村田京子のホームページ – 「モネ展」

睡蓮先日、大阪中之島美術館に「モネ展」(左のポスター)を見に行ってきました。印象派を代表する画家クロード・モネが、ポスターの絵の《睡蓮》にあるような連作(同じ場所、同じテーマで天候や異なる季節、異なる時間を通して「一瞬の表情や風の動き、時の移り変わりをカンバスに写し取った」)を生み出すに至るまでの過程を追った展覧会となっていました。大きく5つに分けられ、「1.印象派以前のモネ」「2.印象派の画家、モネ」「3.テーマへの集中(同じ場所を季節や天候、時刻によってエトルタ変化する様子を描く)」「4.連作の画家、モネ(四季によって風景が変わる《積み藁》など)、「5.「睡蓮」とジヴェルニーの庭」と年代順に並んでいました。モネの経歴で面白かったのは、10代の頃はカリカチュアを描いていたこと(なかなか上手でした!)。風景画家ブーダンの勧めで風景画家になったそうです。

とりわけ印象に残った作品の一つがノルマンディー地方のエトルタの海を描いたもの(右のポスター)。非常に荒々しい波が岩に打ち寄せているのが迫力満点に描かれています。エトルタには25年前くらいに行ったことがありますが、ちょうど、この波で抉られた岩の左側が少し洞窟になっていて、引き潮の時には砂浜になって洞窟に入ることができます。ただ、満ち潮になると水に埋まってしまうので、満ち潮になる前に戻るよう、注意されたことを思い出しました。現在は改修されて橋ができたモン=サン=ミシェルも、それ以前は引き潮時は遠浅の海を歩けるけれども、満ち潮になると波が猛烈なスピードで押し寄せてきて、何人か溺れ死んだ、というのを耳にしたことがあります。モネの絵は、そうした荒々しい海の様相をモネが捉えていると言えるでしょう。

積み藁連作の《積みわら》(左図)は、ジヴェルニー地方の積みわらを春、夏、秋、冬と四季に渡って描いています。昨年9月末にジヴェルニーを訪れましたが、やはり同じような積みわらが畑に並んでいて、今も変わりない風景だと感銘を受けました。同時期のバルビゾン派のミレーにも積みわらの光景が描かれていますが、ミレーの場合は、積みわらの前景に農民が大きく描かれていて、人間が中心となっていること、それに対してモネの場合、自然風景がメインであることです。とりわけ、《積みわら》の夏のシリーズでは、わらのところに母親と子どもが座っているのですが、眼を凝らしてよく見ないとわからないくらい小さく、わらと人物が溶け込んだ形で描かれています。

最後に有名なジヴェルニーの庭の《睡蓮》シリーズですが、ポスターの池の睡蓮睡蓮のようにはっきり睡蓮の花が描かれているものから、次第に水に映り込んだポプラや柳の木の影が睡蓮と重なって見える絵(右絵)、輪郭がぼんやりして定かではなくなっていく様子がわかります。これは、モネが白内障を患っていたせいともされていますが、抽象画に近づいているような気もしました。ジヴェルニーの庭には二度ほと行ったことがあり、緑の太鼓橋や柳、四季折々の花が咲き誇る庭をなつかしく思い出しました。

モネだけではなく、ルノワールやセザンヌ、ゴッホなど印象派の画家はなぜか、日本人に非常に好まれているせいか、訪れた日も平日にも拘わらず、多くの人で賑わっていました(特に若い人が多く、ミュージアム・ショップは買い物客でごった返していました)。

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