きました(写真の花瓶に入っているのがその花の一部)。また、今年無事に博士論文を提出した教え子からも、お花が届きました(花籠)。目下、家じゅうがお花のいい香りが漂っていて気持ちが安らぎます。
「不急不要の外出は避けるように」ということで、ほとんど家に蟄居している毎日ですが、今日はお天気がいいので散歩がてら、近所の桜を見に行きました(写真)。疎水沿いに桜並木が続き、毎年変わらぬ桜を見ると、来年はもう少し穏やかな気持ちで散歩ができればいいなと思っています。コロナ感染が早く終息することを祈っています。
1月12日に慶應義塾大学日吉キャンパスで開催された、リアリズム文学研究会主催の公開シンポジウム「交通と文学 鉄道の時代としての19世紀」(ポスター参照)に参加しました。今回はイギリス文学、スペイン文学、ロシア文学の研究者による発表で、産業革命が生みだした文明の新しい利器である鉄道が文学作品にどのような影響を与えたのかを探るものでした。
まず、木島菜菜子氏が「ディケンズと鉄道再考―魅力、幻影、恐怖」というタイトルで登壇されました。主にディケンズの『ドンビー父子』を取り上げ、跡取り息子を亡くしたドンビー氏が傷心の鉄道旅をする物語で、そこで描かれる鉄道は醜く破壊的な「怪物」として捉えられていること、またこれまでの乗り物(馬車)にないスピードによって、乗客は時と場所が混乱し、幻影(ファンタスマゴリア)を抱く、というもの。鉄道が人々の賛嘆と反発、憧れと恐怖の的という矛盾した要素を持っていることがディケンズの小説でも見出せること。また、『ドンビー父子』で描かれる鉄道が「死」の象徴でもあり、「幻影」を掻き立てるというよりも、鉄道バブルの崩壊を喚起させる無慈悲な現実を当時の読者に思いこさせる、という興味深い指摘もありました。
次の大楠栄三氏の発表「鉄道と風景―1868年世代のスペイン小説において」では、1868年世代のスペインの作家たちが小説の中で、鉄道をどのように描いているのか、探るものでした。まずスペイン鉄道史の簡単な説明がありましたが、スペインはイギリス、フランスに続き世界第3位の鉄道敷設率を誇っていたとか。大楠氏は、40作にのぼる小説の中で、「汽車」「駅」「車窓の風景」が描かれているかどうかで、星をつけ、2つ星または3つ星の作品を取り上げて説明されました。最初に出てくるのは1858年の新聞に掲載された鉄道ルポ記事で、ルポというよりも非常に詩的でリアル感に欠けていること、1864年の鉄道小説は、スピード感があり、動く風景が描かれているが、架空の鉄道旅であったこと、それは当時の時刻表などと照合すればわかる、というのが面白かったです。1880年代の小説になると、リアル感がまし、列車が通過する駅の名前が克明に羅列されていること、そして列車に乗り間違えたこと(または乗り遅れたこと)が引き金となって物語が展開する点が、馬車とは違う鉄道ならではの特徴であること。それはさらに、現在の推理小説にもあるような、時刻表を使った殺人事件にもつながるわけです。それと同時に、曲がりくねった鉄路を行く車両はしばしば「蛇」に喩えられていて、他の国の文学とも共通する点だと言えます。スペインの地図や時刻表などを駆使した楽しいご発表でした。
最後に乗松享平氏が「私的なものの侵犯=生成―トルストイと鉄道をめぐって」というタイトルの発表をされ、1860年~1870年代がロシアにおける第1次鉄道建設ブームにあたり、それはドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフという三人の巨匠を生み出したロシア文学の黄金時代と重なるとのこと。その中でトルストイの『アンナ・カレーニナ』は、映画などでもお馴染みのように、人妻のアンナが恋人のヴロンスキーと出会うのが鉄道事故によってであり、最後の場面が彼女の鉄道への飛び込み自殺で終わる、と鉄道が物語に大きな役割を果たしています。そこでは鉄道は「近代化の否定的象徴」として描かれ、さらに鉄道は、「風景からの孤立」「他の乗客からの孤立」を引き起こすというもの。ただ、『クロイツェル・ソナタ』では逆に、列車の中で濃い茶を飲むことで茶が麻薬代わりとなり、神経を興奮させて自己制御を失わせ、見ず知らずの乗客に私的な告白(市民的公共性の崩壊)をしてしまう、という指摘も興味深いものでした。特に印象に残ったのは、トルストイが最後の家出で病に倒れた時、押し寄せてくるメディアが彼の体温や脈拍、食欲など彼の身体的な症状を逐一漏らさずに発表し、作家の「私」が身体的なものに還元されてしまったというお話、さらにこうした詳細が報じられたのは、トルストイが鉄道を使って家出したことによる(鉄道は情報網の宝庫)―車での逃避行ならまた違っていただろう―というお話でした。
3人のご発表のあと、コメンテーターの小倉孝誠氏がフランス文学と鉄道の表象についてお話されましたが、小倉氏が指摘されているように、イギリス、スペイン、ロシア、フランスと国は違っても、鉄道が登場することによって、速度の認識が変わり、あまりに早くに目的地に着くために「空間の抹殺」が行われたこと、鉄道が「怪物」「蛇」など有機物に喩えられていること、個室(コンパートメント)=「密室空間」に閉ざされた乗客の恐怖、さらに鉄道が登場することで様々な階級の人間が一堂に会することになったこと(特に駅における匿名の群衆)など、共通点が多いと思います。さらに、もう一人のコメンテーターの奥山裕介氏はデンマークにおける鉄道ということで、デンマーク特有の「駅」の町についてのお話と、アンデルセンの鉄道への楽観的な認識(科学と芸術の調和を謳う)の紹介がありました。その後の全体討議でも、文学作品における馬車の旅と鉄道の旅の違いや、鉄道がもたらす身体的感覚について、など様々な質疑応答があって5時間に及ぶ長丁場となりました。特に、19世紀における様々な国における鉄道の受容や影響、その共通点や違いがわかり、非常に有意義な一日を過ごすことができました(参加者約50名)。 (リアリズム研究会報告:会報(1号))
信州大学で開催されたシャンソン研究会に行ってきました。12月の松本は少し底冷えがしましたが、お天気は快晴。昼頃に松本駅に着いたので、駅から10分くらい歩いて人気のそば屋さん(よし田)へ。さすが、人気だけあって、長蛇の列でしたが、何とか20分くらいで店に入れました。私は天ぷらそばを頼みましたが、そばは喉越しが良く、おつゆもあっさりして、そこに海老天ぷらなどを入れて食べるというもの。冷えた体もすっかり温まりました。シャンソン研究会、今回は恒例の高岡先生の発表から始まりました。発表は「移民の子としてのサルヴァトール・アダモ」というタイトルで、幼い時にイタリアからベルギーに移り、「移民」として生きてきたアダモが、ベルギー在住70年たってもイタリア国籍であった(ベルギーでは名誉市民など、数々の栄誉を与えられていたにも関わらず)のが、最近、ベルギー国籍を取ったそうで、なぜ今なのか、今までなぜベルギー国籍を取らなかったのか、という話をされました。一つはイタリア人の両親を慮ってイタリア国籍のままでいたようで、両親を歌った Les heures bleuesという曲を聞かせてくれました。「青い宵闇の時」というタイトルですが、普通「ブルー」というと、「憂鬱」といったイメージがありますが、この曲は母親の「青い」眼、「青い空」の「青」で幸せな「青」ということです。そして、なぜベルギー国籍を取ったのか、というのは現在の「難民問題」に関連していて、自分たちを「難民」ではなく「移民」として受け入れてくれたベルギーへの感謝のため、ということだそうです。ただ、「移民 (Migrant)」という曲の歌詞は、「移民」と「難民」が混同されているのでは、という疑義が会場からなされました。アダモとしては、人道的問題に声を上げているのですが、少し誤解されやすい曲のようです。
次に米金先生による、日本におけるシャンソン教室でのアンケート調査の紹介(クラスの生徒の年齢、人気のシャンソンや歌手、日本語で歌うのか、フランス語で歌うのか、など)がありました。なかなか興味深い発表でしたが、シャンソン教室の生徒さんたちは60歳以上の人が多く(越路吹雪が人気の歌手として3位、の世代)、今後のシャンソン教室がどう変わっていくのか、さらには存続するのか、が課題なように思えました。3番目は寺本先生の映画とシャンソンということで、『クレーヴの奥方』を現代に移し替えた映画『美しいひと』(クリストフ・オノレ監督)の中で、教室で女子高生と男の教員との眼差しの交差と、バックで流れるマリア・カラスのオペラの歌声とのオーバーラップ、その意味を問う面白い発表でした。最後に、ハルオさんが、アイドルと芸術家の違いはどこにあるのか、シングル盤とアルバムの売り上げ枚数で計る、という斬新なもので統計を駆使した話で、興味深いものでした(写真:ハルオさんの発表の時に司会を務めました)。
会の後は、信州大学からも近い浅間温泉に宿(界 松本)を取り、時間が遅くなったので、温泉に入るまえに夕食。先付け(牛しぐれの蕎麦の実いなり)の後、「土瓶蒸し」(左写真)が出ました。甘鯛に海老、松茸に白麗茸などキノコ類。今年最後(?)となる松茸をおいしく頂きました。次に「宝楽盛り」(右写真)は見た目も可愛い手毬の形の器で、三段になっており、八寸にお造り、酢の物が入っていました。「お造り」は鮭にカンパチ(左写真)。酢の物は鱒の土佐酢あえ(さすがに鱒は全く生臭くなく、土佐酢と合っていました)。「揚げもの」は白魚、野菜天ぷら、蓋物(右写真)は「茄子と鶏そぼろの博多蒸し」(写真)、「博多
帯」の模様に似ているので「博多蒸し」というそうです。最後に土鍋ごはんは、「紅葉鯛の割り地焼き」(写真)で、それまで十分食べてお
腹一杯だったにも関わらず、鯛ご飯をおいしく頂
きました。食後、少し休憩して温泉に。無色無臭のお湯で、露天風呂は信州名物「りんご風呂」となっていました。部屋にも小さな露天風呂(写真)がついていましたが、残念ながら部屋のお風呂には入れずじまいになってしまいました。12月になると仕事がいろいろたまってきて、疲れ気味ですが、温泉に入ってリフレッシュすることがで
きました。