村田京子のホームページ – 「文学とジェンダー」ミニシンポジウム(2015.10.9)
「文学とジェンダー」ミニシンポジウム(人間社会学研究科共同研究プロジェクト)
「文学とジェンダー」
開催日: 2015年10月9日(金)
場所 なかもずキャンパスA15棟中会議室
コーディネーター 村田京子
《案内》2015年度第1回「文学とジェンダー」ミニシンポジウムを下記の通り開催いたします。今回は中国思想(神仙思想)と、日本文化(演劇)専門の本学教員がお話をいたします。参加は自由ですので、興味のある方はふるってご参加下さい(詳細は ポスターを参照のこと)

2時~3時 : 大形徹  「『列仙伝』の女仙」

3時10分~4時10分 : 河合眞澄 「浄瑠璃・歌舞伎のお姫様―はばたく女性たち」

4時20分~5時 : 自由討論

《報告》秋晴れの中、大勢の方に参加頂きました。まずは、大形先生(写真左)が前漢の劉向撰とされる『列仙伝』に現れる女仙の話をされました。同じ劉向撰とされる『列女伝』では孟母三遷の話で有名なように、婦徳を説く道徳的な物語が集められているのに対し、『列仙伝』では修業や苦行の果てに仙人になるといった道徳とは無関係に女性が仙人になる話で、特に女丸という女性の紹介がありました。女丸は酒売りの女性で、客の仙人が飲み代の代わりに素書(絹の白書)を置いていったので、その書物を開くと養性交接の術が書かれており、彼女はそれをマスターして少年たちを集めては美酒を飲ませて宿泊させ、術を行ったおかげで30年経っても20歳くらいの美しさを保っていた、30年後に仙人が彼女の元を訪れ、「道を盗んでも師がいなければ、羽があっても飛べない」と言われ、彼女は仙人の後を追って姿を消した、というものです。男の「精」を吸い取って若返る女性は、例えば欧米では「宿命の女 (femme fatale)」として恐怖の的となり、「宿命の女」も最後は恐ろしい死によって罰せられる、という形になりますが、中国の場合、女丸は罰せられることもなく、非常にあっけらかんとした結末で興味深かったです。仙人に特徴的な長寿というのも、もともとは死者の復活という考えが起源にあったそうです。

次に、河合先生(写真右は河合先生が八重垣姫に扮して踊った時のもの)が浄瑠璃・歌舞伎に出てくる三人の女性―それぞれ愛する男性のために積極的に行動する女性―の話をされました。①『本朝24孝』の八重垣姫(上杉謙信の娘):彼女は敵方の武田信玄の息子勝頼(=蓑作)と許嫁であったが、勝頼が父の謙信の命令で暗殺されることを知り、愛する彼のために諏訪明神に祈り、神の狐の助けを借りて諏訪湖の湖水を渡って彼を追いかけていく、という話。江戸時代の儒学では「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と言われ、夫となる人のために父を裏切って自分の意志を貫く女性を描くことができたようです。②『祇園祭礼信仰記』の雪姫:祖父が雪舟である女絵師、雪姫を松永大膳が自分の物にしようと幽閉し、さらに彼女の夫の直信を殺そうとする。捕えられた雪姫が桜の花びらで鼠の絵を描くと、絵から白鼠が現れ彼女を助ける、というもの。これは有名な雪舟の逸話から派生したものですが、女性が自分の身を投げ出して夫の命乞いをするといった筋書きではなく、自ら積極的に行動を起こすところに雪姫の独自性が見出せます。③『鎌倉三代記』の時姫:豊臣秀頼と千姫の物語を鎌倉時代に置き換えて演じたもので、北条時政の娘、時姫(=千姫)は敵の武将三浦之助義村(=豊臣秀頼)を慕い、親に逆らって彼の母親の看病をしている所に、戦から傷を負った三浦之助が帰還。彼は自分が討死した後、時姫が父の時政を打てば後の世まで自分の妻とする、と約束し、時姫がその誓いを立てるという話。これも親子の縁よりも夫婦の縁を尊ぶもので、「親殺し」の罪をかぶっても自らの愛を全うしようとするところに時姫の強さが見出せます。しかし、その後どうなったか、結末を省くところに日本のお芝居の面白さがあると思います。

お二人の話のあと、活発な質疑応答がなされ、盛会のうちに終わりました(参加者46名)

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