村田京子のホームページ – 第二期「フランス文化を学ぶ会」
第二期「フランス文化を学ぶ会」
「バルザック『あら皮』を読む」
開催日: 2022年12月14日(水)より
場所 大阪中央公会堂 B1 第4会議室
コーディネーター 梅村智恵子、武市福之、南千恵子
《案内》第一期「フランス文化を学ぶ会」に引き続き、第二期もバルザックの作品を取り上げ、じっくり読んでいこうと思います(第一期の『ゴリオ爺さん』が読了できなかった場合は、その続きから始めます)。19世紀前半のフランス社会をリアリスティックに描いた『ゴリオ爺さん』とは異なり、『あら皮』では同じ時代を背景にしながらも、悪魔的な力を発揮する「あら皮」によって、現実空間から幻想空間に主人公(読者も)が誘われる瞬間があります。「悪魔」的なものとは一体、何を意味するのか、皆さまと一緒に考えていきたいと思います。

日時:2022年12月14日/21日、2023年1月11日/25日、2月8日/15日、3月1日/8日、4月12日/26日

毎回水曜日、10時20分~11時50分(10回、会費7000円)

《報告》12月14日に第二期目のフランス文化講座が始まりました。11月は暖かい日々が続きましたが、このところ急に寒くなり、今冬一番の寒さとなりました。ただ、中之島公会堂の辺りは、本日から光の祭典「OSAKA光のルネサンス」が始まるそうで、夜には3年ぶりに公会堂でプロジェクションマッピングが投影されるとのこと。川沿いには暖かい食べ物や飲み物(vin chaudもあるようです!)を出す屋台が出ていました(昼間はまだ、準備中)。フランスのクリスマス時期には、クレッシュ(キリスト生誕の場面を表す人形などが飾られている)がショーウィンドーを飾り(機械仕掛けで動くのもあって、子どもたちは釘付けになります)、ストラスブールなどの町では路地にずらっと店が立ち並び、クリスマスの雰囲気を盛り上げています。日本もそれに近くなってきたようです。ただ、寒いので老若男女が集まるというよりも、主に若者たちが集まってくるのではないかと思います。講座の方は、第一期でやり残した『ゴリオ爺さん』の続きで、今回は男の名誉と関わりのある「決闘」について少しお話しました。次回も『ゴリオ爺さん』にかかりそうですが、年明けからは『あら皮』に入りたいと思っています。聴講生の方々はいつものように熱心に参加して下さり、話をする者にとって励みとなっています。

2月15日:朝晩の冷え込みが厳しく、日中も小雪の舞う極寒の中、大勢の方々に集まって頂きました。1月25日は雪が積もり、道路が凍結して危険な状態でしたので、不本意ながら講座は休ませて頂きました。今日から本格的に『あら皮』に入りました。『あら皮』は「幻想文学」の範疇に入ります。「幻想文学」の定義の一つは「現実空間に突然、超自然的な現象が起こること」(カステックス)で、この小説の賭博場の場面では、19世紀パリの賭博場(現実に存在していた)がいつの間にか悪魔的な様相を帯び、歴史的時間・空間が神話的時間・空間に変貌していく過程を見ていきました(写真は、神話的時間(循環する時間)の説明をしているところです)。それと同時に、主人公の青年が賭博場で最後のナポレオン金貨をルーレットに賭けて負け、一文無しになって賭博場を去り、セーヌ川の橋のたもとで川の流れを見つめるところまで、「見知らぬ青年」としか呼ばれず、名前がないことにも注目しました。それは、当時の若者たちが抱いていた社会的な閉塞感、自分の才能を世間に認められないまま、屋根裏部屋で朽ちていくしかない「社会的にゼロ」の存在(当時、「世紀児」「幻滅世代」と呼ばれていました)を代表していたからでしょう。次回は、いよいよ「あら皮」が登場する骨董屋の場面を見ていきたいと思います。

3月8日:今日は日中は20度近くまで気温が上がるという、ポカポカ陽気の一日で、春の訪れを感じさせるものでした。講座も残すところ2回となりましたが、『あら皮』の最後まではどうも辿り着きそうにはありません。今回は、主人公が骨董屋で「あら皮」との「悪魔の契約」をする場面に焦点を当て、骨董屋の主人の言う「望む (Vouloir)」「できる (Pouvoir)」「知る (Savoir)」の意味を考えてみました。19世紀に生きる懐疑的な青年にとって、もはや「あの世の生」など存在せず、「悪魔との契約」も従来の「あの世の生(永遠の魂の救済)」と引き換えに、「この世での富、出世、知識」を得るという条件ではなく、「この世の生(寿命)」と引き換えになります。「あら皮」と契約を結んだ主人公のラファエルは「長生きをするために感情を殺すか、情熱に殉じて若くして死ぬか」の二者択一のうち、後者を選ぶことになります。豪華な宴会に出たいという彼の望みはたちまち叶えられますが、あら皮の魔術的な力によるためなのか、単なる偶然なのか、判然としない状態で実現されます。次回は宴会の場面について見ていきたいと思っています。今日は講座の記念として参加者の皆さんと写真を撮りました(長年、熱心に聴講して頂いた参加者のお一人をなくしたのは本当に残念でなりません)。

4月26日:第二期の文化講座も今日が最終回となりました。先週までの陽気とは打って変わって、肌寒い日が続いており、大雨にも拘わらず、大勢の方々にご参加頂きました。『あら皮』は完読できず、「つれなき美女」、フェドラ伯爵夫人が登場する前で終わってしまい、秋にその続きをすることになりました。今回は、バルザックの「芸術家論」を紹介しました。何か新しいものを生み出す者すべてをバルザックは「芸術家」と呼び、画家や彫刻家、音楽家、詩人、作家の他にもグーテンベルクやコロンブスも「芸術家」の範疇に入れています。「芸術家」はお金に無頓着で、「怠け者」とみなされているが、ぼーっとしている時が一番、活発な創造行為を行っている、というのは頷けるのですが、「芸術家」の理想の伴侶は「世界を我が物としながら、一文無しのこれら無分別な者たちの世話に身を捧げる献身的な女性」というのは、男の側の身勝手な願いのように思います。5月からは大阪公立大学の公開講座でまた、聴講生の皆さんとお目にかかるのを楽しみしています。

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