村田京子のホームページ – blog

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府立大学恒例の白鷺祭が10月31日(金)~11月2日(日)まで開催され、私が顧問をしている美術部の展示を初日に見に行ってきました(A5棟1階)。油絵やアクリル画、水墨画を思わせる絵や、粘土などを使った彫像や毛皮のような布地を使った可愛い犬など、様々な材料を使った力作が並んでいました。左は、美術部の部長、東さんと彼女の力作(亡くなった飼い犬がモデルで、愛情がこもった絵となっています。その流し眼が実に色っぽい! オスだそうですが)。その横は藤田君の作品。怪獣がリアルでした。右下は黒木君の絵で、神戸のポートアイランドのタワーを描いたものですが、背景の巨大な月がSF風のイメージを醸し出していました。群青色が鮮やかでした。左下は、もこもことした羊の造形がよくできていました。

Written on 11月 1st, 2014

学会で広島に行ってきました。たまたま泊まったホテルが西条の酒蔵通りの一角にあり、早めにホテルに着いて、酒蔵を少し廻ってみました。全く知らなかったのですが、西条は灘、伏見と並ぶ日本有数の酒どころで、酒蔵通りには白牡丹、西條鶴、亀齢、福美人、賀茂泉、賀茂鶴と酒造が立ち並んでいました(左は賀茂泉酒造の店先)。酒蔵自体は土、日にしか見学できないので見れませんでしたが、試飲ができるのでそれぞれのお店で試飲させてもらいました。日本酒はあまりわかりませんが、辛口のきりっとした大吟醸がやはりおいしかったです。中にはロゼワインを思わせるようなきれいなピンクの酒もあり、7度と少し弱めのお酒なので、女性にぴったりと勧められました。酒蔵の軒元には杉玉が吊るされ、新酒ができる頃に付け替える店もあるそうですが、杉玉は緑からすでに茶色に変わっていました。それぞれの酒蔵の前には井戸水がわき出ていました(右は、西條鶴醸造の江戸「天保井水」)。広島大学での学会の懇親会には日本酒がずらりと並び、樽酒を割って升酒を飲ませてもらいました。

学会の後、少し足を伸ばして宮島に行ってきました。夕方フェリーで宮島に着いた時は潮がひいていて大鳥居の周りを観光客が歩いていました。その後、夜には満ち潮になり、鳥居周辺はすっかり水で覆われ、船で鳥居の下をくぐれるほどに。早朝訪れた時にはまた引き潮で厳島神社や鳥居まで砂浜を歩いて行けました(左は、早朝の大鳥居;右は厳島神社の神官が朝の祈祷をしているところ)。お昼頃には水が満々と湛え、厳島神社の床にすれすれのところまで水が上がってきそうで、台風の時によく水浸しになる、というのも納得できました(モン・サン=ミシェルよりも、波の流れは速いように見えました;左下は昼間の厳島神社)。

最後にロープウェイで霊山「弥山(みせん)」の頂上、獅子岩まで登りました。ここも点在する奇岩怪石などで世界遺産になっているそうです(右下は、ロープウェイから見た光景:紅葉には少し早かったようです)。

Written on 10月 28th, 2014

公開講座の聴講生の方々と泉佐野市の観光に行ってきました。難波から「さざん特急」で約30分の泉佐野駅で待ち合わせをし、観光ヴォランティアの方2人の案内のもと、佐野町を散策しました。佐野町は、江戸時代に回船業で巨万の富を築いた豪商・食野(めしの)家が栄えた町ということで、食野は長者番付で鴻池や三井と並ぶ豪商で、井原西鶴の『日本永代蔵』にも言及されているそうです。その名残は「いろは倉」や妙浄寺に残る梵鐘からも偲ばれるそうです。さらに、春日神社では食野家専用の立派な門が作られていました(現在は開かずの門)。まず、上善寺へ(写真左)。門の上には干支の動物が刻まれていました。駅から近くに商店街があり、昔ながらのお店―泉州の水なすの漬物、醤油などを売る店や天ぷら屋さん(店頭で天ぷらを揚げていて、おいしそうでした!―がありましたが、シャッターの下りた店も多く散見されたのは、残念でした。次の妙浄寺には立派な大仏さまが安置されていましたが、金箔の上に黒漆で塗られているそうです(写真右:一部、漆が取れて金箔がのぞいています)。その向かい側の春日神社も訪れました。このあたり一帯は狭い路地のくねくねした道で、「佐野町迷宮都市」と命名されているのももっともで、ガイドさんの案内なしでは到底、目的地にたどり着けなかったと思います。

旧新川家(写真左)は、もと醤油問屋で後で増築された奥座敷2間は、どちらにも縁側があり、風通しの良い作りとなっていました。二階は箱階段(すごく急)とこれも急な階段で上がり、屋根裏部屋のような雰囲気で、太い梁が支え、特に大きな松の梁が圧巻でした!(釘は一本も使われていないそうです)。りんくうタウン駅近くのスターゲイトホテルまで歩いて、2時間の行程でした。晴天に恵まれ、楽しい散策となりました。昼食はスターゲイトホテル54階の海を見はらすレストランで、ビュッフェを楽しみました。総勢22名(写真右)で、秋の一日を満喫することができました(幹事の西川さん、斎藤さん、御苦労さまでした)。

Written on 10月 1st, 2014

カスレ・ボルドレーズ・アラ・朱実

手作りのウェルカムブーケ

高校時代の同級生朱実さんのお宅に招待され、豪華なランチを頂きました。料理のプロの朱実さんの料理は本格的で、まずオードヴルには、鯵のマリネ(ベビーリーフなどの緑の葉物の周りに鯵が美しく並べられている)に白ワイン、次にブルビレガリス(チーズ)のペンネ、上に載っているトマトは湯むきの上に塩と砂糖に漬けたもので、チーズともあってとても美味でした。メインはカスレ・ボルドレーズで豚バラ三枚肉を何回か湯煎して油抜きをした上で豆などと赤ワインで煮込んだもので、数年前にフランスのカルカッソンヌで食べたカスレを思い出し、なつかしさで一杯になりました(赤ワインと一緒に食べると味がさらに引き立ちました)。付け合わせのマリネ(梨や赤、紫ピーマン、瓜)はさっぱりとしていて食が進みました。デザートは白金台にある有名なお店エリカのチョコレートケーキで満腹状態に。歓迎のブーケまで手作りで、「隠れ家レストラン」を一人で貸し切ったような贅沢なもてなしで、本当にお昼のひと時を満喫しました。朱実さんに感謝!

Written on 9月 24th, 2014

奈良の会員ホテル登大路ホテルで、「料理とワインと音楽に酔いしれる夕べ」の会があり、夫婦で参加しました。ホテルは近鉄奈良駅から奈良公園に向かい、徒歩5分のところですが、小さなプレートがあるだけで、見逃すところでした(さすが隠れ家的な会員ホテル!)。ロビーのソファに座ると、まずシャーベット状のシードル酒を頂きました。同じ仏文関係の大先輩柏木先生ご夫妻やそのお友達もいらしており、私たちの席は10人ほどの大きなテーブルでした。19時から、柏木先生の乾杯のごあいさつの後、シャンペン(J. Lassalle Cuvée Préférence Brut Premier-Cru N.V.)で乾杯した後は、 佐々木シェフが腕をふるったフランス料理がでてきました。まずは、「フォアグラのソテーと松茸のポテトパンケーキ」。フォアグラは柔らかく美味で、シャンペンと良くマッチしていました。ワインもソムリエが特別に選んだもので、「オマール海老とノルウェーサーモンのサラダ仕立て」には白ワイン(モレ・サン・ドゥニ2011)、「ドーヴァーソールのベルシー」―非常に身のしまった舌平目でした!―には赤ワイン(Volney Premier Cru Les Santenots 2004)。茶色のソースなので、赤ワインの方が合うそうです。特に「特選牛フィレ肉のアキテーヌ」の牛フィレは絶品!さらにその付け合わせのキノコ類はフランスでも高級なセップ茸やジロール茸も入っていて歯ごたえがあり、ソースとマッチしており、さらに赤ワイン(Château Pape Clément 1993)が絶妙なおいしさで、皆、感激していました。総勢28名で、マグナムボトルが3本空いたそうです。

料理の後は松村容子さんのフルートと、南城愛さんのハープ演奏で、曲はモーツァルト、ビゼー、バッハなどのクラシックもあれば、ピアソラの曲(ギター演奏の代わりにハープ演奏で、高価なハープの腹を叩く、という現代的なもので面白かったです)、なつかしいシャンソン(「さくらんぼうの実る頃」や「ばら色の人生」)、最後は日本の曲(「赤とんぼ」「荒城の月」)とヴァラエティに富んだものでした。モーツァルトに「フルートとハープのためのコンツェルト」があるのは知りませんでした。18世紀後半から19世紀まで生きたフランスのジャンリス伯爵夫人(後に国王となるルイ・フィリップの養育係)がハープの名手でしたが、モーツァルトの時代、社交界の女性たちが「芸事」としてハープを習っていたので、モーツァルトも作曲したのでしょう。ハープは47弦もあるそうで、非常に夢幻的な音色を聞かせてくれ、「荒城の月」は前回の生駒でもピアノ伴奏で聞きましたが、ハープだとさらに奥行きが拡がり、夢想を掻き立てられました。フルートとハープの組み合わせは一見、意外ですが、実際にはフルートの澄んだ音色がハープでさらに強まるような気がしました。少しワインを飲みすぎましたが、本当に楽しいひと時でした(右の写真は松村夫妻、ハープの南城さんと)。

Written on 9月 21st, 2014

都市美術館で開催されているバルテュス展に行ってきました。ピカソから「20世紀最後の巨匠」と言われたバルテュスはフランス、スイス、イタリアへと活動の拠点を動かす中で、彼独自の絵画世界を築きあげた画家です。特に、少女をモデルとした絵画が有名で、その代表作《美しき日々》(左図)などは鏡を持ち、そこに映った自分の顔を見ながらしどけなくソファに座っている少女の様子が描かれ、少女が大人の女の片鱗を見せ始める妖しげな魅力を放っています。猫が絵の中にしばしば描き込まれているのもバルテュスの特徴で、丸々と太った猫が少女の足元で餌を食べていたり、少女の座る椅子の背もたれに足をのせていたりしていますが、顔つきはひと癖ある(あまり可愛くない)表情を湛えています。猫が食卓で魚を食べている絵(右図)は、魚料理のレストランの看板とのこと。女の子はアンリ・マティスの娘がモデルだそうです。スイスで最大の木造建築と言われる「グラン・シャレ」のアトリエも展覧会場で再現され、日本人の奥さん(節子夫人)がいることもあって、バルテュスの着物、袴姿の写真もあり、着物姿もなかなか似合っていました。夕食は祇園近くの「丹くろ」というところで和風料理に丹波ワインを満喫しました。

Written on 8月 3rd, 2014

知り合いの松村容子さんのフルートコンサートに行きました。生駒の北コミュニティセンターは富雄駅からも少し遠いところにありますが、広いなかなか素敵な会館でした。バッハ、グルック、モーツァルトなどの古典派からビゼー、ドップラー、パガニーニといったロマン派、さらにフォーレやドヴィッシー、ピアソラなどの20世紀の現代音楽と様々な曲(その代表作)をフルートで演奏、演奏の合間に松村さんのわかりやすい解説が入る、という楽しいコンサートでした。バッハの頃の組曲は舞曲(ドイツ舞曲、フランス舞曲など国別)が組み合わさったもので、フランス舞曲はブーレという踊りだというお話を聞き、ジョルジュ・サンドの『愛の妖精』で、ファデットがランドリーに要求するのが村の祭りでブーレを7回踊ることであった、というのを思い出しました。また、グルックの名前は19世紀フランス文学によく出てきますが、彼がマリー・アントワネットの音楽の教師を務め、アントワネットがフランスに来る時に同行し、パリでオペラを演じるようになった、というのは知りませんでした。19世紀前半は、イタリア人のロッシーニ、ポーランド人のショパン、ハンガリー人のリストといったヨーロッパ中の音楽家がパリに集まってきた時代ですが、イタリア人のパガニーニもその一人で、その超絶技巧は「悪魔が乗り移ったような」とさえ言われるほどで、今日の演目にある「カプリース(狂詩曲)」はまさにその典型と言えるでしょう。ドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」に関しては、ハンガリーと日本の多くの共通点(特に音階)の説明があり、日本の「追分」などの民謡とハンガリー民謡の類似をフルートで弾いてもらい、非常によくわかりました(尺八を彷彿とさせる音色に聞こえました)。最後に日本の歌曲(「荒城の月」「ふるさと」「浜辺の歌」)の演奏があり、「浜辺の歌」は皆で合唱し、大いに盛り上がりました。単に演奏のみを聞くよりも、こうしたレクチャーコンサートは、非常に勉強になり、音楽がより身近になったような気がします。市の催しなので、500円の入場料で、市民が気軽に参加できるこうした催しが増えることを願っています。

Written on 7月 27th, 2014

奈良女子大学でのマルチーヌ・リード先生の講演会(5月20日)の後、奈良女の院生さん、私が指導している府大の学生さん、「女性作家を読む会」のメンバーおよび奈良女の先生(高岡先生、三野先生など)たちと、リード先生とで大学生協のテラスでお茶の時間を持ちました。あいにく、天気は曇りから雨に変わり、少し肌寒い感じでしたが、話は尽きず、賑やかに楽しく過ごすことができました。リード先生も初めての日本滞在を楽しんでおられるようです。明日は奈良見物の予定で、東大寺の大仏などを見て回られるそうです。鹿たちも、大学構内まで入ってきていて、テラスにも顔を出していました。

Written on 5月 21st, 2014

4月13日(日)に、友人の川邊堤さんの書展を奈良の「ギャラリー勇斎」まで見に行きました。堤さんの書は「創作書道」と言えるもので、漢字をベースにしながらも、自由に筆をすすめたアートに近いものです。今回のテーマは「熟視する石」。巻物のように長い紙には、山上憶良の「貧窮問答歌」が細い筆で書かれ、その上に太い筆(薄い墨)で「世の中」という大きな文字が浮かび上がっているものや、太い筆で門が象形文字のように造形され、その中に「口」が入って「問」という文字になっているものなど、そのエネルギッシュな筆致は素晴らしいものでした。私のお気に入りは赤地に甲骨文字の入ったもので、現代アートにつながる魅力的な作品だと思います(右)。奈良公園の桜はもうほとんど散っていましたが、春日大社に向かう観光客で賑わっていました。

Written on 4月 15th, 2014

国立文楽劇場に文楽「菅原伝授手習鑑」第二部を見に行ってきました。藤原時平の讒言によって大宰府に流された菅原道真の話を脚色したもので、第二部は道真のために働いた三つ子の兄弟(松王丸、梅王丸、桜丸)の悲劇を中心に物語が展開されています。松王丸は時平の舎人、弟二人は道真の舎人と敵味方に別れて喧嘩沙汰となるのが三段目。その兄弟が、父親・四郎九郎の70歳の誕生祝いに集まるものの、親王と道真の養女、苅屋姫の逢瀬を取り持った責任を取って、桜丸が切腹する、というのが「桜丸切腹の段」で、息子の介錯をせざるを得ない父親の悲痛な思いが滲み出ていました。この段は、人間国宝の七世竹本住太夫が担当し、彼の引退公演となりました。満89歳という高齢にも関わらず、張りのある声で(最後はさすがに少し、かすれていましたが)、40分間、素晴らしい義太夫を聞けました。人形遣いの操り方も本当に見事で、手足の細やかな動きは、まるで生きているかのようでした。四段目の「天拝山の段」では、道真が火を吐く場面もあり、迫力満点でした。次の「寺入りの段」「寺子屋の段」では、道真の息子菅秀才を匿う源蔵夫婦が菅秀才の首を差し出すよう命じられて苦悩する場面、さらに身代わりとして我が子・小太郎の首を差し出した松王丸夫婦の嘆きは本当に悲痛なものでした。親子の情を捨てて、主君のためにここまで尽くさなければならなかったのか、という疑問がわくと同時に、時代の不条理さを痛感しました。4時から9時までという5時間にわたる上演でしたが、時間が経つのを忘れるほど、感動的な文楽公演で、満席の客で、ロビーもごった返していました。こうした「大阪の文化」はお金には代えがたい価値を持ち、公的にも助成していくべきだと思いました。

Written on 4月 12th, 2014

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