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3月14日に開催された「国際女性デー・シンポジウム」に参加しました。「日仏両国の男女平等法制を比較・検証を通して、男女平等を現実化するための条件は何か、法にどう実効性をもたせるか、男女平等政策を社会にどう浸透させるのかを考え」る、とポスターにあるように、まず、2014年8月にフランスで採択された「女性と男性の実質的平等のための法律」(Loi pour l’égalité réelle entre les femmes et les hommes)がどのような趣旨なのかを東北大学の糠塚先生が解説され、その女男平等政策の推進体制については独協大学の井上先生からお話がありました。さらに日本大学の松島先生、神尾先生がそれぞれ日本の男女平等関連法の紹介および男女平等政策の推進体制についてのご報告がありました。まず興味深いのは、フランスと日本で「男女」の順番が逆であること!です。フランスの法案では「女性と男性の平等」すなわち「女男平等」としているところ、日本では「男」が先にきて「男女平等」となっています。私たちも常日頃、「男女別」「男女平等」「男女間」といった表現に何の違和感も感じなかったのですが、確かになぜ「男」が先に来るのか、という疑問を抱かせる仕組みがフランスの法案名にあると思います。さらに「実質的 (réelle)」という言葉を法案のタイトルにわざわざ付け加えているのも、「法の下での平等」は長らくスローガンとして掲げられているにも関わらず、実質的には職業上も家庭内においても女性が男性と平等の立場になっていないケースが多く見られる、という現状を認識したものと言えます。その点では日本ではまだ行政において家事・育児を主に担うの女性で、男性はその「お手伝いをする」といった認識がいまだに残っていて、フランスと比べて「実質的平等」意識にはほど遠いと思います。しかし、一方で、日本国憲法や男女共同参画社会基本法など、日本では男女平等を推進するための法律が整備されているのに対し、フランスでは日本ほど法的な整備がなく、女性政策が組閣のたびに変わる、という状態で日本の方がフランスより先んじているそうです。ただし、公的領域(議員数など)でのパリテ(男女同数)の実現を目指すフランスでは、多くの女性大臣が出現し、政治的領域での女性の進出が目覚ましいのに対し、日本では女性議員や女性管理職の割合が世界的にも低いままに留まっているのは問題だと思います。日本でもパリテ政策を推進するといっても、「誰でも女性であればいい」というわけではなく、その分野に適した有能な女性を養成する仕組みがまず必要となってくると思います。第二部の「男女平等社会へ向けて」の討論では、内閣府男女共同参画局審議官なども加わって活発な意見が交わされました(ただ、時間の都合上、会場との活発な意見交換まで発展できなかったのは残念でした)。聴取者には男性も混じっていましたが、こうしたテーマに多くの男性が参加してくれることを願っています。

 

Written on 3月 16th, 2015

久しぶりにフランス映画「サンバ」を見に行きました。「サンバ」は世界中で大ヒットした「最強の二人 (Intouchables)」の監督エリック・トレダノおよびオリイエ・ナカシュ監督、主役も同じくオマール・シーという取り合わせ。今回は、セネガルからフランスに来て10年目の主人公が、レストランの皿洗いから料理人に採用されることが決まり、やっと滞在許可証(papier)がもらえると喜んだが、不許可の通知が来て、収容所送りとなる、という場面から始まる。移民を支援するボランティア団体で働くことになったアリス(シャルロット・ゲンズブール)との出会い、フランスで生きていくための彼の戦いと、大手の人材紹介会社の幹部として働き過ぎてバーンアウトしてしまい、生きる気力を失っていたアリスが彼との出会いによって笑顔を取り戻していく過程が描かれ、その中で二人の恋愛がゆっくり進展していく、という話になっています。危険な工事現場や高層ビルでの窓ふき、ゴミ収集所でのゴミの分別など、普通の人が嫌がる肉体労働は、こうした低賃金の不法労働者によって担われている現実、さらに10年間真面目に働いても「滞在許可証」がもらえない移民の厳しい現実、警察の一斉検挙を常に恐れてびくびくと生きていかざるを得ない彼らの現実がありのままに描かれていました。その中で、時にはくじけそうになりながらも、笑顔で生き抜くサンバや、「ブラジル移民」ウィルソン(実はアルジェリア人)の逞しさに心を打たれました。特に興味深かったのは、白人のホワイトカラーであるアリスと、不法滞在のアフリカ系移民という社会的に両極端の二人のうち、アリスの方が彼に強く惹かれていること(普通ならば、逆のバターンが多いのに)で、価値の転倒が見られること。また、車の中の二人の会話で、サンバが「ある女性に対して越えてはならない一線を越えてしまった」(収容所仲間の恋人と寝てしまったこと)と、自らを責める言葉を聞いて、自分への愛の告白だと勘違いしたアリスが彼への恋愛感情を打ち明ける場面で、サンバは相手が違うことを説明しながらも、Je vous apprécie beaucoupという言葉を何度も繰り返した場面が心に残りました。apprécierという言葉は「価値を高く評価する、尊重する」という意味で、サンバから見れば、彼女との社会的格差が大きすぎて恋愛の対象としては考えられない、ということがはっきりわかる場面であり、しかも、勘違いした彼女の心を傷つけてはいけない、という思いやりが感じられる場面です。二人の初めての出会いの場面で、強制送還されるかもわからない、せっぱつまった状態で相談に来ているサンバの方が、面接者のアリスの顔色の悪さに気づいてÇa va ?と聞いていることからも彼の優しさがわかります(字幕では「元気?」となっていましたが、「大丈夫?」という訳の方が適切でしょう)。最後にサンバが死んだコンゴ人のpapierを使ってパリで無事、料理人(しかも、国の警備隊 garde républiqueの厨房で働いているのは、かなり皮肉!)の仕事に就く、というのは本当に可能なのか、と不思議に思いました。あと、国外退去を命じるが、「強制退去」ではなく、1年間目立たずに生きていれば、滞在許可証の申請を改めてできる、という制度は、いかにもフランス的だと思いました。この映画を「なんばシネマズ」で見ましたが、席がゆったりして足元も広く、快適に映画を楽しむことができました。

Written on 1月 6th, 2015

11月最後の連休に、三井寺に紅葉を見に行った後、びわ湖ホールでバレエを見てきました。11月初旬の暖かさに恵まれ、三井寺も観光客で一杯でした。入ったのが仁王門からではなく、総門からだったので、順路とは逆方向で回りました。水観寺の前を通って長い階段を登り、観音堂へ。そして、通常は非公開の国宝建築物を特別公開しているというので、まずは勧学院へ。ここは室町時代の武家住宅の典型である「主殿造り」の様式を伝える貴重な書院だそうです。広縁に座って池泉式庭園を眺めると、日頃の喧騒から離れて落ち着いた気分になります。もう一つ、特別公開していたのが光浄院客殿で、狩野派の障壁画、特に金地着色で大松に滝図(写真左)が絢爛豪華でした。また、弁慶が比叡山まで引き摺り上げたという「弁慶の引き摺り鐘」や、霊泉の上の左甚五郎作の龍の彫刻など、見どころは沢山ありました。紅葉も美しく(写真右)、赤や黄色の色とりどりの小道を歩くと、秋の終わりを感じました。三井寺の総本堂である金堂(左下写真)は、桃山時代を代表する名建築とのこと。

三井寺で1時間半くらい過ごした後、電車で3駅目の「石場」で降りて、びわ湖ホールへ。びわ湖に面してロケーションに恵まれた劇場ですが、奈良からだと時間がかかり、交通が少し不便なところにあります。今回は、ボリショイ・バレエ団の《ドン・キホーテ》を見に行きました。ドン・キホーテとサンチョ・パンサはいわゆる狂言回しで、若い恋人たち(キトリとバジル)が主人公で、テンポの早い二人の踊りに加え、闘牛士とフラメンコダンサーの踊り、森の妖精の踊り、スペインの踊り、ジプシーの踊り、ボレロやグラン・パなど息つく暇もないほど華麗なダンスが続き、バレエを満喫できました。今回はキトリ(ドゥルシネア)役はクリスティーナ・クレトワ、バジルがセミョーン・チュージン、エスパーダ(闘牛士)がルスラン・スクヴォルツォフ、踊り子がアンジェーリーナ・カルポワでした。クレトワの踊りは本当に身が軽く、チュージンが高々と彼女を抱える場面でもふわっと宙に浮いている感じでした。チュージンは背はそれほど高くありませんが、ジャンプ力があり、エスパーダ役のスクヴォルツォフは格好よかったです。公演が終わると夜の8時で、一日動いたのでさすがに疲れましたが、充実した一日を過ごすことができました。

Written on 11月 24th, 2014

11月13日夜に「ゾンタクラブ」大阪Ⅱ支部で、18世紀末~19世紀前半にかけてフランスで活躍したジャンリス夫人について、話をしてきました(左の図版はジャンリス夫人が子どもたちにハープを教えているところ;左からジャンリス夫人、ルイ・フィリップの妹アデライド、養女のパメラ)。主にジャンリス夫人の代表作『アデルとテオドール』における女子教育論を取り上げ、ルソーの『エミール』とは違い、女性の劣等性を否定し、男女ほぼ平等の教育を主張したことに彼女の特色があることを述べました。実際に後の国王となるルイ・フィリップの養育掛りとして、彼女はその教育方針を実践しました。また、学問だけではなく、健康・衛生にも気を配り、3歳の女の子にもコルセットをつける当時の習わしに反対をしています。ただ、ジャンリス夫人は、女性に男性と平等の政治的・社会的権利を与えるべきだと主張していたわけではなく、女性の知的能力はあくまでも家庭内に留めるべきだとする良妻賢母主義を説き、そこに18世紀の貴族の女性である彼女の限界があったとも言えます。しかし、理想の教育を論じながら、現実では実子を5人とも捨て子にしたルソーと違い、二人の娘の他に甥や姪、複数の養子、オルレアン家の4人の子どもたちを教育したジャンリス夫人の教育論は、経験に基づいたもので、教育者としての自負がうかがえます。

ゾンタクラブは言わば、ロータリークラブの女性版(下にゾンタクラブのHPを貼り付けておきます)で、メンバーも医者、税理士、弁護士、大学教員など社会の第一線で活躍している女性の方々でした。こうした異業種の方々の前でお話するのは少し緊張しましたが、皆さん、熱心に聞いて下さいました。その後の食事会でも皆さんといろいろお話ができて、楽しいひと時を過ごしました(右下写真は、ゾンタクラブの方々と)。

「国際ゾンタは奉仕と支援を通して全世界の女性の地位向上のために活動する世界的な社会奉仕団体です。1919年11月8日にアメリカ合衆国ニューヨーク州バッファローにおいて設立されました。世界67ケ国に1,200以上のクラブがあり、約30,000人の会員で運営されています。ゾンタクラブの会員は、世界的な友好を通して理解・親善・平和の促進のために共に助け合い、女性の平等の権利、政治的な均等、教育と健康の享受、女性と子供に対する暴力の根絶など、国際ゾンタが提唱するプロジェクトを支援するために活動します。日本のゾンタクラブは、東京Ⅰゾンタクラブが1961年(2014年9月現在67ヶ国16番目の加盟)に国際ゾンタから認証されて52年が経ちました。世界32地区エリアの中、日本は26地区に属し、2014~2016年ガバナー・豊田由起子(東京Ⅱ)氏のもと全国に47クラブ、約1,000名の会員が活躍しています。」(ゾンタクラブHPより http://zonta-d26.jp/

 「ゾンタ」という名前は、アメリカの土着語で、スー族が話していたティトン方言の言葉で、「正直で信頼できる」という意味だということです。私自身、これまでゾンタクラブの存在を知らなかったのですが、ゾンタクラブが日本でも大いに活躍しているということを、もっと多くの人が知るようになることを願っています。

「大阪Ⅱゾンタクラブ第39号(2015年3月)」報告(坂本千代氏)

Written on 11月 16th, 2014

信州大学でのシャンソン研究会の後、松本城に登ってきました。あいにく雨模様の天気でしたが、大勢の観光客が訪れ、お城の中も長蛇の列で進むのも大変な状態でした。松本城は、現存する日本最古の五重天守で国宝となっています。本丸御殿、二の丸御殿は消失されて今はなく、天守のみが残っています(写真左)。天守2階は窓が多くて明るい階で、武士がつめる「武者溜」だったそうで、天守3階は逆に窓がない暗い部屋で外からは見えない構造となっているとか。天守4階が「御座の間」で御簾がかけれれ、城主がいる部屋で、天守5階は重臣たちが戦いの作戦会議を開く場所、天守6階は敵を見張る「望楼」として使われたそうです。それにしても急な階段で、登るのも降りるのも皆、恐る恐るでした。「月見櫓」(写真右)は月見のための櫓で、北、東、南の戸を外すと三方が吹き抜けとなり、朱塗りの回縁で華やかさと開放的な雰囲気が漂っていました。

松本城の後は、そこから歩いて10分のところにある旧開智学校校舎を訪れました。ほぼ松本町民の出資で、明治5年に建てられた擬洋風建築の小学校で、その正面は何ともハイカラな意匠となっています(写真左下)。廊下も広く、回り階段もどっしりしたもので、こうした環境で勉強できた小学生たちが羨ましい限りです。教室には小さな机と椅子が並び、~十年前の小学校時代をなつかしく思いだしました。また、信州に来たのでやはりおそばを食べるのも忘れず、8日の昼は「こばやし」という蕎麦屋で「きのこそば」(写真右下)を食べ、9日は松本城の北にある「もとき」という蕎麦屋で、「もりそば」を食べました。コシがあるそばで、美味でした。今まで知らなかったのですが、「もりそば」と「ざるそば」の違いは、「ざるそば」にはそばの上にノリがかかっている、ということだけでした。

Written on 11月 10th, 2014

府立大学恒例の白鷺祭が10月31日(金)~11月2日(日)まで開催され、私が顧問をしている美術部の展示を初日に見に行ってきました(A5棟1階)。油絵やアクリル画、水墨画を思わせる絵や、粘土などを使った彫像や毛皮のような布地を使った可愛い犬など、様々な材料を使った力作が並んでいました。左は、美術部の部長、東さんと彼女の力作(亡くなった飼い犬がモデルで、愛情がこもった絵となっています。その流し眼が実に色っぽい! オスだそうですが)。その横は藤田君の作品。怪獣がリアルでした。右下は黒木君の絵で、神戸のポートアイランドのタワーを描いたものですが、背景の巨大な月がSF風のイメージを醸し出していました。群青色が鮮やかでした。左下は、もこもことした羊の造形がよくできていました。

Written on 11月 1st, 2014

学会で広島に行ってきました。たまたま泊まったホテルが西条の酒蔵通りの一角にあり、早めにホテルに着いて、酒蔵を少し廻ってみました。全く知らなかったのですが、西条は灘、伏見と並ぶ日本有数の酒どころで、酒蔵通りには白牡丹、西條鶴、亀齢、福美人、賀茂泉、賀茂鶴と酒造が立ち並んでいました(左は賀茂泉酒造の店先)。酒蔵自体は土、日にしか見学できないので見れませんでしたが、試飲ができるのでそれぞれのお店で試飲させてもらいました。日本酒はあまりわかりませんが、辛口のきりっとした大吟醸がやはりおいしかったです。中にはロゼワインを思わせるようなきれいなピンクの酒もあり、7度と少し弱めのお酒なので、女性にぴったりと勧められました。酒蔵の軒元には杉玉が吊るされ、新酒ができる頃に付け替える店もあるそうですが、杉玉は緑からすでに茶色に変わっていました。それぞれの酒蔵の前には井戸水がわき出ていました(右は、西條鶴醸造の江戸「天保井水」)。広島大学での学会の懇親会には日本酒がずらりと並び、樽酒を割って升酒を飲ませてもらいました。

学会の後、少し足を伸ばして宮島に行ってきました。夕方フェリーで宮島に着いた時は潮がひいていて大鳥居の周りを観光客が歩いていました。その後、夜には満ち潮になり、鳥居周辺はすっかり水で覆われ、船で鳥居の下をくぐれるほどに。早朝訪れた時にはまた引き潮で厳島神社や鳥居まで砂浜を歩いて行けました(左は、早朝の大鳥居;右は厳島神社の神官が朝の祈祷をしているところ)。お昼頃には水が満々と湛え、厳島神社の床にすれすれのところまで水が上がってきそうで、台風の時によく水浸しになる、というのも納得できました(モン・サン=ミシェルよりも、波の流れは速いように見えました;左下は昼間の厳島神社)。

最後にロープウェイで霊山「弥山(みせん)」の頂上、獅子岩まで登りました。ここも点在する奇岩怪石などで世界遺産になっているそうです(右下は、ロープウェイから見た光景:紅葉には少し早かったようです)。

Written on 10月 28th, 2014

公開講座の聴講生の方々と泉佐野市の観光に行ってきました。難波から「さざん特急」で約30分の泉佐野駅で待ち合わせをし、観光ヴォランティアの方2人の案内のもと、佐野町を散策しました。佐野町は、江戸時代に回船業で巨万の富を築いた豪商・食野(めしの)家が栄えた町ということで、食野は長者番付で鴻池や三井と並ぶ豪商で、井原西鶴の『日本永代蔵』にも言及されているそうです。その名残は「いろは倉」や妙浄寺に残る梵鐘からも偲ばれるそうです。さらに、春日神社では食野家専用の立派な門が作られていました(現在は開かずの門)。まず、上善寺へ(写真左)。門の上には干支の動物が刻まれていました。駅から近くに商店街があり、昔ながらのお店―泉州の水なすの漬物、醤油などを売る店や天ぷら屋さん(店頭で天ぷらを揚げていて、おいしそうでした!―がありましたが、シャッターの下りた店も多く散見されたのは、残念でした。次の妙浄寺には立派な大仏さまが安置されていましたが、金箔の上に黒漆で塗られているそうです(写真右:一部、漆が取れて金箔がのぞいています)。その向かい側の春日神社も訪れました。このあたり一帯は狭い路地のくねくねした道で、「佐野町迷宮都市」と命名されているのももっともで、ガイドさんの案内なしでは到底、目的地にたどり着けなかったと思います。

旧新川家(写真左)は、もと醤油問屋で後で増築された奥座敷2間は、どちらにも縁側があり、風通しの良い作りとなっていました。二階は箱階段(すごく急)とこれも急な階段で上がり、屋根裏部屋のような雰囲気で、太い梁が支え、特に大きな松の梁が圧巻でした!(釘は一本も使われていないそうです)。りんくうタウン駅近くのスターゲイトホテルまで歩いて、2時間の行程でした。晴天に恵まれ、楽しい散策となりました。昼食はスターゲイトホテル54階の海を見はらすレストランで、ビュッフェを楽しみました。総勢22名(写真右)で、秋の一日を満喫することができました(幹事の西川さん、斎藤さん、御苦労さまでした)。

Written on 10月 1st, 2014

カスレ・ボルドレーズ・アラ・朱実

手作りのウェルカムブーケ

高校時代の同級生朱実さんのお宅に招待され、豪華なランチを頂きました。料理のプロの朱実さんの料理は本格的で、まずオードヴルには、鯵のマリネ(ベビーリーフなどの緑の葉物の周りに鯵が美しく並べられている)に白ワイン、次にブルビレガリス(チーズ)のペンネ、上に載っているトマトは湯むきの上に塩と砂糖に漬けたもので、チーズともあってとても美味でした。メインはカスレ・ボルドレーズで豚バラ三枚肉を何回か湯煎して油抜きをした上で豆などと赤ワインで煮込んだもので、数年前にフランスのカルカッソンヌで食べたカスレを思い出し、なつかしさで一杯になりました(赤ワインと一緒に食べると味がさらに引き立ちました)。付け合わせのマリネ(梨や赤、紫ピーマン、瓜)はさっぱりとしていて食が進みました。デザートは白金台にある有名なお店エリカのチョコレートケーキで満腹状態に。歓迎のブーケまで手作りで、「隠れ家レストラン」を一人で貸し切ったような贅沢なもてなしで、本当にお昼のひと時を満喫しました。朱実さんに感謝!

Written on 9月 24th, 2014

奈良の会員ホテル登大路ホテルで、「料理とワインと音楽に酔いしれる夕べ」の会があり、夫婦で参加しました。ホテルは近鉄奈良駅から奈良公園に向かい、徒歩5分のところですが、小さなプレートがあるだけで、見逃すところでした(さすが隠れ家的な会員ホテル!)。ロビーのソファに座ると、まずシャーベット状のシードル酒を頂きました。同じ仏文関係の大先輩柏木先生ご夫妻やそのお友達もいらしており、私たちの席は10人ほどの大きなテーブルでした。19時から、柏木先生の乾杯のごあいさつの後、シャンペン(J. Lassalle Cuvée Préférence Brut Premier-Cru N.V.)で乾杯した後は、 佐々木シェフが腕をふるったフランス料理がでてきました。まずは、「フォアグラのソテーと松茸のポテトパンケーキ」。フォアグラは柔らかく美味で、シャンペンと良くマッチしていました。ワインもソムリエが特別に選んだもので、「オマール海老とノルウェーサーモンのサラダ仕立て」には白ワイン(モレ・サン・ドゥニ2011)、「ドーヴァーソールのベルシー」―非常に身のしまった舌平目でした!―には赤ワイン(Volney Premier Cru Les Santenots 2004)。茶色のソースなので、赤ワインの方が合うそうです。特に「特選牛フィレ肉のアキテーヌ」の牛フィレは絶品!さらにその付け合わせのキノコ類はフランスでも高級なセップ茸やジロール茸も入っていて歯ごたえがあり、ソースとマッチしており、さらに赤ワイン(Château Pape Clément 1993)が絶妙なおいしさで、皆、感激していました。総勢28名で、マグナムボトルが3本空いたそうです。

料理の後は松村容子さんのフルートと、南城愛さんのハープ演奏で、曲はモーツァルト、ビゼー、バッハなどのクラシックもあれば、ピアソラの曲(ギター演奏の代わりにハープ演奏で、高価なハープの腹を叩く、という現代的なもので面白かったです)、なつかしいシャンソン(「さくらんぼうの実る頃」や「ばら色の人生」)、最後は日本の曲(「赤とんぼ」「荒城の月」)とヴァラエティに富んだものでした。モーツァルトに「フルートとハープのためのコンツェルト」があるのは知りませんでした。18世紀後半から19世紀まで生きたフランスのジャンリス伯爵夫人(後に国王となるルイ・フィリップの養育係)がハープの名手でしたが、モーツァルトの時代、社交界の女性たちが「芸事」としてハープを習っていたので、モーツァルトも作曲したのでしょう。ハープは47弦もあるそうで、非常に夢幻的な音色を聞かせてくれ、「荒城の月」は前回の生駒でもピアノ伴奏で聞きましたが、ハープだとさらに奥行きが拡がり、夢想を掻き立てられました。フルートとハープの組み合わせは一見、意外ですが、実際にはフルートの澄んだ音色がハープでさらに強まるような気がしました。少しワインを飲みすぎましたが、本当に楽しいひと時でした(右の写真は松村夫妻、ハープの南城さんと)。

Written on 9月 21st, 2014

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