村田京子のホームページ – 平城宮跡歴史公園

地図先日、京大の以文会主催の「秋の集い」に参加しました。今回は、平城宮跡歴史公園を訪れました(地図)。以文会会員で、奈良文化財研究所 展示企画室長の岩戸昌子さんがガイドとして参加して下さり、詳細な説明を聞きながら回っていきました。平城宮は奈良時代の天皇の住まい(大極殿)があった所で、まず第一次大極殿は朱雀門から入って、IMG_5801広い空間を通り過ぎて大極門をくぐり、その奥にあります。長安の都を真似て、ちょうど映画の「ラストエンペラー」に出てくる紫禁城のように大極殿の中庭には臣下の者たちがずらっと並ぶ壮大なものだったそうです。「いざない館」には奈良時代の宮廷生活がわかるいろいろな展示がありました。高貴な人の食事(右写真:アワビなど高級食材がのっています)や木簡(結構、当時の官吏の苦情なども書かれているとか)、柱の木を応用した下水管(なかなか精巧なもの)もあり、女官も官吏として働いていた(単にIMG_5806天皇の寵を得る女性だけではなく)そうです。平城宮は藤原宮など何度もIMG_5808遷都し、最後にまた同じ地に戻ってきたそうです。遷都する場合は、柱などの建築資材はすべて解体し、次の都に持って行ったため、土台しか残っておらず、農民たちが畑にして土地を利用したため、第二次大極殿はもとの所の東側に建てられたとのこと。また、遣唐使船が復元―左写真:あいにくの雨空で曇っていました―されていましたが、一回の航海で600人が5つの船に分かれて中国まで派遣され、行きよりも帰りの方が難破する船が多かったそうです。しかし、150人もの人々が狭い船の中に閉じ込められて、しび大変な航海だったと思います。昼食の後、第一次大極殿(右写真)を訪れました。屋根には鴟尾(しび)(右写真)が取り付けIMG_0001られていますが、「しび」とは、古代における瓦葺宮殿や仏殿の大棟両端に取り付けられた装飾のことで、鳥の尾を模しているそうです。沓(くつ)を立てた形に似ていることから、沓形(くつがた)とも称されているようです。魚の尾の「しゃちほこ」が現れるのは、織田信長の頃からです。上に針のようなものがついているのは、鳥よけとか。瓦も、鬼瓦が出てくるのは後の方で、初めはお寺に設置されたため、蓮華の模様だったそうです。それが中国帰りの人の影響で、鬼瓦に代わっていきますが、最初は鬼の全身像(相撲取りのようにしこを踏んだ鬼)だったのが、次第に鬼の顔だけに代わったとか。大極殿には高御座(天皇が着座する玉座:左写真)もありました。平城宮をすべて復元するにはかなりの資金が必要で、まだまだ長い年月が必要なようです。普段、電車の窓からは見ていた風景でしたが、じっくり見て回ることがなかったので、非常に勉強になりました。

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