村田京子のホームページ – blog

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La_Bigne,_Valtesse200px-Édouard_Manet_-_Mademoiselle_Lucie_Delabigneパリ・ディドロ大学准教授のガブリエル・ウーブル先生の講演会2つに参加しました。まず、3月12日に共立女子大学で開催された講演(「恋人たちだけに」19世紀フランスの高級娼婦ヴァルテス・ドゥ・ラ・ヴィーニュ」の遺言書)では、ゾラの『ナナ』の女主人公のモデルの一人で、実在の高級娼婦(courtisane)の遺言書を手がかりに娼婦像を探るものでした。ドゥ・ラ・ヴィーニュは母親が洗濯女という庶民の出で、有名なオペレッタ作家オッフェンバックによって、舞台デビューを果たしますが、女優業は早くにやめて高級娼婦として生きた女性で、外交官や法曹界、高級将校や作家など様々な男性たちを顧客にして、最後には150万フラン(現在の日本円にして13億円)もの遺産を残した女性です。印象派の画家たちも彼女をモデルにした絵画を描き、ジェルヴェックスの《ヴァルテス・ドゥ・ラ・ヴィーニュ夫人》(左図)やマネの肖像画(右図)が有名です。彼女の源氏名Valtesseはvotre altesse(「殿下」を意味する)を連想させる発音で、さらに貴族の称号 deをつけていることからも彼女の貴族趣味が伺えます(『椿姫』のモデルになったマリー・デュプレシも「マリー・デュ・プレシ」と名乗っていました)。晩年はパリ郊外の大豪邸に住んでいたようです。高級娼婦といえども贅沢な暮しをするために、最後は借金だらけで貧困のうちに死ぬ(「椿姫」のように)イメージがありますが、ヴァルテスは「女実業家」として土地の投機に積極的に加担(ちょうど、19世紀後半はオスマンのパリ改造の時期にもあたっていたこともあり)したり、自らの肖像画を多く描かせて、高く転売したり、とお金儲けにもたけていたようです。さらに面白いのは、彼女が莫大な財産の分配を遺書に詳細に書いていることで、なかでも家族(二人の娘)はほぼ除外する形で、友人たち(男の友人が大部分)に分配していること。女性の遺贈者には貴族の女性も入っていますが、同性愛の女性であったそうで、ヴァルテスはバイ・セクシャルでもあったようです。同じ娼婦仲間も彼女の弟子であり、愛人でもあったとか。日本人の顧客(留学生)もいて、彼は奨学金をすべて彼女との交際につぎ込んだそうで、遺書には彼にお金を渡すように書いてあるそうです。お墓も壮大なモニュメントで、本来、墓は家族の墓であるべきところを二人の男性と一緒に入っているそうで、彼女の強い意志が感じられます。ウーブル先生がヴァルテスを気に入っているのは、他の高級娼婦のように結婚してブルジョワ化せずに最後まで高級娼婦として生きたことにある、ということです。非常に興味深い講演でした。

sIMG_4258続いて3月15日の奈良女子大におけるウーブル先生の講演会「19世紀フランスにおける「トランスジェンダー」」も拝聴しました(写真は演壇に立つウーブル先生)。19世紀フランスにおける「トランスジェンダー」は基本的には「travesti (異性装者)」という意味で使われ、とりわけ女性が男装することは基本的に禁じられ、警察から「異性装許可証」を認可してもらわないといけない状態でした。その中で、「自分が生まれた時に持っていたのとは異なる性にアイデンティティを見出し、それを選んだ」三人の人物(二人は女⇒男、一人は男⇒女)を取り上げ、彼らがどのように生きたのかを紹介するものでした。前者の女性たちはどちらも読み書きもできない貧しい階級の人たちで、それぞれ男の名前(フランソワ・デヴォ、ジャン・ガンバール)を名乗っていました。デヴォは正式に結婚し、死ぬまで夫婦として暮らし、自分の財産を妻に残すという遺書も書いているそうです(残念ながら、デヴォの死後、わずかな遺産もデヴォの親族に取られてしまったとのこと)。ジャン・ガンバールの方はさらに、二回も正式に結婚し、死後に女であったことが判明したそうです。逆に「女」として生きた男性、サヴァレット・ド・ランジュは名門貴族の私生児と偽り、死ぬまで女性とみなされ、医者が死亡診断書を書く時に男であったことが判明したとか。三人ともいとも簡単に「男」(または「女」)だとみなされたわけですが(特にサヴァレットは身長が1メートル68センチあり、当時の女性としては異常に背が高かったのですが全く怪しまれなかったそうです)、この頃は赤ん坊を取り上げるのは正規の医者ではなく産婆であり、男女の見分けがつかなかったこともあったようです。女性の場合、「男」になる方が社会的にも経済的にも(当時、女の賃金は男の半分でしかない)有利であったこともありますが、死ぬまで「男」として振舞ったのは、自らの性的志向に沿って「自由な主体として行為する」力を発揮したと考えられる、ということでした。

sIMG_4261sIMG_4262講演会の後、奈良町の町屋レストラン「omoya」でウーブル先生と夕食を共にしました。フレンチレストランですが、菜の花などの日本の食材を使い、味噌を使ったソースなど、和風フレンチとでも言える料理で、古都奈良にふさわしい料理でした。前菜は筍と豚肉、古代米のリゾット(左写真)。野菜のテリーヌ(右写真)は色鮮やか。メインは甘鯛のポワレと鹿児島産の牛肉(写真)でしたが、牛肉が絶品でウーブル先生も感動しsIMG_4264sIMG_4268ておられました。手毬寿司(写真)に味噌汁がでて、少し懐石風sIMG_4267でもあり、デザートは桜のブラマンジェ、ゼリーに梅ソース、ホワイトチョコの入ったシャーベット(写真)。季節感たっぷりの品で、器もシックで素敵でした。ウーブル先生は日本食が好きで、フランスでもよく召し上がるそうで、お箸の使い方も手慣れたものでした。今回の食事、すっかり満足されたようです(写真)

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Written on 3月 16th, 2019

奇想1奇想2先日、上京したついでに、上野公園内の東京都美術館に「奇想の系譜展」(左ポスター)を見に行ってきました。美術史家の辻惟雄氏の著書『奇想の系譜』で紹介されている、江戸時代の画家6名(岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳)に加えて、白隠慧鶴、鈴木其一の8名の絵画を取り上げたもので、「因習の殻を打ち破り意表を突く、自由で斬新な発想によって、われわれを非日常的な世界に誘う」絵画展となっていました。会場に入るとまず、日本でも大人気の若冲の白い象の屏風が目に入ります。さらに精巧な鶏の絵(左ポスターの中央)が続き、圧巻は《旭日鳳凰画》(右ポスターの上部)。鳳凰の羽の一枚一枚が丁寧に描かれ、足のつぶつぶした部分も描き込まれていました。色彩も豊かで若冲の想像力のすごさに脱帽。虎の絵はkiichi白隠他の画家も描いていますが、若冲の虎は輪郭部分に少し影が描かれ、それが今にも飛び出してきそうな臨場感をもたらしていました。次に気にいったのが蕭白。《雪山童子図》(左ポスター右上の木に上った童子と青鬼)と《群仙図屏風》(右ポスターの下の部分)の青い衣を着た仙人が龍にまたがっている場面。蕭白は鮮やかな青が特徴のようですが、これも非常に丁寧に描かれ、さらに龍は恐怖を抱かせるよりも、むしろ滑稽な印象(眼が少し当惑しているような)を与えます。青鬼もあまり怖くなく、虎のふんどしをしているのが面白いところです。また、江戸琳派の奇才、鈴木其一の《百鳥百獣図》(左図)は、細密な筆致で鶏など鳥を描く一方、象やラクダのような動物は、想像の産物という現実と想像が入り混じった絵となっていました。国芳禅僧、白隠の《達磨図》(右図)は大胆な筆致で朱と黒がコントラストを成しています。白隠80歳の時の大作だそうで、高齢を感じさせないエネルギッシュな作となっています。また、国芳の《相馬の古内裏》(図)は巨大な骸骨が描かれた大胆な構図。西洋でもブリューゲルなど、「奇想の画家」がいますが、彼らに負けない「奇想の画家」たちが日本にもいたことは、誇らしい限りです。

美術館を訪れる前夜には、友人と恵比寿のシャトーレストランsIMG_4248「ジョエル・ロビュション」(左写真)に夕食を食べに行きました。店内もゴージャスな空間ロビュションで、サービスもきめ細かいものでした。コース、最初のアミューズは「サーモンフリヴォリテ さわやかなワサビの香り」(右写真)。見た目もきれいで金箔がついていました(このコースはどの料理にも金箔がかかっていました)。次は「鳥取県産 大山どりとフォアグラのマルブレ、セロリラヴのピュレと金柑のコンフィチュール)(右下写真)。厚切りのフォワグラはこれだけでもお腹一杯になりそうでした。「大根のヴルーテ ウナギのフュメを添えて」(下写真)は、絶品のポタージュスープでした。メインは「平目のポワレ」(左写真)と肉は仔羊を選びました。平目のポワレはノイリー風味のソースと白ワインが入ったもので、非常においしかったです。デザートはサヴァラン(写真)。サヴァランに林檎と薔薇の花びらが入ったシロップ、フランボワーズが色取りを添えています。最後にコーヒーとミニャルディーズ(小さなマカロンなど)。飲み物もシャンパン(ブーブ・sIMG_4251クリコ)、白、赤ワインと料理に合ったワインが出てきて大満sIMG_4249足。おいしsIMG_4254い料理と楽しい会話に時をsIMG_4250忘れ、気がつくと4時間も経っていました。

Written on 3月 16th, 2019

取り持ち女手紙を書く女先日、天王寺の大阪市立美術館に「フェルメール展」を見に行ってきました。今回はフェルメールの6作品がきました。まず、初期の頃の宗教画《マルタとマリアの家のキリスト》と風俗画《取り持ち女》(左図)。「取り持ち女」は「やり手婆」とも呼ばれ、売春宿の光景を描いたもので、右の女性がお金を受取ろうとしており、男性客の手がもう彼女の胸に触れている、というもの。「取り持ち女」は老女で、いかにもそれらしい表情(卑屈な、またはおもねるような表情)をしています。左手の酒の入ったグラスを片手に持って笑恋文い顔を鑑賞者の方に向けているのは、一説によれば、フェルメールの自画像だとか。皮肉な視線とも言えるでしょう。目玉はやはり、《手紙を書く女》(右図)。白い毛皮のついた黄色の流行の衣装をまとい、手紙を書いている途中で、ふと、こちらに目を向けた、という感じ。髪のリボンや真珠のイヤリングがいかにも金持ちのお嬢様然としています。すこし微笑んでいる表情にも初々しさが感じられます。また、《恋文》(左図)は示唆に富んだ作品で、右手に恋文を持ち、左手にはシターという楽器(シターは恋愛と関係の深いモチーフだとか)を持った女性が召使いの女の方に目を向けています。画面手前には放り出されたスリッパに箒、奥にも洗濯かごがあり、どうやら恋に熱中して家事を疎かにしている様子が描かれているようです。奥の部屋の様子を描いていますが、鏡に映った姿を描いたものとする研究者もいるそうです。確かに、鏡かもわかりません。

こうした風俗画はいろいろな意味が込められていて、同じく17メツーメツー「手紙を読む女」世紀のオランダ画家ハブリエル・メツーの二部作《手紙を書く男》と《手紙を読む女》(図版)が非常に興味深かったです。《手紙を書く男》はハンサムな金持ちの男性(少し女性的)が恋文を書いている様子が描かれ、《手紙を読む女》は、彼から届いた恋文を窓際で女性が読んで(彼女も流行の豪華な服を着ている)います。後景には召使いの女が絵にかかったカーテンを掃除のためか、あけており、そこには荒海が描かれていて、恋の行く末を暗示しているようです。この絵にも片方のスリッパが意味ありげに放り出されています。

この展覧会では、17世紀の代表的なオランダ画家たちの肖像画や神話画、宗教画、風景画、静物画、風俗画が出展され、その最後の部屋にフェルメールの絵が展示されていました。フェルメールの絵はもともと小品が多いこともあり、小さな絵の周りに人だかりができ、鑑賞するのも一苦労でした。それでもオランダ絵画を満喫できました。

sIMG_4242sIMG_4243フェルメール展の前に、あべのハルカスにあるフレンチレストランEO(谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』Eloge de l’Ombreの頭文字で、フランスの有名なシェフ、ベルナール・ロワゾーに師事した山口シェフの店)でランチを頂きました。前菜は鯛のカルパッチョ(刺身くらいの厚さ)の入ったサラダ(左写真)。鯛もおいしかったですが、さつまいものチップが美味!ソースはブロッコリーのソースとオレンジのソースと2種類かかっていまsIMG_4244す。赤いのは赤かぶ。次に「さつまいものふわふわスープ」(右写sIMG_4245真)。小さなガラス容器に、少し泡だてたさつまいものスープが入っていて、コンソメのジュレも舌触りが良く、おいしかったです(写真)。メインはサワラの料理。サワラは半生ということでしたが、皮の部分はカリッと焼けていました(写真)。付け合わせは菜の花に大根。デザートは苺のソルベ(シャーベット:写真)。見た目も春らしい一品でした。今冬は関西では雪が積もることもなく、春が訪れそうです。

 

Written on 3月 1st, 2019

met先日、2018―2019年度ニューヨーク、メトロポリタン劇場におけるオペラのライブビューイング(映画:ポスター)を梅田のステーションシネマに見に行ってきました。全10作(『アイーダ』『カルメン』『椿姫』『ワルキューレ』など)がそれぞれMetで上演されて約1ヶ月後に映画として上映されるというもの。料金も大人3600円と普通の映画の二倍はしますが、上映時間も平均3時間~3時間半、ワーグナーの『ワルキューレ』は5時間10分という長さ。間に歌手へのインタビューや舞台裏が映し出されたりで、休憩が2回入ります。本物の劇場では、この幕間にはロビーでシャンパンなどを片手に友人同士で話をしているところです。映画としては高い料金ですが、オペラ劇場のS席は1万円~2万円はする(日本だともう少し高い)ので、それに比べると安く、歌手たちが大写しになるのでオペラグラスの必要がなく、臨場感たっぷりの雰囲気を楽しむことができます(オーケストラも映画館のスピーカーを通してなので、音がいい気がします)。字幕があるのも助かります(劇場だと、舞台上に字幕が電光掲示板に出てきますが、それを読んでいると舞台をきちんと見れないし、演技を見ているとイタリア語の意味がわからない、というジレンマにいつも陥ってしまいます)。

今回は19世紀のフランス人の劇作家スクリーブとルグヴェによる戯曲『アドリアーナ・ルクヴルール』をイタリアの作曲家チレアが1908年にオペラとして上演したものを見ました。先日の女性学講演会で白田先生からサラ・ベルナールも演じた戯曲、と紹介があっただけに興味深いオペラでした。アドリアーナは18世紀の実在の女優(コメディー・フランセーズで人気を博した)で、彼女の恋人マウリツィオ(ザクセン伯爵)、彼の元愛人でアドリアーナの恋敵ブイヨン公妃も実在の人物で、芝居の筋立てのように、アドリアーナが急死し、ブイヨン公妃に毒殺されたという噂もあったとか。アドリアーナ役のアンナ・ネトレプコ(ポスターの女性)は、「ビロードのような美声で絶大なるカリスマ性で、現代のオペラ界をけん引するプリマ・ドンナ」とされ、さすがに素晴らしいソプラノでした。演技力も素晴らしく、『フェードル』の中でフェードルが言う「偽りの心を持つ女」というセリフを公衆の面前で公妃を指さして告発する場面での激しい女の情念や、彼女が恋人に渡したスミレの花(実は公妃が毒を塗って彼の贈り物としてアドリアーナに届けたもの)を見て恋人に捨てられたと嘆く場面、最後の毒が効いてくる場面など、それぞれ迫真の演技で心を打たれました。敵役の公妃を演じたアニータ・ラチヴェリシュヴィリも悪役を見事に演じると同時に、恋人の心変わりを嘆く女の哀れさも見て取れました。

マウリツィオ役のベチャワ(テノール)も甘い声で良かったですが、アドリアーナを密かに愛し、彼女を優しく見守る舞台監督ミショネ役のマエストリ(バリトン)が声、演技とも際立っていました(最後のカーテンコールでも主役の二人についで拍手喝采を受けていました)。二人の恋人が誤解も解けて抱き合い、ハッピーエンドになるかという時に、毒がまわってアドリアーナが死ぬという結末は、いかにもお涙頂戴の劇ですが、ザクセン選帝侯の庶子で、ザクセン王にもなる可能性があった伯爵と女優では、正式な結婚はこの時代では不可能であったと思われます。ただ、好色なブイヨン公爵、狂言回しのような枢機卿など、男たちはマウリツィオも含めて、激しい情熱を迸らせるアドリアーナやブイヨン公妃と比べて、性格的に弱いか、または滑稽に描かれていました。このオペラはもともと劇場が舞台となっているばかりか、劇中劇(『フェードル』)や舞踊(バレエ『パリスの審判』)が挿入されていて、それぞれが深い意味を持っていて、非常に見ごたえがありました(音楽は『カルメン』や『椿姫』のような馴染みの曲はありませんでしたが、非常に抒情性豊かなメロディーでした)。本場のオペラをまた聞きに行きたくなりました。

Written on 2月 25th, 2019

サラ・ベルナールポスターベルナール1先日、堺アルフォンス・ミュシャ館に「サラ・ベルナールの世界展」を見に行ってきました(ポスター)。今年度の女性学講演会で白田先生のサラ・ベルナールの生涯についての話を聞いた後だったので、ベルナールが非常に身近な存在となっていただけに、展覧会を何倍にも楽しめました。サラ・ベルナールは19世紀末から20世紀初めにかけて、コメディ・フランセーズを始めとする多くの劇場(パリだけではなくアメリカでも)で主役を演じ、さらには彫像を作成したり、ファッション・リーダー(舞台衣装も彼女のアイデアだったり、その装飾品は本物の宝石を使った非常に豪華なもの)としても活躍しました(写真右は『アドリエンヌ・ルクヴルール』を演じるサラ)。また、無名の画家ミュシャをこの世に出したのもサラで、彼が作製したベルナールのポスター(リトグラフ)はラリック一躍有名となり、アール・ヌーヴォの代表作となっています。サラが演じた『椿姫』や『ジスモンダ』のポスターが有名でメデアブレスレットすが、ギリシア悲劇を題材とした《メディア》のポスター(図版)では、イアソンが妻のメディアを捨てて旅立とうとするのを見て、メディアが彼との間にできた子どもを殺す場面を描いています。メディアの大きく見開いた眼には、「夫に裏切られた女性の深い悲しみと怒り」(カチュール・マンデスの脚本による戯曲)が現れているのかもわかりません。このポスターにはメディアの左腕に巻きつく蛇のブレスレットが描かれていますが、この蛇のモチーフが気に入ったサラが宝飾家ジョルジュ・フーケに作らせたのが、写真右のもの。蛇の頭部にはオパールとダイヤモンドが施され、サラ自身、このブレスレットを舞台の小道具として使っていたそうです。また、ルネ・ラリックもサラが舞台で使う装飾品を作り、彼女がプライベートで身につける装身具もラリックに注文したそうで、それがジュエリー作家としてのラリックの名をとどろかせるきっかけとなります。写真は、ルネ・ラリックが作製したチョーカーヘッド。いかにもアール・ヌーヴォーの作品らしく、女性の髪をうねるような曲線で表現しています。カタログの解説によると、「日本の伝統文様の一つである流水紋にも通じる」そうです。確かに浮世絵や着物の柄にもあるような気がします。ともかく、舞台衣装の豪華さではサラ・ベルナールは群を抜いていて、当時、衣装は女優の自前であったことを考えると、衣装を調えるだけで莫大なお金が必要だったことがわかります。晩年、サラが右足を切断する羽目に陥ったのも、舞台で窓から飛び降りる場面で、小道具係が衝撃止めのマットを敷き忘れたのに気づきながら窓から飛び降り、右ひざをひどく打って怪我をしたことによるものとか。さすが、彼女の女優魂が感じられます。堺の美術館は小ぢんまりとしていて観客も少なく、それだけ一層、ゆっくり見て回ることができ、ベルナールの世界を堪能しました。

Written on 2月 17th, 2019

「西洋文化史」の授業で、今年は「食の歴史」をテーマとしたので辻静雄料理教育研究所顧問、山内秀文先生をゲストスピーカーに迎え、授業をしてもらいました。山内先生は「コーヒーおたく」と自称されておられるように、コーヒーは生豆から選んで、自宅にある業務用の焙煎機で焙煎して飲む、というコーヒー通で、今回はコーヒーとカフェ(喫茶店)に関する歴史をレストランとも絡めながら話して下さいました。文献に残っている限りでは、コーヒーは14世紀中ごろのエチオピア、アデンで最初に飲まれ、イスラム圏でカフェが始まったこと、それがオランダ、イギリス(コーヒーハウス)を経由してフランスでは1672年に現れたそうです、ワインは人を酩酊させますが、コーヒーは覚醒剤として、理性の時代である啓蒙時代にぴったりの飲み物と言えます。とりわけカフェ・プロコプが有名で、コメディ・フランセーズ前のこの店は、17世紀にはラシーヌやフォントネルなど詩人、劇作家たちが集まり、18世紀になるとヴォルテールやディドロ、ダランベールなど啓蒙思想家たちがここで『百科全書』を作ったとされています。そして、カフェ・ド・ラ・レジャンスではチェスが興じられたそうで、著名人たちが集まる場となったようです。また、革命sIMG_4233sIMG_4237前夜のパレ・ロワイヤルでのカフェ・ド・フォワの果たした役割(デムーランは「武器をとれ!」とアジ演説をし、それがバスチーユ襲撃につながる)や、さらには1830年以降にはやったイタリア通り(ブルヴァール)のカフェ=レストランの話など、様々な図版を見せながら貴重な情報を教えて下さり、90分では足りずに時間オーバーするほど熱のこもった授業となりました。その後、有志の方々と近くのイタリアレストランに昼食を一緒に食べに行きましたが、そこでもコーヒー談義、レストラン談義に盛り上がりました(写真はレストランでの山内先生と聴講生の方々)。山内先生、楽しい授業をありがとうございました。

Written on 2月 5th, 2019

sIMG_4213sIMG_4214女性学講演会の後の懇親会は、昨年度と同様に玉出にあるフレンチレストラン「ぽたじぇ」で行いました。料理が評判を呼んで、総勢32名(店でぎりぎりのスペース)となりました。今年のメニューはまず、カップに入った「パンプキンスープ」。まったりとしたいい味で、気持ちもほっこりします。次が「前菜盛り合わせ」(写真左)。中身はパテカンパーニュ、リエットのカナッペ、自家製sIMG_4215ロースハム、キャロットラぺ(人参をすりおろしたもの)、根セロリ、鶏のガランsIMG_4218ティーヌ。次が「海老のブロsIMG_4226シェット」(写真右)。「ブロシェット」は串焼きを意味するので、赤海老が串にささっていると思っていましたが、違ったものがでてきました。白ワインソースともう一種類のソースがたっぷりかかってsIMG_4216いて、どちらもおいしくて皆さん、パンでソースをきれいにすくい取って食べておられました。次が「鶏肉のマリニエール、バターライス添え」(写真)。このレシピは有名なレストラン(先日のカメキチでも出てきましたが)「ラ・ピラミッド」のフェルナン・ポワンのものだそうです。そして、デザートはクロッカントにパンプディング、ブルーベリーのアイスクリーム(写真)。肥田シェフは、ソースがたっぷりかかった伝統的なフランス料理を出してくれ、皆さん、料理に堪能されたようです。おいしい料理に話も弾み、本当に楽しいひと時を過ごすことができました(写真:今回は人数が多くて全員で撮れず、一部のみ載せています)。

Written on 2月 5th, 2019

sIMG_4184先日、~歳の誕生日を迎えました。娘が誕生ケーキを作ってくれて家族でお祝いをしてもらいました。ケーキのデコレーション、なかなかきれいにできています(写真)。マジパンで花を作るのが一番時間がかかったそうです。娘に感謝! 夫も赤飯を炊いてくれました(この年になると誕生日がきても、また年をとったと複雑な気持ちになるだけですが。。。とりあえずは家族に祝ってもらってうれしいです)。

ちょうどその誕生日に、以前に委員をしていた堺市の個人情報sIMG_4188保護審議委員会のメンバー二人が任期満了で委員を退くため、送別会があり、私も参加しました。左の写sIMG_4186真中央の花束を持っているお二人と、同じく同僚の女性教員と4人で撮ってもらいました。市役所の方々も含めて委員全員の集合写真(写真右)。久しぶりに会う方々もいて、月一度の委員会で顔を合わせるだけでしたが、弁護士や大阪ガスの所長さん、NHKの方など普段はあまり合わない異業種の方々と話ができて非常に刺激的でした。写真からも和気あいあいとした雰囲気がにじみでていると思います。堺市も政令指定都市で独自の政策を打ち出していて、市役所の方々との話も面白く、また仕事とは違う家庭(子どものことなど)の話はどこも共通で、些細な話題にも盛り上がりました。またメンバーの皆さんと再会できれば幸いです。

Written on 2月 2nd, 2019

sIMG_4177先日、「西洋文化史」の授業でゲストスピーカーとして話をしてsIMG_4178もらうことになっている辻料理研究所の山内先生、八木先生たちと打ち合わせを兼ねて夕食をご一緒しました。辻調理師学校のフランス、リヨン校を首席で卒業し、ポール・ボギューズの元で修業したという、亀井シェフの店(谷町4丁目駅の近く)で待ち合わせ。ビストロ料理を主に出す店だそうですが、今回はシェフお任せの本格的な料理を出してもらいました。まず、前菜として菜の花の上にカワハギのきもあsIMG_4180え、大根の薄片にキャビアが乗っています(写真左)。ワインは白で飲み口のいいブルゴーニュのサン=ヴナン。次にフォワグラのポワレ+黒トリュフが玉ねぎのコンソメスープの中に浮かんでいるもの(写真右)。sIMG_4181トリュフが香ばしく、フォワグラも思ったよりあっさりして食べやすかったです。コンソメスープが絶品。最近は昔ながらのポタージュは出なくなったそうです。次にシタビラメのフェルナン・ポワン風(フェルナン・ポワンはリヨン郊外のレストラン「ラ・ピラミッド」のオーナーシェフで、亡くなるまでミシュラン三つ星を守り続けたという伝説の料理人)。日本にはシタビラメはあまり存在せsIMG_4182ず、赤ヒラメが大体売られていて、フランスのシタビラメとは味も違うそうです。グラタン風で、中に幅広のパスタが入っています(写真左)。赤ワインはシャトー・ヌフ・デュ・パップ。これもまろやかな味わいで料理にぴったり(ワインは八木先生が選んでくれました)。メインはシャラン鴨(写真右)。定番のオレンジソース。鴨肉は場合によれば、臭みが残りますが、さすがここでは全く臭みがなく、焼きむら(肉のどの部分にも同じように火があたるよう、何度も肉をひっくり返すとか)もなく、しかも柔らかい!(低温調理?)。分厚い切れですが、全然気にならない厚さでした。デザートはクレーム・ダンジュ(チーズケーキ)にフランボワーズのアイスクリーム。おしゃべりと料理に夢中になり、あっという間に4時間が過ぎていました。お二人の先生からは最近のレストラン・料理事情をたっぷり聞かせてもらいました。

Written on 1月 20th, 2019

sIMG_4165先日、京都祇園の花見小路を少し行った南の路地(かsIMG_4166なりわかりにくい所)にある、和風料理の店「大渡」に行ってきました。町屋風のお店で靴を脱いで通されたところがカウンターになっている、という小さな店(9席)ですが、料理だけではなく、店の大将が面白いという評判のお店のようです。食事は夜のみで、1コースのみと決まっています。まず出てきたのが、冬至にちなんで「ゆずがお風呂に浮かんでいる」イメージ(写真左)のお皿。ゆずの中身はふぐの白sIMG_4167子をこしたものに、ウニ、アワビが入っている、という贅沢な一品。次はわけぎsIMG_4172のヌタ合え(写真右)に、あんこうの肝のペースト、アーモンドのスライスがのっています。次がカニの身が上にのった(茶色の部分はかにみそ)蒸し寿司(写真)。見た目もきれいで美味。お椀は白みそ仕立てで、大根とフカヒレが入っていました。次は、何とクリスマスシーズンということで、眼の前で鳩をロースト(大将は八坂神社の鳩も、数が減るな、という冗談を交えながら焼いていました)。和風料理にジビsIMG_4168sIMG_4169エが出てくるのは珍しい!その鳩肉を薄く切って、おもゆの上に乗せ、クワイのクルトン、鳩のスープ出汁に鰻のたれをsIMG_4174混ぜたソースがかかっています。鳩肉は臭みが全くなく、クワイのクルトンは初めて食べましたが、歯ごたえも良く、おいしかったです(鳩の鳴き声の連想でクルトンとか)、おもゆは「思いれたっぷり」という洒落とか。次にかぶらの煮物が出た後、大きなぶりの熟成肉(5日間熟成したものとか)。最近、牛肉でも熟成肉が流行していますが、ぶりも熟成できるようです。刺身にすると油が勝つ形になりますが、熟成するとしっとりとした食感となります。写真はぶりを手にする大将。ぶりを薄く切ったものに、白わさびがのっていました(写真)。最後のメインが生きたせこがに(写真)を眼の前で解体、その足をお湯でさっと通したものがでてきました。その後のカニ雑炊が本当に絶品の味で、隣の男性など4杯もおかわりして食べるほど。デザートはきなこをたっぷりまぶしたわらびもち。すっかり満足して京都を後にしました。

Written on 12月 27th, 2018

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