村田京子のホームページ – シャンソン研究会(2024.6.30)

IMG_0001先日、神戸大学で開催されたシャンソン研究会の集まりに行ってきました。今回の発表は3人の方で、まず、刊行されたばかりのフロランス・トレデズ著『ジョルジュ・ブラッサンスーシャンソンは友への手紙―』(鳥影社)の監訳をされた高岡優希さんが、本邦初翻訳のこの本についてのお話をされました。フランスでは高い知名度を誇るブラッサンスですが、日本では名前だけは知られているものの、あまりその曲が歌われることはない歌手です(有名なのは『オーヴェルニュの人に捧げる歌』くらいでしょうか)。それは一つにはギター一本で歌われることが多く、強面の風貌に地味な服装といった51npgSOHeiL._AC_飾り気のなさが要因ということでした。確かに、私にとってもブラッサンスは地味なイメージに留まっていました。ただ、フランスで大ヒットした映画(Le Dîner de cons:邦訳『奇人たちの晩餐会』:右写真)は、私の大好きな喜劇で、会話が何とも面白くて授業でも何度も学生に見せました。その主題歌としてブラッサンスの「時はたっても事態は変わらぬ」が使われていて、この曲はcon「アホ、馬鹿者」の連発で、「若くても、年をとっても、アホはアホ、変わりはない」(高岡訳)という意味で歌われています。conはもともとは卑猥な言葉なのですが、ものすごくあっけらかんと「コン、コン」と歌われていて笑いを誘います。ブラッサンスの歌は、社会批判、体制批判が多く、死刑反対(1981年のミッテラン政権の時に、フランスでは死刑は廃止されました)を訴える「ゴリラ」もその一つですが、歌詞の内容は性的意味合いが強く、最後の歌詞でやっと、死刑廃止の主張につながる、というもの。この曲は今の日本でも放送禁止になると思います。フランスでもなかなか放送されず、開局したばかりのEurope 1が初めて曲を流したとか。ブラッサンスの反骨精神は人気が出てからもずっと変わらず、アカデミー・フランセーズから会員のオファーがあっても断ったそうです(まさに、ボブ・ディランのように)。シャンソンはやはり、メロディよりも歌詞が一番、と改めて思いました。

次の発表は、長谷川智子さんの「バルバラとプレヴェール詩に付曲したコスマの作品の楽曲分析とその比較ー教会旋法の観点から」というタイトルで、音楽学からの観点によるシャンソン分析でした。「教会旋法」というのは、グレゴリオ聖歌のような昔の教会音楽で使われていた特別な旋法、ということですが、ドリア旋法、フリジア旋法、イオニア旋法などいろいろあって、音楽学に無知な私の頭には全く入ってこなかったのですが、コスマの曲「こども狩り」(プレヴェール詩)―「離島の感化院の子どもが脱走し、賞金がかけられ、大人に追いかけられた」実話に基づいた曲―の最後、海に飛び込んだ子どもの行く末がわからない歌詞で終わっているが、この最後の部分だけフリジア旋法で、フェルマータやデクレッシェンドで音が下がっているところから、子どもは死んだと考えられる、という分析は非常に納得がいきました。バルバラも教会旋法を使っていて、それは「祈りの表現」と解釈できる、という分析もなるほど、と思いました。

最後のハルオさんのご発表は、クイズ形式のオーディオビジュアルなもので、いつもと同じくポピュラー音楽についての博識ぶりを披露されました。今回はフランスで誰がジャズを広めたのか、というクイズで、トレネが有名だが実は、モーリス・シュヴァリエが1920年代にすでに「ジャズ」と冠したレコードを出しているとのこと。なぜトレネがジャズの開拓者だという通説が生まれたのかは、シャンソンに関して本や事典を書いた人がきちんとルーツにあたらずに、先行文献の誰かの言説をうのみにしたため、という理由でした(研究者には耳の痛い話です)。あと、Musique Dominanteという独自の概念も興味深いものでした。

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