村田京子のホームページ – 谷崎潤一郎記念館

谷崎芦屋の谷崎潤一郎記念館で、「美食の宴」の催しがあり、参加しsIMG_3799てきました(ポスター)。まずは、記念館で学芸員の方のレクチャーを受けました。谷崎は東京に生まれ、「乳母日傘」で育てられ、東大に入学。24歳で「刺青」を発表して、永井荷風に認められて文壇で脚光を浴び、29歳には井上千代と結婚という順調な人生を歩みます(ただ、実家が破産するという憂き目にあい、谷崎はかなり無頼な生活を送っていたようです)。妻の千代とは性格の不一致(千代が良妻賢母型であったのが谷崎の場合、良くなかったようです)でうまくいかず、佐藤春夫との「妻譲渡事件」を引き起こして、スキャンダルに。妻を親友に譲る、という手紙を二人の間で交わしているのは、確かに女をモノ扱いしてひどい話ですが、少なくとも谷崎、佐藤の本人たちは「善意」によるものだったようです。谷崎はマゾシストで女性に尽くすタイプで、『春琴抄』がそれを如実に表しています。谷崎は、惚れ込んだ女性が人妻であろうが、息子の妻であろうが、熱烈なラブレターを書き綴りましたが、それはむしろ、自らの小説の主人公と重ね合わせた疑似恋愛のようなものであったようです。彼は3回結婚しますが、最後が人妻だった松子で、松子との結婚はうまくいったようで、松子やその姉妹が『細雪』のモデルとなっています。東京時代は「モダンボーイ」であったのが、関東大震災で関西に移住してからは、伝統的な日本の美意識を追い求めるようになったとか(「陰翳礼讃」はやはり関西に来なければ生み出されなかったでしょう)。それと引っ越し魔だったそうで、生涯で40回以上引っ越しをし、神戸でも13回も引っ越したとか。莫大な印税を手にした谷崎は岡本に豪邸を建て、最近まで残っていたものの、残念ながら阪神大震災で崩壊してしまったそうです。今の記念館の庭(写真)は、谷崎の関西での最後の住まい、京都下賀茂の「せんかん亭」を模したものだそうです。レクチャーの後、「潤一郎時代絵巻」の展示(「乱菊物語」の挿絵原画など)を見て、西宮北口の「花ゆう」で夕食となりました。

sIMG_3802「花ゆう」は、谷崎の小説『細雪』に出てくる心斎橋の老舗sIMG_3804「播半」(現在はもうない)で修業をした料理人の方のお店。『細雪』には、「播半」の他に「吉兆」や「瓢亭」が出てきますが、柏木先生のお話では、格式を尊ぶ長女が選ぶのが「播半」、新興のお店「吉兆」を選ぶのは新しい考えの妹の方と、その性格に合わせて料理店を作者の谷崎が選ばせているそうで、興味深かったです。前菜は「肉八幡巻、アスパラ黄味酢掛け、一寸豆つや煮、白魚の簾巻」(写真sIMG_3805左)。特に白魚が見た目もきれいでした。吸い物は「丸吸 すっぽん」(写真右)。すっぽんを吸い物に入れsIMG_3807るのが、「播半」の特徴であったとか。お造りは「まぐろ、油目、イカ、鯛」(写真)で、油目がとても美味でした。炊き合わせは春にちなんで若竹煮。揚げものも蕗の塔など春の野菜の天ぷらが出ましたが、何といっても「竹の皮」(写真)は今まで見たこともない形で出てきました。次がこれも「播半」で出された「甘鯛桜むし」で、桜餅の中身に餅と鯛がsIMG_3810入っているという蒸し物で、花びらうどが載せられています。道明寺粉と鯛という不思議な取り合わせですが、ぴったりマッチしていて驚きでした。谷崎の小説をまたじっくり読みなおしたいと思ったひと時でした。

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