村田京子のホームページ – 女性学講演会「『男らしさ』とは?」
「女性学講演会」(大阪府立大学女性学研究センター・「文学とジェンダー」共同研究プロジェクト共催)
「文学とジェンダー」
「男らしさ」とは?
開催日: 2017年12月16日(土)
場所 大阪府立大学 I-siteなんば
コーディネーター 村田京子
《案内》第21期女性学講演会 第2部「文学とジェンダー」(第2回)を下記の通り、開催いたします。西欧における19世紀は「男らしさの勝利」とされています。しかし、19世紀フランス文学には従来の「男らしさ」の範疇に入らない男性像も多く描かれています。本講演では、こうした男性像を通じて「男らしさとは何か?」を考えてみたいと思います。関心のある方はふるってご参加下さい(詳細は女性学講演会チラシを参照のこと)。

2時~3時:

「19世紀フランス文学・絵画における両性具有的存在――「男らしさ」の観点から――」 村田京子(大阪府立大学教授)


3時15分~4時15分: 「19世紀における囚人たちの「男らしさ」――隠語、文学、医学書から――」 梅澤礼(富山大学准教授)


4時30分~5時: 講演者との質疑応答

《報告》師走の寒空にも関わらず、大勢の方が講演会に参加して頂きました。2時からまず、村田が19世紀における「男らしさ」の特徴を挙げた後、それを具現化した新古典主義の画家ダヴィッドの絵を見せ、家族より国家を優先する男たちの領域と、家庭生活や子どもの教育などを表す女たちの領域が画面を二分していることを示しました。ダヴィッドは《バラの死》という一見、「男らしさ」の範疇に入らない女性的な少年像を描いていますが、それも革命期には、「男らしさ」を表象していました。それは美術史家ヴィンケルマンの美学の影響によるもので、文学においてもヴィンケルマンの影響を大きく受けたのが、ラトゥシュ『フラゴレッタ』、バルザック『サラジーヌ』、ゴーチエ『モーパン嬢』などです。そこに描かれた両性具有的な男性像を取り上げ、分析した結果、両性具有的な存在の両義性(「怪物」とみなされる一方、「理想美」や男の理想像を表す)が明らかになりました。バルザックの『金色の眼の娘』の主人公も、男の理想像として捉えられています。このように19世紀前半では両性具有は楽観的で健全なイメージで現れますが、後半には悲観的で、不健全なイメージへと変貌します。その例として、ゾラ『獲物の分け前』のマクシム、女性作家ラシルドの『ヴィーナス氏』のジャック(男のジャックがヴィーナスに喩えられている)を取り上げ、分析しました。

 次に梅澤礼先生が、「19世紀における囚人たちの男らしさ」について話をされました。まず、「囚人」の定義をした後、「囚人たちの男らしさ」は、日焼けして屈強な肉体であることを明らかにし、その例として、19世紀フランス文学に登場する代表的な囚人(バルザックのヴォートラン、ユゴーのジャン・ヴァルジャン)を挙げられました。監獄に入る時には弱々しかった若者が監獄を出る頃には「悪の道を進むための強靭な精神と肉体」を獲得する、という理由で「不正な男らしさ」と梅澤先生が名付けられているのが、興味深かったです。さらに囚人の同性愛にも言及され、「不正な男らしさ」を身につけていない少年が牢名主にレイプされ、「男らしさ」が逆に弱まっていくケースもあること、さらには「変質」の恐れがあること、また、囚人の自慰行為によっても「男らしさ」の危機が訪れることを明らかにされました。19世紀後半には植民地に囚人が送られて、彼らの獣性を土地の開墾に向けるべく、「不正な男らしさ」が利用された経緯の説明があり、納得。

講演の後、当時の医学的言説や疑似科学(ガルの骨相学など)、啓蒙思想に関して、または絵画に関してなど、様々な視点からの質問が相次ぎ、意見交換が活発に行われ、盛会のうちに終わりました(参加者60名)。

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