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3月22日に東京の森美術館にラファエル前派展を見に行ってきました。イギリスのテート美術館収蔵のラファエル前派の主だった画家たち(ロセッティ、ミレイ、バーン=ジョーンズ、モリスなど)の絵が一堂に会した展覧会で、その中でもやはりロセッティの《プロセルピナ》は、「宿命の女」の妖しい魅力を湛えていました。この絵のモデルは有名なジェーンですが、それに対して《ベアタ・ベアトリクス》はロセッティの恋人のシダルがモデルで、薄幸の女性というイメージが彼女にはつきまとっていました。同じく彼女がモデルとなった、ミレイの《オフィーリア》も、「宿命の女」とは対極にある「男の犠牲となる女」のイメージとなっています。風景画も展示されていましたが、ラファエル前派は、シェークスピアやダンテ、アーサー王伝説、神話など文学を題材とする詩的な雰囲気を漂わしているのが一番の特徴だと改めて思いました。
10時の開館直後に美術館に行きましたが、祭日ということもあって、切符売り場は朝から長蛇の列で、ラファエル前派の人気ぶりがうかがわれました。それにしても、東京は上野の美術館群や六本木ヒルズなど、あちこちに美術館があって、いろいろな展覧会が開かれているのに、大阪まではなかなか来ず、大阪の文化事業の貧困は嘆かわしい限りです。
2月23日(日)に滋賀のびわ湖ホールにアメリカン・バレエ・シアターの『マノン』を家族で見に行ってきました。マノンはジュリー・ケント、デ・グリューはロベルト・ボッレの配役でした。幕間が2回で、約3時間の公演。原作のアベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』の内容とは多少違っている(悪役が老貴族GMのみに集中していること、原作にはない高級娼婦の館のパーティーが付け加わっていること、最後に恋人二人がヌーヴェ・ロルレアンの植民地で逃げるところが砂漠から沼地に変更など)のは、仕方ないことでしょう。バレリーナの身の軽さと動きの優雅さには本当に感銘を受けました。マノンの兄役の
エルマン・コルネホも踊りの切れが良かったと思います(ただ、少し背が低いのが残念でしたが)。踊りとしては、デ・グリューの留守の間にマノンの兄の手引きでGMがやってきて、彼女を豪華な贈り物で誘惑する場面で、二人の男性が彼女を持ち上げ、足を取って舞台の端から端まで動かすところ。びわ湖ホールはびわ湖に面したいい所ですが、交通が不便で、17時開演で20時終演だと、夕食をとる店がなくて少し困りました(仕方がないので幕間にサンドイッチを食べて夕食としました)。フランスだと、劇場がはねてからレストランに行くのですが。。。
今年3月に卒業する卒論ゼミ生、川人さんと菊田さん、院生の井下さん、フランスからの留学生ボフォさんと5人で、2月21日(金)に「卒業お祝い」の食事会をしました。場所は、難波のクレープリー・アルションで、ガレットの専門店です。さすが、女の子の好きなクレープとガレットの店なので、店のほとんど女性客で、華やいだ雰囲気でした。まず、シードルで乾杯した後、メニューはカリフラワーのポタージュ、前菜(サラダとラタトゥイユのキッシュ)、ガレット・プロヴァンス(生ハム、モッツァレーラ、ラタトゥイユ入り)にデザートはクレープ・モンブラン(クレープ+アイスクリームの上にモンブラン風の飾りつけ)とフルーツティーのアルション・ブルー。どれもおいしく、フランスで食べたガレットを思い出しました。ボフォさんは南仏出身なので、少しなつかしい料理だったかもわかりません。卒論ゼミ生の二人は4月から新たな人生の門出で、社会に出てもがんばってもらいたいものです。
2月9日に神戸市立博物館の「ターナー展」に行ってきました。ターナーは18世紀後半からf19世紀前半を生きたイギリスの風景画家で、まず、イギリスの壮大な海の光景を描いています。イタリアに旅した時に描いたローマの光景は、ルネサンスの巨匠ラファエロが絵画の中に描かれる、幻想的な風景となっています(左図:《ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ》)。ターナーは人物像は苦手、というよりもきちんと目鼻立ちが描きこまれていないのもあり、ぼんやりとした塊でしかない、という絵もあって、かえって面白かったです。また、バイロンの小説から題材を取った《チャイルド・ハロルドの巡行》(右下図)には、イタリアの楽園のような美しい自然が描かれています。ターナーの松の木は、夏目漱石の『坊ちゃん』にも言及のある、有名なものです。あと、印象に残ったのは、水浸しのヴェニスの街など、水が多く描かれていること。晩年になると、輪郭のない、混沌とした色のタッチで、印象派の先駆けと言われるゆえんでしょう(左下図:《海に沈む夕陽》)。ターナーは「水と光の画家」と言えると思います。
1月31日に、名古屋に仕事で行った帰り、名古屋駅から東海道線で2駅のところにある金山駅の近く、ボストン美術館に行ってきました。ちょうど葛飾北斎の浮世絵展を開催中で、ボストン美術館にしかなお北斎が出品され、「初来日も多数」ということでした。おなじみの《富嶽36景》から赤富士や、富士山を背景に、大海原に翻弄される小舟の描かれたダイナミックな《神奈川沖浪裏》もありましたが、その他にも花鳥シリーズがあり、その緻密で精巧なデッサンと色彩の美しさが印象に残りました。さらに屋敷を描いた版画では、西洋の遠近法が使われていて(少し不十分ですが)、北斎が西洋絵画に興味を抱いていたことがわかりました。また、北斎の娘、お栄(画号:応為)の作《三曲合奏図》が眼を引き、楽器に集中する女性たちの表情が生き生きと描かれていました。
葛飾応為《三曲合奏図》
2013年12月21日に家族で金沢に旅行に行きました。21日は金沢市の手前、加賀温泉駅で下車して、金沢在住の友人の推薦の旅館「法師」で一泊。 1300年前の養老2年開湯という老舗旅館で、お庭が素敵なところで、私たちが泊まった部屋は3部屋あり、広々とした部屋でした(写真左は「法師」玄関)。温泉は透明無臭。夕食は 「のど黒懐石」(写真右)ということで、高級魚のど黒(初めて食しました)が出てきました。のど黒は目玉がぎょろっとしていて、少しグロテスクだったのですが、美味で二度びっくり!お造りもおいしく、料理を満喫しました。
翌日22日は、金沢市内の21世紀美術館へ。ドーム状の近代的美術館で、美術館前の広場には、カラフルな迷路状のオブジェがあり、そこに入ると、見る場所によって背景の色が変わる、というもの。中の人物も美術のオブジェに変わり、面白かったです(写真左)。中では「ボーダーライン」というタイトルのコレクションが開催され、身体の内と外の関係、さらに自己と他者、国境、民俗、ジェンダーなどの様々な境界の越境を目指したものでした。もう一つ、柿沼康二の「書の道」展が開かれていて、吹き抜けの高い壁一杯にダイナミックな書が展開されていました。
次に訪れたのは、兼六園で、冷たい雨の中、広い庭園を回りました。すでに、「雪吊り」が松に設置されていました。池に映る木の影がなかなか良かったです。最後に近江市場を訪れました。師走とあって、買い物客でごった返しており、カニが所狭しとあり、圧巻でした!
2013年度日本フランス語フランス文学会秋季大会が九州の別府大学で、10月26日、27日の二日にかけて開催されました。26日には、フランスのAix-Marseille大学のBruno Viard教授が « Rousseau, le romantisme … et George Sand » というタイトルで特別講演をされました。ヴィアール先生は、父子二代にわたってフランスの共和派社会主義の思想家・哲学者のピエール・ルルー(Pierre Leroux)を研究され、ロマン主義文学にも造詣が深い方です(昨年、白水社[文庫クセジュ]から、ご著書の翻訳『100語でわかるロマン主義』が出版されました)。今回の講演では、ロマン主義を7つの特徴(信仰心、自然感、現実逃避、自殺願望、情熱的な愛、革命志向、芸術至上主義)で要約し、ルソーとも関連づけながら「高揚 (exaltation)」というキーワードで分析されました。氏によれば、ロマン主義作家たちは、個人/社会、自由/平等、利己主義/利他主義の間で、どちらか一方に傾く二元論であるのに対し、個人主義と社会主義を調和させ、弁証法的な解決を目指したのが、ピエール・ルルーでありました。そして、ルルーの影響を受けたサンドも同じ立場に立ち、彼女の『歌姫コンシュエロ』と『ルードルシュタット伯爵夫人』はまさに、ルルーの『人類について』の小説版であると述べられました。確かにサンドは、1848年の2月革命の時に共和派として政治に積極的に参加するものの、急進的なフェミニズム運動を展開していた『女性の声』紙のメンバーとは一線を画す、という一見矛盾した態度を取っていますが、これで納得がいきました。ヴィアール先生の講演は、非常に明晰でわかりやすく、様々な視点から活発な質疑応答がなされました。
26日の学会の前日の25日に、ヴィアールご夫妻を囲んでの懇親会が開かれ、ヴィアール先生を日本に招聘された中央大学の永見先生と、サンド研究会の有志が参加しました(写真はその時のものです)。会場は別府駅から車で5分の「白菊」別館「浜菊」という料亭で、洗練された料理だけではなく、庭に面した日本式の座敷にも、建築家の奥さまが大変気に入っておられました。ヴィアール先生は9年前の2004年のサンド生誕二百周年を記念する国際シンポジウムの際に来日されて以来、2回目の日本訪問となりました。前回は参加者が多くてあまりお話ができませんでしたが、今回はサンドやバルザックについてじっくりお話ができ、楽しいひと時を過ごすことができました。
神戸市立美術館で開催されているプーシキン美術館展に行ってきました。17世紀古典主義、18世紀ロココ主義、19世紀の新古典主義、ロマン主義、自然主義および印象主義、20世紀のフォーヴィスム・キュビスム、エコール・ド・パリと17世紀から20世紀にかけてのフランス絵画史を網羅する作品展でした。展覧会の目玉のルノワールの《ジャンヌ・サマリーの肖像》でのピンク色の背景に夢見るような女性の表情は、想像した以上に明るい色調で魅力的でした。ブーシェの《ユピテルとカリスト》の鮮やかな青と赤の色調とその官能性、ゴッホの《医者レーの肖像》の青、緑、黄、オレンジの色鮮やかな配色の妙、アンリ・ルソーの《詩人に霊感を与えるミューズ》における詩人アポリネールとマリー・ローランサンのカップルの堂々とした姿(二人ともでっぷりとした体格で、現実のイメージとは違いますが)が印象に残りました。
その中でも 現在、関心を持っているテオフィル・ゴーチエとの関連で、 私が注目したのは、ドミニク・アングルの《聖杯を前にした聖母》(左図)と、ジェロームの《カンダウレス王》(右図) でした。 ゴーチエがアングルを評価しているのは、その人物像の輪郭がはっきり定まっていることで、聖母マリアの顔、首、手の輪郭が浮かび上がって見えるこの絵はまさに、その典型と言えるでしょう。また、ジェロームの絵はゴーチエの小説「カンダウレス王」にインスピレーションを得て描いたものです。ゴーチエの小説は、ヘロドトスの『歴史』を典拠とした物語―古代リュディアの王カンダウレスがペルシアのニュシアを妻に迎えるが、その完璧な美しさを崇拝するあまり、「羞恥心」の強い妻に秘して部下のギュゲスを寝室に隠し、彼女の裸体の美しさを確かめさせるが、それに気付いたニュシアが王への復讐としてギュゲスに王を暗殺させる―で、ジェロームの絵は、ニュシアの美しい肉体をじっと見つめる王と、衝立の後ろに隠れたギュゲスに合図を送るニュシアの後ろ姿が描かれています。こうした緊迫した場面の中で、ニュシアの「輝くような裸体」を鑑賞者が覗き見することができる、という趣向となっています。
ちょうどゴーチエの小説を研究している時に、ジェロームのこの絵を間近にみることができ、本当に来てよかったと思った瞬間でした。
毎年、大阪府民に公開している授業公開講座の皆さんと総勢20名で、9月3日に箕面の川床料理を味わいに出かけました。前日から大雨で、当日も天気予報では雨でしたが、幸い、「晴れ女」が大挙して出かけたため、山道を歩いている間はほとんど雨が降らず、食事をしている間だけ、集中豪雨のような雨でした。「磯よし」という懐石料理のお店で、夏・秋に川沿いに張り出した席でお食事ができる、という趣向で、今回ははも尽くし(湯引きしたはも、はもの天ぷら、はも鍋など)の料理(はもは言うに及ばず、鍋のだし汁が絶品でした!)をいただきました。幹事の大住さんが差し入れて下さったワインともぴったりあって至福のひと時でした。食事が終わった頃、雨が止んだので、店から20分ほど山道を歩いて大滝見物。8月は猛暑のため、滝の水もだいぶ減っていたようですが、このところの雨で水量も多く、ものすごい勢いで迸る滝は迫力満点でした(マイナスイオンも十分味わった気がします)。夏の疲れが癒された一日でした(写真左は院生の井下さんと、右は公開講座聴講生の方々と大滝の前で)
6月23日にパリのオルセー美術館を訪問しました。日曜とあって、美術館の前は長蛇の列で、途中、雨が降る中、1時間待ちでやっと中に入れました。ちょうど、L’Ange du bizarre. Le romantisme noir de Goya a Max Ernstという特別展の最終日で、さっそく特別展を見てきました。悪魔や魔女、吸血鬼や怪物、幻想的風景を扱った暗黒小説的雰囲気の絵をゴヤやロマン主義のフュースリ、ユゴー、フリードリッヒ、ドラクロワ、象徴主義のギュスターヴ・モロー、 ムンク、ロップス、シュールレアリスムのエルンストやポール・クレーにいたるまでの怪しげな絵画を一堂に会し、非常に圧巻でした!最終日とあって、人でぎっしりで熱気溢れる美術展でした。 念願のローザ・ボヌールの《ニヴェルネー地方の耕作》(バルビゾン派のコーナーに展示されていました)も十分、見ることができました。ただ時間がなく、5階の印象派のコーナーを十分見ることができず、また次回見ることにしました。
左はJulien Adolphe Duvocelle, Crâne aux yeux exorbités et mains agrippées à un mur (1904)