村田京子のホームページ – Les métamorphoses du pacte diabolique dans l’œuvre de Balzac, Osaka Municipal U.P./Klincksiek, 2003

Osaka Municipal Universities Press/Klincksieck (Paris), 2003(総頁数328頁)

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【概要】

本書は「近代小説の祖」と謳われるバルザックの作品に現れる「悪魔との契約」のテーマに注目し、その変遷を辿ったものである。19世紀のヨーロッパにおいて、ゲーテの『ファウスト』をはじめ、多くの文学作品(幻想文学)がこのテーマを扱ってきた。超自然的な存在が否定された合理主義の時代になぜこのテーマが流行したのであろうか? その答えとしては、逆説ながら、理性の時代であるが故に「悪魔」という表象が文学に現れたと言える。すなわち、それまで信じられてきた「奇跡」が「迷信」として退けられるようになったからこそ、不合理な出来事が生じた時に人々が受ける衝撃は大きく、不安が増す。こうした未知なものへの不安をいち早く捉えて言葉で表そうとしたのが文学作品であった。

本書第一部では、「幻想文学」のジャンルに入るバルザックの作品(『百歳の人』『あら皮』『和解したメルモス』)を取り上げている。そこではもはや従来の「悪魔との契約」(現世の富や知識欲の充足と引き換えに来世の魂を悪魔に売る)は成り立たず、現世の快楽と引き換えるのは、この世の命(寿命)である。その結果、短いが激しい情熱的な生を生きるか、機械的な生活をして長生きするかの二者択一を迫られ、「悪魔との契約」は近代の欲望哲学の表徴となる。また、『和解したメルモス』では、悪魔の超自然的な力も株式取引所で需要・供給の法則に従って売られ、その力を失っていく。「サタンの最後」と言えるが、その代わりに別な形で悪魔的な存在が描かれることになる。

第二部では、現実的な空間における「悪魔」、「悪魔との契約」が意味するものを明らかにしていく。『ゴリオ爺さん』に登場するヴォートランをはじめとする「悪魔的な人物」は全て、社会から疎外された存在で、社会の周縁から社会征服を目指す時、体制側から見れば「悪魔的」に映る。商業小説『セザール・ビロトー』では、古い伝統的な価値観を擁する主人公のビロトーから見れば、台頭し始めた資本主義的価値観の持ち主はすべて「悪魔的」である。『結婚契約』や『従妹ベット』では、家父長的な社会に異議申し立てを行う女性が「悪魔的」と捉えられている。このように、古い価値観から新しい価値観への移行期にあって、既成の秩序、思想体系を脅かす存在が「悪魔」とみなされている。

こうした「悪魔」、「悪魔との契約」のテーマはバルザックの時代だけではなく、政治的・社会的・経済的な変動期にある現代にもあてはまる問題を提起していると言えよう。

OMUP紹介記事(ニュースレター第9号)

【本書に関する書評】

Romantisme, No.125, 2005 (pdfファイル)

Nineteenth Century French Studies, vol. 33, 2005 (pdfファイル)

L’Année balzacienne 2005 (pdfファイル)

Revue d’histoire littéraire de la France, avril-Juin 2005 (pdfファイル)

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