村田京子のホームページ – 日本フランス語フランス文学会秋季大会ワークショップ
日本フランス語フランス文学会秋季大会ワークショップ
« La littérature et le féminicide »
開催日: 2022年10月23日(日)13時~15時
場所 大阪大学箕面キャンパス
コーディネーター 梅澤礼 富山大学准教授
《案内》日本フランス語フランス文学会秋季大会で、« La littérature et le féminicide »(「文学とフェミサイド(女性殺し)」というテーマでワークショップを行います。フランスCNRSのMarc Renneville教授はじめ、富山大学の梅澤氏、南山大学の真野倫平氏とともに、村田も« Le thème du féminicide dans la littérature française au XIXe siècle »(「19世紀文学におけるフェミサイドのテーマ」)についてフランス語で口頭発表の予定です。興味のある方は是非ご参加下さい。本ワークショップの紹介は下記の通りです。

Le féminicide ou le fémicide est un terme qui désigne, depuis qu'il est inventé en 1974, l'homicide d'une femme. D'après l'OMS, celui qui est commis par un époux ou un petit ami —le féminicide intime— représente 35% du total, et ce, sans compter le meurtre dit d'honneur. Dans le féminicide non intime, sont inclus celui qui s'accompagne d'une agression sexuelle, ainsi que le terrorisme prenant des femmes pour cibles. Ainsi, certains inscrivent le féminicide dans un continuum de violence non seulement physique, psychologique mais sociale faites aux femmes.

En France, de 2009 à 2019, 128 femmes en moyenne ont été tuées par an : y compris Laëtitia, dont le meurtre a fait l'objet d'une enquête menée par l'historien Ivan Jablonka. Cependant, si le terme est nouveau, l'acte ne l'est pas. Murata examinera la littérature romantique (Balzac et Sand) ainsi que la littérature naturaliste (Zola) pour cerner le thème du féminicide dans la littérature française du XIXe siècle. À la fin de siècle, lorsqu'une dame a été tuée par un ami de la famille, les uns ont parlé d'assassinat tandis que les autres, de double suicide ; Renneville montrera comment cette affaire Chambige a inspiré Le Disciple (1889) de Paul Bourget et cinq autres romans. Le féminicide était en effet l'un des sujets favoris de la presse et de la littérature populaire de l'époque. Mano révélera, à travers une analyse des pièces du Grand-Guignol, la complicité latente entre le personnage meurtrier et les spectateurs. Au bout d'un siècle, certains en sont arrivés à considérer le meurtre d'une femme comme la manifestation de la masculinité de l'auteur ; Umezawa présentera une théorie psychiatrique du début du XXe siècle remarquant les causes individuelle et sociale du crime passionnel, appellation obsolète du féminicide.

Face à cette question profondément enracinée dans notre monde, ce « workshop » se veut une occasion de réunir des chercheurs japonais et français, en littérature et en histoire. Ceci dit, les panélistes étant tous dix-neuviémistes, ils souhaitent la participation des spécialistes de toutes les époques, de l'Antiquité au XXIe siècle.

《報告》学会2日目のワークショップは、千里中央駅からバスで10分の箕面キャンパスで行われました。箕面キャンパスは昨年に新設されたそうで、1日目の豊中キャンパスが広い池と緑に囲まれた昭和のキャンパスとすれば、箕面キャンパスは21世紀のキャンパスというイメージでした。レンヌヴィル先生は残念ながら、日本には来られず、早朝のフランスからオンラインでの参加となりました。ワークショップが始まる前にオンラインがなかなかうまくつながらず、阪大のスタッフの先生方にはお世話になりましたが、本番はちゃんとつながり、一同ほっといたしました。

まず、村田がバルザック、ジョルジュ・サンド、ゾラの作品を通してフェミサイドのテーマを探りました。『金色の眼の娘』と『ランジェ公爵夫人』には、バルザックのオリエントの夢が反映され、主人公はオリエントの暴君の絶対的な力を持ち、女性の裏切りを罰するために、暴力を振るい、その命までも自由にすることができました。女性の方も男の力を称賛し、男の暴力を喜んで受け入れるとみなされています。しかし、それは作者を含む男のファンタスムに過ぎないことを、サンドの『アンディヤナ』によって立証しました。また、19世紀前半のロマン主義文学ではフェミサイドのテーマはエグゾチックなニュアンスを帯びていますが、19世紀後半の自然主義文学では、より現実に近いものになります。ゾラの『獣人』がその顕著な例です。この小説には様々な動機による犯罪が起こります。とりわけ主人公ジャックの人物造形には犯罪学者ロンブローゾの『犯罪者論』の影響が強く、ジャックは「生来犯罪者」の身体的特徴を持っていますが。部分的に過ぎません。「生来犯罪者」像に完全に合うカビューシュの方が無実の罪で断罪されます。ジャックの場合、セクシュアリテを帯びた女に対する恐怖が殺害衝動に駆られる原因となっています。このように、19世紀フランス文学におけるフェミサイドのテーマは、男の女性に対する欲望と恐怖、女性への支配欲を軸に展開されていると言えるでしょう。

次に真野氏が Le théâtre du Grand-Guignol et l’esthétique du féminicide というタイトルでお話をされました。グラン=ギニョルは、19世紀末から20世紀にかけて流行った大衆芝居で、血まみれの死体や切られた首などが舞台に転がる恐怖残酷劇のことです。その犠牲者は女性であることが多く、花形女優のマクサは、舞台上で10000回以上も殺害され、「世界で一番殺害された女」とみなされています。暴力とエロティシズムに満ちた劇の中で、女性は「殴られ、傷つけられ、拷問を受け、虐殺される肉体の塊」でしかなく、観客はフェティシストの眼でそれを見る、言わば「フェミサイドの美化」が生じているとのことです。犠牲者の女性は①「白痴美の女」②サディスティックな「宿命の女」③「解放された知的な女」(カリカチュア的に描かれている)の3種類に分かれ、どれもミソジニー(女嫌い)に満ちたものとなっています。しかし、ドラマの中に差し挟まれるコメディの中で、男女の役割が逆転する場面があり、グラン=ギニョルの女性差別主義への抵抗が見られる、とのこと。私は、グラン=ギニョル劇の存在自体、知らなかったので非常に興味深くお話を伺いました。

次にレンヌヴィル氏が« Mourir dans un baiser » Un archétype du féminicide ? というタイトルで、1888年にアルジェリアの植民地で起きたシャンビージュ事件についてお話をされました。この事件は、青年シャンビージュと人妻のグリーユ夫人の事件で、ピストルの音を聞いて友人たちが駆けつけると、グリーユ夫人が半裸の状態でベッドに横たわり、その横でシャンビージュがピストルを持ち、顔に傷をおって倒れていました。彼は、夫人と一緒に死のうとしたが死にきれなかったと主張しました。それが二人の合意の上での心中なのか、それともシャンビージュによる夫人の凌辱殺人なのかで世間を騒がせ、法廷でも論争を巻き起こしたそうです。特にシャンビージュは友人たちから有望な文学青年とみなされ、当時の作家たちが彼を擁護して無罪にするために大々的なキャンペーンを行いました。さらに獄中からシャンビージュが手記を出したり、彼をモデルにした小説が幾つも出版されました。裁判ではシャンビージュの有罪が決まりましたが、大統領の恩赦をうけて3年半で釈放されたそうです。レンヌヴィル氏は、シャンビージュをモデルにしたポール・ブールジェの『弟子』を取り上げて分析されました。このシャンビージュ事件について、レンヌヴィル氏は同僚のJacqueline Carroy氏と共著で今年、本(写真)を出版されたばかりで、氏は心中ではなく殺人と結論づけています。確かに、いかなる女性も「自分から進んで死を求める時に、淫らな恰好(半裸)で死ぬこと」は受け入れられないと思います。

最後に梅澤氏が L’affaire Chambige et « le crime passionnel » というタイトルで、シャンビージュ事件で彼を擁護した人たちが、グリーユ夫人をバルザックの『30女』の「罪ある母親」に喩えて批判していることを取り上げ、「罪ある母親(不倫をした母親)」は罪を償うために死ぬしかないが、男は死ぬ必要がなく、むしろ「理想の愛」を求めた人間として評価される、というジェンダー不平等が起こっていると指摘されました。そして、メリメの『カルメン』に代表されるような「激情犯罪 (crime passionnel)」において、愛するがゆえに男が女を殺すことが英雄視されることへの問題提起を行いました。それは「男らしさ」の概念を深く関わり、犠牲者の女性が蔑ろにされていることを意味していると思います。

2時間のワークショップで、質疑応答の時間がほとんどなくなったのが残念でしたが、現代社会が抱える「フェミサイド」という深刻な問題を考える上で、有意義なワークショップであったと自負しています。

今回の発表原稿は、フランス語版・日本語版の両方で 2023年3月8日にCriminocorpsで公開されました。次のサイトを御覧ください。(https://journals.openedition.org/criminocorpus/12269

ワークショップのレジュメは、日本フランス語フランス文学会cahier 31 (2023年3月、pp.15-19)に掲載しています。

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