村田京子のホームページ – 「マリー・ローランサンとモード」展

ポスター上京したついでに、Bunkamuraミュージアムで開催中の「マリー・ローランサンとモード」展(ポスター)を見に行ってきました。ローランサンは、生きる喜びを謳歌した1920年代(「狂騒の時代(レザネ・フォル)」と呼ばれている)のパリを生きた女性画家で、彼女はピンクとグールゴー夫人青のパステル調の淡い色調と優美なフォルムが特徴の女性の肖像画を描き、一世を風靡しました。《黒いマンテラをかぶったグ-ルゴー男爵夫人の肖像》(右図)もその一つです。同時代を生きたココ・シャネルの肖像画(左図)も描いていますが、シャネルシャネルはこの絵を気に入らなかったそうで、引き取りを拒否したとか。シャネルは意志の強い女性で、写真でも、きりっとした表情で常に写っているので、ローランサンの描いた、華奢で頼りなげな様子の女性像とは相容れなかったのでしょう。また、当時、バレエ・リュス(ディアギレフ主宰のロシアバレエ団)がセンセーションを引き起こしましたが、プーランクが作曲し、ローランサンが衣装およびLes Biches舞台装置を担当したバレエ『牝鹿』(Les Biches)(右図)が、1924年にバレエ・リュスによってパリで上演されました。会場でもその一部の映像が流れていて踊りを見ることができました。Bichesとは「若い娘」を意味しますが、舞台では二人の若い女性ダンサーがびったりと寄り添って踊りを披露(少しレズビアン的)していました。また、シャネルもディアギレフと親しく、ジャン・コクトーなどが演出したバレエ『青列車』では、シャネルがデザインした水着やテニスウェアを着たバレエダンサーたちが登場します(会場で映像の一部が見れました)。この時代は詩人のコクトーの他にも画家のピカソや写真家マラガーフェルドン・レイなどがともに活躍した時代で、美術・音楽・文学・ファッションが領域の垣根を越えて結びついた時代でした。マリー・ローランサンもその一人であったと言えるでしょう。シャネルとは肖像画の問題でひと悶着あったため、個人的には親しくなかったものの、ローランサンがシャネルの服を纏うことはしばしばあったようです。さらに、1983年から30年以上にわたりシャネルのデザイナーを務めたカール・ラガーフェルドは、ローランサンからインスピレーションを受けた衣装を制作し、2011年のオートクチュール・コレクション(左写真)が、まさにそれにあたります。その意味でもローランサンの絵画が現在に至るまで多くの芸術家にインスピレーションを与え続けていると言えるでしょう。

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