村田京子のホームページ – シンポジウム「19世紀文学における田舎の表象」
シンポジウム
「19世紀文学における田舎の表象」
開催日: 2019年1月26日(土)13時~18時
場所 京都外国語大学1号館7階171教室(小ホール)
コーディネーター リアリズム研究会・「フランス写実主義小説の成立に関する実証的研究」(科学研究費基盤C代表:田口紀子)共催
《案内》京大の若手研究者たち(イタリア文学、フランス文学、ドイツ文学の研究者)が立ち上げた領域横断的な「リアリズム研究会」の活動の一環として、シンポジウム「19世紀文学における田舎の表象」を下記の通り、開催の予定です。昨年度は「19世紀文学とリアリズム」というタイトルで、フランス文学、ドイツ文学、イタリア文学の研究者たちがリアリズム文学について興味深い話をされました。今回は、「田舎」をテーマにして、フランス文学、デンマーク文学、アメリカ文学の研究者が話をする予定です。村田はジョルジュ・サンドの田園小説を取り上げますが、「田舎」の描かれ方は、国によって様々だと思いますので、異文化との触れあいを楽しみにしています。関心のある方は是非、ご参加下さい。(申し込み不要:入場無料)(詳細は19世紀文学と田舎の表象(チラシ)を参照のこと)

1.村田京子(大阪府立大学):「ジョルジュ・サンドの田園小説における「田舎」の表象―農民像を中心に」

2.奥山裕介(大阪大学):「世界を迎え、世界を見送る―ヘルマン・バング『路傍にて』における「駅の町」の近代」

3.浜本隆三(甲南大学):「幻想の西部―フロンティアとマーク・トウェインの田舎表象」

コメンテーター:磯崎康太郎(福井大学)、田口紀子(京都大学)

《報告》雪がちらつく厳寒の中、30名以上の方々が京都西端の京都外国大学に集まってくれました(中には東京からわざわざ駆けつけてくれた方もいて、感謝!)。まず村田はバルザックの『ふくろう党』『農民』を通して農民像(「獣性」「野蛮さ」)を見た後、サンドの民俗学者的側面を明らかにしました。サンドは貴族社会からみた理想の農民像ではなく、時代が進むにつれて消滅しつつあるベリー地方の農民の方言や慣習、民謡、踊りを後世に残そうと努力し、物語の中で触れています。その意味では、パリから来た人物の視線を通して農民像を描いたバルザック以上に現実に即した農民をリアルに描いたと言えるでしょう。その一方でサンドは『ジャンヌ』の中で自然や大地と深く結びついた「原初の女」を登場させ、さらに『魔の沼』では「原初の男」を出現させて、「文明人」とは違う彼らの視点を浮き彫りにすると同時に、芸術家(作家)の役目は彼らの「沈黙」に言葉を与え、それを表現することとしています(図版はサンドと同時代の女性画家ローザ・ボヌールの《ニヴェルネー地方の耕作》)。そこにサンドの理想主義的側面が見出せます。

次に、デンマーク文学研究の奥山さんがヘルマン・バングという19世紀後半の作家の作品『路傍にて』を取り上げました。その前にまず、デンマークという国自体が地理的にもヨーロッパの「周縁」、「ヨーロッパの田舎」であったこと、それが産業化によって首都が急速に近代化し、首都と農村の格差が広がっていったこと、などデンマークの知られざる歴史の経過を説明されました。こうした歴史的背景のもと、都市と農村の中間に位置する「駅の町」(鉄道ができて駅周辺に鉄道工夫や職人が集住して共同体を形成)が生まれ、『路傍にて』はまさに、「駅の町」を舞台にした物語となっています。駅長とその妻カティンカ、農場管理者フース(カティンカと恋仲になる)の三人が主な登場人物で、近代的な「加速と発展」を体現する駅長、それに対してカティンカは「静止、滞留、自閉」を象徴しています。近代化によってコミュニケーションの断絶が起こりますが、カティンカの死後、彼女が残したものを通じて人々が共同性を取り戻す構造になっているとのことです。「動物」「花」が象徴的な役割をしているのが印象に残りました。

最後に浜本さんがアメリカ文学における田舎の表象をマーク・トウェインの作品を通じて分析されました。アメリカの場合、東部=都市、西部=田舎の図式となり、西部はフロンティアとして多くの移民を惹きつけてきました。ヨーロッパ文化に憧憬の念を持つメルヴィルやエマーソン、ソローなどアメリカン・ロマン主義とは違い、トウェインはヨーロッパ文化をありのままに、むしろ皮肉な視線で見ており、そこに彼のリアリズムが見出せます。農民の牧歌的神話の否定、自営農民の堕落が描かれており、さらにフィッツジェラルドの『ギャッツビー』では、ギャッツビー、彼の憧れの女性デイジー、語り手のトムも「西部人」であり、「東部」の生活には適合できない人間であったことを明らかにされました。方言に関しては、『ハックルベリーの冒険』でハックと黒人奴隷のジムがミシシッピ川を筏で下っていきますが、通り過ぎる場所ごとに違う方言が使われ、地方色が現れているというのが興味深かったです。

三人の発表の後、コメンテーターのお二人のコメントがあり、さらに会場からの意見、質問が相次ぎました。特に「田舎」が何を意味するのか、何と対立しているのか、はフランス、デンマーク、アメリカでは全く違い、一言では言えない問題だと改めて認識しました。もう一つは「語り手」の問題が議論され、「他者」としての「農民」の言葉をどのような形で表現するのか、または表現しえるのか、という問題がクローズアップされました。ディスカッションも2時間に及ぶ白熱したもので、有意義な一日を過ごすことができました。

報告書: 会報0号2019.2(リアリスム文学研究会)

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