村田京子のホームページ – 第37回シャンソン研究会

先日、神戸大学で行われた第37回シャンソン研究会に参加しました。ちょうど、前日は台風接近のため警報が出て電車も一部ストップするほど大雨が降りましたが、台風一過、快晴となりました(ただ、東京、信州方面から来られた方は新幹線が午前中、止まっていたり、道路が不通になったりで、大変だったようです)。今回の発表は、まず、常連の高岡優希さんの「バルバラ―心の傷とそのレジリアンス(精神科医ボリ黒い鷲ス・シリュルニクの提言)」というタイトルの発表から始まりました。バルバラは少女の頃に父親から性的虐待を受け、心に深い傷を負います。その後、長らく行方不明であった父親が危篤状態にあるという連絡を受けて彼女は病院に駆けつけますが、父の死に目にはあえず、その時のことを歌ったのが『ナントに雨が降る』でした。この曲が父親への鎮魂歌となっていること、父を赦しただけではなく父の臨終に間に合わなかったことへの自責の念が歌詞には込められているといいます。そして、『真夜中に』から『黒い鷲』(左写真)に至る過程で「個人の記憶が一般化され」、「詩作品としてより高度な仕上がりに昇華」されたとのこと。『黒い鷲』では蛮行以前の父親の娘に対する優しさを思い出していて、彼女の中で父への恨みがなくなり、父を赦すことで「心の回復(レジリアンス)」がなされた、という趣旨のお話でした。さらに『近親相姦の愛』では、父親に言ってもらいたかった言葉が歌詞として綴られている、という解釈は非常に納得のいくものでした(果たして父を完全に赦せたかは、わかりませんが、バルバラは歌うことで新しい人生を築くことができたと言えるでしょう)。

バルバラに関しては、長谷川智子さんによる音楽家の視点から分析した「バルバラ作品における平和の表象―プレヴェールからの影響を中心に」というタイトルの発表もありました。プレヴェールの詩から影響を受けたバルバラとプレヴェールの子どもに向けた作品に絞って、両者の歌詞と曲を比較したもので、三拍子がキリスト教の三位一体と関わり、三拍子の曲は西洋では「祈りの手法として使われることが多い」というお話は、新しい視点からの分析で非常に興味深いものでした。また、『黒い鷲』の出だしは、ベートーヴェンの『悲愴』の第2楽章を連想させるとのこと。しかも、曲の最後で音程が2度ほど上がって、バッハのカノンのような転換があり、曲がフェイドアウトして終わるのも、無限にループしていくイメージだそうです。「ドリア旋法(教会旋法)」や「導音」といった音楽の専門用語も素人の私には非常に新鮮でした。

もう一人の発表者、ハルオさんの「バックダンサーの男女則 および ドラマ音楽のパリイメージ」は、2部立ての発表で、まず、音楽のジャンル別、年代別に男女の歌手の後ろで踊るダンサーの男女の比率を膨大なビデオクリップから導き出して統計にしたものでした。クロード・フランソワなど男性歌手の後ろには女性ダンサーがついているのが殆どで、それは男の眼を惹きつけるためであり、女性ファンは自らをダンサーの身において見ている、とのこと。女性歌手の後ろに男性ダンサーがいるのは少ないようです。ラップ歌手については、男性のみのグループ(歌手もバックダンサーも男)が多いとか、ジャンルによっても違うようです。後半は、映画やドラマにおいてパリのイメージを醸し出す音楽はどのようなものか、年代順に分析されたもので、やはり最初はアコーデオンとモーリス・シュヴァリエの曲が定番であったようです。1950年代のオードリー・ヘプバーンの映画(「麗しのサブリナ」などパリが舞台となる映画)が一つの分岐点となり、『バラ色の人生』やC’est si bon、『聞かせてよ、この愛』などお馴染みのシャンソンがバックグラウンドミュージックとして登場したとのこと。ヘプバーンは私も大ファンなので、シャンソンの普及にも携わったのはうれしい限りです。現代のドラマでは、もはやこうしたシャンソンは聞けないようですが。。。

3人の発表はどれもが面白く、もっと詳しく聞きたいところ、時間が限られていたのが残念でしたが、久しぶりにシャンソンを堪能しました。

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