村田京子のホームページ – 稲垣直樹先生の最終講義

sIMG_28692月19日に京大の稲垣直樹先生の定年退職に伴う最終講義と退職記念パーティがありました。お天気は寒いながらも快晴でしたが、何と京都市民マラソンの日にぶつかってしまいました。講演会場は東一条の総合人間学部(元教養部)の建物内でありましたが、東大路通りがマラソンコースになっていたため道路が閉鎖され、百万遍から徒歩で南に下がり、京大の正門にいたる交差点の信号を渡ろうとするとそこも封鎖、道路の反対側に渡るためには延々と迂回して近衛通りから入った(2キロくらい人ごみの中を歩きました!)ため、本来なら10分で会場まで辿りつくところを、30分かけて歩き、足が棒のようになりました。ともあれ、稲垣先生のご講演「『レ・ミゼラブル』、世紀を越える神話(再)創造―原作と文学・映像アダプテーション―」は2時間半にわたる熱気溢れる講義でした(写真は講演中の稲垣先生)。ユゴーの『レ・ミゼラブル』(1862)がいまだにミュージカルや映画などで上演され、読み継がれているのは、ユゴーがリアリズムの技法を用いながらも、リアリズムの規範から外れた人物設定・プロット設定などによって神話的要素が見出せること。それが時代を越えた普遍性を持つ理由である、というのは大変納得できました。とりわけ、ユゴーは神の存在を信じているが、カトリックからは異端とされたグノーシス信仰に基づくものであり、ジャン・ヴァルジャンが神の意志により、ナポレオンに代わって時代を背負う人物となること、彼の内に「宇宙的贖罪のエネルギーの蓄積」がなされ、彼の使命は全被造物の贖罪にある、というのが一番印象に残りました。また、日本sIMG_2871での黒岩涙香の翻案『ああ無情』やジャン・ギャバンの主演映画『レ・ミゼラブル』、ミュージカルやヒュー・ジャクソン主演のミュージカル映画の話も面白く、ミュージカル映画は私も見ましたが、ジャン・ヴァルジャンの臨終の場面が教会になっていて(原作ではありえない)、死んだファンチーヌが彼を迎えにきて歌うアガペー(真の愛)がコゼットとマリウスのエロース(性愛)、ミリエル司教のフィリア(隣人愛)、コゼットへのファンチーヌの母性愛、コゼットへのジャン・ヴァルジャンの父性愛といったストルゲー(家族愛)が歌い込まれ、それらが「真の愛」に包括されていく、という「キリスト教国での作品の感動」に貢献している、という話はなるほど、と思いました。懇親会では稲垣先生と関わりの深かった先生方たちが面白いエピソードを語られ、終始なごやかな雰囲気でした(写真は稲垣先生を囲んで、大竹仁子先生、柏木加代子先生と)。

HOME | PROFILE | 研究活動 | 教育活動 | 講演会・シンポジウム | BLOG | 関連サイト   PAGE TOP

© 2012 村田京子のホームページ All Rights Reserved.
Entries (RSS)

Professor Murata's site