村田京子のホームページ – 映画「幻滅」

IMG_0001バルザック原作、グザヴィエ・ジャノリ監督の『幻滅』(ポスター)を見に行ってきました。地方都市アングレームからパリに出てきた詩人で美青年のリュシアンを主人公にした物語で、映画ではとりわけ腐敗と虚飾、偽りに満ちたジャーナリズムの世界と劇場の世界に焦点を当てて、才能を浪費し、放蕩のあげく自滅していくリュシアンの姿を描いています。彼は、最初は高邁な文学に憧れていたのが、次第に政治的信条に関わりなく新聞記事を注文に応じて書き分け、読んでもいない本を酷評することにも良心の呵責を感じなくなり、王党派の口車に乗って、リベラル派から王党派に移って仲間を裏切ったりするなど、強い意志を持つことのできない彼の弱さが浮き彫りになっています。そのあたりは原作に忠実と言えますが、彼と一緒にアングレームを出奔するバルジュトン夫人は彼への愛情を抱きながらも社交界から追放されることを恐れてやむなく彼を見捨てる、という筋立ては少しひいき目な解釈のように思えました。「幻滅」というのは、様々な次元での幻滅であり、バルジュトン夫人とリュシアンがパリの社交界の華々しい人物を目の当たりにした時、互いに対して「幻滅」を感じた、ということも含まれると思います。原作のダニエル・ダルテスがナタンに代わっていたのも少しがっかりしました(ジャーナリズムと真面目な青年たちのグループ、セナークルとの対立が省略されていたのは残念でしたが、監督によれば「ただ善なるものを撮ることに飽きていた」からとのこと)。一方、女優コラリーの魅力とリュシアンへの献身ぶりはよく描かれていました。劇場でのサクラの元締めサンガリの存在がかなり大きな位置を占めていますが(サンガリは原作には存在しない)、サンガリがお金次第で大喝采やブーイングを行う(まるで指揮者のようにサクラの面々を動かす)さまは、非常に面白かったです。映画はリュシアンが故郷の湖に入水自殺する場面で終わっていて、原作の第三部が省略されているため「話が違う」と思いましたが、長編の映画化の場合、仕方がないことかもわかりません。リュシアンを悪の道に誘い込むルストー役のヴァンサン・ラコストが単なる悪役ではなく、地方から出てきた時は彼も純情だった、という複雑な気持ちを表していて魅力的な人物になっていたと思います。リュシアン役のバンジャマン・ヴォワザンも純情だが軽薄さを持ち合わせた青年をうまく演じていました。海千山千の出版者ドリアはジェラール・ドパルデューが演じていて、適役でした。ジャノリ監督は大学でバルザック研究者フィリップ・ベルチエ氏に学んだと語っており、大学の授業が監督に影響を与えたというのは、バルザック研究者としてはうれしい限りです。2時間半に及ぶ映画でしたが、時間の長さも気になりませんでした。

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