村田京子のホームページ – 映画「私は、マリア・カラス」

IMG_0001先日、マリア・カラス生誕100周年記念の映画「私は、マリア・カラス」(ポスター)を見に行きました。彼女の未完の自叙伝や友人に宛てた手紙、当時のニュース映像、舞台映像や彼女のインタヴュー映像などを交えた半ば、ドキュメンタリー映画の形を取っていました。「ベルカント」としての高度なテクニックを自在に操る歌唱力と、役柄に一体化する演技派女優としての才能、さらにエキゾチックな美貌(ギリシア人の血を引く)が相まって、聴衆を虜にしたカリスマ的なディーヴァとしてのマリアの姿が余すことなく描かれていました。ローマ歌劇場では、大統領などイタリアの名士が集まる中で、第一幕で降りたことに世間からバッシングを受けます。風邪を引いて気管支炎になり、声が出なくなったためのやむを得ない降板だったのが、聴衆の期待が大きかっただけに、バッシングがひどかったのでしょう。また、悪びれない彼女の態度が反感を買ったのかもしれません。メトロポリタン劇場の支配人との軋轢で、数年間、舞台に上がることができなくなりますが、それも自分のポリシーに合わないことはきっぱり断る、という彼女の潔さによるものでしょう。恋愛においても、28歳年上の男性との結婚では、結局彼が妻の華々しい栄光に酔って、オペラ歌手として彼女を酷使したことへの恨みが彼女に生まれ、それがギリシアの大富豪オナシスに惹かれていく要因であったようです。彼女にとって大恋愛の相手オナシスは結局、ジャクリーヌ・ケネディを再婚相手に選び、彼女は心に大きな痛手を負います(オナシスは数年後、ジャクリーヌとの結婚は失敗であったと認めてマリアの元に戻ってくるのですが)。しかも、オペラ歌手の常として40歳を越えると声が衰え始め、舞台に復帰することを願いながらも50歳台半ばで亡くなってしまいます。このように、「音楽史に永遠に輝く才能」と絶賛され、一見、華やかな人生を送りながらも精神的には満たされずに死んだ悲劇的な女性と言えるでしょう。ただ、「スキャンダルやバッシングの嵐の中、プロフェッショナルとしての信念」、「倒れても歌うことを諦めなかった壮絶な」歌手としての生きざまには大きな感銘を受けました。ファニー・アルダンがフランス語のナレーターを務め、マリア・カラスの内なる声を代弁しているのも、なかなか良かったです。しかも、映画の中で流れる彼女の「圧巻の歌声」に酔いしれることができ、2時間の上映時間もあっという間でした。

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