村田京子のホームページ – 「文学とジェンダー」ミニシンポジウム
「文学とジェンダー」ミニシンポジウム(人間社会学部共同研究プロジェクト)
「文学とジェンダー」
開催日: 2014年10月31日(金)
場所 なかもずキャンパスA15棟2階中会議室
コーディネーター 村田京子
《案内》人間社会学部共同研究プロジェクト「文学とジェンダー」の2014年度第1回目のシンポジウムを下記の通り、開催します。今回は、日本文学と、中国文学専門の本学教員がお話をします。参加は自由ですので、興味のある方はふるってご参加下さい。詳細は添付のポスターをご覧ください:文学とジェンダー ポスター(2014)

2時~3時 : 青木賜鶴子 「土左日記」のジェンダー

3時10分~4時10分 : 大平桂一 「中国の勉強する女性たち」

4時20分~5時 : 自由討論

《報告》ちょうど白鷺祭初日にあたり、楽しそうな音楽が聞こえてくる中でのミニシンポジウムとなりました。まず、大平先生が中国、後漢の時代の斑昭という女性の著書『女誡(じょかい)』を取り上げました(下の写真は講演中の大平先生)。この著作は「女性は朝から晩まで家事に務めるべし」とか「夫の心を得れば全て良し。夫の心を失えば全てを失う」、「姑の言うことが間違っていても従うべし」といった戒め7章からなるもので、当時の男尊女卑の考えを反映していますが、実は女性がうまく世間を渡っていくためのハウツー物であった、ということです。斑昭は学問に長け、百科全書的な知識を持った女性であったとのこと。また、晉の時代には優れた女性詩人、謝道蘊という女性がいて、彼女は弟に代わって哲学談義をするほどの才能を見せ、さらに武術にも長け、賊を切り殺した「傑物」でもあったそうです。纏足が始まる宋時代までは、女性も行動の自由があったと聞き、少し驚きました。

次に、青木先生(右の写真)が紀貫之の『土左日記』の一節を紹介して下さいました。貫之自身は「土佐」ではなく、「土左」という語を使っていたとのことです。仮名文学として最初の作品で、国司として任期を終えた人(貫之)が土佐国から京都まで戻る船旅の記録となっています。当時、「男の日記」とは「漢文による官僚の記録」だったそうで、主人公を女性とすることで仮名を使うことができたそうです。お話で特に興味深かったのは、漢詩は「女」である主人公にはわからず、和歌を読むのが「女らしい」と作者が考えていたこと、洒落言葉が連発されていること―解釈者たちは「諧謔性の現れ」などと高尚な文章とみなしているが、単なるおやじギャグに過ぎない?―、新国司の惜別の歌への返礼として前国司(貫之自身)が詠んだ歌は下手なものであること―すなわち、歌の下手な前国司というフィクションが混じっていること―などでした。要するに、貫之が「男」の裃を脱いで「女」となって気楽に書いているのが『土左日記』というような気がいたしました。

お二人の発表の後、質疑応答が活発に行われ、和気あいあいとしたなかで盛会のうちに終了いたしました(参加者46名)

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