村田京子のホームページ – 大阪府立大学第10回市民フォーラム
大阪府立大学 市民フォーラム
「はばたく女性たち 歴史・文学・伝説」
開催日: 2016年1月26日~2月23日
場所 大阪府立大学 I-siteなんば
コーディネーター 河合眞澄 大阪府立大学教授
《案内》大阪府立大学教員による第10回市民フォーラムを以下のように開催します。「現在でこそ、女性たちはさまざまな分野で活躍していますが、時 代をわずかにさかのぼれば、みずからの思うような行動に踏み切れない女性たちも大勢いました。活躍するための力を蓄えようとしている女性、それを下ざさえ している女性たちの姿は、振り返っておかなければなりません。一方、封建的な社会にあっても、臆せずにみずからのなすべきことを考え、主張する女性たちの 存在もありました。日本・中国・フランス・アメリカの例から、はばたく女性たち、あるいははばたこうとする女性たちの現実を再認識し、その実態を見直して 行きます」(案内文より)。詳細は大学HP(http://www.osakafu-u.ac.jp/extension/evt20160126.html)および市民フォーラムパンフレットをご参照下さい。

1月26日(火): 河合眞澄 「浄瑠璃・歌舞伎の「姫」」

2月2日(火): 大形徹 「『列仙伝』の女仙」

2月9日(火): 村田京子 「もう一人の椿姫―ジョルジュ・サンドの『イジドラ』」

2月16日(火): 中村治 「家事・農作業の機械化と女性」

2月23日(火): 滝野哲郎 「アメリカ南部の女性たち」

《報告》2月2日のフォーラムの日は朝から嵐のような風が吹き荒れ、一時はどうなるかと心配しましたが、夕方には寒さは残ったものの、風は止みました。そんな寒い中、80名もの方々が聴講に来て頂き(特にいつも名古屋から駆けつけてくれる、いおりさん、どうもありがとう)、本当に感謝しています。司会の河合先生から簡単な紹介の後、6時30分きっかりに話を始めました(ちゃんと電波時計が用意されていて、センター入試の監督を思い浮かべてしまいました)。90分間、皆さん、熱心に聞いて下さいました(写真左)。

クルチザンヌ(高級娼婦)と言えば、貧しさのために売られた女性、というイメージが強く、「はばたく女」のイメージとは一見、反対のように思われます。確かにデュマ・フィスのクルチザンヌ「椿姫」も愛する恋人のために自ら身を引き、恋人からの迫害、侮辱を受けても黙って耐え忍び、ただ一人、肺結核で血を吐きながら死んでいく、という悲劇です。この「椿姫」には実在のモデルがいて、それがマリー・デュプレシ(右図)という女性でした(実際、マリーは楚々とした美女で、クルチザンヌとしてパリで一世を風靡したものの、23歳の若さで肺結核で死んでいます)。しかし、女性作家ジョルジュ・サンドの『イジドラ』には同じマリーをモデルとした「椿姫」(ジュリー=イジドラ)が登場しますが、デュマ・フィスの「椿姫」とは全く違う運命を辿ることになります。イジドラは男性優位の社会の中で自らがお金で買われた女であることに傷つき、屈辱を覚えながら生きてきましたが、最後には男たちが嘲る「老醜」を恐れなくなり、穏やかな「老いの庭」を楽しむようになります。彼女は次のように言っています。「厳しい忠告者である私の鏡、それについては男たちが皮肉たっぷりの常套句をさんざん言い、書いてきたことですが、その鏡を覗いて、皺が一本増えたことや、何本かの髪の毛が白くなっているのをみて、つい最近までは震え上がったものです。でも、突然、心を決めて、歳月のもたらす容色の衰えを確かめようとさえ、もう思わなくなりました」。彼女は「男の眼差し」で鏡を見るのではなく、鏡に映る「年老いた女」を「別の女、新たに始まるもう一つの私」とみなして幸福感に浸っています。こうしたくだりは、アンチエイジングがもてはやされる現代社会に生きる私たちにとっても身近な問題提起のように思えます。

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