村田京子のホームページ – シャンティ城

sIMG_2985パリ北駅からコンピエーニュ行きの列車で23分のとこsIMG_3010ろにあるシャンティ城(写真左)に行ってきました。この城はルイ14世の寵臣コンデ公の城で、そのお抱え料理長ヴァテルの悲劇的なエピソードが特に有名です。コンデ公は国王以下の宮廷人多数をシャンティ城に招き、大祝宴を行うことにし、ヴァテルにその監督実行を命じました。この祝宴は歴史に残る豪華さで知られ、3日間の祝宴で5万エキュを要したと言われますが、実行責任者のヴァテルは与えられた準備期間が短かったこともあって疲労甚だしく、しかも3日目に届くはずの魚介類が届かなかったため、祝宴の失敗を確信して剣で体を3回突いて自殺を遂げた(実際は彼の自殺の直後に魚が続々と届き、祝宴は滞りなく終わった)というものです。ジェラール・ドゥパルデュ主役で映画にもなり、シャンティ城にはヴァテルの厨房がある(今はLa Capitanerieというレストランになっている)ので、今年の秋に「バルザックと食卓の表象」をテーマに国際シンポジウムを開催することもあり、是非ヴァテルがいたお城を訪れたいと思った次第です。いつもなら3月のパリでは春はまだ先のはずが、日中は気温が22度にまで上がり、すっかり初夏の雰囲気でした。ベルサイユ宮殿と比べると小さなお城ですが、一面に広がる青空のもと、緑の草地にお城だけが建っているという素敵な光景でした(写真右:広大な庭はベルサイユと同じくフランス式庭園となっています)。まず城の門の正面には狛犬ならぬ狩猟犬の像が2つ私たちを迎えます。狩猟の盛んな土地だけあって、狩猟道具が展示されており、さらに豪華なアパルトマンschateau2(写真左)sIMG_2990が続いています。特に面白かったのは「大型群猿図室」で壁、天井全体が中国風の装飾(写真右)となっており、18世紀半ばにクリストフ・ユエが作成した猿の図柄が壁一面に張り巡らされ、日本の鳥獣戯画のように、当時の人々の風習のカリカチュアとなっているそうです。schateau1図書室(写真)は特にフランス革命時代に大コンデ公の子孫のコンデ公が亡命中、所有していた土地を売って得た莫大な財産を貴重な書を集めるのに費やしたそうで、大判の貴重な本や美しい装丁の本がずらっと並んでいる様子は壮観でした(ちなみにコンデ公のお抱え料理人が革命で失業して、パリのパレ・ロワイヤルに店を構えたのが現在の高級レストランの原型となっています)。ここにはかつて、ロヴァンジュールが収集したバルザックに関する膨大な資料が収容されていて、バルザック研究者はシャンティに通って研究したそうです(駅から歩くと20分もかかり、なかなか大変だったと思います。ロヴァンジュール文庫は現在、パリのInstitutにあります)。さらに絵画ギャラリーが充実していてラファエロの≪三美神≫や聖母マリア像(写真左)sIMG_3002ルネサンス期の国王の肖像、ディアーヌ・ド・ポワチエをモデルにしたとsIMG_3004されるフォンテーヌブロー派の絵やプッサン、グルーズ、ワット―、そしてドラクロワ、アングル(写真右)、コローなど様々な時代の巨匠の絵が所狭しに展示されていました。昼食はヴァテルの厨房を改装したレストランでサーモンのアントレに牛肉の料理を頂きました(写真はレストランの銅鍋sIMG_3015をバックに同僚の先生と一緒に撮ってもらいました)。その後は広大sIMG_3019な公園を散歩、さらに大厩舎とIMG_3027馬の博物館(写真下2枚:馬も飼われていてショーも行われるそうです)を見学。近くのシャンティ競馬場でこの日もレースがあったそうで、何年か前に日本の武豊騎手も来たそうです。パリから少し離れて新鮮な空気を吸って、エネルギーを充填した一日でした。

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