村田京子のホームページ – blog

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業公開講座の聴講生の方々との恒例の食事会に行ってきました。今回は天王寺の「月日亭」での食事会で、総勢22名で楽しいひと時を過ごすことができました。参加者には既に80歳を越えておられる方もいらっしゃって、「なかもず」駅から大学まで15分~20分の道のりを毎回徒歩で通われ、15回の授業に欠かさず出席されているのにはいつも脱帽しています。皆さん、様々な分野に興味を持っておられ、その豊かな好奇心のおかげで若々しく元気に過ごされているのだと思います。私も少しくたびれてきましたが、聴講生の皆さんの活力を少し頂いて、講座を続けていきたいと思います。写真の皆さんの笑顔が眩しいくらいです。今回の幹事さん(人見さん、梅村さん)、ご苦労様でした。

Written on 9月 5th, 2015

京都市美術館で開催されている「ルーヴル美術館展」と同じく同時開催している「ルネ・マグリット展」を見に行ってきました。ルーヴル美術館展はアカデミー絵画でも下位に位置し、絵の大きさも小さいため、あまり注目されてこなかった「風俗画」(庶民の日常生活を描いたもの)にクローズアップしたものでした。「風俗画」と言えば、17世紀オランダ絵画が一番に思い浮かびますが、この展覧会ではそのルーツとして古代エジプト、ギリシア、ローマの壺がプロローグとして展示され、その後、絵画のジャンルの説明として「歴史画」(神話、聖書を題材にしたもの)があり、「労働と日々」として商人や農民などを描いたものが続きました。その中で興味を引いたのが、マセイスの《両替商とその妻》(写真左)。金貸しは重りと硬貨、宝石、真珠の価値を天秤で量っているところで、解説によると「魂の重さ」を喚起させます。妻は時祷書を広げているものの、視線は夫の手先にあり、お金の方に関心が向いている様子。後景の物はそれぞれ象徴的な意味を持っている(消えた蝋燭、果物は原罪の暗示とか)そうです。写実的な描写の中に象徴性(宗教性)が見出せる絵画で、しかも鏡に映り込んだ光景(窓の外の風景および窓の傍らに立つ人物)が素晴らしい!今回の目玉はフェルメールの《天文学者》(写真右)―《地理学者》と対をなす―でしょうが、これは1996年にデン・ハーグでフェルメール作品21作が一堂に会した時、すでに見たのであまり感動はありませんでした。しかしフェルメールの「青」は吸い込まれるような色で改めて感動しました。17世紀のオランダ風俗画に触発されて描いたのが19世紀の画家ドロリングの《台所の情景》(写真中央)で、この当時、オランダ絵画のリヴァイヴァルがフランスで起こり、文学においてもバルザックの作品をはじめとして「私生活」が脚光を浴びるようになるわけです。「アトリエの芸術家」のコーナーではシャルダンの《猿の画家》(モデルを模写するだけの「猿まねの画家」という意味)が皮肉がきいていて面白かったです。

一方、マグリット展ではさすがシュルレアリスムの画家! タイトルと絵の内容が一致せず、しかし哲学的な思惟が感じられる絵画でした。マグリットの場合、幾つかの気に入りのパターン(「青空に白い雲」「山高帽の男性」「きり絵細工のような人間」)を組み合わせた構図が多かったですが、その中で一番印象に残ったのは《ピレネーの城》(写真右下)で、海の上に浮く大きな岩石の上に石の城が乗っているのがシュールでインパクトがありました。

美術鑑賞の後は、八坂神社の境内にあるフレンチレストラン「ランベリー」でランチをとりました。この店は青山にある店(ミシュラン1つ星)の姉妹店だそうで、昨年4月から老舗料亭「中村楼」の一画に新しくできたレストランだそうです。さすが京都祇園の店だけあって、和の食材を洋にうまく活かし、見た目も味も素晴らしいものでした。特に変わっていたのが前菜としてでた「長野県天竜川の清流で育った鮎」(写真左)で、鮎の臓物を抜いてコニャックで洗い、それを焼いたもので、英語新聞(できればル・モンドかフィガロに包んで欲しかったですが)に包んで登場。そのままたで酢のソースにつけて齧る、というもので鮎の食べ方としてとても新鮮でした!メインは「淡路島産スズキのロティ」に大麦のリゾット、「若鶏の炭火焼きと水ナスのマリネ」(写真右)。特に鶏肉はあっさりした胸肉部分を炭火で焼き、クミンとコリアンダーの入ったソースにつけて食べる、というのが実に絶妙な味でした(すごく弾力のある肉でした)。デザートの白桃のコンポートはピンクの可愛い盛り付け。どの料理もバターや生クリームなどを使った、かなりこってりした伝統的なフランス料理ではなく、和のテイストのお腹にやさしい料理でした。京都は相変わらず観光客で賑わっていました。

 

Written on 8月 23rd, 2015

フランス映画「ボヴァリー夫人とパン屋」(アンヌ・フォンテーヌ監督)を「テアトル梅田」で見てきました。映画の主人公は、パリで12年間出版社に勤務した後、ノルマンディーの田舎に戻り、父のパン屋を継いで静かに暮らしていたマルタンで、彼の隣の家にイギリス人夫婦チャーリー・ボヴァリーとジェマが移ってきてからの騒動がマルタンの眼を通して描かれています。英語名のチャーリー(Charlie)は、フランス語名のシャルル(Charles)とほぼ同じ、ジェマ(Gemma)も一字外せばエンマ(Emma)になり、若い美貌の女性でフロベールの『ボヴァリー夫人』の主人公夫婦とぴったり重なり、しかも小説の舞台も同じくノルマンディーで繰り広げられるだけに、小説好きのマルタンとすれば、小説と同じ不倫の物語が展開されるのではないかと興味津津でジェマの動向を観察する筋書きとなっています。さらに初老のマルタンもジェマの官能的な仕草に惹かれており、パン生地を練る場面はエロチックな香りを漂わせていました。彼女を巡る3人の男たち(夫、年下の美青年エルヴェ、昔の恋人パトリック)との絡みは、マルタンから見れば、エンマの恋愛遍歴(ロドリック、レオン)と重なり、エンマが最後に砒素を飲んで死ぬという悲劇が再現されるのではと、マルタンが心配する場面は滑稽であると同時に、見ている私たちにもその不安が伝わってきました。特に印象に残ったのは、映画の後半でジェマがマルタンに向けていう「私はボヴァリー夫人ではない。自分の道を生きていく」というセリフ。それだけに、最後の思いがけない結末には少しあっけに取られました。それとは正反対の結末(ジェマの自立)の方が納得できたのですが。。。ただ、ボヴァリーが去った後の空き家に越してきた隣人がロシア人で「アンナ・カレーニナ」という名前の女性だと息子から聞いた(これは全くのデタラメ)マルタンがまた妄想を膨らませる場面で映画が終わるのは、何ともフランスらしい喜劇と言えるでしょう。名優ファブリス・ルッキーニが知的かつ覗き見趣味(といっても、いやらしくは見えない)男の滑稽さと哀愁を見事に演じていました。

Written on 8月 7th, 2015

同僚が京舞井上流(祇園の芸妓さんや舞妓さんが習い、「都おどり」でも披露される特色のある日本舞踊)の名取で、その同僚の誘いで先日、日本国宝に認定された、五世家元井上八千代さんのお弟子さんたちのおさらい会(「舞さらえ」)に寄せてもらいました。いつも年始年末に芸妓さんたちが井上さんのお宅にあいさつに来る様子がテレビで映りますが、そのお家の舞台で行われるので、今回で3回目とはいえ、格子戸をあける時は期待感でわくわくしながらも緊張します。師匠の八千代さんはいつも舞台に面した畳(絨毯がひいてある)の真ん中に座って、お弟子さんたちの踊りを身振り手振りでなぞらえながら見ておられ、その肩越しに見る姿(写真左)は、手や肩の動きが滑らかで美しく、本当に魅了されます。お弟子さんとしては逆に、師匠を前にして緊張のあまり、間違えるのではないかと恐怖に襲われることでしょう(実際、名取の方々といえども扇子を持つ手が少し震えていました)。毎年、浴衣を新調するそうで、今年は「とんぼ」の図柄でした(帯はそれぞれ自前のものだそうです)。皆さん、さすがに軽やかな足取り、腰でしっかり回る姿がぴったり決まっていて、手の先から足の先まで神経が行き届いていました。同僚の踊りは今年は「きぎす」(雉の意味とか)で、両足を小刻みに動かしながら回るところ、さらに扇の要に指をかけてぐるぐる回す(これは、下手をすると手から離れて飛んで行ってしまう恐れがあるそうです。ちなみに扇は能の人間国宝の方が使ったものとか)、イナバウアーのように背中を反らしてポーズするなど、見どころが満載でした(写真右)。

夜は同僚も含めて友人たちと近くの割烹料理「さか本」で夕食を食べました。最初は小さな器に入った「おかゆ」で暖かいもてなし。どの料理もおいしかったですが(前菜には鰻を胡瓜で巻いたもの、甘鯛のちまき:写真下左)、夏の京都ということでやはり鱧がメインともいえ、「お造り」として、少し火に炙った鱧および「鱧ソーメン」、最後に「鱧寿司」(写真下右)が出ました。小さなお店ですが、窓越しには白川が流れ、お花見の季節にはなかなか予約が取れないそうです。祇園のお店らしく、芸妓さんたちの団扇が飾ってありました。左正面を向いているのが店のご主人(写真下)。炎天下の京都でしたが、おかげで京都らしい一日を過ごすことができました。

Written on 7月 28th, 2015

パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に、ジョット(1266-1337)のフレスコ画があるというので見に行きました。パドヴァ駅から徒歩10分くらいに大きな公園があり、その一画に礼拝堂およびエレミターニ市立美術館があります。ジョットの絵を見るにあたっては、完全予約制でインターネットで時刻を予約し、その時刻までに美術館に着いて切符に交換する必要があります(1回に入れるのは20人程度)。礼拝堂の前で待機し、時刻が来るとまず小さな部屋に通され、ビデオで10分間説明を聞きます。その後の10分間で礼拝堂を見る、という仕組みになっています。訪れた日は35度を越す暑さでセミがしきりに鳴いていました(紫陽花も咲いていて日本の梅雨と真夏が一緒にきたような気分です)。このフレスコ画は1303年~05年にかけて描かれたもので、さすが、ジョットの「最高傑作」とみなされるに値する素晴らしいものでした。イエス・キリストおよび聖母マリアの生涯が描かれていますが、特にその美しい青が目を引きます(写真左)。「キリストの生涯」の中でヨハネの前に姿を現わす天使(写真右)が印象的(天使の顔や翼は詳細に描かれているのに、胴体の部分がぼやけていて、逆に天使の軽やかな動きが感じられます)。もう一つ印象に残ったのは、やはり「最後の審判」(写真下)で、特に地獄では怪物(映画「スターウォーズ」にでてくるジャバのような怪物)およびドラゴンが人間を食っている場面は衝撃的でした。この「最後の審判」は15世紀のフランドルの画家ヒエロニムス・ボスを彷彿とさせるものでした。案内係が説明してくれるのですが、イタリア語なのでよくわからず、それが残念でしたが、ジョットの絵を堪能できました。

お昼はスタンダールの『パルムの僧院』にも出てくるカフェ・ペドロッキ(1831年創業)―当時、文化人、芸術家が集ったカフェとのこと―でスモークドサーモン・サラダとミントの入ったカプチーノを飲みました。

Written on 7月 7th, 2015

ヴェローナから列車で1時間余りのところにヴェネツィアがあります。今回は、ジョルジュ・サンドと彼女の恋人アルフレッド・ド・ミュッセがヴェネツィアに旅をした時(「ヴェネツィアの恋」で有名で、映画にもなっています)、二人が泊まったダニエリホテルを訪れました。このホテルは14世紀末に建てられた総督邸をホテルに改造したもので、豪華なゴシック様式の館がそのまま残されています(今では5つ星デラックスホテル)。ロビーのシャンデリアが当時の面影を残していて、昔ながら雰囲気を保っています(写真左)。二人が泊まったのは2階の10号室。残念ながら客が入っているので内部は見せてもらえませんでしたが、ドアの前まで案内してもらいました。さらに、14世紀当時のままのサロンも見ることができました。最上階のテラスレストランから見たヴェネツィアの風景は絶景でした(写真右)。サンドたちも同じ光景を見たのだと思うと感激も倍増です!今回はヴェローナでのシンポジウムの合間にヴェネツィアに足を伸ばしたため、半日しか時間が取れず、あとはアカデミア美術館に寄り、ティツィアーノの聖母マリアの少女時代を描いた《聖母マリアの神殿奉献》(写真下左)を見るだけで時間切れとなりました。この作品は、バルザックが『村の司祭』で言及しているもので、女主人公ヴェロニックが幼い頃、この絵の聖母マリアに喩えられ、将来の美貌が約束されていたのが天然痘によって顔にあばたができて醜くなる筋書きとなっています(ただし、心から感動した時、真の愛情を抱いた時には昔の美貌が蘇るというもの)。他にもティントレットやベリーニなどヴェネツィア派の絵画が収容されていました。ヴェネツィアはすでにバカンス客で一杯で、水上バスも満杯、水路にはゴンドラが多く通り過ぎていました。次回は是非、ダニエリホテルに泊まって、ゆっくりヴェネツィアを満喫したいと思います。

Written on 7月 5th, 2015

ヴェローナ大学でのシンポジウムの折に、ヴェローナの町の観光をしました。まず、ヴェローナと言えばシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の舞台となったところで、「ジュリエッタの家」というのがあります(シェイクスピア自身はヴェローナに一度も来ていないようですが)。旧市街の中心、エルベ広場の近くの建物で、入口のアーチ型の壁にはぎっしり落書き(自分の名前と恋人の名前を書いてある)に覆われていました。その奥にジュリエッタの像(写真左)があり、その乳房に触れると恋愛が成就するそうで、多くの若者たちが列をなして像に触っていました。ロミオがよじ登ったバルコニーも一応ありますが、少し小さい気がしました。さらに町はずれには「ジュリエッタの墓」というのもあり、空の石柩がおいてありました(ただ、屋敷の雰囲気は花が咲き誇る中庭があってなかなかロマンチックでした)。次にカステルヴェッキオを訪れました。ここは14世紀に建てられたスカラ家の居城で、現在は14世紀~18世紀のヴェローナ派の絵画が展示されている美術館となっています。聖母子像がほとんどで、さすがカトリックの国イタリアだと関心しました。お城からは、のどかな風景が広がっていました(写真右)。

ヴェローナはさらに、アレーナ(紀元1世紀に建造された円形闘技場)で野外オペラが開催されるので有名で、ちょうどヴェローナ滞在中の土曜の晩に「アイーダ」(ヴェルディ作曲、フランコ・ゼフィッレリ演出)があり、見てきました。夜9時から上演の予定でしたが、8時頃から土砂降りの雷雨となり、果たして上演されるのか不安な面持ちでホテルで待機。幸い、雨は10時頃には止み、10時過ぎに開演となりました。観客席は雨でびしょぬれでしたが、劇場の方でタオルで拭いてまわる、といったこともなく、観客それぞれが椅子を拭いて座る、というものでした。観客も雨にも関わらず、華やかに着飾ってデコルテのロングドレスやスーツ姿の人も多く見受けられました。舞台装置は豪華で、エジプトを舞台とするこのオペラでは巨大なピラミッドにスフィンクス像(写真下)、ピラミッドの中心が開いて人物が登場、その人数も大勢でバレエも演じられ、とりわけ有名な第二幕の「凱旋行進曲」は圧巻でした。観客1万2千人の野外劇場でマイクなしにオペラの曲を歌うのは歌手にとっても大変なことだと思います(かの有名なマリア・カラスもこの劇場で歌うのを恐れたとか)。今回のアイーダ役の女性は細身の小柄な人で、ソプラノの声が少し弱い気がし、それに対して敵役のエジプト王の娘の方が衣装も豪華、メゾ・ソプラノの声がよく響いて主役より印象に残りました。ただ夜中12時を過ぎると冷え込みが厳しく、風邪を引きそうになったので、残りの第三幕、四幕は見ずにホテルに戻りました(オペラが終わったのは1時過ぎだったそうです)。次回は寒さ対策を十分して野外オペラに臨みたいと思います。

Written on 7月 5th, 2015

大阪で開催された第25回シャンソン研究会に出席しました。今回の研究発表は盛りだくさんで、高岡優希氏の「ジャン=ジャック・ゴールドマン―マイノリティーへの眼差し」、大岩昌子氏の「シャンソンに惹かれるのはなぜか―その動機付けに関する世代別考察」、青柳りさ氏の「ボードレールを歌う―朗読、クラシックからシャンソン、ボサノバまで」、加藤修滋氏の「日本のタンゴの母がシャンソンの母となった日」の4つの発表が、午後2時から6時まで80名ほどの大勢の聴衆の前で行われました。どの発表も興味深いものでしたが、とりわけ高岡氏のゴールドマン(写真)の社会派の一面をクローズ・アップした発表が印象に残りました。彼の父親がナチス時代に、ポーランドからフランスに亡命したユダヤ系移民であったこともあり(といってもゴールドマン自身はユダヤ教の宗教教育とは無縁で育ったそうですが)、ショアーの記憶を歌ったComme toi (『お前のように』)、セリーヌ・ディオンが歌って800万枚を越える売上げを記録したLa Mémoire d’Abraham(『アブラハムの記憶』)、またドイツ人の母を持ち、ドイツとの国境近くのロレーヌ地方で育った歌手パトリシア・カースに提供した曲 Une fille de l’est(『東から来た娘』)、さらには喜劇役者Colucheがホームレスなど極貧にあえぐ人たちにクリスマスシーズンに暖かい食事を提供するために組織した団体への寄付のためにゴールドマンたちが企画したチャリティーショーの曲Chansons Les restos du cœur(『心のレストラン』)などの紹介がありました。フランスでは伝統的に、作家や歌手など芸術家が社会参加をし、時には体制批判や貧しい人々への連帯の眼差し、人種を越えた融合、平和を願う気持ちを表わした作品が多く見られますが、ゴールドマンのような流行歌手がここまで社会派であったとは、知りませんでした。やはり、シャンソンは言葉(paroles)が重きをなす歌だということを改めて認識した次第です。それは、青柳氏の発表でも同様で、19世紀の詩人ボードレールの詩(『悪の華』)がいまだに様々な歌手が独自に歌い続けていることに感銘を受けました。

Written on 6月 7th, 2015

連休中に、家族で近くの和食料理店「浪漫」に食事をしに行きました。5月の献立は柏餅、ちまき(中はそれぞれ寿司飯に穴子の白焼き、麩を巻いたものが入っているという、凝ったもの)、ウドやわらびをつかった料理や、豆ご飯(えんどう豆を少しゆでて皮を丁寧に向き、ご飯と一緒に炊き上げたもので、豆がすごく柔らかくおいしかったです!)など、旬の野菜を使った料理でした。特に前菜(写真左)は、トマトを絞ったジュース(グラスの縁に塩がまぶしてある)、あさりを煮たもの、ウドと新牛蒡の酢の物、ナスとサーモン(軽く炒めた新玉ねぎの上に載せてある)が色鮮やかで見た目もさわやかでした。さらに圧巻は、鮎のから揚げ(写真右)。小さい鮎(生きたまま)に小麦粉をまぶして油で揚げたもので、鮎が皿の上で泳いでいるような風情でした。料亭の味よりも、「おばあちゃんの料理」を主張する店の主人の言葉通り、丁寧に出汁を取り、素材を活かしたほっこりとする料理を満喫しました。

Written on 5月 6th, 2015

5月の連休に、大学時代の友人の送別会を兼ねて、大阪、肥後橋近くの大ビル内のレストランに食事に行きました。さすがに連休中ということもあり、大阪市内はいつもより車も人も少なく、夏のような日差しの中、淀屋橋から堂島川をゆっくり歩いて店に向かいました。川沿いの薔薇もこの陽気ですでに満開。建物内は、5月5日の子どもの日に合わせて色鮮やかなこいのぼり(写真左)と馬、変わったオブジェ(写真右)が陳列されていました。店は「ヴァリエ」というフレンチレストランで、料理はどれもおいしかったですが、特に前菜の「リー・ド・ヴォーのモリーユ茸ソース」と、メインの旬の愛媛産鯛(写真下左)が印象に残りました(肉料理のメインは「ビュルゴー鴨網焼き」)。デザートは2種、さらにコーヒーのおともに小菓子が出る、という贅沢なものでしたが、特に「マンゴプリン キンカンデコポンゼリー、ヨーグルトシャーベット」(写真下右)が見た目も涼しく、すっきりとした甘さで大満足でした。大学を卒業以来、~十年が経ちましたが、いまだに友達づきあいができているのをこれからも、大切にしていきたいと思っています。

Written on 5月 4th, 2015

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