村田京子のホームページ – 奈良日仏協会美術クラブ 松柏美術館特別展

奈良日仏協会美術クラブ主催で、柏木加代子京都市立芸術大学名誉教授の講演の後、松柏美術館に特別展「上村三代と京都市立芸術大学」鑑賞会に参加しました。柏木先生は、京都市立芸術大学で上村松篁、淳史とも親交があり、ご著書『磨く松園、視る松篁、誘う淳史』(大垣書店)を出版されています。今回は上村三代の画業の軌跡を話していただきました。

IMG_0001上村松園は《序の舞》や《花がたみ》など、美人画で有名ですが、松園が視覚や聴覚に留まらず、嗅覚や味覚にも思いを凝らしていたという話が非常に印象に残りました。その代表例が、菊の香を嗅いでいる麗人の姿が描かれた《菊の香》(左図)で、その髪の毛の一本一本が丁寧に描かれ、色鮮やかな衣装がその優雅さを引き立てています。柏木先生はそれを、プルーストの『失われた時を求めて』の有名なエピソード(主人公が紅茶に浸したマドレーヌを口にした瞬間、その香りに刺激されて幼い頃の思い出が蘇ってくる)に結びつけて論じられました。しかも、画面中央の菊一輪が円心の役割を果たし、「そこで呼び覚まされた感動の余韻が、馥郁たる菊の香を頼りに、際限なき円周(余白)に向かって拡散する」という指摘に、全く納得がいきました。西洋画のような背景(自然風景など)が描かれない日本画は、むしろ内面性が反映された「余白」に重きが置かれていたようです。

また、松園の《母子》が1900年のパリ万博で賞をとったのは、当時、フランスで流行していた曲線的なアール・ヌ-ヴォー様式に合致したためであり、さらに、ルドンの《日本風の花瓶》の花々や花瓶の周りを舞う二匹の蝶に、松園の絵の影響が見出せるそうです。19世紀後半の印象派の画家が日本の浮世絵の影響を受けたことは、よく知られていますが、ルドンのような象徴主義の画家が日本画の影響を受けていたとは、知りませんでした。

もう一つ、松園に関して印象に残ったのは、能『葵上』(『源氏物語』で嫉妬に狂った六条御息所の生霊が葵上の枕Uemura-Flame-1918元に現れる場面)から着想した《焔》(右図)という絵です。謡曲の師である金綱巌から能面の「泥顔(嫉妬する美人の白目に金泥を入れる)」の話を聞いて、ヒントを得た松園が絹の裏から金を入れることで、不思議な味を出すことができたそうです。確かに、この絵には凄惨な美しさが見る者に迫ってくるように思えます。

一方、息子の松篁は花鳥画の大家として有名ですが、独自の画風に開眼したのは、里芋畑の雉を描いた《朝》を制作している時、「自然の本体、実在」に触れた経験による、とのこと。柏木先生はそれを、実存主義の作家サルトルの『嘔吐』における主人公がマロニエの木の下で経験したことに結びつけられています。松園の孫にあたる淳史に関しては、西洋画の情報が日本に多く入って来た時代において、直に訪れたアッシジのサン・フランチェスコ聖堂のジョットの壁画《小くじゃく鳥への説教》や、フィレンツェでのフラ・アンジェリコの《受胎告知》のマリア像(淳史の模写にはマリアに影がないのも、いかにも日本画家らしい!)に見出せる深いリアリティに影響を受けながら、新たな日本画の創造を目指した、ということでした。淳史は実際に様々な鳥を飼って生活し、鳥の生態を熟知していたそうで、つがいの白孔雀を飼って、卵を産むと鶏に托卵させて雛に孵したそうで、雛は鶏になつき、大きくなった孔雀の上に鶏が乗って、寝かしつけていたそうです。それを彷彿させるのが、今回の特別展にも展示されていた《孔雀》(左図)で、鳥への愛情に満ちた、何ともメルヘンチックな絵となっていました。

松柏美術館の特別展では、京都市立芸術大学との関連ということで、松園の絵は少なめで主に松篁、淳史の絵が展示されており、松園びいき(宮尾登美子の『序の舞』を新聞連載小説で読んで以来のファン)の私としては少し残念でしたが、これまであまり知らなかった松篁、淳史の花鳥画に触れることができて、大変勉強になりました。柏木先生はフランス文学を専門とされているだけに、プルーストやサルトル、メルロ・ポンティなどフランスの文学者・思想家と上村三代の画家を結びつけて話され、彼らの絵画への理解がより深まった気がします。

折しも、今年1月から2月にかけて豊岡からコウノトリが飛んできて、美術館の前の大渕池に滞在し、地元では大変な話題になりました。松篁、淳史がコウノトリを見れば、どんな絵を描いたのか、想像するだけで楽しくなりました。

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