村田京子のホームページ – 映画「この世界の片隅に」

映画1映画3先日、アニメ映画「この世界の片隅に」を見てきました。こうの史代原作の漫画を片渕須直監督が映画化したもので、昭和8年(1933)、広島市に住む絵の好きな8歳の少女すずが、家業の海苔を得意先に届けるところから物語が始まります。道に迷った彼女がゴミ拾いの怪しげな男の籠に乗り、もう一人籠に転がり込んだ少年と人さらい(?)に連れて行かれそうになるところをすずの機転で二人とも助かるという、空想がちのすず(大人には見えない座敷わらしを見たりする)にとっては現実だか夢だかわからないことが起こります。すずの同級生で密かに憧れてもいた哲と海に面した丘で会う場面(図左)での波がしらがウサギのように跳ねている様子が何とも美しく、すずの描いた絵が兄を亡くした哲の気持ちを和らげるシーンは心温まるものでした。昭和19年、18歳になったすずに突然縁談が舞い込み、すずにとって見ず知らずの相手と結婚(図右)、呉で暮らす日常生活が淡々と描かれます。おっとりとしていてかなりどじなすずを嫁ぎ先の両親、夫(勝気な夫の姉を除いて)が暖かく見守っている様子が何とも微笑ましい限りです。しかし、戦争によって次第に食糧が欠乏し、配給の食糧を求める人々の長蛇の列(ちょうど、フランス革命についての授業をしたところなので、革命下のパリ市民と同じ状況がここでも起こっていることを実感し、現在でも地球のどこかの国で同じ状況が見られるのは本当に悲しいことです)や空襲の恐ろしさが庶民の目線で描かれています。興味深かったのは、最初に呉がアメリカ軍に爆撃された時、その様子を高台から眺めたすずが青空のキャンバスに花火のような色がぽつぽつ付いたように思ったこと(図左映画2)、今、絵筆を手にしていたら、と思わず言った場面です。その後は空襲に逃げまどい、幼い姪が時限爆弾で死に、すず自身も右腕を失うことになり、さらには広島での原爆で両親の死、病に伏した妹(恐らく死ぬであろう)と悲劇が彼女を襲いますが、それでも生きていこうとする最後の場面は女性の強さを感じさせました。終戦の日、義理のお母さんがとっておきの米を出してきてそれを食べる場面、でも明日からも生きていくためにお米を全部は使わない、というセリフや、戦時中、雑草(たんぽぽやすみれ、はこべらなど)を取ってきて調理して食卓に出したり、楠公の節約飯を真似て作ったもののまずくて食べられなかったり、と日常のちょっとした出来事に笑顔を絶やさない家族の姿に救われる思いがしました。この映画はクラウドファウンディングで資金を集め、最初は少数の映画館でしか上映されなかったのが、評判を呼んであちこちの映画館でロングランとなっているようで、本当に良かったと思います。

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