村田京子のホームページ – 「ウィーン・モダン」美術展

sIMG_4504先日、中之島の国立国際美術館に「ウィーン・モダン」ドレス展を見に行ってきました。ウィーン世紀末の代表的な画家、クリムトとその弟子とも言えるシーレの絵が目玉となっていました。写真はクリムトの《エミーリエ・フレーゲの肖像》。ファッション・デザイナーのエミーリエはクリムトの生涯の伴侶で、彼女自身のデザインしたドレス(右写真)もモダンなデザインですが、肖像画のエミーリエはいかにもクリムト風の青とグリーン、金色の模様を散りばめた華やかなモチーフの衣装を着ています。絵の女性像と同様に、左手を腰にあててポーズをとってみました。ただ、クリムトアテナの代表作はこの絵と《パラス・アテナ》(左図)ぐらいでした。パラス・アテナは知恵と芸術の女神で、クリムトたちウィーン分離派の守護神として、分離派のポスターにも描かれている女神です。左手に槍を持ち、黄金の兜と胸当てをつけた伝統的スタイルで、右手の小さな裸婦像は「真実、真理を表わす擬人像」だとか。金の胸当ては鱗のようでもあり、金貨を繋げたようにもみえ、兜を被った女神の顔は白眼がちの眼を大きく開け、赤い唇をしているものの、女性とは思えない恐ろしい形相をしています。胸元に見える仮面(?)は分離派展のポスターのアテナが持っている盾(たて)と同じデザインで、舌を出しているので少しおどけた風にも見える、不思議な仮面となっています。金属打ち出しによる額縁はオリジナルで、弟のゲオルグとの共作とか。額縁もまた、芸術作品の一部となっていました。

美術展自体はまず、「啓蒙主義時代のウィーン」ということで、18世紀の絵画(マリー・アンシーレトワネットの母親のマリア・テレジアの肖像画や革命思想の源とされるフリーメイソンのロッジなど)から始まり、「ビーダーマイアー時代のウィーン」では、19世紀に中流階級となった小市民(ビーダーマイアー)が使っていた銀器(お盆や水差し、杯など)や絵画、「リンク通りとウィーン」ではウィーンのブルク劇場やウィーン万国博覧会の様子などが紹介されていました。近代都市ウィーンを作った建築家のオットー・ヴァーグナーの精密な設計図や設計見本はなかなか見ごたえがありました。印象に残ったのは、クリムト以外ではやはり、エゴン・シーレの《自画像》(右図)。シーレはクリムトの影響を強く受けたとされ、自画像の背景の色遣いはクリムト風ですが、シーレにはクリムトの華やかさ、明るさはなく、暗いイメージが漂っています。特に肖像画の手の指がグロテスクなまでに長くて大きく、生命力よりも、「死」を想起させます。28歳で夭折した画家ならではの絵と言えるでしょう。あと、少し驚いたのはクリムトの風景画が印象派の絵に似ていることで、クリムトも様々な様式の絵画を試していたと言えるかもわかりません。ウィーン絵画もなかなかいいものだと思った一日でした。

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