村田京子のホームページ – 「瀬戸内寂聴展」

IMG_0001先日、難波の高島屋で開催されている「瀬戸内寂聴展」に行ってきました(ポスター)。昨年99歳で亡くなった寂聴さんの生涯およびその作品や原稿、ゆかりの着物や寂聴さんと交流のあった著名人の言葉など、様々な品が展示されていました。21歳で見合い結婚して夫の任地、北京に渡り、女の子を出産。夫の教え子の青年と不倫をし、夫と3歳の子どもを残して二人で京都に出奔。夫と離婚した後、上京し、本格的に小説を書き始め、少女小説でデビュー。その後、『花芯』で奔放な性を描き、ポルノ小説、「子宮作家」のレッテルを貼られるようになります。文芸雑誌からは執筆依頼はなくなりますが、『婦人公論』などの雑誌・週刊誌に作品を発表。作家の小田仁二郎に師事し、彼と不倫関係になります。小田と元夫の教え子との三角関係の恋愛を描いた『夏の終わり』で作家としての地位を確立します。彼女はその点では、私小説作家と言えるでしょう。ただ、男性作家が私小説においてどんなに自堕落な生活を描いたとしても許されるに対して、女性作家の場合は、当時のジェンダー規範に反するがゆえに、風当たりが強かったと想像できます。彼女はさらに、井上光晴とも不倫関係を結びますが、井上との関係を断つために51歳の時に出家を思い立ち、今東光の元で出家することになります。出家してからは小説よりもむしろ、『源氏物語』の訳で有名だったような気がします。さらに、寂聴庵での法話が人々を惹きつけたのは、激動の半生を生き抜いた後の悟りの境地によるもののように感じました。死ぬまで執筆活動を続けた寂聴さんの心意気にもあやかりたいものです。

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