村田京子のホームページ – 「会津八一の歌碑をたずねて」

先日、奈良日仏協会ガイドクラブによる「会津八一の歌碑をたずねて」の催しに参加しました。会津八一は明治生まれで昭和の時代まで生きた有名な俳句・短歌の歌人です。彼は奈良の各地を訪れ、法華寺の観音像、法隆寺の百済観音、救世観音など様々な仏像を詠んだ句を残s-IMG_5790しています。会ではまず、柏木隆雄大阪大学名誉教授の八一に関する講演を拝聴しました。s-IMG_0004柏木先生はフランス文学の専門家ですが、日本文学にも造詣が深く、とりわけ八一の晩年の短歌(総ひらがなで書かれている)に関して非常に面白い解釈をされ、聴衆一同、大変感銘を受けました。その後、八一の歌碑のある秋篠寺、東大寺大仏殿近く、および興福寺近くの沿道、猿沢の池を巡り歩きました。まず、秋篠寺では、拝観入り口の外側の道の傍らに木々に囲まれる形で黒御影石の歌碑が立っていて、うっかり通り過ぎてしまいそうでした(左写真は歌碑のそばに立つ柏木先生)。歌碑には八一直筆で「あきしの の みてら を いでて かへりみる いこま が たけ に ひ は おちむ と す」とありました。ただ、家が立ち並ぶ現在では、寺の南門を出ても、残念ながら生駒山は見えませんでした。秋篠寺は奈良の観光地から少し離れていることもあり、観光客もまばらでひっそりとしていて、ゆっくりお堂の技芸天などを見ることができました(右写真:秋篠寺前で参加者の皆さんと)。特に猿沢の池にある八一の歌碑(左写真)が印象に残りました。これは、天皇の寵を失った采女が絶望して猿沢の池に身を投げた、という話にちなんだ句で、八一が28歳の時に采女が入水する前に掛けたと伝えられる衣掛柳を見たいと思ってs-IMG_0032猿沢の池を訪れたそうです。その句が「わぎもこ が きぬかけやなぎ み まく ほり いけ をめぐりぬ かさ さし ながら」です。柏木先生の解釈によれば、「ほり」がひらがなで書かれていることで、「堀」とも取れ、「ほり」「いけ」「かさ」と采女が飛び込んだ「水のイメージ」がより鮮明に浮かび上がってくるとのこと。ひらがなにすることで、一種のかけ言葉になっている、というのは本当に目から鱗でした!

奈良散策当日は、お天気に恵まれ、秋晴れの中、普段見落としてしまいがちな歌碑を巡ることができ、非常に有意義な一日でした。

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