堺シティオペラ一般社団法人主催のオペラ『フィガロの結婚』を見てきました(ポスター)。モーツァルト作曲のオペラで、縁があって、プログラムの解説(原作のボーマルシェの『フィガロの結婚』の簡単な説明とオペラとの相違点について少し述べました:HPの「その他研究活動」の「解説」欄を参照のこと)を書いたこともあり、オペラ上演を楽しみにしていました。
舞台衣装は、同志社女子大から譲り受けたものだそうですが、18世紀の時代を彷彿とさせる非常に素晴らしい衣装(伯爵夫人の衣装、特に豪華でした!)でした。この頃は現代風の衣装で、『カルメン』の舞台にスポーツカーが登場し、歌手たちもジーパンで登場、というのもパリのオペラ座で見たことがありますが、私はやはり、当時の衣装の方が時代を反映していて好きです。キャストの方々もフィガロ、アルマヴィーヴァ伯爵、スザンナや伯爵夫人とも声量、声音も素晴らしく感動しました。パリでは何度もオペラを鑑賞してきましたが、日本人歌手のオペラはあまり見たことがなく、これで3度目でしたが、日本人歌手も遜色ないことに驚いています。舞台装置も長いカーテンをうまく使っていて、特に夜の庭園の場面で、大きな三日月がかかっているのが幻想的でした。
前作の『セビーリャの理髪師』では、フィガロの才覚が際立ちますが、『フィガロの結婚』では、小賢しいはずのフィガロや権力者の伯爵が、スザンナや伯爵夫人という女性陣にしてやられる(さらに、敵役だったマルチェリーナもフィガロの母親だとわかってからは、スザンナを擁護し、助ける側に回る)のが一番痛快でした。ケルビーノが伯爵の動きをことごとく邪魔をする、というのも面白かったです。ケルビーノは男とも女とも取れる―むしろ女性的―存在で、多様な性を扱っていると言えるかもしれません(これは、ボーマルシェの演劇でもシェークスピアでも同じですが)。
演出家の岩田さんが舞台が始まる前に解説されましたが、岩田さんの解釈では、原作のボーマルシェの作品はフランス革命を引き起こす一つのきっかけを作ったものだが、モーツァルトのフィガロは、むしろ革命だの戦争だの破壊をもたらすよりも、平和、愛を謳っているということでした。確かに、一理あるとは思いますが、「対立」「復讐」という言葉が飛び交う中で、唯一の被害者である伯爵夫人のみが「許す」と述べて贖罪を一人で引き受けている、という解釈には、少し違和感がありました。ゲーテの『ファウスト』でもそうですが、ファウストの犯した罪を引き受けて死んでいくのが無垢なグレートヒェンというジェンダー構造(男の罪を女が引き受ける)には「それも男の都合のいい考えでは?」とどうしても思ってしまいます。ただ、こうした見解の違いも、モーツァルトのオペラが様々な解釈が可能な、多元的な深い意味を持った作品だからでしょう。
3時間半(幕間の時間を入れると4時間)の長いオペラでしたが、11人の登場人物がそれぞれの思惑を込めて歌う重唱や、伯爵夫人とスザンナの二重唱、ケルビーノのアリアなど、見どころ、聴きどころ一杯のオペラでした。