村田京子のホームページ – blog

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好天も最後(翌日から雨の予報)ということで、昨日、京都にお花見に行ってきました。銀閣寺道から南禅寺まで疏水に沿って「哲学の道」を歩きましたが、桜は満開、観光客もぎっしりで、平日にも関わらず大勢の花見客で賑わっていました(写真左)。西田幾多郎が思索しながら歩いたと言う疏水沿いの道も、人で団子状態の混みようでした。円安ということもあり、外国人(英語や中国語、フランス語が飛び交っていました!)ツーリストも多く、国際色豊かでした。さすが京都だけあり、着物姿の女性もかなり見受けられました。沿道には和菓子屋の他にもクレープ屋さん、アイスクリーム屋さん、ビールを飲ませる店が軒を連ね、すっかり初夏の雰囲気でした(日中は半袖でもOK)。途中、丸々と太った猫がゆうゆうと日向ぼっこをしていて、多くのカメラを向けられても微動だにせず被写体になっていました(写真右)。南禅寺は拝観時間の後に着いたので残念ながら中を見れませんでしたが、どっしりした三門をくぐってきました。南禅寺を下がったところにある蹴上インクラインでは、ものすごい勢いの水が流れていて非常に迫力がありました!

夕食は烏丸御池のイタリアレストラン『オルト』で食べました。Orto(イタリア語で「菜園」の意味とか)という名前の通り、こだわりの野菜を使った料理で有名だとか。前菜に出てきた「たいらぎ貝と生野菜」(器はムール貝を10倍にしたような大きさのたいらぎの貝殻で、貝の汁に牛乳を加えたものをドレッシングとしてかける)の野菜は本当に美味で、次に出てきた大原で採れた筍のローストもおいしかったです。変わったところでは、前菜の一つとして出てきた「(阿蘇の)馬肉のタルタル」とパスタとして「月の輪熊と白アスパラガスのカルボナーレ」(写真左下)があり、さっそく試してみました。熊肉は少し癖がありますが、よく煮込んでいるので全く気にならず、白アスパラはコリコリと食感が良く春の訪れを実感できました(カルボナーレ・ソースはそれほど濃厚ではなく、ゴマがふんだんにかかった和風テイスト)。メインの赤イサキのポワレもおいしかったですが、デザートが凝っていて、柚のジェラートに大吟醸の酒粕を使ったスフレ(写真右下)。とっくりには大吟醸入りのデザートソースが入っていて、ジェラートにかけて食べる、という趣向。ウェイターの方もワイン通でサービスも良く(料理が出てくるのが少し時間がかかりましたが)、楽しいひと時を過ごすことができました。

Written on 4月 3rd, 2015

すっかり春めいてきたばかりか、今日は25度近くまで気温が上がり、ほとんど夏日!2,3日前までまだ5分咲きくらいだった桜が一気に満開となりました。この陽気に誘われて、近くの御嶽神社まで散歩に出かけました。歩いていると汗ばむほどの暑さで春休みということもあり、それほど知られていないスポットですが花見に来ている人も結構いました(京都の丸山公園や奈良公園などはさぞかし花見客で賑わったことでしょう)。写真左は御嶽神社の太鼓橋から撮ったもの(すっかり満開の桜)。右は御嶽神社。

お昼は近くの和食の店「味浪漫」へ。カウンター席のみの小さなお店ですが、主人の材料、料理へのこだわりは深く、どの料理も手間がかかっていて(例えば蛤の吸い物は、かつおだしだけで、醤油、調味料は一切使わず蛤の塩味だけの上品な味)、特にちらしずし(写真下)は絶品でした(干ししいたけは天日干ししたふっくらとしたもの、高野豆腐も1日つけておくとか。土筆は揚げていて白く丸いものはウドを酢に漬けたもの、白魚の干物は供する直前に火で炙っている。寿司飯の米もこだわりのものとか)!

Written on 3月 31st, 2015

3月27日に聴講生の方々が企画して下さった「すみよしを歩こう」会(総勢21名)に参加いたしました。帝塚山駅に10時前に集合し、ボランティアガイド小山さんの案内で、まず風見鶏の家で有名な高谷家住宅前を通り、帝塚山の豪邸(神戸の洋館を彷彿とさせるものや、ガラス張りの家、丸い家など斬新なデザインの家が多く、建築家が思う存分、腕を振るったという感じでした;その一つに安藤忠雄氏の実家もありました)を横眼に見ながら狭い路地を周り、帝塚山古墳へ(写真左)。大阪に残る唯一の前方後円墳の原型をとどめた古墳で、大友金村の墳墓とされる説もありますが、まだよくわからないそうです。ここは地元で管理していてガイドさんが特別に開けてくれました。なだらかな丘陵で、もともとは堀があったそうですが今は埋め立てられ、古墳の際まで家がぎっしり建っています。ここには市内では珍しくなった日本のタンポポ(カンサイタンポポ)が生えていて、黄色い小さな花を咲かせていました。次に、六道の辻に建つ閻魔地蔵尊へ。閻魔さんの周りをぐるっと回り、柱に手をかけて懺悔すれば地獄に行かなくても済むそうです。ここには、大きなかなとこを手にした鬼に舌を取られた罪人の絵が飾られていました。生根神社から摂津酒造(NHKドラマ「まっさんとエリー」では住吉酒造で、まっさんこと竹鶴正孝氏がここで働いていたところ)跡へ。ここはすでに建物はなく、マンションが立ち並ぶ真ん中の公園がその跡だそうです。さらに「住吉の13仏」(干支の12仏+1仏:忌日供養や死者供養のために造られ、現世と死者の国との境界の地に祀られるとか)、明治25年築の町家(住吉高灯籠を配した蔵造りの建物)で有形文化財として指定されている池田屋(写真右)にも寄りました。池田屋は住乃江味噌(手作りのおかず味噌)で有名ですが、私は柚みそを購入しました(香りがすごく良く、田楽にぴったり!)。最後に住吉大社へ。楠珺社は「招福猫(招き猫)」(写真左下)で有名で、小さな猫(左手を挙げているのが家内安全、右手を挙げているのが商売繁盛のご利益があるとか)を48個(4年間、毎月買う)揃えると中くらいの大きさの猫に代えてもらえ、また集めると大きな猫に代えてもらえるというもの。私もひと組買いました。子宝に恵まれるという種貸社にも寄りました。ただ、ここで時間オーバーとなり、堺名物のちんちん電車(写真右下)で昼食のレストランに向かいました。住吉大社の本殿や太鼓橋まで行けなかったのが少し残念でしたが、3時間ほどの散策を十分満喫しました。昼食もしゃれた四川料理の店(辛い麻婆豆腐が有名とか。確かに辛かった!)でお腹も一杯となり、皆さんともおしゃべりができて、楽しい一日を過ごすことができました。幹事の辻さん、田中さん、ご苦労様でした。

Written on 3月 31st, 2015

神戸市立博物館に「チューリヒ美術館展」を見に行ってきました。「印象派からシュルレアリスムまで」と銘打っているように、ホドラーの風景画、印象派のモネ、ドガ、ポスト印象派のゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、象徴派のセガンティーニ、ナビ派のボナール、ヴァロットン、表現主義のキルヒナー、ココシュカにムンク、フォーヴィスムおよびキュビスム(マティス、ブラマンク、ピカソ)、シャガール、抽象絵画としてはカンディンスキー、クレー、彫刻もロダンとジャコメッティの作品が展示され、様々な絵画が一堂に会する展覧会となっています。目玉は何と言っても、幅6メートルもあるモネの《睡蓮の庭、夕暮れ》(上図)で、睡蓮の連作でも画家の晩年のもので「夕暮れの水面のそよぎや光の反射」が描かれ、睡蓮がかろうじて見分けられるだけであとは光と色の洪水、抽象画的な雰囲気を持った作品と言えます。ジヴェルニーの庭園には20年前に行ったことがありますが、睡蓮の庭に柳の木、というのは絵の通りでした。ただ、驚いたのは日本の太鼓橋を模した橋が朱色ではなく緑色であったこと! 日本では考えられませんが、モネにとっては「緑」の橋の方が違和感がなかったのかもわかりません。私の一番のお気に入りはシャガールの《婚礼の光》(右図)です。シャガール特有の「透明な青」は、フェルメールの「ラピス・ラズリ」の青に近いそうです。最愛の妻ベラを亡くして失意のあまり1年ほど筆が取れず、そこから立ち直った後の作品だそうで、左の白い動物(翼をもっているのでペガサス?)がタキシードを着てワイングラスを片手に持っているのが何とも印象的。彼の作品には愛し合う男女が宙に浮いていたり、と一見メルヘンチックな絵が多いですが、戦争中ユダヤ人として国を追われるなど苦難の人生を辿ったようです。最後に印象に残ったのは、セガンティーニの《虚栄(ヴァニタス)》(下図)で、印象派に似た点描法を用いながら、泉に自らの裸身を映して自らの「美」を自覚する若い娘はまさに「虚栄心の目覚め」を表わしているようでもあり、水面に姿を現わす蛇が「旧約聖書」のエヴァを暗示しているようでもあり、その意味では象徴主義的な不思議な絵と言えます。ホドラーの《真実》(女性の周辺の男性像がモダンダンスのような動きを見せる)やジャコメッティの「歩く男」など、非常にダイナミックな動きを感じさせるものもあり、なかなか面白い展覧会でした。

展覧会の後、西宮の懐石料理のお店「立峰」で夕食を食べてきました。ここは手頃な値段で季節のものをおいしく頂けるお店で、何度か通っています。まず、見た目も美しい前菜(写真右)―特に空豆を卵とチーズで揚げたのが凝っていました!「土筆」は牛蒡で、いかなごはしっかりした味付けでした―、次にあいなめに菜の花のお椀、かぶらと穴子などの蒸し物、まなかつおの焼き物、刺身(写真左下)はまぐろのトロに鯛、イカでどれも口の中でとろけるほど美味でした。季節の野菜の天ぷら、鯛の塩煮、田楽は3種で、特に木の芽あえが上に塗られたものが絶品でした。眼を楽しませた後、お腹も一杯で大いに満足して帰路に着きました。

Written on 3月 20th, 2015

昨年9月に友人の朱実さん宅でランチを頂きましたが、今年もお宅にお邪魔し、今回は和食のランチを頂きました。メインは鯛で、まず鯛の昆布じめ(薄く切った鯛の身を5時間ほど昆布につけるのが一番おいしいそうです)が出てきましたが、身が引き締まっておいしかったです(写真左)。前菜の付け合わせとしてでてきた沖縄の海ぶどうも見たことがないほど、大きくできれいで本当にどこから仕入れてくるのか、不思議なほどです。さらに「初物」のかわいい竹の子を茹でて蒸したものに、これもお手製の木の芽あえをつけて頂きました。残りの竹の子はちらし寿司(写真右)にも入っていて春の香りを堪能できました(竹の子の他にも人参、ナッツやしめじ、大葉、卵など具がたくさん入った色鮮やかなお寿司でした!)。また、鶏のコラーゲンが満載の鍋(クネル、珍しい野菜入り)で、少しは肌がプリプリになることを期待しています。ポン酢もお手製で、手で絞って作るそうです。鯛はさらに大皿に煮つけ(写真下)として再登場。これも美味で舌鼓を打ちました。お皿も凝っているばかりか、お箸は竹箸で、使い勝手のいいもので、やはり、料理は器、もりつけなど眼で楽しむ芸術だと感銘しました。居心地がいいので、夕方までおしゃべりをしてしまい、長居してしまいました。朱実さん、本当にいつもありがとう。

Written on 3月 16th, 2015

3月14日に開催された「国際女性デー・シンポジウム」に参加しました。「日仏両国の男女平等法制を比較・検証を通して、男女平等を現実化するための条件は何か、法にどう実効性をもたせるか、男女平等政策を社会にどう浸透させるのかを考え」る、とポスターにあるように、まず、2014年8月にフランスで採択された「女性と男性の実質的平等のための法律」(Loi pour l’égalité réelle entre les femmes et les hommes)がどのような趣旨なのかを東北大学の糠塚先生が解説され、その女男平等政策の推進体制については独協大学の井上先生からお話がありました。さらに日本大学の松島先生、神尾先生がそれぞれ日本の男女平等関連法の紹介および男女平等政策の推進体制についてのご報告がありました。まず興味深いのは、フランスと日本で「男女」の順番が逆であること!です。フランスの法案では「女性と男性の平等」すなわち「女男平等」としているところ、日本では「男」が先にきて「男女平等」となっています。私たちも常日頃、「男女別」「男女平等」「男女間」といった表現に何の違和感も感じなかったのですが、確かになぜ「男」が先に来るのか、という疑問を抱かせる仕組みがフランスの法案名にあると思います。さらに「実質的 (réelle)」という言葉を法案のタイトルにわざわざ付け加えているのも、「法の下での平等」は長らくスローガンとして掲げられているにも関わらず、実質的には職業上も家庭内においても女性が男性と平等の立場になっていないケースが多く見られる、という現状を認識したものと言えます。その点では日本ではまだ行政において家事・育児を主に担うの女性で、男性はその「お手伝いをする」といった認識がいまだに残っていて、フランスと比べて「実質的平等」意識にはほど遠いと思います。しかし、一方で、日本国憲法や男女共同参画社会基本法など、日本では男女平等を推進するための法律が整備されているのに対し、フランスでは日本ほど法的な整備がなく、女性政策が組閣のたびに変わる、という状態で日本の方がフランスより先んじているそうです。ただし、公的領域(議員数など)でのパリテ(男女同数)の実現を目指すフランスでは、多くの女性大臣が出現し、政治的領域での女性の進出が目覚ましいのに対し、日本では女性議員や女性管理職の割合が世界的にも低いままに留まっているのは問題だと思います。日本でもパリテ政策を推進するといっても、「誰でも女性であればいい」というわけではなく、その分野に適した有能な女性を養成する仕組みがまず必要となってくると思います。第二部の「男女平等社会へ向けて」の討論では、内閣府男女共同参画局審議官なども加わって活発な意見が交わされました(ただ、時間の都合上、会場との活発な意見交換まで発展できなかったのは残念でした)。聴取者には男性も混じっていましたが、こうしたテーマに多くの男性が参加してくれることを願っています。

 

Written on 3月 16th, 2015

久しぶりにフランス映画「サンバ」を見に行きました。「サンバ」は世界中で大ヒットした「最強の二人 (Intouchables)」の監督エリック・トレダノおよびオリイエ・ナカシュ監督、主役も同じくオマール・シーという取り合わせ。今回は、セネガルからフランスに来て10年目の主人公が、レストランの皿洗いから料理人に採用されることが決まり、やっと滞在許可証(papier)がもらえると喜んだが、不許可の通知が来て、収容所送りとなる、という場面から始まる。移民を支援するボランティア団体で働くことになったアリス(シャルロット・ゲンズブール)との出会い、フランスで生きていくための彼の戦いと、大手の人材紹介会社の幹部として働き過ぎてバーンアウトしてしまい、生きる気力を失っていたアリスが彼との出会いによって笑顔を取り戻していく過程が描かれ、その中で二人の恋愛がゆっくり進展していく、という話になっています。危険な工事現場や高層ビルでの窓ふき、ゴミ収集所でのゴミの分別など、普通の人が嫌がる肉体労働は、こうした低賃金の不法労働者によって担われている現実、さらに10年間真面目に働いても「滞在許可証」がもらえない移民の厳しい現実、警察の一斉検挙を常に恐れてびくびくと生きていかざるを得ない彼らの現実がありのままに描かれていました。その中で、時にはくじけそうになりながらも、笑顔で生き抜くサンバや、「ブラジル移民」ウィルソン(実はアルジェリア人)の逞しさに心を打たれました。特に興味深かったのは、白人のホワイトカラーであるアリスと、不法滞在のアフリカ系移民という社会的に両極端の二人のうち、アリスの方が彼に強く惹かれていること(普通ならば、逆のバターンが多いのに)で、価値の転倒が見られること。また、車の中の二人の会話で、サンバが「ある女性に対して越えてはならない一線を越えてしまった」(収容所仲間の恋人と寝てしまったこと)と、自らを責める言葉を聞いて、自分への愛の告白だと勘違いしたアリスが彼への恋愛感情を打ち明ける場面で、サンバは相手が違うことを説明しながらも、Je vous apprécie beaucoupという言葉を何度も繰り返した場面が心に残りました。apprécierという言葉は「価値を高く評価する、尊重する」という意味で、サンバから見れば、彼女との社会的格差が大きすぎて恋愛の対象としては考えられない、ということがはっきりわかる場面であり、しかも、勘違いした彼女の心を傷つけてはいけない、という思いやりが感じられる場面です。二人の初めての出会いの場面で、強制送還されるかもわからない、せっぱつまった状態で相談に来ているサンバの方が、面接者のアリスの顔色の悪さに気づいてÇa va ?と聞いていることからも彼の優しさがわかります(字幕では「元気?」となっていましたが、「大丈夫?」という訳の方が適切でしょう)。最後にサンバが死んだコンゴ人のpapierを使ってパリで無事、料理人(しかも、国の警備隊 garde républiqueの厨房で働いているのは、かなり皮肉!)の仕事に就く、というのは本当に可能なのか、と不思議に思いました。あと、国外退去を命じるが、「強制退去」ではなく、1年間目立たずに生きていれば、滞在許可証の申請を改めてできる、という制度は、いかにもフランス的だと思いました。この映画を「なんばシネマズ」で見ましたが、席がゆったりして足元も広く、快適に映画を楽しむことができました。

Written on 1月 6th, 2015

11月最後の連休に、三井寺に紅葉を見に行った後、びわ湖ホールでバレエを見てきました。11月初旬の暖かさに恵まれ、三井寺も観光客で一杯でした。入ったのが仁王門からではなく、総門からだったので、順路とは逆方向で回りました。水観寺の前を通って長い階段を登り、観音堂へ。そして、通常は非公開の国宝建築物を特別公開しているというので、まずは勧学院へ。ここは室町時代の武家住宅の典型である「主殿造り」の様式を伝える貴重な書院だそうです。広縁に座って池泉式庭園を眺めると、日頃の喧騒から離れて落ち着いた気分になります。もう一つ、特別公開していたのが光浄院客殿で、狩野派の障壁画、特に金地着色で大松に滝図(写真左)が絢爛豪華でした。また、弁慶が比叡山まで引き摺り上げたという「弁慶の引き摺り鐘」や、霊泉の上の左甚五郎作の龍の彫刻など、見どころは沢山ありました。紅葉も美しく(写真右)、赤や黄色の色とりどりの小道を歩くと、秋の終わりを感じました。三井寺の総本堂である金堂(左下写真)は、桃山時代を代表する名建築とのこと。

三井寺で1時間半くらい過ごした後、電車で3駅目の「石場」で降りて、びわ湖ホールへ。びわ湖に面してロケーションに恵まれた劇場ですが、奈良からだと時間がかかり、交通が少し不便なところにあります。今回は、ボリショイ・バレエ団の《ドン・キホーテ》を見に行きました。ドン・キホーテとサンチョ・パンサはいわゆる狂言回しで、若い恋人たち(キトリとバジル)が主人公で、テンポの早い二人の踊りに加え、闘牛士とフラメンコダンサーの踊り、森の妖精の踊り、スペインの踊り、ジプシーの踊り、ボレロやグラン・パなど息つく暇もないほど華麗なダンスが続き、バレエを満喫できました。今回はキトリ(ドゥルシネア)役はクリスティーナ・クレトワ、バジルがセミョーン・チュージン、エスパーダ(闘牛士)がルスラン・スクヴォルツォフ、踊り子がアンジェーリーナ・カルポワでした。クレトワの踊りは本当に身が軽く、チュージンが高々と彼女を抱える場面でもふわっと宙に浮いている感じでした。チュージンは背はそれほど高くありませんが、ジャンプ力があり、エスパーダ役のスクヴォルツォフは格好よかったです。公演が終わると夜の8時で、一日動いたのでさすがに疲れましたが、充実した一日を過ごすことができました。

Written on 11月 24th, 2014

11月13日夜に「ゾンタクラブ」大阪Ⅱ支部で、18世紀末~19世紀前半にかけてフランスで活躍したジャンリス夫人について、話をしてきました(左の図版はジャンリス夫人が子どもたちにハープを教えているところ;左からジャンリス夫人、ルイ・フィリップの妹アデライド、養女のパメラ)。主にジャンリス夫人の代表作『アデルとテオドール』における女子教育論を取り上げ、ルソーの『エミール』とは違い、女性の劣等性を否定し、男女ほぼ平等の教育を主張したことに彼女の特色があることを述べました。実際に後の国王となるルイ・フィリップの養育掛りとして、彼女はその教育方針を実践しました。また、学問だけではなく、健康・衛生にも気を配り、3歳の女の子にもコルセットをつける当時の習わしに反対をしています。ただ、ジャンリス夫人は、女性に男性と平等の政治的・社会的権利を与えるべきだと主張していたわけではなく、女性の知的能力はあくまでも家庭内に留めるべきだとする良妻賢母主義を説き、そこに18世紀の貴族の女性である彼女の限界があったとも言えます。しかし、理想の教育を論じながら、現実では実子を5人とも捨て子にしたルソーと違い、二人の娘の他に甥や姪、複数の養子、オルレアン家の4人の子どもたちを教育したジャンリス夫人の教育論は、経験に基づいたもので、教育者としての自負がうかがえます。

ゾンタクラブは言わば、ロータリークラブの女性版(下にゾンタクラブのHPを貼り付けておきます)で、メンバーも医者、税理士、弁護士、大学教員など社会の第一線で活躍している女性の方々でした。こうした異業種の方々の前でお話するのは少し緊張しましたが、皆さん、熱心に聞いて下さいました。その後の食事会でも皆さんといろいろお話ができて、楽しいひと時を過ごしました(右下写真は、ゾンタクラブの方々と)。

「国際ゾンタは奉仕と支援を通して全世界の女性の地位向上のために活動する世界的な社会奉仕団体です。1919年11月8日にアメリカ合衆国ニューヨーク州バッファローにおいて設立されました。世界67ケ国に1,200以上のクラブがあり、約30,000人の会員で運営されています。ゾンタクラブの会員は、世界的な友好を通して理解・親善・平和の促進のために共に助け合い、女性の平等の権利、政治的な均等、教育と健康の享受、女性と子供に対する暴力の根絶など、国際ゾンタが提唱するプロジェクトを支援するために活動します。日本のゾンタクラブは、東京Ⅰゾンタクラブが1961年(2014年9月現在67ヶ国16番目の加盟)に国際ゾンタから認証されて52年が経ちました。世界32地区エリアの中、日本は26地区に属し、2014~2016年ガバナー・豊田由起子(東京Ⅱ)氏のもと全国に47クラブ、約1,000名の会員が活躍しています。」(ゾンタクラブHPより http://zonta-d26.jp/

 「ゾンタ」という名前は、アメリカの土着語で、スー族が話していたティトン方言の言葉で、「正直で信頼できる」という意味だということです。私自身、これまでゾンタクラブの存在を知らなかったのですが、ゾンタクラブが日本でも大いに活躍しているということを、もっと多くの人が知るようになることを願っています。

「大阪Ⅱゾンタクラブ第39号(2015年3月)」報告(坂本千代氏)

Written on 11月 16th, 2014

信州大学でのシャンソン研究会の後、松本城に登ってきました。あいにく雨模様の天気でしたが、大勢の観光客が訪れ、お城の中も長蛇の列で進むのも大変な状態でした。松本城は、現存する日本最古の五重天守で国宝となっています。本丸御殿、二の丸御殿は消失されて今はなく、天守のみが残っています(写真左)。天守2階は窓が多くて明るい階で、武士がつめる「武者溜」だったそうで、天守3階は逆に窓がない暗い部屋で外からは見えない構造となっているとか。天守4階が「御座の間」で御簾がかけれれ、城主がいる部屋で、天守5階は重臣たちが戦いの作戦会議を開く場所、天守6階は敵を見張る「望楼」として使われたそうです。それにしても急な階段で、登るのも降りるのも皆、恐る恐るでした。「月見櫓」(写真右)は月見のための櫓で、北、東、南の戸を外すと三方が吹き抜けとなり、朱塗りの回縁で華やかさと開放的な雰囲気が漂っていました。

松本城の後は、そこから歩いて10分のところにある旧開智学校校舎を訪れました。ほぼ松本町民の出資で、明治5年に建てられた擬洋風建築の小学校で、その正面は何ともハイカラな意匠となっています(写真左下)。廊下も広く、回り階段もどっしりしたもので、こうした環境で勉強できた小学生たちが羨ましい限りです。教室には小さな机と椅子が並び、~十年前の小学校時代をなつかしく思いだしました。また、信州に来たのでやはりおそばを食べるのも忘れず、8日の昼は「こばやし」という蕎麦屋で「きのこそば」(写真右下)を食べ、9日は松本城の北にある「もとき」という蕎麦屋で、「もりそば」を食べました。コシがあるそばで、美味でした。今まで知らなかったのですが、「もりそば」と「ざるそば」の違いは、「ざるそば」にはそばの上にノリがかかっている、ということだけでした。

Written on 11月 10th, 2014

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