村田京子のホームページ – blog

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都市美術館で開催されているバルテュス展に行ってきました。ピカソから「20世紀最後の巨匠」と言われたバルテュスはフランス、スイス、イタリアへと活動の拠点を動かす中で、彼独自の絵画世界を築きあげた画家です。特に、少女をモデルとした絵画が有名で、その代表作《美しき日々》(左図)などは鏡を持ち、そこに映った自分の顔を見ながらしどけなくソファに座っている少女の様子が描かれ、少女が大人の女の片鱗を見せ始める妖しげな魅力を放っています。猫が絵の中にしばしば描き込まれているのもバルテュスの特徴で、丸々と太った猫が少女の足元で餌を食べていたり、少女の座る椅子の背もたれに足をのせていたりしていますが、顔つきはひと癖ある(あまり可愛くない)表情を湛えています。猫が食卓で魚を食べている絵(右図)は、魚料理のレストランの看板とのこと。女の子はアンリ・マティスの娘がモデルだそうです。スイスで最大の木造建築と言われる「グラン・シャレ」のアトリエも展覧会場で再現され、日本人の奥さん(節子夫人)がいることもあって、バルテュスの着物、袴姿の写真もあり、着物姿もなかなか似合っていました。夕食は祇園近くの「丹くろ」というところで和風料理に丹波ワインを満喫しました。

Written on 8月 3rd, 2014

知り合いの松村容子さんのフルートコンサートに行きました。生駒の北コミュニティセンターは富雄駅からも少し遠いところにありますが、広いなかなか素敵な会館でした。バッハ、グルック、モーツァルトなどの古典派からビゼー、ドップラー、パガニーニといったロマン派、さらにフォーレやドヴィッシー、ピアソラなどの20世紀の現代音楽と様々な曲(その代表作)をフルートで演奏、演奏の合間に松村さんのわかりやすい解説が入る、という楽しいコンサートでした。バッハの頃の組曲は舞曲(ドイツ舞曲、フランス舞曲など国別)が組み合わさったもので、フランス舞曲はブーレという踊りだというお話を聞き、ジョルジュ・サンドの『愛の妖精』で、ファデットがランドリーに要求するのが村の祭りでブーレを7回踊ることであった、というのを思い出しました。また、グルックの名前は19世紀フランス文学によく出てきますが、彼がマリー・アントワネットの音楽の教師を務め、アントワネットがフランスに来る時に同行し、パリでオペラを演じるようになった、というのは知りませんでした。19世紀前半は、イタリア人のロッシーニ、ポーランド人のショパン、ハンガリー人のリストといったヨーロッパ中の音楽家がパリに集まってきた時代ですが、イタリア人のパガニーニもその一人で、その超絶技巧は「悪魔が乗り移ったような」とさえ言われるほどで、今日の演目にある「カプリース(狂詩曲)」はまさにその典型と言えるでしょう。ドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」に関しては、ハンガリーと日本の多くの共通点(特に音階)の説明があり、日本の「追分」などの民謡とハンガリー民謡の類似をフルートで弾いてもらい、非常によくわかりました(尺八を彷彿とさせる音色に聞こえました)。最後に日本の歌曲(「荒城の月」「ふるさと」「浜辺の歌」)の演奏があり、「浜辺の歌」は皆で合唱し、大いに盛り上がりました。単に演奏のみを聞くよりも、こうしたレクチャーコンサートは、非常に勉強になり、音楽がより身近になったような気がします。市の催しなので、500円の入場料で、市民が気軽に参加できるこうした催しが増えることを願っています。

Written on 7月 27th, 2014

奈良女子大学でのマルチーヌ・リード先生の講演会(5月20日)の後、奈良女の院生さん、私が指導している府大の学生さん、「女性作家を読む会」のメンバーおよび奈良女の先生(高岡先生、三野先生など)たちと、リード先生とで大学生協のテラスでお茶の時間を持ちました。あいにく、天気は曇りから雨に変わり、少し肌寒い感じでしたが、話は尽きず、賑やかに楽しく過ごすことができました。リード先生も初めての日本滞在を楽しんでおられるようです。明日は奈良見物の予定で、東大寺の大仏などを見て回られるそうです。鹿たちも、大学構内まで入ってきていて、テラスにも顔を出していました。

Written on 5月 21st, 2014

4月13日(日)に、友人の川邊堤さんの書展を奈良の「ギャラリー勇斎」まで見に行きました。堤さんの書は「創作書道」と言えるもので、漢字をベースにしながらも、自由に筆をすすめたアートに近いものです。今回のテーマは「熟視する石」。巻物のように長い紙には、山上憶良の「貧窮問答歌」が細い筆で書かれ、その上に太い筆(薄い墨)で「世の中」という大きな文字が浮かび上がっているものや、太い筆で門が象形文字のように造形され、その中に「口」が入って「問」という文字になっているものなど、そのエネルギッシュな筆致は素晴らしいものでした。私のお気に入りは赤地に甲骨文字の入ったもので、現代アートにつながる魅力的な作品だと思います(右)。奈良公園の桜はもうほとんど散っていましたが、春日大社に向かう観光客で賑わっていました。

Written on 4月 15th, 2014

国立文楽劇場に文楽「菅原伝授手習鑑」第二部を見に行ってきました。藤原時平の讒言によって大宰府に流された菅原道真の話を脚色したもので、第二部は道真のために働いた三つ子の兄弟(松王丸、梅王丸、桜丸)の悲劇を中心に物語が展開されています。松王丸は時平の舎人、弟二人は道真の舎人と敵味方に別れて喧嘩沙汰となるのが三段目。その兄弟が、父親・四郎九郎の70歳の誕生祝いに集まるものの、親王と道真の養女、苅屋姫の逢瀬を取り持った責任を取って、桜丸が切腹する、というのが「桜丸切腹の段」で、息子の介錯をせざるを得ない父親の悲痛な思いが滲み出ていました。この段は、人間国宝の七世竹本住太夫が担当し、彼の引退公演となりました。満89歳という高齢にも関わらず、張りのある声で(最後はさすがに少し、かすれていましたが)、40分間、素晴らしい義太夫を聞けました。人形遣いの操り方も本当に見事で、手足の細やかな動きは、まるで生きているかのようでした。四段目の「天拝山の段」では、道真が火を吐く場面もあり、迫力満点でした。次の「寺入りの段」「寺子屋の段」では、道真の息子菅秀才を匿う源蔵夫婦が菅秀才の首を差し出すよう命じられて苦悩する場面、さらに身代わりとして我が子・小太郎の首を差し出した松王丸夫婦の嘆きは本当に悲痛なものでした。親子の情を捨てて、主君のためにここまで尽くさなければならなかったのか、という疑問がわくと同時に、時代の不条理さを痛感しました。4時から9時までという5時間にわたる上演でしたが、時間が経つのを忘れるほど、感動的な文楽公演で、満席の客で、ロビーもごった返していました。こうした「大阪の文化」はお金には代えがたい価値を持ち、公的にも助成していくべきだと思いました。

Written on 4月 12th, 2014

桜が満開となったので、散歩がてら近くの川沿いの桜並木をゆっくり歩いて見た後で、徒歩15分の松伯美術館に「上村松園展」を見に行きました。昨日までは4月下旬の陽気でしたが、今日は春の嵐で、雨が突然降ったり、晴れ間が見えたりの少し肌寒い一日でした(桜も、今週末でだいぶ散ってしまいそうです)。上村松園は女性を描いた画家として有名で、《楊貴妃》の気品のある顔立ち、白拍子の《静》など、美しい女性たちとその色鮮やかな着物や帯が繊細な筆づかいで描かれていました。また、狂女や嫉妬に狂った女の能面のような表情が印象に残りました。代表作《序の舞》は、残念ながら実物はなく、下絵のみでした。

 

Written on 4月 4th, 2014

3月28日に、授業公開講座の聴講生の皆さんと、あべのハルカス近くのイタリアレストランでお食事会をしました。総勢20名あまりで、イタリアレストラン「クッチーナ ベッリーノ」で昼食を食べましたが、レストランはヨーロッパのビストロ風のこじんまりした店内で、お料理もおいしかったです(春らしく、春キャベツと桜エビのぺペロンチーノもおいしく、クリスピー生地のピザもゴルゴンゾーラ・チーズの香りがたっぷり!牛ほほ肉のワイン煮込みは人によって好き好きですが、私はおいしかったです:写真左下)。食事の後、少しお茶をし、あべのハルカス美術館の「東大寺展」の切符を頂いたので、有志の方々と展覧会も見てきました。東大寺に伝わる「誕生釈迦仏立像」や、12神将像、重源や鑑真像、快慶作の地蔵菩薩像など、普段は見れない宝物を見ることができました。美術館はハルカスの16階にあり、テラスに出ると、天王寺公園や大阪の町が一望できます。40階の展望台は、長蛇の列ができていました。雲ひとつない快晴で、桜の花も7分咲きとなり、来週末には満開の桜が楽しめそうです。聴講生の皆さんのおかげで、本当に楽しいひと時を過ごすことができました!(幹事の大住さん、ご苦労様でした)

Written on 3月 30th, 2014

3月22日に東京文化会館に、パリ・オペラ座バレエ団の「椿姫」公演に行ってきました。「椿姫」ことマルグリット役はオレリー・デュポン、恋人のアルマン役はエルヴェ・モローで、ショパンの曲を使ったものでした。特に第二幕はピアノ演奏のみでショパンの華麗な音色(「華麗なるワルツ」など)に合わせて時には軽やかに、時には哀調を込めてしっとりと踊るシーンが心に残りました。「雨だれ」や「別れの曲」などおなじみの曲が『椿姫』のシーンにぴったりマッチする形で使われていることに感銘を受け、ピアノコンサートとバレエ公演が重なったような幸福感を味わうことができました。また、劇中劇で「マノン・レスコー」の踊りがあり、マノンとマルグリット、アルマンとデ・グリューの運命が重なることがうまく暗示されていたと思います(特に、マルグリットが死ぬ場面と、マノンが砂漠で死ぬ場面が幻想的な形で重ねられて演じられていました)。オレリー・デュポンのマルグリットは素晴らしく、最後はスタンディング・オベーションで、何度もカーテンコールがなされました。

Written on 3月 24th, 2014

3月22日に東京の森美術館にラファエル前派展を見に行ってきました。イギリスのテート美術館収蔵のラファエル前派の主だった画家たち(ロセッティ、ミレイ、バーン=ジョーンズ、モリスなど)の絵が一堂に会した展覧会で、その中でもやはりロセッティの《プロセルピナ》は、「宿命の女」の妖しい魅力を湛えていました。この絵のモデルは有名なジェーンですが、それに対して《ベアタ・ベアトリクス》はロセッティの恋人のシダルがモデルで、薄幸の女性というイメージが彼女にはつきまとっていました。同じく彼女がモデルとなった、ミレイの《オフィーリア》も、「宿命の女」とは対極にある「男の犠牲となる女」のイメージとなっています。風景画も展示されていましたが、ラファエル前派は、シェークスピアやダンテ、アーサー王伝説、神話など文学を題材とする詩的な雰囲気を漂わしているのが一番の特徴だと改めて思いました。

10時の開館直後に美術館に行きましたが、祭日ということもあって、切符売り場は朝から長蛇の列で、ラファエル前派の人気ぶりがうかがわれました。それにしても、東京は上野の美術館群や六本木ヒルズなど、あちこちに美術館があって、いろいろな展覧会が開かれているのに、大阪まではなかなか来ず、大阪の文化事業の貧困は嘆かわしい限りです。

Written on 3月 24th, 2014

2月23日(日)に滋賀のびわ湖ホールにアメリカン・バレエ・シアターの『マノン』を家族で見に行ってきました。マノンはジュリー・ケント、デ・グリューはロベルト・ボッレの配役でした。幕間が2回で、約3時間の公演。原作のアベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』の内容とは多少違っている(悪役が老貴族GMのみに集中していること、原作にはない高級娼婦の館のパーティーが付け加わっていること、最後に恋人二人がヌーヴェ・ロルレアンの植民地で逃げるところが砂漠から沼地に変更など)のは、仕方ないことでしょう。バレリーナの身の軽さと動きの優雅さには本当に感銘を受けました。マノンの兄役の

エルマン・コルネホも踊りの切れが良かったと思います(ただ、少し背が低いのが残念でしたが)。踊りとしては、デ・グリューの留守の間にマノンの兄の手引きでGMがやってきて、彼女を豪華な贈り物で誘惑する場面で、二人の男性が彼女を持ち上げ、足を取って舞台の端から端まで動かすところ。びわ湖ホールはびわ湖に面したいい所ですが、交通が不便で、17時開演で20時終演だと、夕食をとる店がなくて少し困りました(仕方がないので幕間にサンドイッチを食べて夕食としました)。フランスだと、劇場がはねてからレストランに行くのですが。。。

Written on 3月 4th, 2014

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