村田京子のホームページ – 奈良日仏協会美術クラブ例会

奈良日仏協会主催の美術クラブ例会が開催され、参加しました。講師は絹谷幸二天空美術館顧問・キュレーターの南城守先生。タイトルはRembrandt「美術の力―逆境の中から誕生した傑作選」ということで、17世紀のオランダの画家レンブラント、18世紀~19世紀のスペインの画家、ゴヤ、19世紀後半のオランダの画家ゴッホ、20世紀のスペインの画家ピカソという時代の違う巨匠を取り上げられ、それぞれが逆境の中で描いた作品を紹介されました。まず、西洋美術の歩みとして、中世、近世には教会や王侯貴族の注文で絵が描かれたのに対し、近代以降は「画家個人の主義・主張」に基づいた絵画が生まれ、画家の「悲哀、絶望、不安、狂気」が反映されるようになったことを述べられた後、レンブラントの《屠殺された牛》(左図)の紹介がありました。若くして肖像画家として名を高めたレンブラントですが、有名な《夜警》以降は、妻のサスキアの死、彼の浪費癖(骨董品収集)のせいで無一文となり、573px-Francisco_de_Goya,_Saturno_devorando_a_su_hijo_(1819-1823)絵の注文も途絶え、失意の中で描いたのがこの絵です。そのリアルなタッチは「死」を想起させるような凄惨さを帯びています。南城先生のお話では、この絵は顔料を油で溶いた油彩画で、絵を横から見ると厚塗りした顔料がよくわかるそうです。2番目はゴヤの《我が子を食らうサトゥルヌ》(右絵)。ゴヤは40代になって宮廷画家として栄華を極めますが、46歳の時にに大病をして聴力を失います。さらに1807年にナポレオンがスペインに侵攻し、その結果、1808年から14年にかけてスペイン独立戦争が勃発し、ナポレオン軍によるスペイン人の大虐殺が起こりました。そうした時代を反映したのがゴヤの「黒い絵」シリーズで、サトゥルヌスの絵もその一つです。この絵も人間の「狂気、暴力」を表現していると言えるでしょう。3つ目はゴッホの《星月夜》(左絵)。ゴッホはオランダ時代は暗い色調の風俗画を描いたいたのが、パリにVincent_van_Gogh_Starry_Night出てきて印象派(スーラなど)の影響を受けて明るい色調の絵を描きはじめ、南フランスのアルルでゴーギャンと共同生活を始めるものの、二人の仲は破綻し、有名なゴッホの「耳切り事件」が起こります。その後、サン=レミの療養所で描いたのが《星月夜》です。ゴッホ特有の波打つ筆のタッチが印象的な星空を「セーヌ川」に見立てる解釈もあるそうで、確かに水の流れにも見えます。ゴッホは日本では「狂気の画家」とみなされがちですが、彼自身は非常に教養があり、フランス語、英語にも長け、文学作品を多く読む知識人でした。彼はジャポニスムの影響で浮世絵に魅せられ、彼なりに浮世絵を模写した絵を残していますが、もし彼が日本に来たらどんな絵を描いたのか、興味が沸きます。最後はピカソの《ゲルニカ》(右絵)。1200px-Mural_del_Gernika南城先生はまず、ピカソの十代の絵のデッサン力の素晴らしさを讃えた後、無彩色の「青の時代」から「ピンクの時代」へとピカソの絵を辿り、最後はキュビスムに至る過程を簡潔に説明してくれました。《ゲルニカ》は、内戦状態にあったスペインで、反政府側のフランコ軍を支援するナチス・ドイツ軍が1937年にスペイン北部バスク地方の町ゲルニカを無差別爆撃し、大殺戮を行ったことを知って、ピカソが描いた作品です。戦争の残虐さが鮮明に表れた絵で、ピカソの激しい憤りが感じられます。しかし、絵の中央下部に死んだ人が手に花を一輪握っていて、それが「希望」を表している、ということです。それが「悲劇を越えたところにある『夢と希望』」であり、美術の力はそこにある、と先生は結論づけられました。確かに、いまだコロナ感染が収束しない現在、「美術の力」「文学の力」(先日のカミュの『ペスト』のような)が人々の心に与える役割は大きいと思いました。

Mon Nara 報告

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