村田京子のホームページ – レクチャーコンサート「ドビュッシーとパリの音楽×文学サロン」

IMG_0001IMG_0002先日、青柳いづみこさんのレクチャーコンサート「ドビュッシーとパリの音楽×文学サロン」(大阪大学会館)に参加しました(チラシ参照)。青柳さんはドビュッシーを専門とする著名なピアニストであると同時に、フランス文学研究の草分けで様々な翻訳本を出版している祖父(青柳瑞穂)の影響で、フランス文学にも造詣の深い方です。今回は、19世紀の音楽家とサロンの女性との関係に焦点を当て、サロンの女性がいかに音楽家を庇護し、音楽の発展に貢献したか、についてのレクチャーがありました。ショパンコンクールやチャイコフスキーコンクールなど様々なコンクールで賞を獲ることで、一流の音楽家として認められる現代とは違い、コンクールのなかった19世紀フランスでは、著名なサロンの女主人のサロンで認められ、女主人の庇護のもとに音楽家として名を成していくパターンが通常であったそうです。こうしたレクチャーを交えながら、ショパンの「ノクターン」、フォーレの「パヴァーヌ」(連弾)、ドビュッシーの「月の光」「音と香りは夕暮れの大気に漂う」(ボードレールの詩に曲をつけたもの)、「牧神への午後への前奏曲」「六つの古代碑銘」(連弾)(2曲ともマラルメの火曜会と深く関わりがある)、レイナルド・アーンの「画家の肖像」より(プルーストとの関わり)のピアノ演奏がありました。ショパンの「ノクターン」は楽譜にはない装飾音をつけて演奏されましたが、19世紀当時はよくあったそうで、ショパンも楽譜には書かずに音を付け加えて演奏していたそうです。ちょうど、私が興味を持っているオペラ歌手ポリーヌ・ヴィアルドとショパンの親しい間柄についても説明され、ショパンは繊細な音を出すが、音が小さすぎて大ホール向きではなく、個人の屋敷のサロンがちょうど良かった、というのは改めてそうだと思いました。お話の中でとりわけ面白かったのは、オペラを作曲して初めて大作曲家と認められるということ、ショパンやフォーレには向いていなかったようで、ドビュッシーはオペラ「ペレアスとメリザンド」で成功するまでは、曲の印税も安かったようです。音楽と文学が密接に結びついた19世紀ならではの話で、ピアノの音色に酔いしれるとともに、久しぶりにピアノを弾いてみたくなりました。

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