村田京子のホームページ – クロディ・ベルナール先生の講演

IMG_00019月5日に、Claudie Bernardニューヨーク大学教授が早稲田大学で「19世紀フランスの歴史小説――重ね書きされた小説」(Le roman historique français du XIXe siècle, roman palimpseste)というタイトルの講演(ポスター)をされ、オンラインで参加しました。ベルナール氏は、バルザックを始めとする19世紀文学の研究者で、歴史小説に関して、Le Passé recomposé, le roman historique français du XIXe siècleおよび、 Le Roman historique de Vigny à Rosny aînéというタイトルの2冊の著書を昨年出版され、今回の講演もそれに関連するものでした。ベルナール氏はまず、「歴史小説」を「歴史的記述(historiographie)を通して表される過去の歴史を扱う虚構の物語」と定義し、19世紀の作家は、歴史的資料や歴史家たちの文献を調べ、その豊富な参考資料を「剽窃」する一方で、ウォルター・スコットを始めとする歴史小説家たちの虚構から多くの要素を借用しており、この二重の間テクスト性(科学的・文学的)をどのように理解すべきかについて、丁寧な説明を加えながら独自の歴史小説論を展開されました。お話の中でも面白かったのは、中世から18世紀までは、「歴史的記述」は文芸(Belles-Lettres)に属し、古文書の調査・分析よりも文体の質や叙事詩的・ドラマチックな記述が称賛されていたこと、それが19世紀前半には歴史的資料に基づいた虚構が生み出され、多くの歴史小説を輩出したこと、しかし19世紀後半になると、「科学」と「文学」の二つに分かれ、「歴史」は完全に実証的な学問(「科学」の分野)のなってしまったという指摘でした。確かに、19世紀において、バルザックの『ふくろう党』『暗黒事件』『カトリーヌ・ド・メディシス』やユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』『93年』、デュマの『三銃士』、フロベールの『サランボー』など数多くの優れた歴史小説が生み出されています。こうした小説は、歴史的資料に基づいて「真実らしさ」を持ちながらも、博識をひけらかす無味乾燥な文章に陥らないよう気をつけねばならず、そのためにも歴史的事実に縛られない虚構の人物が必要であったと思います。コメンテーターの小倉氏からは歴史家のアントワーヌ・ド・ベックがアルプス山脈におけるクレチン病患者の歴史について著書を著した後、歴史では掬い取れないクレチン病患者の心理分析を小説の形で行ったという興味深い指摘がありました。会場からは「歴史小説」と「風俗小説」との関係性や、フランス以外の他の国における「歴史小説」との違いなど、様々な質問が出ました。私も「歴史小説の中で、実在の人物と虚構の人物が混じっているのは、歴史および歴史的記述の空白を埋めるためではないか」と質問しました。ベルナール氏の答えは確かに、それはよく言われることであるが、バルザックの『カトリーヌ・ド・メディシス』の場合は、歴史的な文献では悪く書かれているカトリーヌ・ド・メディシスをバルザックは高く評価し、その名誉を回復させるために書いたものであり、『ふくろう党』『暗黒事件』では、虚構の人物が表舞台に現われ、フーシェのような歴史的人物は物語の裏で陰謀の糸を引く人物として登場している、とのこと。確かに『暗黒事件』でもフーシェは全く姿を現しませんが、物語の背後に潜む彼の不気味な存在を読者に感じさせます。

2時から5時過ぎまでという長い講演会でしたが、非常に充実したもので、大変勉強になりました。

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