村田京子のホームページ – ミニシンポジウムの開催
「文学とジェンダー」ミニシンポジウム(人間社会システム科学研究科人間科学分野、共同研究プロジェクト)
「文学とジェンダー」
開催日: 2019年11月1日(金)
場所 大阪府立大学なかもずキャンパス A15棟2階中会議室
コーディネーター 村田京子
《案内》今年度の共同研究プロジェクト「文学とジェンダー」を下記の通り開催いたします。今年度は東洋史専門の教員が、嬰児殺し(特に女児)が多かった清代に子どもたちを保護しようとした人物について、中国思想専門の教員が卑弥呼の鏡の謎について、話をします。関心のある方はふるってご参加下さい(詳細はポスターを参照のこと)。

2時~3時 :  櫻井俊郎  「余治の保嬰会―清末上海における嬰児保護の試み―」

3時10分~4時10分 : 大形徹  「卑弥呼の鏡」

4時20分~5時 :  自由討論

《報告》11月の秋晴れの中、大勢の方々に参加して頂きました。まず、櫻井敏郎氏(左写真)が清代の子殺しの話をされました。当時、貧困のために生まれたばかりの赤ん坊を溺死させたり、路傍に捨てたりすることが多発し、その犠牲者の9割以上が女児であったそうです。家を継ぐのが男の子であったこと、女子は持参金や嫁入り道具などお金がかかることがその大きな原因で、せめてあの世に行ってからは、金持ちの家に生まれ変わることを願って「子を嫁がす」「他の人の身にわたる」という悲しい表現を使ったそうです。こうした悲劇をなくすために、清代初めには篤志家による共同出資で「育嬰社」「育嬰会」が組織され、捨て子に対して乳母の雇い入れなどが行われ、さらに雍世帝の時に行政の一環として推進されたそうです。ただそれでも「溺女」「捨て子」があまりに日常的であるため、嬰児死亡率は50%にのぼったとか。乳母だと当然のことながら、自分の子どもを優先するので預けられた嬰児の方が死亡率が高いということもあり、余治という篤志家が生みの親に直接援助して、自乳による育児を推進するために保嬰会というボランティア組織を立ち上げたそうです。彼は一口360文の寄付を募り、組織を各地に広げていき、子どもの死亡率を下げることができましたが、資金力のある上海のような都市と違い、地方ではその運営が大変だったようです。日本でも昔は貧困による子殺しは多くあり、中国と同じ状況であったと思いますが、日本では「姥捨て」の習慣があったのに対し、中国では「長幼の序」が尊ばれ、お年寄りは大事にされたそうです。こうした問題は格差社会が顕著になった現在にもあてはまり、現代の社会問題でもあると実感しました。

次に大形徹氏(右写真)が、中国の魏から倭の女王、卑弥呼に送られた鏡についての話をされました。この鏡が100を越える数で、鏡が何を意味するのか、道教や様々な視点から解き明かされました。まず鏡は「悪霊の正体を映し出し、魔除けの役割」をしているということ。また、鏡は太陽を表わし、鏡を通して「再生復活」を願うというのも昔からの信仰であったそうです。卑弥呼は鬼道を行ったとされていますが、「鬼」とは「死者の霊魂」を意味し、「鬼道」とはそうした霊魂の声を聞く力をもち、死者との交流を通じて神の啓示を受けることができることを指すようです。さらに、「鬼道」は道教や神仙思想とも結びつき、一旦死んだ者が復活再生して永遠に生きることができる、いわば仙人になれることと関連しているそうです。卑弥呼の鏡はこうした「鬼道」を行う道具、さらには「あの世に到達するための占い」として使われたのではないかと考えられるそうです。卑弥呼に贈られた鏡は「死者と生者の世界を繋ぐ」ものであり、「鬼神の世界をこの世に映し出す重要な呪具」として使用されたのではないか、というのが大形氏の結論でした。お話の中で面白かったのは、中国の文献で卑弥呼が「妖しい」と表現されていることで、『説苑』という文献に出てくる張魯の母親が鬼道を行った場面が色仕掛けの話とも取れる内容になっているそうで、そこから卑弥呼の鬼道の「妖しい」イメージが出てきた、ということ。古代ギリシアでは神殿の巫女は「神聖娼婦」とされといたことと関わりがあるのではないかと、つい勘ぐりたくなりました。

お二人のお話の後、質疑応答が時間をオーバーするほど活発に行われ、盛会のうちに終わりました(参加者50名)。

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